同性婚訴訟のあとに。

昨日の同性婚訴訟の後の応援パーティーの時、不意にスマホが鳴ったので、出ると母からだった。
「テレビ見てたら急にあなたが映ったから…いったい何やってるの?」
「前にバレンタインデーに同性婚訴訟を起こすって話したでしょ?」
「聞いてないわよ…あんた、そんなことでテレビに出なくてもいいでしょう?まだこれからも出るの?」
「いや、多分今日と明日くらいしかニュースや記事には出ないと思うよ」
「もっと他のことやってニュースに出ればいいのに…」
母の声には、諦めのような落胆の色が滲み出ていた。
僕は、そんな母のことを考えて、少し泣きたくなった。
きっと自分の息子のことを、人よりも劣っていると卑下しているのだろう。
この世の中に、最愛の家族に卑下されるほど、悲しいことはない。そんな息子を持った自分のことも、きっと悲しいと思っているのだろう。
僕は今日、起きた時からそんな母のことを考えていたのだけど、思い切って電話をかけてみることにした。
「お母さん。昨日は僕みたいな子どもを持って、恥ずかしいと思ってたんでしょう?」
「私はもういいのよ。あなたのことはそうなんだって受け入れてるの。でもね、あんな風にニュースに出なくてもいいと思って…」
「お母さん。よく聞いてね。いつか近い将来に、この国でも同性婚が認められる日が来るんだよ。今はね、僕は、自分のためだけに戦っているんじゃなくて、僕みたいに前に出れないものすごく沢山の人たちやこれからの若者のために戦ってるんだ」
「同性愛の子どもたちは、学校で差別されたりいじめられたりして、自傷行為や自殺する子どもが6倍も多いの。トランスに至ってはもっともっと多いんだよ。この国のこれからの若い人たちのために立ち上がったんだから、お母さんは僕のことを、誇りに思っていいんだからね」
「あら、そうなの…私にはあんまりわからないけど、あんたがそう言うんなら、わかったわ…」
僕は母と話しながら、映画の『トーチソング・トリロジー』で、アーノルドがお母さんと誇りや自尊心をかけて喧嘩をするシーンを思い出していた。
そして、『ミルク』や『against 8』など、数々の映画を思い出して、彼らも僕たちを応援してくれているに違いないと、自分に言い聞かせたのだ。

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