海のトレーニング。

隔週末の土曜日に海のトレーニングを行っていて今日は2回目だった。

前回は僕が海に指示を出したので、今回はKにお願いして他のワンちゃんや飼い主さん達と一緒になってしつけのレッスンとアジリティ(障害物競争)のトレーニングをした。

今日の海はなぜか興奮が強くて、途中Kの手を離れて場内を自由に走り回ってしまったり、全体としてはあまりうまくトレーニングができ図に終わった。

Kはトレーナーのやり方や他の飼い主さんのありようがあまり好ましく感じられなかったようで、終わった時点でもうこのトレーニングには参加したくないと言い出した。

僕はKがそんなに嫌がっていたとは思っていなかったので焦ってしまったけど、なんとか気を鎮めて次回からは僕が担当するということにした。

Kは僕と違ってとても周りの人々に気を遣う性格だ。周囲に迷惑をかけることを極端に嫌い、いつも周囲を気にしている。

僕はどちらかというと周囲に迷惑をかけてしまっても時と場合によってはしょうがないと思って生きているようなタイプ。

人間、生きている中では周囲に迷惑をかけてしまうこともあるし、周りから迷惑をかけられることもあると思っている。

海が何度か脱走したことで、Kは周りに対して申し訳ない気持ちになってしまったようだった。その上にトレーナーからちょっと嫌味っぽい言い方をされたようで、すっかりKは怒ってしまった。

人はみんな感じ方や物差しが違っている。9年以上付き合っていてもまだまだわからないことがあるものなんだと思った一日だった。

本人尋問での最後の言葉。

月曜日の本人尋問で、「最後に裁判官に伝えたい言葉はありますか?」という質問があった。

原告それぞれが思い思いの言葉を話したのだけど、僕はいつも暮らしの中で思っていることを話した。

性的指向や性自認に関わらず誰もが結婚できるようになったら、法律的にできることや保障はたくさん享受できるようになるのだと思う。でも、本当に僕が欲しいのは、偏見や差別のない毎日の暮らしだと思うのだ。

●本人尋問最後の言葉。10月11日東京地方裁判所にて。

かつと二人で飛行機に乗っている時に、
急に飛行機が揺れて思わず手を繋ぐことがあるんです。
でも僕たちはその時、ふと周りを気にするんです。
桜が咲いていたり樹々が紅葉する季節に外を歩いていると、
ふとかつと手を繋ぎたくなることがあります。
でも周りを気にして手を繋ぐことはありません。
僕たちはこんな風に、いつもいつも周囲の目、
偏見や差別を気にしながら毎日暮らしています。
性的指向や性自認に関わらず、
誰もが愛する人と結婚できる社会になったら、
この国もきっと変わっていくと思うのです。
僕が願うことは、誰もが自分の愛する人と手を繋ぎたい時に
手を繋ぐことができるそんな世の中になることです。

Kと一緒になって10年めに入りました。

Kと出会ったのは、Kがまだ27歳の時、僕は43歳だった。

大分と東京という長距離で離れて暮らす僕たちは、最初に会った時にこんなふうに一緒に人生を歩むようになるなんて正直思いもしなかったのだ。

Kはまだ子どものようなあどけなさが残る青年で、福岡や大分、東京でたびたび会い、長崎、熊本、鹿児島、宮崎、京都、大阪と、日本の様々な場所を旅するように月に1度か2度会っていた。

旅の終わりに駅や空港で二人が離れ離れになるときに、Kはじーっと瞳の奥で悲しそうに僕を見ていた。楽しい時間が過ぎるのはとても早く、僕も別れるのが耐えられないくらい辛かったのを覚えている。

付き合い始めて3年が過ぎてからKは思い切って東京に引っ越してきて、その後は駅や空港で悲しい別れをしなくても良くなったのだった。

その後、二人で大きな裁判にも参加して、どういうわけか今は熱海に住むようになり、大型犬の海を飼い始めて、来年の頭には今度は宮古島に移住することになった。

この9年間、僕の人生も大きく変わっていったけど、僕以上にKの人生は急展開と大きな方向転換をしていったことと思う。

大分での大病院での安定した仕事をやめて、僕のもとに来たことは人生の大きな賭けだったに違いない。

Kは昨日の裁判の最後に弁護士からこんな質問をされた。

「あなたにとって、ただしさんはどんな人ですか?」

「いつも僕を守ってくれる人です。安心を与えてくれる人です。僕もただしさんを守りたいと思います」

僕も弁護士に「あなたにとって、Kさんはどんな人ですか?」と聞かれた。

「僕の生命のように大切な人です」と答えた。

9周年、おめでとう。そして、ありがとう。

新しい1年も、海と一緒に3人でたくさん笑おうね。

「結婚の自由をすべての人へ」本人尋問。

朝の10時30分から夕方の16時30分まで、東京地方裁判所において本人尋問が行われた。

午前中は、小野ちゃん・西川さんの子育てカップルと、ある原告の妹さん。午後は、よしさん。大江さん・小川さん。そして最後にKと僕の順番だった。

尋問が始まる前に、嘘偽りを言わないことを裁判官の前で宣誓する。嘘なんて言うつもりはないけど神聖な場所なので緊張して背筋が伸びるものだ。

原告一人一人のお話を聞きながら、こんな辛い思いをしてきたのかと何度聞いても涙が流れた。

原告の妹さんの証言は、客観的な意見でとても力強く、裁判官の胸を打ったと思う。

午後一番のよしさんは、今年の1月にパートナーの郁さんを亡くしている。よしさんの尋問は、途中からよしさんが堪えきれす涙が溢れて話すことさえできなくなり、僕も涙がとめどなく流れた。

小川さんと大江さんの二人は、堂々とした返答で頼もしかった。

Kは土壇場に強いみたいで全くあがる様子もなく、スラスラと自信を持って話していた。

おおとりとも言える最後の僕は、緊張して前半部分の返答を1箇所言い足りない部分があったものの、なんとか最後まで答えることができた。途中、母へのカミングアウトの部分では不覚にも涙声になってしまい、更に弁護士から質問が出てきた。「よしさんの病院での待遇を聞いてどう思われますか?」

「まるで自分のことのように感じて・・・どれだけ人の尊厳を踏みにじるんだろうと・・・」と言う言葉を、僕は泣きながら答えていた。

裁判長も裁判官も、僕たちの話に真摯に耳を傾けてくれていたと思う。

判決は分からないけど、どんな結果が出ようとも、何度でも立ち上がり、また声を上げていくまでだ。

今日で地方裁判所でのクライマックスはひとまず終わった。

本人尋問に向けて。

来る10月11日(月)は、「結婚の自由をすべての人に」訴訟の本人尋問が行われるのだけど、先週末の日曜日に僕とKは東京に行きこの本人尋問のための合宿をした。

持ち時間は大体24分くらいなのだけど、僕の場合は少しオーバーしてしまい、尚且つ質問と答えがいくつか噛み合わなくなってしまい焦った。

僕はこの後質問を変えて、全体を再構築するという宿題が課された。

Kは17分くらいで終わってしまい、質問をさらに増やそうということになって終わったのだった。

昨夜のKはどういうわけか急にやる気に満ち溢れたようで、弁護士が送ってきた質問内容を読み、自分なりに考えてその答えを書き直しはじめた。

僕は早々に眠くなってしまい先に寝室に行っていたのだけど、0時を過ぎても一向に寝室に来る気配はなく、何度か様子を見に行った。

「Kちゃん、また明日やればいいじゃん。もう寝よう」
「まだ、これ書いてから寝るから先に寝てて」

この裁判は、どちらかというと僕が積極的に進めてきたのだけど、ここへ来てKの意識もどんどん変わっていっていて、この裁判に原告として臨んでいる重みを感じているようだ。

修正が終わって1時近くに寝室に来たKは、ベッドに入るなりスヤスヤと寝てしまった。

Kのことを心配しながらうとうとしていた僕は、かえって目が覚めてしまって朝方まで眠れずに過ごしたのだった。

「結婚の自由をすべての人に」訴訟本人尋問に向けた合宿。

10月11日の裁判に向けて、東京で合宿が行われた。

合宿といってもまるまる1日かけて、弁護士事務所内にある法廷に模した作りの部屋に入り、一人ずつ本番さながらの尋問を行うのだ。

僕たちは熱海から行くことと海を留守番させなければならないため、12時頃に家を出てから東京駅に向かう午後からの参加にした。

一人の尋問時間はおおよそ24分間。今回は7人の原告と一人の原告の妹さんが尋問を受けることになっている。

それぞれ反対尋問や裁判官からの質問などが入ることを考えると、タイムスケジュールは朝の9時過ぎから夕方17時くらいまでかかりそうだ。

24分間の尋問は、幼少期から現在に至るまでの数多くの質問事項があり、それを直前までパソコンで確認しながら尋問席に座った。

弁護士が僕の左側に座り、裁判官は僕の正面に3人。右側に被告席がある。

繰り返される質問になんとか答えるも、同じような質問に答えを忘れてしまったり、質問に対してうまく答えになっていなかったり、本番ではないものの緊張してしまい思った以上にうまくいかなかった。

本番までに後2回はオンラインで練習して、なんとかスラスラ言えるようになりたいものだ。

いよいよ「結婚の自由をすべての人へ」訴訟、本人尋問は10月11日((月)です。ぜひ傍聴席に見にきてください!
https://www.marriageforall.jp/blog/20210929/

家を探していたら、気づいたこと。

今日、とてもショッキングなことがあった。

家探しを始めてから、すぐにとてもいい感じの物件が出てきて高揚していたのだけど、内覧の手続きをしようとメールを打った後に、「この物件は商談中になりました」と返信があった。

それも縁なのかと思いつつ、宮古島を訪れた時にその家を見に行ったのだ。

するとすぐに向かいの家からおじいが出て来て、「家を見に来たのかね?」と聞いてきた。

「そうです。素敵な物件だったので住みたかったのですが、先約がもう交渉に入っているみたいで…」

「じゃあ、もしだめになったら連絡するから電話番号教えといて」

そのおじいは大家さんだったみたいで、電話番号を教えて物件を後にした。

その後、数日経ってからおじいから連絡があり、「今月で片がつかなかったら俺も決めるよ」

そんなメッセージで「え?もしかして可能性あるのかな?」と浮かれ、Kと2人でもう一度物件の内覧に行ったのだった。

東京に帰ってきて、そろそろ月末だなあと思いながら不動産屋に電話をすると、もう順調に契約に向けて手続きは進んでいるとのこと…_| ̄|○

その電話に打ちひしがれて、「この先あんないい条件の家は見つかるのだろうか…?」と不安に包まれてしまった。

Kに空を告げると、「あら、残念だね😣でもまた違うところか他にやりたいことができるかもしれないから🐩大丈夫だよ!」とすぐに返信が返ってきた。

そして夕方、海と散歩をしながらふと思ったのだ。

僕は、外側の家を必死になって探していたけど、「内側の家はこんなにも素晴らしい宝もののような家があるではないか!」と。

Kと海がいる。

それだけで僕たちの家は世界一温かく幸せなのだと。

そう思えたら、きっと大丈夫だと思えたのだった。

おせち料理。

昨年は、Kの実家と僕の実家に高島屋のおせち料理を送った。

今年はどうしようかと考えていたところ、婦人画報に美味しそうなおせち料理が載っていたのでそれを送ることにした。

母の日や父の日に、まだ会ったことのないKのご両親に贈り物をする。

Kは僕のたいせつなパートナーであり、Kのお父さんとお母さんは、僕にとってもお父さんとお母さんだから。

お父さんはまだ僕のことを口にすることはあまりないみたいだけど、焦らずゆっくりと時間をかけて関係性を築いていけたらいいかと思っている。

人生で後悔していること。

自分の人生で何か後悔していることはあるかな?と考えたら、あまり心当たりはなかったのだけど、唯一「子どもを育てたかった」と思った。

僕の若い頃は僕も含めてゲイの友人たちも、自分の未来のことはあまり楽観できずに、「一生ひとりきりで生きていかなくてはならないんだ・・・」と思っていたものだ。

男同士が結婚できるわけなどないと思っていたし、周りに男同士で長いパートナーシップを続けているロールモデルのようなカップルなどいなかったのだ。

80年代は世界中がそんな感じだったのだけど、でも今この時代に僕がゲイとして生まれていたら、もしかしたら人生はもっと違っていたように思える。

日本ではいまだに同性による結婚は認められていないけれども、世界中でゲイやビアン、トランスの親が子育てをしているのをネットで知ることができるから。

同性による結婚をこの国が認めてくれたら、これからの若い世代のセクシュアルマイノリティも、もっと自由に大きな未来が思い描けるに違いない。

そのためにどんなことがあっても、僕に残された一仕事をなんとかやり遂げたいと思っている。

本人尋問に向けた合宿。

10月11日((月)に行われる「結婚の自由をすべての人に」訴訟の裁判期日のために、本人尋問の合宿が行われた。

合宿といっても、オンラインでの打ち合わせだったのだけど、朝の9時50分から夜の18時半までみっちりとパソコンの前で過ごした。

僕たち原告の本人尋問は、7名がそれぞれ20分間くらいで行う予定で、その後に被告側からの反対尋問を想定して答えると言うもの。

予め弁護士からの質問は大体頭の中に入ってはいるものの、本番ではかみなどを見ることは出来ず、素の状態で質問に答えなければならない。

これがなかなか難しくて、生い立ちからはじまって半生をいろいろな角度から質問されることになる。

終わった時点で僕もかつもくたくただったけど、弁護士さんたちの並々ならぬ協力のおかげで、とてもいいチームになっていると思う。

全く報酬もなく弁護を引き受けてくださっている弁護団の方々に、心から感謝している。