夏野菜の炒め浸し。

秋刀魚の右上が夏野菜の炒め浸し。

冷蔵庫にたっぷりと夏野菜を買ってあったので、蝉の鳴き声を聞きながら、朝から揚げ浸しならぬ『炒め浸し』を作った。
夏野菜は、大抵油で揚げて浸すか、焼いて浸すかだと思うけど、僕は、その間の炒め浸しをおすすめする。
油を使わない焼き浸しもいいけど、ナスなどの野菜は、やはり油を含んだ方が美味しいので揚げ浸しにしようと思っても、この暑い時期に、家で油の揚げ物をする気にはなれないし、揚げた後の油も捨てるのに罪悪感を感じてしまう。
よく、煮浸しや揚げ浸しを、出来合いの麺つゆで作る人がいると思うけど、一度家できちんと引いた出汁で薄めに作って食べてみて欲しい。野菜本来の甘味と旨味を感じられるはずだ。
〈夏野菜の炒め浸し〉
★材料
ナス4個
ピーマン4個
赤・黄パプリカ各半分
万願寺唐辛子(もしくは伏見唐辛子)4個
プチトマト8個
(長芋など他の野菜なんでもよい)
★調味料
出汁:醤油:みりん=12:1:1
出汁720ml
薄口醤油60ml
みりん60ml
胡麻油やオリーブ油など適量
★作り方
1.浅型鍋に、出汁、薄口醤油、みりんを熱々に温めておく。
2.野菜を同じくらいの食べやすい大きさにそれぞれ切る。ナスはアクが出るので、塩少々入れた水に切りながら漬けておく(ナスは輪切りではなく、なた切りという回しながら斜めに切ってゆく乱切りが美味しい)
3.熱したフライパンに油を大さじ1ひき、切った野菜ごとに炒める。(炒めるというより、あまり動かさずにこんがりと焼き目をつけて火を通す)
4.炒めたら、1の浅型鍋の中に浸す。油が足りなくなったら、その都度油を少し足す。ナスは油を吸うので、大さじ2くらい入れて、切った断面を焼き付けるようにして転がす。
5.すべて焼いて浸したら完成。生姜を擦って、添える。

どんぶり。

気に入ったどんぶりを見つけることは、意外と難しい。
和食器は、模様が入っていたり、産地がわかる塗りがしてあったりするし、同じように中国やアジアのものは、そのお国柄が匂い立つ模様が入っていたりするものが多いのだ。
食器に産地や必要以上の情報は、料理の邪魔をすると思うので、なるべく国籍を感じさせない器を選ぶようにしている。
例えば、九谷焼の模様は美しいと感嘆するけど、自分の家の普段の料理で使いたいとはあまり思えないのだ。
このどんぶりは、フランスのもの。下の色地がほんのりと感じられる温かな白は、ツヤがありざっくりとした形と相まって美しい。
レインボーリールの帰りに、青山のMUJIで見つけて買い求めたものだけど、実際に使ってみたら、大きめのサイズのせいか、どんな料理でも美味しそうに見せてくれる。
Kとふたりで見つけて買った器が、またふたつ増えた。

トランボ

BridgeのMがずっと言い続けていた映画が『トランボ』だ。
「今年一番いい映画だから、ただし、絶対に観に行ってね!」
Kを引き連れてシャンテに着くと、席はほぼ満席だった。
トランボとは、脚本家ダルトン・トランボであり、ローマの休日やスパルタカス、黒い牡牛などの脚本を手がけた実在の人物だ。
第二次世界大戦後のアメリカでは、赤狩りが横行していてハリウッドでも共産主義者を暴き出す運動が拡大していった。
トランボは共産主義と疑われ、議会での証言を求められ拒否し、議会を侮辱したという理由で投獄される。その後トランボや周りの仲間たちは、ハリウッドでブラックリストに載せられ、仕事を奪われることになってゆく。
この映画は、時代が民主主義に傾倒していき、人々が1つの同じ思想であるべきという風潮の中で、他の人とは違う考え、自由な思想、自由な言論の大切さをひたすらに信じた男の物語だ。
映画自体は、はじめとても地味に感じるのだけど、本人にそっくりと思えるキャスティング、それぞれ控えめで確かな演技に引き込まれるに違いない。
トランボ役の主演男性は、アカデミー賞にもノミネートされていたのだけど、実直なトランボになりきっていて見事だった。そして、アメリカの恋人とも言えるダイアン・レイン。娘役のエル・ファニングも素晴らしい。
こんな映画、10年に一本しか見られないかもしれないと思える素晴らしい作品。
★トランボ ハリウッドに最も嫌われた男http://trumbo-movie.jp/sp/index.html

揚八

銀座のソニービルの向かいに、東急プラザが随分前にオープンしていたのだけど、やっと訪れることが出来た。
日本にある他の商業施設と同じく、全体的に女性に特化したターゲット戦略なのだけど、もっとゲイや男性に向けた大人っぽい施設は出来ないものかと思う。
レストランは幾つか面白い店が入っていたので、今回は『串カツとワイン 揚八』に。
小さい店内だけど、串カツとワインを飲ませるというコンセプトは面白いと思う。
大阪の串カツ文化に、チーズやフォアグラなどの食材でフレンチ化させたのは有名な『凡』があるけど、『凡』に近い食材の選択と合わせ方かもしれない。
グラスワインもリーズナブルに楽しめるし、串カツとワインという恐らく日本でしか味わえない組み合わせの妙は、この国で暮らす楽しさを味わわせてくれる。
★串カツとワイン 揚八
03-6264-5230
東京都中央区銀座5-2-1 東急プラザ銀座 11F
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13193862/

会社の面倒な人。

先日、一緒に仕事をしている55歳くらいの上司Mさんが、3年目の後輩コピーライターY宛にメールを送った。それは、彼が必死に書いたコピーに対してのコメントだった。
●よいコピーがあればとも思いましたが、そこまで到達していないですね。
コピーライターの先輩としての厳しい指導ならばわかるのだけど、その人は、何もアイデアを出さず、僕たちが考えたことのネガティブチェックばかりしている人なのだ。
僕は、3年目の後輩Yが嫌な思いをしているのではないかと気遣って、彼のところに行って聞いてみた。
僕「昨夜、Mさんが酷いメール寄越してたけど、気にすること無いからな」
するとYは、僕に言った。
Y「ああ、すごいメールでしたね・・・。Mさんのこと、他の先輩がこう言ってたんです。
あいつはまるで『動物』だから、いちいち気にすることないからなって。何を言い出すか観察してると面白いよって・・・だから僕、観察してるんです」
これには僕も笑ってしまったのだけど、考えてみると、僕はMさんのことを人間的に嫌いというのではないのだ。考えてみれば、会社に入って一緒に仕事をした人で、「この人嫌いだなあ・・・」などと思った人はひとりもいない気がする。誰かを嫌いになるということは、それ自体とてもエネルギーのいることだと思うのだ。(Mさんのデリカシーのなさやコミュニケーションの仕方には驚かされるし、頭に来ることもたくさんあるのだけど)
そんな風にして僕は、自分になるべくストレスを溜めることなく、会社人生を送ってきたのだけど、後輩の『動物だと思って観察してるんです・・・』という言葉に、そういう手もあるのか・・・と苦笑いしたのだった。

いちじく。2

鳥に食べられてしまう前に、ベランダのいちじくを収穫しようと外に出ると、樹高60センチほどのいちじくの木には、8個くらいの実がついていて、物によっては紫色が濃く熟し始めているのがわかった。
小さく濃いいちじくを洗うと2つに裂いて、どんな味だろうかと口に運んでみる。
僕「あ、美味しい。」
K「ほんと?!」
遠巻きで見ていたKがやってきて、半分になったいちじくを口に運んだ。
「ほんとだ。いちじくの味がする」
春の芽だしの時期にちょっと肥料をあげただけで、全くかまうこともなかったいちじくは、5・6センチくらいにしかならない小さな実をたくさんつけて、自分がいちじくであることを僕たちに伝えていた。
収穫をしたいちじくを、白いお皿に載せてテーブルの上に置いてみた。
いくつも穫れた小さないちじくの実は、僕とKがふたりで一緒に過ごすはじめての夏を彩ってくれていた。

いちじく。

ベランダに、小さないちじくの木が2本、対になってある。僕はなぜか、対のものが好きで、同じものをふたつ買い求めてしまうことがよくあるのだ。
育てってみてわかったのだけど、このいちじくという木は、新芽の美しさからはじまり、手のひらのように美しい葉を広げる姿、人知れずいつのまにか小さな実を結んでいるところと、一年を通じてその愛らしさにことかかないのだ。
2本のいちじくは、スペースがないので小さめの鉢にちょっこりと植わっているのだけど、ふと窓の外を眺める時に、古代より人々に愛されて来た姿を見ることができる。その美しい葉を見ていると、自分がまるで中世の貴族にでもなったかのような、穏やかで豊かな気分になるものだ。窓の外にはアルノ川でも流れているような・・・
洗濯物を干しているKが、突然僕を呼んだ。
「ねえ!ただしくん!
いちじくの実が熟して来た・・・食べられるかな?」
Kは美しい葉のことなど考えもせず、いちじくが食べられそうなことに嬉々となっていた。

お義父さんの人生。

久しぶりに、銀座で母と親子水入らずでランチをした。母とふたりきりだったので、珍しくお義父さんの話になった。
父と母は、僕が小学校を出ると別居をし、高校を出ると離婚した。
母と僕はずっと一緒に暮らしていたので、僕が会社に入って何年かしてから一人暮らしをはじめると、とても寂しそうだった。
その後、数年はずっと一人でいたのだけど、しばらくして再婚した。
お義父さんは、母よりも4歳年上で、郵便局で働いていたそうだ。人生が博打のようだった父とはまるで正反対の、穏やかな人だった。
今の母は、お義父さんと結婚して、とても幸せそうに見える。
母「あの人ね、私と結婚して数年してから、こんなこと言ったのよ。
タロウさん(僕の兄)に何かあったら、私がタロウさんの子ども、3人ともすべて面倒見ますから。」
僕「へー、やさしいね。
お義父さん、子どもがいなかったから、孫が出来てうれしそうだったもんねー
兄貴に何かあったら、僕が子どもの面倒みるよ」
母「そんなこと、普通の人は簡単に言えないと思うの。やさしい人なのよ」
お義父さんはいつも穏やかで、怒ったところなど見たことないような人だ。とてもつましい人で、新しい洋服を買うこともないし、それでいて僕たちが遊びに行くと言うと、お寿司を取ったり、もてなそうとしてくれる。
僕はそんなお義父さんが、いったいどんな人生を送ってきたのだろうかと想像することがある。
前妻との間には、結局子どもには恵まれずに仲良く暮らしていたのだけど、50代になってから奥さんの脳腫瘍が見つかったそうだ。
脳腫瘍は、はじめのうち手術をすれば無くなったかのように見えけど、そのうちに取っても取っても次から次へと他のところに見つかり、最後にはもう、手術を諦めざるをえなくなったそうだ。
そして、お義父さんは意を決して会社を辞めて、奥さんを家に戻し、ほとんどつきっきりの介護をしたのだ。そして2年間の介護の後、奥さんは亡くなった。
お義父さんは、奥さんを亡くした後、静かに余生を送っていたのだけど、ある日、縁があったのか僕の母と出逢ったそうだ。
穏やかに、平々凡々と生きてきたように見えるお義父さんの人生にも、僕の知らない激動の時代があったのだった。
会社を辞めて、奥さんの介護に踏み切ったお義父さんを、とても強くやさしい人だと思う。

企業ロゴ。

友人が会社を経営していて、この度企業名を変えるというので、ロゴを作ってくれないかと頼んできていた。
気軽に、「いいよ!」と答えたものの、会社の概要を聞いてみると、他の会社との差異があまりなく、ロゴ化するのに一苦労することになってしまった。
企業ロゴというのは、そのデザインや色にその会社の意志やありよう、考え方、目指すべきビジョンが込められたものであるべきだと思う。
それらが曖昧なままだと、自ずとイメージはボヤけて色や形も曖昧なものになってしまう。
僕なりに一通り考え、二丁目のキンズメンで待ち合わせをして、ロゴを見せながら説明をした。
友人は、とても楽しそうに聞いてくれて、「まるで、ミュージカルを観たような気がしました」と言ってくれた。
一旦持ち帰って社員の方々と自由に意見を言い合った後、ひとつの企業ロゴにしてゆくことになった。
今までに仕事やボランティアで幾つものロゴを作って来たけど、こうやって友人の会社のロゴとして使われるのは、僕としてもとてもうれしい。

Kのお兄さんがやってくる。

今週末に大分からKのお兄さん家族が東京に遊びに来ることになっていて、Kはお兄さんから様々な相談を受けていた。
東京駅についてからホテルのある赤坂までの行き方は?
赤坂駅に荷物を置くことが出来るか?
赤坂から長谷川町子美術館までの行き方は?
長谷川町子美術館から赤坂に戻る途中に何か面白い場所はないか?
赤坂きら浅草に行くにはどう行けば良いのか?
赤坂で安くて美味しい店はないか?
赤坂からディズニーランドまでの行き方は?
両親に東京土産を買いたいのだけど何がいいか?
Kだって、東京に出てきたばかり。机の上には東京メトロの路線図を広げたまま見つめ続けているのは、東京の地理も地下鉄もわからないくらいだからだ。
そんなKを見るに見かねて、僕が片っ端から質問に答えてあげた。美術館の後は六本木ヒルズに行き、テレビ朝日に遊びに行けばいいのでは?などと提案し、Kを連れて六本木ヒルズへ行った。
歩いているとKが問いかけた。
K「ただしくん、お兄ちゃんがただしくんに会いたいと言ったら、ただしくん、お兄ちゃんに会ってくれる?」
僕「お兄ちゃん?
なんか恥ずかしいけど、もちろん会うよ」
K「ほんと?よかった!」
今回かどうかはわからないのだけど、Kの家族に会う日は、時間の問題だろう。
はてさて、どうなることやら…。