浜辺の茶屋

那覇の町からは車で30分、満潮の時には、白砂の足元まで水が来るような場所に、『浜辺の茶屋』はある。
座席は、一階の店内と、波打ち際に近いビーチ席、屋上のパラソル席がある。
10時を過ぎた頃、遅めの朝ごはんを食べに立ち寄った『浜辺の茶屋』は、ほんの少し待たされた後にビーチ席についた。
海を眺めながら、サンドイッチを食べる。
家族連れで来た子どもたちは、お父さんと波打ち際でヤドカリを探している。
小さな女の子が、スカートを捲りながら海に入っていてスカートを濡らしてしまう。
何にもない穏やかな浜辺では、波の音と青い海がご馳走。
こんなカフェで感じるのは、やっぱり沖縄の懐深さだった。
★浜辺の茶屋
098-948-2073
沖縄県南城市玉城字玉城2-1
http://tabelog.com/okinawa/A4704/A470403/47000065/

沖縄の占い師。

飲んでいたら、友人Xが言った。
「沖縄本島に行くんなら、
占い師がいるから見てもらえば?
その人凄かったの。
会って、自分の顔を見た瞬間に、
あなた、◯◯◯万円くらい借金があるでしょう。
って、いきなり当てられたの…
それからズバズバ言われて…」
なんだか恐ろしい気もするけど、これも何かのタイミングかと思い、ネットで夕方に予約を入れてみた。
うるま市にある指定の場所に行くと、奥のソファのある部屋に通された。程なくして太った女性が入ってきて僕の向かいに腰を下ろした。
女「こんにちは。それでは出生時間を使った四柱推命と、お名前と、手相を見て、何か感じたら話していきますね…
あなた、4年前くらいに人生の転機を迎えているわね…」
僕「4年前・・・何も思いつきませんが…」
女「それと、人生で一番大変だったのは、あなたが39歳の時。14歳も大変だったわね…
それから、あなた、32歳くらいの若い彼がいるわね…」
僕「あ…今は31歳ですけど今年32歳になります。
39歳の時は、10年間つきあった恋人と別れたのと、父を亡くしてとても辛い年でした…」
女「そうでしょうね…でも、その時ほど辛い時期は、もうあなたの人生には訪れないから心配いらないわ。
それと、前の恋人は、生きていたら54歳くらいね」
僕「僕よりも6歳上だから…そうですね」
女「引越しは、今年以降4年間は絶対にしてはいけません」
僕「え!
昨年末の12月に引っ越したんですが…」
女「あらよかった!
今年の節分以降は絶対にダメなのよ…よかったわ」
女「あなた、ご両親から遺産を相続された?お金には困らないわね…」
僕「いや、遺産なんて何も相続してません。うちに遺産なんてないんじゃないかな…笑」
女「いや、手相にもここにはっきりとそう出てるの。もしかしたら、どなたかがもうお決めになったのかも…とにかく心配いらないわ」
僕「お金はすべて僕の前を通り過ぎてゆく人生なんですけど…ははは」
女「あなたの今の若い彼ですけど…
彼はとってもあなたにとっていい人よ。いつ出会ったの?
彼の胸に熱いものが見えます。あなたのことをとっても愛しているみたい。
それと、若いこともあって嫉妬深いから、あなたの方が注意しないとダメよ」
僕「そうですか?
考えてみたら、4年前…
あ、さっき4年前が何かの転機とおっしゃってましたね…」
僕がゲイだとバレたのは、友人の名前を出していたからだろう。僕は、すぐに人と打ち解ける方だし、自分からどんどん話すようなところがある。
今となっては、占い師がズバズバ当てたのかどうなのか、もはやはっきりしないのだけど、これから先の注意した方が良い年、仕事のことなどを聞いた。
女「56歳の前に健康診断にきちんと行ってくださいね。56歳は何かの病気の暗示がありますが、いい先生を見つけるとかしてあなたは必ず病気を克服出来ますから。
それと…お仕事ですが、24歳からずっと仕事運がついてますよ。あなた、仕事楽しいでしょう?」
僕「恵まれた仕事だとは思いますが、もっと何か出来るんじゃないかといつも思っているんです」
女「あなたは、働くことによって、人が喜ぶのが好きなようですね。
そして、何か物を書くのか作るのか、その仕事を64歳までバリバリ続けると出てます。その後も74歳までずっと働くと出てますね…」
僕「え?!な…74歳!!!
そ…そんなあ〜
もうそろそろゆっくりしたいと思ってたんです…」
女「あなたは、仕事をしなくなったらおかしくなってしまいます。
とにかく74歳までがんばってくださいね」
そう言って占い師は、僕に謎めいた笑顔を見せた。占い師は、100年以上続くユタ(沖縄の霊媒師やシャーマンのようなもの)の直系の家系だという。
このまま74歳まで働くことになるのだろうか…。

旬菜処 びいどろ

6種の沖縄野菜のサラダ

石垣牛のステーキ

飛びイカの天日干し

『うりずん』が、沖縄を代表する沖縄料理居酒屋ならば、『びいどろ』は、沖縄料理にプラスアルファ創作を加えたお店。
小さな5人がけくらいのカウンターと後ろにテーブルがあるけど、全て合わせても15人くらいだろうか。30代後半の大将と奥さんだろうか、ふたりだけでやっている。
メニューの裏面は定番のこの店の沖縄料理があり、表面はその日その時期の季節を感じるお料理が並ぶ。
6種類の沖縄野菜のサラダは、どれ1つ食べたことがない野菜ばかりだったし、この時期しか入らないという飛びイカの天日干しは、イカの味が濃くしみじみと美味しい。
豆ガチュンの唐揚げは、小さな鯵に似た魚のカリッと揚がった唐揚げで、県産胸肉の香味ソースがけは、中華料理のスパイシーさがある。
石垣牛のステーキは、やっぱり美味しいお肉だったし、島らっきょうの天ぷらは、ホクホクと百合根のような甘さがある。
軟骨ソーキの燻製は、香り高く驚く美味しさで、ポーク玉子はホッとする沖縄らしい味わい。〆のソーミンタシヤーは、シンプルでもっと食べていたいと思った。
大将もとてもやさしく話しやすいし、奥さんも気さくで明るい。このお店がもし東京にあったら、しょっちゅう食べに行きたいと思うような、素晴らしいお店だ。
必ずまた食べに来ますねと言って、ふたりともお腹いっぱいで店を後にした。
★旬菜処 びいどろ
098-863-7870
沖縄県那覇市牧志1-11-1
http://tabelog.com/okinawa/A4701/A470101/47002122/

フクギ並木のおじい。

シークワーサーがけ海ぶどう

フクギ並木のおじい

僕たちのビーチ

美ら海水族館の先に、それはそれは美しいエメラルドビーチという白浜のビーチがある。
エメラルドビーチはシュノーケリングが禁止されているので、そのずっと先にある人気のない浜で泳ごうかと、車を停めてKとふたりで浜辺を歩いていた。
すると、どこか上の方から声が聞こえてきた。見上げると、フクギの間から、仙人かと思うような真っ黒なおじいさんが目だけギラギラ光ってこちらを見ていた。
おじいさん「そこの海は最高だよ。お兄さん、どっから来たの?」
僕「東京です!」
おじいさん「江ノ島の海は、ここと同じくらい綺麗らしいね」
僕「いやあ…おじいさんだったら、足を浸けないと思いますよ」
おじいさん「その木の木陰に荷物を置いて泳ぐといいよ。その前に、ちょっとこっちに上がっておいで!」
おじいさんに誘われるままに上に上がると、俺についておいでと言わんばかりにおじいさんは、先に立って歩き始めた。
おじいさん「ほら見てごらん。この並木のお陰でここはこんなに涼しいだろう?どう?」
そう言いながらフクギ並木の小道を歩いた。フクギ並木は木陰を作り、日向に比べるとずっと温度が低く涼しい風が吹いていた。
おじいさんに着いて行くと、おじいさんの平屋があった。おじいさん家には大きなシークワーサーがあって、小さなシークワーサーがたわわになっていた。
おじいさんは、どこかから貝殻に入れた海ぶどうを持ってきて、シークワーサーを枝から掴んで取り、包丁で割り、海ぶどうに絞りかけた。
おじいさん「食べてみて」
僕「なにこれ!うまい!」
K「おいしいね」
シークワーサーを食べると、おじいさんは自分の家を案内し始めた。そこには、もずくが沢山あったり、綺麗な貝殻が沢山置いてあった。
その後、また後で来るからとおじいさんに告げて僕たちは海へ向かった。
途中おじいさんがやってきては、これから子どもたちを引き網漁に連れていくからね。などと言って、子どもたちが沢山集まっている方に行ってしまった。
僕たちは、何度も何度も海に潜り、サンゴ礁の周りに小さな美しい魚を見つけてはじっくりと眺めた。大きなナマコを拾い上げたり、ハリセンボンを見つけたりした。
おじいさんは、何度も僕たちのところにやってきては、海の話をした。
向こうの岩場に行くともっと沢山魚がいるとか、昔一度サンゴが全滅してしまったことがあるとか…。
真っ黒なおじいさんに、この島から出たことはあるのかと聞いてみた。仙人のような出で立ちからして、この村にずっと住んでいるかもしれないと思ったのだ。
おじいさん「大阪に2年勤務して、サウジアラビアで2年半くらい働いたことがあるさー
あそこは50度くらいあったよ…」
僕「そんなとこに行ってたんですね…」
おじいさんは駄洒落を連発して僕たちを笑わせる。僕たちが笑うと、おじいさんはもっと笑って僕たちを突っついてきた。
散々海で遊んだ後、帰り際におじいさんの家を覗くと、今度は若い白人と日本人のカップルふたりを僕たちのように椅子に座らせて、おじいさんは海ぶどうを振舞っていた。
もしかしたらおじいさんにしてみたら、もずくでも海ぶどうでもお客さんに買って欲しいのかもしれないけど、おじいさんを見ていると、知らない人を家に招き入れては、その人たちと話して笑っているだけで満ち足りていて、とても幸せそうに見えた。
僕たちが帰ることを告げると、おじいさんは、
「明日もまたおいで!明日は向こうの岩場に、船で連れて行ってあげるから。明日もおいでね!」
そう言って僕たちに手を振った。
おじいさんは、昼の遊び時間が終わって、夕方になって友だちと別れる時の小学生のような寂しそうな顔をしていた。
沖縄のおじいは、人懐こくて、穏やかで、やさしい。
こんな人に会うたびに、沖縄の偉大さを思うのだ。
おじいさん、また来るからね。

うりずん

ドゥル天

普段は苦いので食べないゴーヤチャンプル

ソーキ塩焼き

1972年の開店当時、泡盛を出す居酒屋は那覇では『うりずん』だけだったという。
『うりずん』は、臭い、不味い、と言われていた泡盛を指示し続け、『泡盛を、沖縄に復帰させた偉店』と呼ばれるようになったそうだ。(D&DEPERTMENT PROJECTより)
そんな話を読んで、『うりずん』は、実は東京の新丸ビルや渋谷のヒカリエにも入っているのだけど、沖縄の那覇店に是非行ってみたいと思っていたのだ。
午後の便で1年ぶりの沖縄本島へ。
『うりずん』は、古い二階建ての木造家屋からなり、向かいの家も調理場と客席を兼ねていた。
一階はカウンターと幾つかテーブルがあり、どんどん相席をさせられる。二階の座敷に通されメニューを広げると、沖縄の郷土料理がずらりと並んでいた。
泡盛の古酒を飲みながら、島らっきょうと豆腐ようつまむ。「沖縄に来た…」と思える瞬間だ。
豆腐チャンプルー、ソーキ塩焼き、普段は頼まないゴーヤチャンプルも頼んでみる。なんか、沖縄がぎゅっと詰まった濃い味がする。
『ドゥル天』という、お芋のお焼きみたいな揚げ物は、この店発祥の沖縄料理だそうだ。最後にヒラヤーチを頼んで、大満足で沖縄初日が始まった。
★うりずん
098-885-2178
沖縄県那覇市安里388-5
http://tabelog.com/okinawa/A4701/A470101/47000019/

目が覚めた時に。

朝の4時くらいだろうか、ゆっくりと眠りから覚めて目を開けると、目の前30センチくらいのところにKの顔があってこちらを凝視していた。
僕「どうしたの?」
K「ううん・・・なんでもない」
僕「ただしくんの寝顔がかわいいから、見とれてたの?」
K「ううん…
ただしくん、何も音がしなくて、全然動いていないから、死んじゃったのかもしれないと思って見てたの……」
僕「残念ながら生きます…」
薄暗い朝の光が差し込むベッドの中で、僕とKは笑った。
夜中に目が覚めた時に、隣に人がいるということが、こんなにも安心感のあるものだとは、誰かときちんとつきあうまでわからなかったことだ。
人間の最少単位は、もしかしたらふたりなのかもしれないと、Kの笑顔を見ながら思った。

シチズンフォー

まだ記憶にも新しい2013年6月、元CIA(中央情報局)、NSA(国家安全保障局)所属のスノーデンという若者が、アメリカ国家による一般市民への違法なプライバシー侵害行為を暴露するという事件が起きた。
3年前の当時、ニュースを見ていて思ったことは、「オバマが、なんだか様子がおかしい・・・」ということだった。オバマのその慌てぶりから推測されたのは、29歳の若者をなんとしてでも捕まえようと、アメリカがすべての包囲網を張り巡らせ、全勢力をあげて動いていることだった。
この映画は、シチズンフォーというコードネームを持つ謎の人物(スノーデン)が、この異端の映画監督に一通のメールを送るところから始まる。
インターネットの普及は、世界に新たな自由と冒険、無限の可能性をもたらしたのだけど、それは同時に、テロリストや犯罪組織にとっての恐ろしい武器にもなってしまった。
9.11以降のアメリカは、その後テロの脅威から国民の身を守るという口実のもと、すべてのアメリカ国民だけでなく、国内外に住む外国人の動向(どこにいて、何を買い、誰と、どんな話をして、どんな思想を持っていて・・・)を手に入れられるようになった。テロリストの可能性のある人物のみならず、全国民のプライバシーを監視しているということが明るみに出たことによって、このスノーデン自身に対する見方も2つに分かれただろう。
1.『国家の機密情報を暴露した危険人物』という見方。
2.『国民のプライバシーや自由を、ひたすら奪い続けている国家の悪を暴き出した勇気ある人物』という見方。
映画は、後者の立場に立って、世界最大のアメリカという国が犯している罪の重さを、見ている者に訴えかけてくる。自らの危険を省みず、国家を敵に回してでも、自分の信じるもののために国家ぐるみの犯罪を告発をしようとするスノーデンと、世界中抜け道の無いような道を、彼とともにひたすら走り続けた勇気あるジャーナリストによる、命をかけた実話の記録なのだ。
まるで、上質なスパイ映画を観ているような、信じられないドキュメンタリー映画。
★シチズンフォー スノーデンの暴露http://gaga.ne.jp/citizenfour/info/?page_id=8
アカデミー賞 長編ドキュメンタリー映画賞

治療茶寮

新宿御苑前の駅のすぐそばに、素敵な鍼灸院がオープンしている。
その名も、『治療茶寮』。
院長は、東京医療専門学校 鍼灸マッサージ科を主席で卒業したという人で47歳。やさしい声と穏やかな観音スマイル、無精髭のイケメン。
僕自身、背中のコリが慢性的にあり、時々いろいろなところでマッサージを受けていたりはするのだけど、マッサージはその時は気持ちいいのだけど、やはりその場凌ぎに過ぎず、何か根本的な解決はないものかと『治療茶寮』を訪れた。
はじめは、院長とソファでお話をしながら、現在の気になる身体の悩みを話すことに。一概に背中のコリと言っても、原因はどこなのか、施術は鍼か灸か、マッサージなのか、親切丁寧に相談にのってくれる。施術が決まって、着替えてベッドにうつぶせになり、身体の全体をチェックしてもらうために、マッサージがはじまった。イケメン院長は、自分のテクニックに自信があるかのようにささやく。
院長「たいてい、お客さんは、施術中にうとうと眠ってしまうんですよ」
僕「マッサージ中に眠ってしまったら、なんだかもったいない気がして僕は眠りません・・・」
その後、背中の硬い箇所に鍼を、そして、背骨に沿って灸をすえてくれたのだけど、鍼は恐れていたような変な痛みはいっさいなく、灸は、背中でモグサを燃やすわけではなく、熱いという感じはなく温かな石を置かれているような感覚だった。足首がむくんでいたようで、足首にも鍼を打ってももらい、終わったら身体中が温かく、なんだかぼんやりとしていた。
院長「鍼は、打った直後はぼんやりするようなこともありますが、そのうちに身体に入った異物(鍼)をなんとかしようとして、身体中の細胞が活発化してくるんです・・・」
自分の身体のことをよく知っている、信頼の置ける鍼灸マッサージ院があると心強いに違いない。ちょっとした不調の時に、すぐに見てもらえる場所があるというのはありがたい。
最後まで穏やかな観音スマイルを浮かべたままの院長は、オペラ歌手のような美声で僕にやさしく語りかけてくれた。この人がオペラを歌ったら、きっと上手だろうな。
★治療茶寮https://www.facebook.com/chiryosaryo/
https://www.shinq-compass.jp/salon/detail/2030/

ファインディング ドリー

ずっと観たかった映画『ファインディング ドリー』をやっと見に行った。
子どもが見るアニメだと思う人がいるかもしれないけど、ほとんどのディズニー映画は、大人が見ても十分楽しめるのと、最近の作品には、かなり明確なテーマが隠されている。
ドリーは、ものを覚えるという能力がなく、覚えた先からすぐに忘れてしまう性質。そのため、周りの人たちにバカにされたりしているのだけど、そのドリーが、昔離れ離れになってしまった家族のことをふと思い出し、ドリーの家族を探す大冒険に出るというお話。
ドリーの覚えた先から忘れていってしまう性質を面白おかしく描いているのだけど、そんなドリーを見ながら、
「ドリーって、なんて物忘れの激しいやつなんだ…こんなに何も物を覚えられないのなら、何をやってもダメだろう…」
そんな風に思ってしまっていた。
でも映画を見ているうちに、そんなドリーのことがなんともかわいく思えてきた。物忘れが激しいという面もあるけど、他の人とは違う発想があったり、あまり物事を考えすぎずに思いのままに突き進むような思い切りのよさを持っているのだ。物忘れの激しさもドリーの個性のほんの一部であって、みんなとは違うだけなのだと思えるように見方が変化していった。
映画は、魚たちの世界を描きながら、ドリーはあなたのそばにだっているということ、色とりどりで全く違った個性の魚たちの世界は、そっくりそのまま人間の世界なのだということを教えてくれている。
★ファインディング ドリーhttp://www.disney.co.jp/movie/dory.html

第17回 東京レインボー祭り

新宿二丁目で、毎年恒例のお祭りがあるというので、夕方に顔を出してみた。
昔はこの二丁目祭りも、仲通りで盛大に行われて、スクエアダンスなどが披露されて多くの人の喝采を浴びたものだ。
今は、会場が昔のZIPの前の通りで、公園に抜けるL字型の通りがメインストリートとなっていて、規模も随分縮小した感じだろうか。
おまけに、二丁目の公園は、夜間にゴミを捨てたり、近隣の迷惑を顧みず朝方まで騒ぐ人たちがいるため、塀が出来て閉鎖に追い込まれている。
そもそもこの東京レインボー祭り、真夏にパレードと一緒の日程でやり始めたのだと思うのだけど、パレードが中止になったり、その後始まったパレードの日程がゴールデンウイークになってしまったため、二丁目祭りだけこの真夏にやり続けることになったのだろう。
当時は、パレードを歩いた後に、二丁目に流れてはしゃぐという、暗黙の了解がなされていたわけだけど、今はこの二丁目祭りを知っている人だけがやってくる感じで、LGBTという様々なセクシュアリティというよりも、ほとんど90パーセントがゲイで、残りがビアンといった感じだった。
会長のトシさんが、最後に挨拶でやたらと、「この二丁目は、我々ゲイとレズビアンの町なのです」と高らかに宣言していたのだけど、トランスやそれ以外のセクシュアルマイノリティの人たちが聞いたら、ちょっと寂しく感じたかもしれない。
毎年お決まりのエイサーがあって、みんなで空に風船を放った。
僕が風船を放ちながら考えていたことは、先日から話題になっている一橋大学のゲイで自殺をした子のことだった。
この事件は、未だ分からないことが多くて、すべての情報を掴んでいないので、ここでは敢えて何も私見を挟まないが、こんなことが二度と繰り返されてはならないと思う。
きっと彼のような事件は氷山の一角であって、この国の至るところで、いじめや差別、ハラスメントは起こっているに違いないと思うからだ。