余志屋。

鴨ロース

ぐじの塩焼き

釜めし

京都に来たら、必ず食べに来たいと思わせる、京都を濃縮したような店が、『余志屋』だろう。
先斗町の中にひっそりとある店の佇まいといい、大将のどこまでも謙虚で、温かい心配りといい、店員さんたちの「ありがとうございます。」の言葉の多さといい、愛さずにはいられない店だ。
その日にあるオススメのお造り『鯖のきずし』を少しいただき、名物の『鴨まんじゅう』に、『鴨ロース』に、『ぐじの塩焼き』は絶対に外せない。生湯葉の野菜あんかけ、焼き銀杏なんかをつまみながら、カウンターの隣のお客さんが、僕たち用に作った出し巻きを見ながら食べたそうにしていたので半分差し上げたら、とても喜んで打ち解けてくれた。
この店でお酒を飲みながら、京都のシンプルで力強い料理をいただき、大将と食べものの話をするのが楽しくて仕方ない。心底京都に来てよかったと思える素晴らしい店だ。
★余志屋 http://s.tabelog.com/kyoto/A2602/A260202/26000701/?lid=header_restaurant_detail_photo_list

なかひがし。

メインディッシュ

1年ぶりにのれんをくぐり、お店から漂ってくる美味しそうな匂いを嗅ぐと、「ああ、この店に帰って来たんだ…」とほっとする。
もし、『世界で一番好きな料理店はどこですか?』と聞かれたら、『なかひがし』と答えるだろう。
銀閣寺のそばにある小さな店に通い始めて、もう15年くらい経つだろうか。
昔は、『なかひがし』の息子さんがイタリアに料理の留学をしていた時に、『アルノルフォ』というど田舎の二つ星の店まで、イタリアに遊びに行ったついでに息子さんに会いに行ったりしたこともある。
昨日の『未在』が、日本中から最高の食材を多種類調達して作られる料理に対して、この店の料理は、ご主人が『摘み草料理』と言われるように、京都や京都の周りの野草や野菜をふんだんに使った料理だ。
花背出身のご主人は、毎朝のように大原へ出向き、様々な野菜や野草を仕入れてくる。
京都だから、わざわざマグロや鯛などは出すことはない。鯖をしめたものや鯉などがこの地の料理として供されるのだ。
ご主人の駄洒落は隅々にまで及び、お客さんを緊張させることがない。何度食べても驚くことは、『手前どものメインディッシュでございます』と言って出てくる『めざしと漬物と白いご飯』の美味しさだろう。
その頃には、この店に今度はいつまた来ることが出来るだろうか…と、幸福な気持ちでいっぱいになっている。
★なかひがし http://s.tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26001800/

未在。

『未在』とは、まだまだ学ぶべきことがあるという意味だそうだ。
27歳で懐石料理の店『嵐山吉兆』のトップになり、その後30年以上経たのち、独立した店『未在』は、ミシュランでは関西版の創刊から三ツ星を獲得し、今や日本一の茶懐石の店として知られるようになった。
予約の取れないことでも日本一と言われていたので、いつも電話をかけては諦めていたものが、京都旅行の一週間前にキャンセルがあったようでいきなり予約が取れてしまった。
円山公園の中という絶好のロケーションなのだが、17:45に来店して、皆が揃って18:00に食事がスタートするという掟を最初に聞いた時は、なんだか怖そうな店だなあと思っていたのが、実際に店に入ると、大将のひとりひとりを丁寧にもてなす誠実な接客に触れて一気に緊張もほどけていった。
カウンターの中が見える位置に座ることが出来たため、6時から始まり2時間半くらいかけて、まるで舞台を観ているような素晴らしい時間を味わった。
品数が多く、それぞれに使われている食材もとても種類が多いというのは一つのこの店の特徴かもしれない。たとえば最後のフルーツは、29種類の最上のフルーツが日本中から取り寄せられているし、様々な食材に匠の技を凝らした料理は、どれも感心するばかりだ。
八寸を見れば、その店の力量がわかると言われるが、ここの八寸は、冬至を迎える今の季節を閉じ込めた一枚の絵画のようで圧倒されてしまった。
器を見るのもとても楽しみなのは、魯山人の器を平気で使っていたり、100年前の漆の器を使っていたりするからだ。
吉兆の正統派の日本料理店として、天才的な才能がはっきりとわかる素晴らしい店だ。
『肉さえあれば幸せなK』は、あまりの皿の多さに驚きながらも、黒毛和牛のところで一番目を輝かせていた。
★未在 http://s.tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26002279/

再び、京都へ。

Bセット

Aセット

一保堂でお茶を。

朝一番の電車に乗って、大分から4時間半かけて鼻息荒くKはやって来た。
お昼は、洋食を食べたくて、『プチレストラン ないとう』へ。京都の洋食は、本当にレベルが高い。
御所に近い店は、町家作りの細長い小さな一軒家で、通された奥のカウンターからは中庭が見える。
こうやって、昔ながらの京都の建物をそのまま残し、改築してレストランにしているような店はたまにあるけど、ここは、そのとても良い例だろう。店員さんのサービスも心地よい。
AセットとBセットを頼んだのだけど、前菜とサラダに、ハンバーグ、トンカツ、エビクリームコロッケや牡蠣フライなどがついている。
ハンバーグは柔らかく、ソースも申し分ない。養老産の豚肉が驚くほど柔らかく、トンカツとは思えない味わいだ。
生姜焼きを頼んでいた横の人の皿は、まるでステーキのように分厚い豚肉の生姜焼きだった。
ただ、『肉さえあれば幸せなK』は、美味しそうに頬張って喜んでいた。
★プチレストラン ないとう http://s.tabelog.com/kyoto/A2602/A260202/26002086/?lid=header_restaurant_detail_map

冬の寒い朝に。

薄暗い冬の寒い朝は、なかなかベッドから出たくないのだけど、起きたらまずは番茶を淹れる。
きりっとして甘みのある煎茶も好きだけど、自宅でよく飲むのは、番茶か焙じ茶か紅茶が多い。
寒い冬の朝に飲むのは、番茶だ。
赤ちゃんでも飲めるという番茶は、やさしいようでいて、味わい深く、いつ飲んでも飽きることがない。それでいて、軽すぎず、お茶を飲んでいるという満足感がある。
この奈良の『嘉兵衛番茶』を取り寄せて飲み続けているのだけど、京都の番茶に比べると、口当たりがマイルドで気に入っている。
先日、外苑西通りにある、クルックと共同経営のナチュラルローソンの棚に置いてあったのを見つけてうれしかった。
温かい番茶をゆっくり飲んで、熱いシャワーを後頭部に長く浴びて、身体が中から温まったら、冬の寒い町にも出て行ける。

『人は何を信じることができるか?』

今、読んでいる本の中に、美しい文章が出て来たのでここに記します。以下。
『皇帝も牧童も、王子も乞食も、哲学者も奴隷も、すべての人間のなかには理解も出来なければ、手を施すこともできない神秘的なものが存在している。
この神秘的なものは、忘れ去られてしまうほど長い間、眠ったままだ。あまりに隠されてきたため、人は死んだと思っているのかもしれない。
しかし、星が満天に散らばる空の下の砂漠にひとりで立っているとき、棺を入れるために開かれた墓のそばで顔を伏せて、目を涙で濡らしているとき、激しい風にもてあそばれる船の手すりに必死にしがみついているとき、突然、忘却の深い淵から、この神秘的なものが姿を現してくる。
そして、習慣を破り、理性を砕き、もはや打ち消されることのない声で、疑問や祈りの叫び声を張り上げる。』
ブルース・F・バートン

何もしたくない時のごはん。その1

ちりめん山椒のスパゲティ

チーズのスパゲティ

前日飲み過ぎだったり、疲れていて料理をすることが面倒な時が、僕にもごくたまーにある。
そんな時、お腹も空いていて早く食べたいこともあり、麺類に頼ることが多い。にゅうめん、うどん、スパゲティなど、どれも麺さえ茹でたら食べられるのはありがたい。
★ちりめん山椒のスパゲティ
お湯を沸かして塩をきっちり入れてスパゲティを茹で始めたら、冷凍庫からちりめん山椒を取り出して、食べたい量をフライパンにオリーブオイル大さじ1で温める。(炒める必要はない)。
スパゲティの茹で汁大さじ2をフライパンに加えて、標準茹で上がり時間の1分前に上げてフライパンにスパゲティを入れる。ちりめん山椒を絡めて皿に盛り付け、新鮮なオリーブオイルを回しかける。
納豆をトッピングして醤油を少し納豆に垂らして一緒に食べると美味しい。
★チーズのスパゲティ
お湯を沸かして塩をきっちり入れてスパゲティを茹で始めたら、冷蔵庫からパルミジャーノレッジャーノ(もしくは、ミモレット)を取り出し、これでもかというくらいたっぷりとバットかボウルに削っておく。
標準茹で上がり時間の1分前に皿にスパゲティを入れて、オリーブオイルをたっぷり回しかける。その上からパルミジャーノ・レッジャーノ(もしくはミモレット)をこれでもかとかけて、食べながらまたパルミジャーノをかけていただく。(色々な人がレシピに書いているイタリアの家庭料理)

ぺんぺん草の夜。

日曜日の芝居で、ぺんぺん草のマスターのひろしさんは、女優を引退すると宣言していたので、それを僕はなんともせつなく感じていた。芝居も終わって目標がなくなって真っ白になっているだろうか…?と思い、ぺんぺん草に会いに行ってみた。
「もう女優、ほんとにやめちゃうの?」と聞く僕に、「お前もねえ、この年になったらいずれわかるよ」と言う。
僕が、「台詞なんて、ほとんど無い役をやればいいじゃん!」と言うと、「バカだね…台詞だけじゃなくて、身体もついていかないんだよ…」と、あくまでもケラケラ笑いながら。
それから昔話をして笑ったのだけど、はじめて和物をやった時は、和物の衣装やカツラを買うお金が足りないから、衣装やカツラを全員分揃えることが出来ないので、結局脚本を、衣装が盗まれたことにしたこと…
はじめて浅草の舞台用のカツラの店に、和物の女もののカツラを買いに行った時に、ひろしさんがお店の人に、「あのー、カツラが欲しいんですけど…」と言うと、黙って奥の薄汚い部屋に通されて、「こちらです」と言われて見たら、綺麗に七三分けしてあったりする男用の普通のカツラが、埃を被って沢山置いてある部屋に通されたのだとか…
そんな昔のくだらない話をしながら、僕のちょっとせつなかった気持ちも、笑いの力ですっかり元気になってしまったのでした。

劇団ぺんぺん第25回公演。

二丁目の新千鳥街にある、ぺんぺん草のお芝居を観に行った。
25回目の公演ということは、ぺんぺん草が10年目の時に一回だけやってみようと始めた芝居なので、ぺんぺん草自体は35年目になる。
和ものの芝居の内容は、特にここには取り上げないけれども、25年間も続けて来たひろしさんを見ていたら、胸が熱くなってしまった。
芝居の後の打ち上げを、九州男でやったのだけど、壁中に25年間の写真が張り巡らされていて、中には僕がお手伝いした頃の写真もあり、懐かしいメンバーたちとお酒を傾けた。
行方不明になった人もいるし、もう会えなくなってしまった人もいる。
25年間の写真を見ていると、言葉に出来ない感動が押し寄せて来て、幸せそうなひろしさんや役者たちを見ながら、僕も幸福な時を過ごすことが出来た。
この世には永遠に続くものなどなく、誰にとっても時間は有限だ。
この先何回劇団ぺんぺんの芝居を見ることが出来るのかと思うと、せつなくなるけど、愛しいぺんぺん草がある限り、ひろしさんの顔を見られる限り、またあの店に通い続けるだろう。
自分にとって、たいせつなお店があるということは、なんて幸せなことだろうか。
劇団ぺんぺん第25回公演おめでとう!!!

28年ぶりのクラス会。

『高校二年生の時のクラス会をやります』と、会社の電話にかかってきて、行きますとこたえたのだけど、前回は行けず今回やっとクラス会に行くことが出来た…。
僕はどうやら、28年間連絡がつかず、死亡したということになっていたらしい…笑
クラス会に行った感想を一言で言うと、本当に浦島太郎になってしまったような気分だった。悪い夢を見ているような…。
久しぶりに会う同級生は、名前は全然思い出せず、顔を見ても、凄いおじさんになったなあ…と驚くばかり。まるで高校の同級生ではなくて先生かと…笑
女の子に関しては、まるで恐竜に見えた…。
深く刻まれた顔の皺や、塗りたくったお化粧は、生きてきた壮絶な人生を想像させるけど、場末のクラブのママか、お化けのようだ…
それでも、あいつはどうしてるとか、今はアメリカに住んでいるとか、みんなの話を聞いているうちに、少しずつ昔のことが思い出されて来た。
時間だけは、みんなに平等に与えられていて、この28年間という中で、それぞれの人生を生きてきたわけだ。
子ども3人を抱えたまま、奥さんが出て行ってしまった者もあれば、仕事を8回も変わった者もいた。カラオケショップのチェーンを持つまで成功している者もいれば、海外を転々としている者もいる。
成功していようが、大変な毎日を送っていようが、同じ高校で同じクラスで過ごした友達は、老けた顔のずっと奥に、昔と変わらない面影が残っていた。
なんだかうまく言葉にならなかったのだけど、一人一人の級友と、しっかりと抱き合っていたいような、そんな温かな夜だった。