さよならを言う時はいつも。

Kとつきあい出して7カ月が経ったけど、未だに慣れないのは、別れる時かもしれない。
九州に住んでいるKとは、なかなか思うように会うことが出来ないから、会えた時はとてもうれしい。そしてその分、別れる時は、とてもせつなくなる。
日曜の夜に別れると、あまりにもせつなくてやりきれないので、最近は、月曜の朝一番で、寝ぼけ眼のKに別れを告げて、どさくさに紛れて帰るようにしている。
ところが今日は、Kもしっかりと起きてしまって、空港行きのバス停まで送ってくれた。
バスが出る時に見送られると、泣いてしまいそうだったから、バスに乗り込みながらKを帰らせて、出発する時に目で探したけど、Kの姿はどこにも見えなかった。
後で聞いたら、止まっているバスの影から僕を乗せたバスが行くのを、じっと見ていたらしい…(巨人の星みたい…)
でも、考えてみたら、僕たちのような遠距離恋愛だけでなく、世界中の恋人たちは、会って、別れて、を繰り返しているのだ。これに耐えられないのならば、一緒に暮らすしか道はない…
そんなことを考えながら、また次に会える日のことをメールでやり取りしながら帰って来た。
朝日がきれいで、ちょっと味方をしてくれているようだった。
★everytime we say goodbye http://www.youtube.com/watch?v=-bnKJjewcII

思いのままに。

「花公園」のポピー

長湯温泉「御前湯」露天風呂から

朝から、阿蘇のそば、大分県久住の山の上にある『花公園』へ。広大な敷地に、今の時期は、チューリップが終わり、ネモフィラ、金魚草、ポピーなど、まるで映画のセットのような花畑が一面に広がっている。
家族連れや犬を連れた人たちが、お弁当を持って楽しそうにしている光景は、まるで天国に来てしまったかのような幸福感に満ちている。
のんびりとご飯を食べた後、長湯温泉へ。ここは、山間にある炭酸で有名な鄙びた温泉。川沿いにある老舗の『御前湯』に行き、ゆっくりと温泉に浸かる。
大分から、熊本にかけては、山々が連なり、川が流れ、小さな村が点在している。美しい日本の風景を見ていると、「ここで、のんびりと暮らしたら、いったいどんな毎日なんだろう…?」と想像したくなる。
家を買って、畑で野菜を作って、魚を食べながら暮らす…そんなことを夢に描きながらKに、「俺、この辺で暮らそうかな…何もかも捨てて…」と呟いてみる。
Kは、「Tさんは、東京以外では、絶対に暮らせませんよ」と即答した。僕も、「そうだろうか?」と改めて考えてみる。
映画館が無いと、退屈で窒息死してしまうだろうか…?
イタリアの食材が買えるスーパーが傍に無いと、生きてゆけないだろうか…?
今までは、会社で働くことが中心の生活を続けてきたけれども、40歳を過ぎて僕は、仕事にも、東京にも、拘りがどんどん無くなってきている気がする。
仕事は一通りやったと思うし、東京は大好きだけれども、年をとったらどこか別の場所に住んでも構わないと思っている。
家を買っていないけど、その代わりに旅人のように、その気になれば、いつでも何処へでも行けるという自由を手に入れている。
自分の思いのままに、本当はいつでもどこででも生きることが出来るのだ…という気持ちは、心を軽くさせてくれる。
博多に住むのはどうだろうか…?今は想像してみるだけでワクワクしてくるから不思議だ。

城下かれい。

右から時計周りに、城下かれい、関アジ、サザエ

城下かれいの唐揚げ

黒アワビ

大分に来た。
空港から宇佐神宮へ。宇佐神宮は、1400年前に出来た古い神宮。車から降りると、辺り一面になんとも言えないいい香りが満ちているのがわかる。これは、伊勢神宮なども同じなのだけど、不思議な空気感だ。
夜は、地元の魚を扱う『魚勝』へ。今日の目玉は、城下かれい。
別府湾の日出城下の海岸近くで獲れるカレイを、城下かれいという。この付近では海中から清水が湧き出て、海水と真水が混じり合うため、海水性・淡水性のプランクトンが豊富だ。
子どもを生むために、春からここへ集まってくる城下かれいは、泥臭さが全くなく、淡白な中に、しっかりとした旨味があるため、昔から高級魚として将軍に贈られていたという。
刺身にも、全く臭みがなく、唐揚げは、繊細でほのかに甘みを感じる。骨の唐揚げさえ、べたつかず軽くサクッと食べられる。
関アジは、筋肉質なため、他で食べるアジとは別の魚に思えるし、サザエはコリコリとして肝も美味しく、黒アワビも柔らかく味がしっかりしみていた。このお店、星がつくようなお店ではないけど、大将がしっかりと目を光らせて、仕入れをして、納得のいく料理を作っている。
Kとつきあい出して、これで6回くらい来ている大分。まだまだ魅力は尽きないようです。

多肉植物。

すべて違う個性の多肉植物たち。

今日咲いたオールドローズ『マダム・アルディ』蕾の萼の先まで美しく、気品に溢れる香り。

北欧のARABIA社のプランターセットが、ちょうど空いたので、小さな多肉植物を、5個買って来た。(多肉植物用の培養土が無いのでまだ植えてはいない)
サボテンやリュウゼツランなどの多肉植物には、感情があるということが、嘘発見器や数々の実験で証明されている。
食虫植物がいることや、自分に危害を加える動物などから身を守り、進化を遂げて来たことを考えると、植物にも感情があることは当たり前のような気もする。
さて、多肉植物に限らず、植物を育てる上で一番難しいことは、実は、水やりだ。植物は、その種類により、それぞれ水の必要な量と頻度が違うのだ。園芸王国のイギリスでは、『水やり3年』などとも言われている。
たとえば、多肉植物は、夏と冬は水を月に一回くらい。春と秋はもっと水を欲しがる。というように、季節によっても違うのだ。
植物を枯らす一番の原因は、水のあげすぎか、あげなすぎか、またはその両方。
人間が日々の生活の中で、いつも変わらずに植物のことを、きちんとケアしてあげるということがいかに難しいことかと思う。
そしてこれは、植物だけに限らず、人とのつきあいにおいても、いつも変わらずに相手のことを思いやることが出来なければ、二人の関係性を続けてゆくことは難しい。
植物を育てていると、『過ぎたるは猶及ばざるが如し』という言葉が、つくづく奥の深い言葉だと、改めて思い知る。

じゃこご飯。

赤いのは、小さな海老

今日は、無性にじゃこが食べたくなり(そんな日ってありませんか?)、じゃこご飯を炊いて食べた。
僕の家には、炊飯器が無い。理由は、炊飯器のデザインが苦手だから。そして、ご飯は炊きたてが一番美味しいと思うから。(食べきれないご飯は、熱が取れたら、小分けにしてラップに包んでジップロックに入れて冷凍)
土鍋番長としては、ご飯は昔から土鍋で炊いている。早く出来るし、何よりも美味しいと思うから。炊き込みご飯も、とても美味しく出来上がる。
★じゃこご飯
1.米2号をといで、浸水15分、ザルにあげて15分。
2.土鍋に水400mlとお米を入れて、蓋をして(土鍋の穴が大きい場合は、穴に箸を突っ込んでおく)、強火にかける。
3.沸騰して来たら、蓋をとって下から一混ぜしてじゃこ1号(お米の1/2くらい)を乗せる。蓋をして弱火で、9分(3号なら10分、2号なら9分、1号や1号半なら、8分くらいが目安だけど、土鍋の材質や厚さによる)
4.火を消して、そのまま10分くらい蒸らし、蓋を取り、底からさっくり混ぜ合わせてお椀に盛る。後半は、かつおぶしをかけて、醤油をちょっと垂らしても美味しい。

ぺんぺん草。

僕の行く新宿2丁目のお店は、
『Bridge』と、『Tack’s Knot』と、『ぺんぺん草』。
今は他の店に行くことはまず無いし、
これからこの3軒のような、
僕にとっての『ホームバー』になるような店が現れるとは思えない。
『ぺんぺん草』は、僕が10代の時から通い詰めているお店。
強烈な個性のマスター『ひろしさん』がやっていて、
アクの強いお客さんが多く、演劇好き、映画好きのお客さんが集まる。
女性は許された者以外は入ることは出来ず、
黒柳徹子さんが来たのに、30分くらい誰も席を譲らずに、
無視して話し続けていた話は有名だ。
自分がどんなに疲れていたり、たとえ弱っていても、
『ぺんぺん草』のひろしさんなら、僕は会えるような気がする。
ひろしさんの魅力を、敢えてなんなのかと考えてみると、
『自分をさらけ出して、居直っているところ』と、
『どんな人にも平等に接するところ』だろうか。
そして、その昔、ゲイのサウナで唄っていたベット・ミドラーに通じる、
『底辺を味わったことのある人間の持つ魅力』だろう。
芸能人であろうと、一文無しであろうと、たぶんひろしさんの態度は変わらない。
2丁目には、芸能人がよく来るようなお店があるけど、
芸能人が来ると、マスターの態度が変わるような店には、
僕はもう、この先も行くことは無いと思う。
このお店には、お出入り禁止になる条件が確か3つあって、
1.別れた男のセックスの話をする人
2.別れた男のお金の話をする人
3.年上なのに年下にリツる人(リツるとは、お金を払わせるような行為)
今は2週間に1回くらい顔を出すか出さないかだけど、
久しぶりに顔を出すと、Pさんが来た。
Pさんは、なんでも思ったことをハッキリ言うし、
どちらかと言うと毒舌だけど実はとても繊細でやさしい人。
引っ越した家の排水が詰まって大変だとか、
女優の誰々は、ほんとうに嫌な女とか・・・笑
ひとしきりひろしさんとやりあって、満足そうに帰って行った。
僕と同じようにPさんも、ひろしさんに会って、言い合って、時には罵られ、
それでも、帰る頃にはちょっと元気になって家路に着くんだと思う。
この世界に、こんなかけがえのないお店があることに感謝している。

『意識』その1。

今日は、本を読んでいて、ぐるぐる考えていることを書きます。
はじめは、目に見えないほどの精子と卵子なのに、その小さな粒が、今の僕の顔や身体になってゆく。その小さな粒には、僕のような身体や顔や気性になってゆくイメージを持っていたのだろう。
僕たちの身体(髪や皮膚や爪や血液や筋肉や臓器などの細胞)は、ある一定の時間を経て完全にすべて新しく生まれ変わる。およそ1年くらいで、身体のすべての細胞が生まれ変わるという。
それなのに、僕たちの『意識』は、いったいなぜそのままあるのだろうか?子どもの時からの記憶をはじめ、一年前のことも、そっくりそのまま覚えているのはどうしてだろうか?
『意識』というものが、脳の中に存在しているのならば、脳細胞が生まれ変わる時に、また新しくなってもよさそうだと思う。
たとえ、手がなくなっても、足がなくなっても、『意識』があれば、自分はまだ、存在していると感じることが出来る。それはすなわち、僕たちは、『身体』なのではなくて、『意識』なのだ。『身体』は、まるでクルマのようなものなのだろう。

イタリア映画祭最終日。

『来る日も来る日も』★★★★★
最終日に、一番好きな映画に出会った。監督は、パオロ・ヴィルズィ (Paolo Virzì)。『見わたす限り人生』など、イタリアではヒットメーカーのようだ。
学歴があり物静かで謙虚なグイドと、シチリアから出てきた本能のままに生きるミュージシャンのアントニアのラブストーリー。
二人は不妊で悩んでいるのだけど、色々な治療を試す内に、自分にとって、いったい何が一番たいせつなのかを知るという話。
傷ついた恋人たちを見ていると、自然に何度も涙が流れた。『ブルーバレンタイン』以来、久しぶりに美しいラブストーリーに出逢った気がする。
こういう映画を観ていていつも思うのは、自分は男で、妊娠も出来ないのに、不妊の女性の苦しみを見せられると、その胸の痛みを想像して苦しくなること。
人間の想像力って、本当に素晴らしいと思う。観終わって、せつなくてせつなくて、思わずKに会いたくてたまらなかった…
この映画が、日本で公開されることを、願うばかりだ。
それにしても、なんて美しい天気に恵まれたゴールデンウィークだったことか…。ゆっくりと日が暮れるのを眺めながら、ワインを飲んでいるだけで幸福だった。

心の周期。

ピエール・ド・ロンサール

白万重(クレマチス)

マダム・アルフレッド・カリエール

長い冬を越え、春の光を浴びながら、バラの花が開き始めた。
最近、日々の暮らしを注意していて気がついたことなのだけれども、心はいつも、萎んだり、膨らんだりを繰り返しているのではないだろうか。
一日の内でも、外的状況の捉え方によって微妙に変化しながら、大きくは、その一日一日が違うように感じられる。
そして、これは僕の仮説なのだけど、それには周期があって、だいたい9日間で一周するように感じられる。
まだ、それ以上引いて考えられていないのだけど、9日間という周期を、更に大きく捉えて、春夏秋冬のように波を見つけることも出来るかもしれない。
植物が芽を出し、蕾をつけ、花開き、萎み、花が枯れ、葉が枯れるように、人間も日々、宇宙の法則に従って、少しずつ変化をしているのかもしれない。
9日間という周期が仮にあるとすると、たとえ酷く落ち込み萎んでしまったとしても、またゆっくりと変化を遂げて、膨らみ始める日が来ることをわかっていたら、それだけでちょっと心も安らげるのではないだろうか。

母とランチ。

正月、母の日近辺、9月の母の誕生日、それと、もう1回くらい、年に4回くらい、母には会うようにしている。
今日は、久しぶりに母とお義父さん(母は、僕が働き出してから再婚をしている。僕の実の父親は、亡くなっている)と食事をした。いつもは、伊勢丹の分けとく山なのだけど、今日は11:30なのにものすごい行列だったので、銀座アスターに。
母は、僕の顔を見るなり、
「眠れなかったんでしょ?ニンニク食べたんじゃない?」と聞いて来た。
僕は驚いて、「あ、昨日は、ハンバーグとサラダと、ペペロンチーノだった…」
母は、「あなたも、ニンニクを食べると眠れないわよ。私と同じなんだから…」と自信たっぷり。ニンニクが眠れなくなるなんて分からないけど、昨夜は久しぶりに眠れずに困った。
母とお義父さんは、家のそばに畑を持っていて、菜園をしている。そこで採れたキャベツと、ニラと、蕗を茹でたものと、三つ葉と、イタリアンパセリと、鶏の唐揚げを作って持って来てくれた。
仕事のこと、健康のこと、母の質問に答えながら、話していると、お義父さんが急に、「ただしくんに言わなかったけど、こないだ骨折したんだよ。時々目も赤くなるし、耳もおかしいと言い出して医者にかかったこともあったんだから…」
いつものことだけど、母は、僕に心配をかけないように、自分の身体の不調は、僕には黙っていたようだ。
離れて暮らしていると、時々電話で話すくらいでは、どんなに母をたいせつに思っていたとしても、日々の暮らしの中で起こる身体の不調には、なかなか気づいてあげられない。
今日は、母に言おうと決めていたことがあった。もし、お義父さんが先に亡くなってしまったら、一人で暮らしたくなくなったら、僕と一緒に住もうということ。微妙な話なので、お義父さんの前では、今日は話すことは出来なかった。
僕も年をとり、様々な選択に迫られ、今、考えていることなのだけど、今まで僕は、世界一の親不孝者であったと思う。年老いてゆく母に、今さらカミングアウトをすることも出来ないだろう。でも、元気で一人で暮らしたいという間はともかく、年老いた母を、一人で暮らさせることは、僕には出来そうにない気がする。その時が来たら、僕が一人でいるのか、Kと一緒にいるのか分からないけど、母と一緒に暮らそうと今の僕は思っている。
「どんな花が咲いてるかしらね…」と言いながら、新宿御苑に颯爽と消えて行った母を見送りながら、そう思った。