恐るべし。醍醐寺。

桜の咲く頃、京都の醍醐寺を訪れてみて欲しい。
山科の細い道を進むと、左側に桜の群れの濃淡が見えてくる。
桜に誘われ寺に入ると境内は広く、いつの間にか、自分が『桜の園』に迷い込んでしまったことを思い知る。
ここにある様々な種類の桜が、いったい何百年この不思議な世界を築いて来たのかはわからない。その姿は仙人のようでもあり、森の精のようでもある。
この世界に、完璧なものがもしも存在するとすると、一つは醍醐寺の桜だろう。
豊臣秀吉は、この醍醐寺の三宝院の奥で『醍醐の花見』を開き、数週間後に瞼を閉じた。
これが、世界遺産というものなのかと、身体で感じることが出来る。

桜の、京都へ。

桜は毎年咲くのだけれども、満開の時期に京都に来たことがなかった僕は、一度桜の時期の京都に来てみたいと思い、1年前に、京都のホテルを予約していた。
数週間前から桜の開花予想が気になり、暖かくなって見頃は一週間早まるかもしれない…などとやきもきしながらも、結局1年前に押さえたスケジュールが満開の時期となった。
こうしてこの時期の京都に来て思うことは、京都の桜は、東京のようにソメイヨシノだけではなく、枝垂れ桜など様々な桜が混在していて、川や古い建物と美しく寄り添っていることだ。
祇園で食事を済ませた後、円山公園まで足を延ばすと、突然目の前に、大きな枝垂れ桜が現れた。
何百年と生きてきた枝垂れ桜は、紅の色を樹の内にたぎらせ、全身を使って大空高く生きている喜びを放ち続けていた。
それは、一瞬と思える美しさを、際限なく積み重ねて、まるで永遠に続くかのように感じられる夢のような時間だった。

やさしさ。

人間が持つ最大の力は、『やさしさ』ではないだろうか。
『やさしさ』とは、自分のことではなく、他者を思いやる気持ちから生まれるもの。
『強くなければ男じゃない。やさしくなければ男じゃない』
昔、僕と10年間ともに生きたNが、結婚式で祝辞として贈られた言葉は、Nにとって生きてゆくための指標のようになっていた。
Nは、やさしい人だった。
自分のことを犠牲にしてまでも、僕のことを守り、たいせつにしようと生きた人だった。
『やさしさ』は、人が生きてきた道程において、深く傷ついたり、悲しい思いをしたり、大切なものを失うことによって、より大きく深くなるのかもしれない。
そして人が、他者に対してやさしくあるためには、その人はきっと、『強さ』も持ち合わせていなければならないのだと思う。
もっともっと、やさしくなりたい。
先日読んだジョージ・サンダースのスピーチが素晴らしかったので、ここにあげておきます。
★全米No. 1ベストセラー作家 ジョージ・サンダース(54)シラキュース大学卒業式スピーチ
http://tabi-labo.com/106833/jeorge-speech/

「なんで僕が、こんなところに?」

僕のことをご存知の方なら、もうどこかで目にしたかもしれない。31日の渋谷区議会の決議の日の報道が、想像を遥かに超えるニュースになっていて、様々なメディアに僕の顔写真が出回っていたようだ。
“いたようだ”と言うのも、「出てたわね!」「おめでとう!フジテレビで見たよ!」「いきなりただしくんが映っていて驚いた」等、周りの友人たちが親切にLINEやメールを送って来てくれたから。
でも、一番驚いているのは僕かもしれない。決議が決まってみんなと区役所を出た時に、坂道を降りた遠くに夥しい数の報道陣が待ち構えているのを見ながら思ったのだ。
「なんで僕が、こんなところにいるんだろう・・・?」
でも、ふと冷静になって、このバナーは友人のビアンカップルに。こちらのバナーは、僕の弟と妹に持たせて・・・急に仕事モードになって、どうやったらより印象的にメディアに写るだろうか・・・と考えていた。(大我さんと一緒に歩いたら、僕たちがカップルと思われたら困るから、大我さんは向こう端を、僕はこちら端を・・・・・・笑)
その日はみんなと祝杯をあげて、朝までなぜだか興奮して眠れず、朝になって会社に行く時に急に思ったのだ。
 
『あ!ニュースを見た会社の同僚、上司、後輩から、何か言われるかもしれない・・・クライアントが変な目で見るかもしれない・・・』(今頃気づくなよ・・・)
早朝から少し緊張して会社に行ったら、仲良しの年上のゲイの大姐さんのFからランチを誘われた。
「見たよ。よかったね。本当にいいことをしたね」と、二人で様々な経緯や傍聴会の話をした。
そして驚いたことに・・・結局、他には誰からも何も尋ねられることも、話をされることもなかったのだ・・・うちの会社の人が、ほとんどメディアを見ていないということも考えられるけど…(もしもそうだとしたら相当笑えるのですが)
多くの人にとって、僕のセクシュアリティがどうであろうとも、そんなにその人の人生に関係がないのではないか・・・と思ったのだ。
もしかしたら、これからじわりじわりと日常の中で聞いてくる、あるいは、僕のいないところでよからぬ噂になることがあるのかもしれない・・・でも…
人生は一度きり。
昔の恋人を喪ったけれども、彼を愛して愛されていた確かな記憶がある。
そして今はKがいて、ささやかな毎日を生きている。
愛する仲間たちに囲まれている。
自分の信じるままに生きよう。
そんなことを自分に言い聞かせながら、なんとか自分を勇気づけている。

幸せな日。(渋谷区同性パートナーシップに関する条例決議)

早朝の風景

報道陣

記者会見

議会の傍聴者は58人と限られていたため、並ばないと傍聴できないとのことで、朝7:45に渋谷区議会に。無事に8番をゲットして会社へ。午後は半休にして13:00に再び渋谷区議会へ。
自分が映画の中に入ってしまったかのような重重しい空気の中、議会ははじまった。すぐに討論になり、自民党の反対意見、民主党の賛成意見、無所属の反対意見、長谷部さんの賛成意見、そして岡田麻理さんの賛成意見が続いた。
自民党や無所属の反対意見は、「国の法律よりも先に区で決めるべきではない」「憲法に抵触する」「女性の権利獲得の方が先」などの意見であったため、根本的な反対意見ではないのだとわかった。
ストレートである長谷部さんの話は、学生の時にロスに行ってゲイにナンパされて驚いた話からはじまり、シスコでスーツを着た男と逞しい男がが手を組んで普通に歩いている光景を見たこと。
そして日本に帰って来ても、博報堂で仕事に関わるスタッフにもゲイが結構いることがわかった…と言う風に、ストレートの人の視点で、次第にセクシュアルマイノリティの存在を知る所からはじめられた。
やがてボランティア活動で僕の弟のようなFに出会い、トランスジェンダーで生きて来た彼の半生の想像もつかなかったつらさや、親にさえ言うことも出来ず、友人にも誰にも言うことの出来なかった彼の苦しみを知るうちに、自分たちと何も変わらない彼が、なんでこんな目に遭わなければならないのだろう?自分にできることはないだろうか?と思い至ったとお話されていた。
僕たちは傍聴席で、仲のよいアクティビストの友人たち5人(レインボーファミリー)で一緒に話を聞いていたのだけど、みんな同じように涙を流しているのがわかった。
僕たちが泣いていたのは、自分の今までのつらく苦しかった体験を重ね合わせていただけでなく、世界中のさまざまなセクシュアルマイノリティの苦しみを想像したからだ。
親を愛するが故に、自分のセクシュアリティを言えずに生きている仲間たちを思い、涙をこらえることができなかったのだ。
賛成多数で決議がされて、みんなで外へ出ると、今までに見たこともない夥しい数の報道陣が詰めかけていた。
僕が用意した『THANK YOU, SHIBUYA!』 『祝 同性パートナーシップ条例!』の幕をみんなで持ちながら、たくさんの報道陣の質問に答えた。
夜は20時から『irodori』の2階にある『カラフルステーション』に、たくさんの人が祝杯をあげにかけつけてくれた。そこへ、渋谷区長をはじめ、長谷部さん、岡田さんも加わった。
「こんなことが本当に起こるなんて信じられない・・・こんな幸せな日はないなあ・・・」
そんなことを言いながら、何度も何度も大好きな仲間たちと乾杯をした。

新しい世界へ。

会社で、50歳以上の方々に早期退職を募ったら、今までにない優遇された条件のせいか、あっという間にかなりの数が集まったようだ。
この年度末に、お世話になった先輩方が挨拶に来られ、またぽつりぽつりと退職の挨拶がメールで届き、それぞれのお人柄がでているなあと思って読み返していた。
自分の出身大学で広告の講義を受け持つことになった人。
自ら大学院に通って、もう一度新しい勉強をはじめる人。
今までの広告作りを、フリーになってはじめようとする人。
そして、こんなことをはじめる人もいる。
(広告の仕事とは別に新しいサービスを作り始めています。「カクトコ」(kakutoko.com)といいまして、「400字以上」というしばりのある不便な投稿サイトです。「誰もが何かを書くことで自分の足跡をちょっとでも残していけるように」との思いから始めてみました。長い文章をきちんと書くということは時間と手間のかかる作業ですので、流行のサイトのようにすぐにユーザーが増えるとは思えず、この先どうやって育てていったらいいものか思案に暮れています)
退職するタイミングは、人それぞれなのだと思うけど、僕自身、会社人生は残りがはっきりと見渡せるような年齢になって来た。
自分がこの会社を退く時に、新しい世界に向かって、ワクワクするような気持ちでいることができたらいいなあと思ったのでした。

TAさんとごはん。

イロドリのトイレ

TAさんと、昔からの友人KIが知り合いだったことがわかり、三人でイロドリで晩ごはんを食べた。
TAさんは、40代後半で恋人のS君は大学三年生。僕とK以上に年の離れたカップルだ。二人は公の場で華やかに結婚式を挙げて、その様子はビデオで撮影されてSNSにも流れた。TAさんは、日本でこそ法律的には結婚は認められていないものの、Facebookでも既婚と書いている。
二人は、先日のOUT IN JAPANの撮影にも来てくれて、仲睦まじい関係を見せつけてくれたし、出来上がった写真もカッコよかった。
今、S君は就職を控えていてなかなか大変な時期のようで、週の半分くらいは、TAさんは別の家に帰っていて、同居と別居半分半分の生活をしているらしい。
「あいつは夜型になっているし、俺がいると、テレビを見るのも、先に寝るのも気をつかうから、だったら半分くらいは別々に生活した方がふたりにとってはいいかなと思って…」
そんな話を聞きながら、長く続けてゆくためには、お互いの努力と思いやりが不可欠なのだなあと改めて感じた。
イロドリの窓際で食事をしていたら、妹のGがトイレットペーパーを沢山買って通りかかったので、そのまま席に呼んで楽しい宴がはじまった。
こんな風に、通りがかりの友達がふらりと入って来て食卓に加わるイロドリは、僕たちのHOMEのようになっているのだ。

X ジェンダー。

X ジェンダーってご存知ですか?
Xジェンダーとは…
出生児に割り当てられた、男性・女性の性別のいずれでもないという性別の立場をとる人。
気づいてみると、僕の周りでは、このXジェンダーの人がゴロゴロいる。
iridoriのIもXだし、OUT IN JAPANで一緒にスタッフをしていたLもXだという。
久しぶりにのんびりと東京で過ごす週末、体幹トレーニングに行ってから、デニムを修理に出して、イロドリへご飯を食べに行った。
そこへ、Lが間も無く入って来てふたりでのんびりランチへ。
Lは、肉体的には男性として生まれたのだけど、Xジェンダーらしい。らしいというのは、もはや僕にも何が何だかわからないからだ…。笑
Lは、パッと見、女性にも見えるような中性的なルックスで、正直、性別を規定することが難しいと思う。
そして、本人自体、どちらという性別にこだわっているところはなく、性別に規定されたくないのだろう。
それでいて、OUT IN JAPAN の撮影で、中村中さんが来て、美しいポートレイトになったのだけど、Lはずっとずっと、中村中さんを神のように崇めていたようで、とても興奮状態になっていたのだ。
中村中さんは、MtFなのだけど…
イロドリのスタッフを含めて、もはや我々の周りは、いったい誰がどんな性別でどんな人が好きなのか、まったくわからなくなっている。
でも、よくよく考えてみると、生まれた時から、男だ女だと勝手に決められて、こうあるべきだと二者択一を迫られて生きてきたこと自体、もしかしたら無理があったのではないかと思い至る。
それぞれが、ありのまま、思うままに生きて、幸せになれる世の中に、少しずつ向かって行ったらいいなあと、Lの笑顔を見ながら考えたのでした。

台湾麺線

青菜炒め

鶏肉を揚げたもの

麺線

K太郎とS太郎が、台湾に行こうと騒いでいて、僕も久しぶりに行きたいと思っていたのだけど、どうにもみんなの予定が合わず、どうしたものかと思っていたら、K太郎が、「じゃあ、台湾料理食べに行こうか?」と言うので、はじめての『台湾麺線』へ。
新橋の外れ、御成門の近くにある『台湾麺線』は、夜市の屋台料理が食べられるお店。
『麺線』というのは、素麺を少し短く切ったような麺で、鰹だしのスープにとろみがついて、モツと一緒に食べる西門町では有名な食べもの。
腸詰め、青菜炒め、揚げワンタン、ピータン豆腐、ルーロー飯…
台湾の庶民的な料理を食べながら、またのんびりと台湾に行って、マッサージしたり、火鍋食べたりしたいな〜と話した。
その後、久しぶりに二丁目に遊びに行き、台湾バー『紅楼』へ。
前は、二丁目でも、新宿通りを渡った場所にあった店が、今は、ルミエールを背にしてまっすぐ入った道の右側、昔の『ZIP』のもっと先にある。台湾人の二人がやっていて、とても感じのいい店だ。
★台湾麺線http://tabelog.com/tokyo/A1314/A131401/13174075/

OUT IN JAPAN 5 (勇気)

OUT IN JAPANに応募してくださった方の中に、20代の男性がいた。
プロフィールを見ると、小さな頃から『吃音症』であったため、周りの人たちにからかわれたりいじめられてきたこと。ある時から開き直って話すようになり、少しずつ変わっていったということ。この『OUTIN JAPAN』に出ることをきっかけに、自分自身もカミングアウトをして、『吃音症』という言語障害のことをもっとみんなに知ってもらいたいということが書かれていた。
撮影当日、彼に会うと、とても感じのよい人だった。そして、明らかに緊張しているのがわかった。
全体の撮影の前に、ミュージカル『RENT』のキャストであるソニンさんと一緒に、急遽一部の出演者が写真を撮ることになったのだけど、撮影をしている間、彼だけどこか別の方を見ているので、僕が途中で、「レンズの方を見てください」と声をかけた。
全体の撮影が終わって、彼に声をかけた。「レンズ見えなかったかな?」
彼「あのー。いつもそうなんですけど、撮影でカメラの前で緊張すると、左目が寄って寄り目になってしまうんです・・・気にすればするほど・・・だからみんなで写真に写る時は、自分だけ他の場所を見ているものばっかりで・・・」
僕「あ、そうだったんだ。ごめん。普通に話していると視線が合っているから、気づかなかった・・・。レンズの先のもっとずっとずっと遠くを見る感じとか試してみようか?」
彼の撮影の順番が回って来て、僕は息を飲んで見守っていた。
その結果、いくつかの写真の中には、緊張して目が寄ってしまったものもあったけど、普通にこちらを見ているやさしい表情の写真が何枚か撮られていた。
撮影が終わって、彼を呼んで、きちんとこちらを見ている写真を見せると、とてもうれしそうに笑った。
彼「絶対に寄り目になると思ってたから、もう、あえて寄り目にして写真に写ればいいかなと思っていたんです」
僕「吃音症のことは、僕も今までの人生でほとんど知らなくて、想像することも出来なかったし、目が寄ってしまう人がいることも知らなかったよ。でも、僕が思うに、うまく話せなかったとしても、目が寄ってしまったとしても、その人の個性の一部のようなもので、人にいいとか悪いとか言われる筋合いのものではないような気がする。これはよくてこれは悪いみたいなものはなくて、みんなそれぞれ違っているということなんだろうね」
今回の『OUT IN JAPAN』がきっかけで、カミングアウトをしたいという人が何人もいらっしゃって僕もとてもうれしかった。そしてなにより、彼のように、僕には想像もできない勇気を持って応募してくれた人に出会い、僕自身が大きな気づきと勇気をもらったのだ。
★『OUT IN JAPAN』のギャラリーWEBサイトは4月末公開。
 それに先駆け、4月21日~28日にGAP原宿店で写真展を開催予定。
 オープニングイベントは4月21日。(僕もそこにいます!)