SIMONE

この夕暮れのビーチに行きたい…

僕が高校生の頃、大学生だった兄は一人暮らしをしていて、休みのたびにスペインやポルトガル、そして南アメリカに旅行に行っていた。
旅行と言っても、2ヶ月くらい行ったきり戻らないので、その期間僕が兄の家に行ってちょっとの間一人暮らしの気ままさを味わったりしていた。
その頃、よくひとりで悦に行って部屋で聴いていたのが、このSIMONE(シモーネ)のアルバム 『VICIOhttp://youtu.be/yvjKX69ByO0』。このアルバムをはじめて聴いたときに驚いた。
「この声、男なの?女なの?」
 
目をつぶって聴いていると、男のようでもあり、女のようでもある不思議な太い声に魅了された。
SIMONEに限らず、僕はたとえば、『カエターノ・ヴェローゾ』も、男性なのか女性なのかわからないような魅惑的な声の持ち主だ。僕はこんな男性とも女性ともわからない不思議な声がもともと好きなのかもしれない。(カエターノのことはまた後日書きますね)
このアルバムの最初の曲『eu sei que vou te amar(あなたを愛してしまう)』は、トムとヴィニシウスによる大好きな曲で、2曲目に繋がる美しい流れを聴いていると、裏ジャケットにあるSIMONEが佇む、まだ行ったことのないブラジルの夕暮れ時のビーチを想像させる。
来年は、アルゼンチンに行くことができそうなので、そのついでに念願のブラジルにも行けたらいいなあ・・・。

OUT IN JAPAN #003 in OSAKA

OUT IN JAPAN の撮影会が、10月の大阪パレード前日に大阪で行われることになった。
大阪での撮影の告知をすべく、堂山のバーを何軒か回り、パンフレットを見せながらお客さんと会話をした。
『OUT IN JAPAN』ってそもそも何なんですか?と聞かれ、何のためにそんなことしてるんですか?というシンプルな問いも。
『OUT IN JAPAN』とは、セクシュアルマイノリティの可視化であり、社会に広く理解を求めていくためのプロジェクト。
ストレートの人たちは、ゲイ(セクシュアルマイノリティ)なんてテレビの中のオネエキャラだけの話であって、自分の周りには全然いないと思っている人たちがほとんどなのではないだろうか。
7.6%(※)という統計でもわかるように、誰の周りにも存在しているのだけど、自分がそうであると言えずにひた隠しにして生きているセクシュアルマイノリティがほとんどなのだ。※http://www.dentsu.co.jp/news/release/2015/0423-004032.html
まずは、世の中にたくさんいるセクシュアルマイノリティに気づいてもらうこと。そして、自分たちの周りにもいるのかもしれないと想像してもらうこと。
そして、そこからゆっくりと差別や偏見が減っていき、セクシュアルマイノリティにとってより暮らしやすい世の中に近づいてゆくのではないかと思うのだ。
大阪で会いましょう!
★OUT IN JAPAN ♯003 in OSAKA
http://facebook.com/outinjapan

祖父と祖母。

母の両親である祖父と祖母は、当時、誰もがそうだったように見合い結婚だった。
祖父は、無口で、顔が険しく、どこか近寄りがたい人だったけど、僕たち孫には、とてもやさしい人だった。
祖母は、のほほんと過ごしてきた人で、怒ったところなど見たこともないような、ほんわりとしたやさしい人だった。
僕が祖父母に会いに行く時は、正月などを除いてそんなに多くはなかったけど、会いにいくといつもふたり一緒にいた。部屋でテレビを見ていたり、炬燵に座っていたり。
80歳を過ぎた頃だろうか、祖父が病院に入院した。
その後、毎日のようにお見舞いに行きたがっていた祖母も、過労のせいか別の病気で同じ病院の別の病棟に入院した。
暫くして、祖母の見舞いにいくと、祖母は、「爺さんに会いたい…」と言って母の前で泣いた。
そして、祖父の病室にいくと、無口でしかめ面しか見たことのない祖父が、「婆さんの顔がみたい…」と言って涙を流した。
祖父が先に逝き、数年ののち、祖母が逝ったのだけど、祖父と祖母のことを思う時、『愛』というものが、この世界にはあるのだと思うことが出来る。
そして、自分もいつか、年をとった時に、祖父や祖母のように、誰かを愛していられたらいいなあと思うのだ。

友人のお母さんに会いに、神戸へ。3

前回3月の終わりにお見舞いに来てから、およそ半年が過ぎていた。
友人のお母さんは90歳。その間に肺炎になり、病院に運ばれ、暫くはどうなるか…という状態が続いたあと、容体は回復に向かい、また施設に戻ることが出来たのだ。
それでも、半年前と違ってしまったのは、もはや寝たきりになってしまったこと。そして、食事は流動食になり、意識もかなりあやふやになってしまったこと。
3月に来た時は、ふたりでお弁当を食べたのに、今はベッドに横になったまんま、天井を見上げている…。今回、僕は、お母さんに会えるのも、これが最後になるかもしれない…という心づもりで来た。この先何が起こっても後悔しないために。
お母さんの手を握ると、「温かいわね…」とすぐに反応する。そして手のひらを触りながら、「柔らかいわね…」と何度も言う。
何かを話そうとするのだけど、何を話しているのかわからずに、僕を施設の堺市に住んでいる人と間違えているのか、他のミュージシャンの友達と間違えているのか、お母さんの記憶は様々な人を結びつけては、離れていくようだった。
昔、僕がまだ子どもだった頃は、祖父や祖母の見舞いに行くのが苦手だった。
病院特有の臭いが嫌いだし、気持ちが滅入るのが嫌だった。そして何よりも、祖父や祖母が老いて衰え、自分の知らないどこかへ向かっていくのを認めるのが怖かったのだ。
今、こうして年老いていく人たちに会いに来て想像することは、長い長い人生を生きてきて、夕陽のようにゆっくりと微笑みながら沈みゆくその人の人生のことだ。
そして、いずれ訪れる自分の年老いてゆく姿だ。
お母さんは、いつものようにほんの少し泣いて、急に僕を思い出したかのように話しかけた。
「あら…少し太ったんじゃないかしら…」
もはや僕のことなど、記憶の中から朧げにも蘇っては来ないであろう表情を見ながら、それでも、今日、お母さんに会いに来ることが出来て、本当によかったと思ったのだ。

かさね。

サンマのお造り

牛すじ

玉子、大根、厚揚げ

仕事を終えて夜に大阪に到着。
大阪に来る時は、たいていその日の気分で食べる店を探す。大阪では、有名な寿司屋さんや創作料理屋さんがあるのに、なぜだかあまり高い食事をしようとは思わない。
秋めいて来たのでおでんが食べたいと思い、『かさね』へ。
北新地にある『かさね』は、8人がけくらいのL字型カウンターと、お座敷が二つある小さな店。30代の若く感じのよい大将が切り盛りしている。
ここの店は、おでんだけではなく、お造りがあったり、てんぷらがあったり、出汁巻きがあったりして、お酒を飲みながらさもない料理を食べ、その後おでんに移行する感じだ。
サンマのお造りも、その場でサクッとさばいてくれるし、明石のタコは驚くほど柔らかい食感だ。これは、新鮮なタコを絶妙な茹で時間で調理した証。
白海老のてんぷらを摘んだら、ゆっくりとおでんに…。
牛すじはスッキリとして柔らかく、イワシのつみれは小さくコクがある。出汁のしみた湯葉を食べながら、「ああ、おでんって最高…」と、ひとり幸福な気持ちで酒を傾けた。
こんな、なんでもない日常の料理が、大阪は本当に美味しいと思う。
★かさね
06-6456-4155
大阪府大阪市北区堂島1-2-14 小川第三ビル B1F
http://tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27060166/

娘の恋人。

台湾人の娘KEからLINEが入り、会いたいと言って来た。(KEは本当の娘ではなくて、僕が娘のように可愛がっている年下ゲイ)
久しぶりに親子水入らずで台湾料理店を予約すると、KEからまたLINEが入り、「お母さんに会わせたい人がいるんです…」とのこと。
お店に現れたKEは、僕に恋人を紹介をする。
KE「僕と同じ年のKUちゃんです」「KUちゃん、こちらがお母さん…」
あれやこれや美味しそうな小皿料理を頼み、「美味しい!」などとはしゃいでいると、KUちゃんが怖る怖る聞いてきた。
KU「あのー、なんてお呼びすればいいですか…?」
僕「あ・・・ただしです。(お母さんではなく…)」
KEは、前の恋人と1年以上交際したあとに、半年くらい前に別れてしまった。僕から見たら、前の恋人もとても可愛かったし、お似合いのカップルだったのに、なかなかつきあってゆくということは難しいものだなあ・・・と思っていた矢先、また新しい恋人か出来たのだ。
今年30歳になるというカップルは、じゃれ合う二匹の子犬のようで、見ているだけで微笑ましい。
僕が30歳のころは、Mとハネムーンのように幸福の絶頂だった。
そしてもし、もう一度30歳に戻れるなら、どんな恋愛をするだろうか?と考えてみる。
僕がもう一度30歳になったら・・・これ以上ないくらい思いっきり遊びまくるだろうな・・・。
★台南担仔麺 屋台料理 来来
03-3289-1988
東京都中央区銀座7-7-7
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13011564/

やさしいことば。

映画『アリスのままで』は、若年性アルツハイマーを扱った素晴らしい映画だった。
アルツハイマーは、誰か遠くの人のかかる難病だとは思えなくて、時々人の名前が出てこなかったり、昔の出来事をすっかり忘れてしまっている僕にとっては、いつか自分がなるかもしれないというちょっとした不安さえ感じさせる病気だ。
年を重ねてゆくとき、そして明らかに身体の機能が老いてゆくとき、どのように生きてゆくか、身近に誰かがいてくれるかどうかというのは、僕たちゲイにとっての大きな課題でもある。
そんなある日、冗談半分で、Kに聞いてみた。
僕「僕がアリスみたいになったら、どうする?」
ちょっと間があったのち、Kから返信が来た。
K「Kちゃんの赤ちゃんになる」「ただしくん」
それは、笑ってしまうくらい子どもみたいな返事だったのだけど、ほんわりと温かい気持ちになった。
本当の老後は、そんなに簡単には行かないのかもしれない。僕とKがいつまで一緒にいられるかもわからない。でも、こんな風に誰かがそばで言ってくれたら、気持ちもふっと軽くなるものだ。

おもと。

二丁目の『ぺんぺん草』で飲んでいて、今年69歳になるマスターのひろしさんと、『年をとって、仕事をやめたあとにやりたいことってなんだろう?』という話になった。
ちょっと考えを巡らせたあとに、ひろしさんは、
「おもとが好きなの…」とポツリと呟いた。
僕「おもとって…あの、万年青?よく日本の庭先の日陰にある陰気な葉っぱの万年青?」
ひろしさん「そうよ。わたし、おもとを育てていたいの…」
僕「昔から、デパートの屋上の園芸売り場で、なんで万年青なんか育てる人がいるんだろう…?って思ってた。花も咲かないし、せいぜい赤い実がなるくらい?」
ひろしさん「葉っぱが好きなの…白い根っこに水を当てて、きれいにしてあげるの…その下には苔がびっしりと生えていて…」
年をとると、
花が好きになり→盆栽が好きになり→山野草が好きになり→苔が好きになり→最後に石が好きになる
と言うけど、そんなものだろうか?
酔っているからか、ひろしさんは、万年青の話をしながら、万年青の深い緑を思い浮かべているのか、気味が悪いくらいずっとうっとりとしていた・・・。
万年青でも、苔でも、なんでもいいからたくさん育てて、100歳になっても『ぺんぺん草』をやっていてほしいものだ。

いつか、もう一度訪れたい宿。

アメックスの季刊誌を読んでいたら、懐かしい名前を見つけて、そこにある写真とともに、美しい景色と温かいおもてなしを思い出した。
そのホテルは、イタリアのアマルフィ海岸にあるポジターノという町にある、『le Sirenusehttp://sirenuse.it/en』。
ポジターノの美しい断崖の家々を臨む立地と、イタリアでも有名なオーナー夫妻が手がけたホテルは、ヨーロッパ最高のレストランの栄誉を授かっていた。
当時ふたりでともに生きていたMと、イタリアを中心に各地を巡り訪れたアマルフィ海岸は、どこか西伊豆の海岸か、和歌山の海岸を思い出すリアス式のような入り組んだ海岸で、車で走ると美しい絶景とともにスリルを味わったものだ。
アマルフィ海岸はレモンが有名で、食後にリモンチェッロを飲んだり、夕暮れの町をふたりでのんびりとウインドーショッピングをしながら散歩したのを思い出す。
山の上のレストランに行った時に、海の幸のリゾットを食べたMが、あまりの美味しさにちょっと涙を浮かべたように喜んだのも、ついこないだのように感じられる。
出来ればもう一度、『le Sirenuse』に、Mとふたりで行くことができたなら・・・と思う。
あのころ、世界は完璧に美しく、
ふたりは、永遠のように愛し合っていた。

玄米。

カムカム鍋に入れた玄米と水

圧力鍋にカムカム鍋をセット。お水を半分くらいまで。

炊きあがり

暑い夏の間は、あまり口にしたいとは思わないのだけど、夏の終わりとともに、なぜだか玄米を食べたくなる。
僕は、基本的には白米が好きだけど、時々食べる玄米は、しっかりと噛み締めると味わい深く感じることがあるし、腹持ちがいい。
これは、玄米が白米に比べてミネラルやビタミンをたくさん含んでいるからかもしれない。
玄米の炊き方には幾つかあって、そのどれもある程度の時間がかかるのだけど、僕が普段よく作るのは、圧力鍋の中に『カムカム鍋』という陶器を入れて、その中に玄米と同量の水を入れて炊く炊き方。
土鍋で炊く玄米は美味しいけど、炊く前に半日近く玄米を水に浸けないといけないのだ。(僕の場合、今晩何を食べるかとか、明日の昼に何を食べるかなどなかなか事前にイメージできない)
その点カムカム鍋だと、玄米を水に浸けておく時間がかからず、圧力がかかってから50分くらいで火を止めて蒸らしの時間に入る。
いずれにせよ、玄米を炊くこと自体、ちょっとした時間と手間がかかるので、週末などにまとめて炊いておいて、二三日で食べる分は冷蔵庫に。残りは冷凍庫に小分けにして保存しておくとよい。
炊きたての玄米も美味しいけど、炒めた玄米はまた別の美味しさがあるものだ。
それは、白米とは全く違った、異国のお米のような感じで、しっかりとした味付けの副菜にも負けないお米そのものの強さが残っている。
昔、しばらく恋人も出来ずひとりでいた時に、「早く帰って玄米炊かないと…」などと飲み屋で言うと、
「あんた、家で玄米炊いてる…なんて言ってたら、いつまでたっても恋人なんてできやしないわよ!」と言って笑われたことを思い出す。
今となってはただの笑い話だけど、僕は、家で玄米炊いたりする男も、なかなか興味深い気がするけどな・・・。