友人のお母さんに会いに、神戸へ。3

前回3月の終わりにお見舞いに来てから、およそ半年が過ぎていた。
友人のお母さんは90歳。その間に肺炎になり、病院に運ばれ、暫くはどうなるか…という状態が続いたあと、容体は回復に向かい、また施設に戻ることが出来たのだ。
それでも、半年前と違ってしまったのは、もはや寝たきりになってしまったこと。そして、食事は流動食になり、意識もかなりあやふやになってしまったこと。
3月に来た時は、ふたりでお弁当を食べたのに、今はベッドに横になったまんま、天井を見上げている…。今回、僕は、お母さんに会えるのも、これが最後になるかもしれない…という心づもりで来た。この先何が起こっても後悔しないために。
お母さんの手を握ると、「温かいわね…」とすぐに反応する。そして手のひらを触りながら、「柔らかいわね…」と何度も言う。
何かを話そうとするのだけど、何を話しているのかわからずに、僕を施設の堺市に住んでいる人と間違えているのか、他のミュージシャンの友達と間違えているのか、お母さんの記憶は様々な人を結びつけては、離れていくようだった。
昔、僕がまだ子どもだった頃は、祖父や祖母の見舞いに行くのが苦手だった。
病院特有の臭いが嫌いだし、気持ちが滅入るのが嫌だった。そして何よりも、祖父や祖母が老いて衰え、自分の知らないどこかへ向かっていくのを認めるのが怖かったのだ。
今、こうして年老いていく人たちに会いに来て想像することは、長い長い人生を生きてきて、夕陽のようにゆっくりと微笑みながら沈みゆくその人の人生のことだ。
そして、いずれ訪れる自分の年老いてゆく姿だ。
お母さんは、いつものようにほんの少し泣いて、急に僕を思い出したかのように話しかけた。
「あら…少し太ったんじゃないかしら…」
もはや僕のことなど、記憶の中から朧げにも蘇っては来ないであろう表情を見ながら、それでも、今日、お母さんに会いに来ることが出来て、本当によかったと思ったのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です