ハッピーバースデー。

レバー…極うま。

実は、22日に47歳になってしまった。
47歳というのは、どちらかというと50歳に近いので密かにショックを受けている。
引っ越しの疲れと、OUT IN JAPANの撮影の疲れもあったので会社を休み、引っ越しの片づけをひとりで黙々と行った。
そこへしばらくすると、XからLINEが入る。
「今日は何時でもいいので、引っ越しが一段落して時間ができたら、一緒にごはんを食べましょう!」
僕が誕生日を大袈裟にお祝いされるのが苦手なことを知っているXは、気を利かせてなんとかふたりでゆっくりごはんを食べられたらいいと考えてくれていたようだ。
なぜなら、断っても断ってもしつこいくらいに何度もお誘いのLINEが来たから…。
夕方になって疲れたところで、Xと二丁目の『松の屋』でごはんを食べることにした。
ルミエールの斜め向かいにある『松の屋』は、実は二丁目の隠れた名店で行きつけの店。焼き鳥をはじめ、お料理が美味しい(店内にはフィギュアが溢れかえっているので一瞬不安になるのだけど、味は間違いない)。しずほさんというとてもやさしい女性がやっている。
4100円くらいの鳥の鍋のコースにして、気軽に日本のワインなんかを飲みながら、Xと楽しく食事をした。
鍋に行くまでに、かなりの量の鶏肉料理が出てくる。僕たちが常連だからか、レバーまでサービスしてくれる。
雑炊まで食べて満足で帰ろうとジャケットを着ると、ハッピーバースデーの曲が店内に流れて、中からしずほさんがケーキを持って出てきた…。
「こういうのがとにかく一番苦手なんだけどなあ…」
そんなことを思いながら、久しぶりに願いを込めて蝋燭の灯を消した。
どうやらあらかじめXが、僕が誕生日だということをしずほさんに言っていたようで、ケーキを仕込んでおいてくれたみたい。いつもは甘いものに口をつけない僕も、この日は有難くいただいた。
47歳の誕生日は、静かで温かい誕生日だった。
ありがとう。X!
★松の屋
03-3351-3115
東京都新宿区新宿2-15-13 ナカエビルⅢ 1F
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13012043/

Kのカミングアウト。その2

思いきって、家族全員が揃う家族会で、いきなりカミングアウトをするというKの計画を、取り敢えず阻止して、まずはお姉さんやお兄さんから攻略するのはどうだろう?と提案したのが先週。
そしてその週末の土曜日、Kは、あらかじめ話があると言っておいて、離れて暮らすお姉さんとお兄さんの家を訪れた。
数時間Kから連絡が途絶えて、どうなったかなあ…と引っ越しの準備をしながら、僕も気を揉んでいた。
そこへ、ひょっこりKから連絡が入った。
K「お姉ちゃんとお兄ちゃん、大丈夫だったよ!」
僕「よかった!!」
K「驚いていたけど、他人に迷惑かずに、生きてれば大丈夫と言われた」
僕「やさしいね」
そしてその翌日、Kはあらかじめ話があると言っておきながら、お父さんとお母さんのいる実家を訪れた。
K「やっぱり、ショックみたい。
仕事を辞めることも心配している…。
ただしくん、会いたいと言ったら、お母さんたちに会ってくれる?」
僕「もちろん会うよ…なんだか緊張するけどね…」
そして数日後、お兄さんから連絡がありKが呼ばれた。
K「僕のいないところで家族で会議をしたみたい。
お父さんもお母さんも、泣いてたって…。
ゲイと言うことよりも、仕事を辞めることが心配みたい」
K「路頭に迷わせることだけはしないでくれと、その人に伝えてくれって…」
僕「路頭に迷うって…そんな悲しいこと言うなんて、お母さんかわいそう…」
お父さんとお母さんのリアクションは、僕の想像の範疇だった。大分の宮崎よりの田舎町で暮らすお父さんとお母さんにとって、ゲイがなんであるのかもわからないに違いない。
これから時間をかけて、ゆっくりとご両親を説得していくほかに、道はないのだろう。
それにしても、僕と会うまでは、完全にクローゼットだったKの勇気を、今更ながら、誇らしく感じたのでありました。

ぺんぺん草のひろしさん。

引っ越しの時に、血眼で最後の力を振り絞ってCDを仕分けしていたら、突然ぺんぺん草のひろしさんのジャケットが出てきた。
本当に驚いたのだけど、なんだかちょっと笑ってしまった。
ひろしさんは、劇団ぺんぺんのお芝居が終わって3日くらいしたらバリ島に飛んでしまった。
いつもは1月から2月にかけて海外で過ごしていたのに、今年は12月の頭からバリ島へ。
今ごろ何してるんだろう?
時々、あの店のくだらない話が懐かしくなる。
今日はぺんぺん草に行きたいな…と思っても、2月まではひろしさんには会えないのだ。
寂しいので、このCDを聴いてます。

OUT IN JAPAN 東京撮影会

急遽撮影会が決まり、64人の撮影が行われた。これで累計630人を越えたことになる。
1年間で1000人のセクシュアルマイノリティの撮影を目標に掲げて来たことから、あと3回の撮影で1000人に届くかもしれない。
毎回撮影で楽しいことは、様々な人との出会いがえることだろう。
撮影中、立って飲み物を飲んでいると、ひとりの若いFtMのHが話しかけてきた。
H「あのー、スタッフの方ですか?
僕は今日、四国の高松から来たんです。
高松ではLGBTとかは埋没していて、高松でセクシュアルマイノリティとして生きることを、みんな諦めちゃってるんです。
だから、高松では生きられなくなってどんどん東京に出てしまって、僕も東京行こうかずっと迷っていたんですけど、高松で生きることに決めたんです」
僕「田舎では、なかなかゲイでもカミングアウト出来ないし、結婚して自分のセクシュアリティを隠しながら生きる人も多いんだよね…
高松には、ゲイバーはあるんでしょう?」
H「ミックスみたいなバーですが、あまり賑わってなくて、やっぱりみんな東京に行きたがるんです。
でも僕は、高松でしか出来ないこともあるんじゃないかと思うんです。
自分の育った町から逃げないで、高松で次の世代に勇気を与えたいんです」
そんな話を聞きながら、なんとも熱い子だなぁ…と感心した。
OUT IN JAPANのこの日の撮影のために、特攻隊のように東京に日帰りで来てくれたのだ。
その後、アクティビストであり僕の弟のようなFに会いたいというのでFに急遽連絡を取り、ふたりは会うことが出来たようだ。
夜になったらHからFacebookの申請があり、Fと一緒に元気に笑うHの写真がアップされた。
今の純粋な気持ちのまま高松で、どうか周りを照らし続けてほしい。

日曜日のラーメン屋さん。

引っ越し当日、あしたのジョーのように真っ白になって、何とか無事に終わった夜、キッチンがまだ使えないこともあり、近くのラーメン屋さんにご飯を食べに行った。(僕がラーメン屋さんに行くことは、かなり珍しいのだけど)
すると、僕の前に小学生5年くらいの男の子と二つ下くらいの女の子、そしてお父さんが座った。
三人は餃子を食べながら、お父さんはチューハイを飲んでいて、子どもたちはコーラを飲んでいた。
やがて、それぞれ違うラーメンが次々に運ばれて来ると、三人はとてもうれしそうな顔をした。
お父さんは、ラーメンに半チャーハンをつけていて、娘さんはつけ麺にしていた。
家族三人でうれしそうにご飯を食べる姿を見ていたら、父のことを思い出した。
実際に父と暮らしたのは、小学校までなのだけど、今でも時々、子どもの頃の父のことを思い出す。
父は、母との結婚はうまくいかなかったのだけど、兄と僕のことは、目に入れても痛くないくらいにかわいがっていた。
小さな頃は、週末に父とよく海や山に遠出することが僕たちの一番の楽しみだったのだ。
父と母が離婚して、母と僕だけが離れてから、父は寂しさを抱えながら生きていたように思う。
日曜日のラーメン屋さんで、たまたま目の前に座った三人家族の光景を見ながら、あまりにも幸福そうな姿に目がじんわりと潤んできた。
お父さんは、ふたりの子どもをとても愛していたのだ。
目の前の家族を見ながら、僕の父の愛情を温かく思い出した。

引っ越し前日。

日曜日の引っ越しが決まって、月曜日くらいから細々と準備は進めていたのだ。
1. 小さな家における家具のレイアウトを塾考した上で、スペースにABCDEFと番号をふり、引っ越し屋さんがわかりやすいようにダンボールに書き込む。
2. まずは寝室の押入れを攻略したのち、ハンガーにかかっているもの以外の全ての洋服を、何個も持っているすべてのトランクに種類別に入れる。
3. 暖かい日を見計らってベランダの植物や重い鉢に手をつけ、不要な土を捨てたりする肉体労働。
4. 次は、最大の難関でもある本に取り掛かる。
『仕分けの女王』となって持っていく本と買取に持って行ってもらう本を情け容赦なく仕分けるのだ。
5. クライマックスは、気の遠くなるような調理器具とキッチン周りのお皿やグラスを割れないように包みながらまとめていく。
6. 前日の夜には冷蔵庫の電源を切り、『irodori』に冷凍食品を預けるために持っていく。ああ、何という段取りの良さ…というのを頭では思い描いていたはずだった。
それが、当初、1日に1つやれば順調に進むと思っていたのだけど、やり始めると、1つのパートが1日では全く終わらないことがわかり、どんどん次の日を侵食し始め、アッと言う間に前日になってしまったのだ。
しかも、金曜日に久しぶりにXと朝まで二丁目で騒いでいたので、土曜日の朝はほとんどゾンビのような顔で目覚めた…。
朝の9時から様々な音楽をかけ、自分を盛り上げながら黙々と箱詰めをし続けるのだけど、やれどもやれども全く終わらない…
夜の11時半でもまだ食器に手をつけられず、イロドリに冷凍庫の食品を持って行った時には、「もう、引っ越し準備終わらないかも…」と弱音を吐いてみんなを驚かせた。
半狂乱になりながら、だいたい片付いたのが夜中の2時半を回り、頭が朦朧としながら眠りの国へ…。
人生で、一番大変な時は、もしかしたら今かもしれないと、真面目に思っているのです。
死ーぬー

Kのカミングアウト。その1

Kは、東京に移住しようかと考えはじめて、このところ急ピッチでKも変わり始めている。
僕自身驚いたことは、先日、福岡での『OUT IN JAPAN』の撮影にKも参加したことだった。
僕と会う前には、ずっと大分でクローゼットで生きて来たのに、『OUT IN JAPAN』に出るということは即ち、カミングアウトをするということだからだ。
誰かがKの名前の検索をしたら、真っ先に『OUT IN JAPAN』のKのページに飛ぶだろうから。
そんなKが急に、家族へのカミングアウトをすると言い出した。
K「今度、家族で集まる食事会があるから、みんなの前で全部言おうと思うんだけど…」
僕「え?何を全部言うの?」
K「僕は、男の人が好きだということ。
東京に好きな人がいるということ。
だから、今の仕事を一旦やめて東京に行くということ…」
僕「えー!
そんな何もかもを一気に言ったら、お母さんたち泡吹いて倒れちゃうよ!
だって…
息子はゲイです…
東京に、16歳も歳の離れた恋人がいます…
仕事を辞めて東京行きます…
そんなこと一気に言われたら、お母さんたちも簡単に受け入れられないんじやないかな?
そもそも、大分のさらに田舎に住んでいるご両親が…そもそもゲイがどんなものかもわからないんじやない?」
僕「いきなり家族会とかではなくて、はじめはお兄さんかお姉さんに話して、味方になってもらって、徐々に総本山を攻略した方がいいと思うよ」
K「そうかもしれないね…
明日、お姉ちゃん家に行って話してくる」
そんなこんなで、Kのカミングアウト計画に対して、ほんの少しストッパーになったのだけど、お姉さんやお兄さんたちが何と言うのか、それさえも僕はドキドキでいる。

洋服の買い取り。

引っ越しついでに、もうずっと着ていない洋服を買い取りに出そうと思い、洋服業界に勤めている友人にどこかいい店はないかと尋ねると、僕の店で見てあげるよとのこと。
ゴミとして捨てるよりも、ほんの少しでもお金になればいいし、万が一誰かがこの服を着るのならば、少しは役に立つだろう。
今回は、ずっと昔によく着ていたゼニアのスーツやジャケット、そしてアスペジのコート、ペンドルトンのジャケットなど10着ほどだった。
仕事中に友人からLINEが入った。この金額でどうでしょうか?
写真を見ると、17000円強。
おおおー!なんて太っ腹なの!!!
随分昔のスーツやジャケットばかりだから、普通ただ同然で審査されるのだけど、友人のおかげで思わぬ臨時収入に恵まれた。
★BMS原宿買取センター店http://iconosquare.com/tag/bms

物。

今回の引っ越しで、家の中のすべての物を白昼のもとにさらけ出して改めて見て思うことは、
「どうしてこんなに沢山の物を持っているのだろう…」ということだ。
普通の単身の引っ越し料金は、だいたい平均6万円だと読んだことがある。僕の見積もりは、高いところでは30万を越えていた…。(苦笑)
その違いは何なのかと、じっくりと家の中の物たちを眺めてみると、本とCDと食器と植物と、大きめの家具だということがわかる。
ほとんどの物は、それを買う時に一番高い。
そして悲しいかな、手に入れた途端に値段は下がり始める。それは残酷なほど。
高かったスーツも、売る時は1/100くらいになってしまうし、2000円したけど読まなかった本は、手放す時には100円にもならないのだ。
沢山の物を前にしながら、自分が今までにどれだけ多くのお金を無駄につかって来たのかがわかる。
それとともにうれしいことは、そんなに多くはないのだけれども、心の底から、「ああ、これは買って本当によかったなあ…」と思う物があることだ。
買った時に、その大きさゆえに階段から入らずに(笑)、クレーンで吊り上げたソファ。
無垢材のテーブルやセンターテーブル。
ハンス・J・ウェグナーのYチェアと、イージーチェア。特に、イージーチェアはずっと迷っていたが、買って本当によかったと思っている。
アンリ・クイールの革製ソファ。
MIELEの冷蔵庫。
コンランで買ったアメリカンチェリーの洋服ダンス。(今回の家には収納があるので、分解して使わずに置こうかと迷っているが、愛着があり絶対に手放したくない物の一つだ)
POLIFORMのベッド。
イタリア製のリネン類。(高価だったけど、もう20年近く使っている)
ミニマムな暮らし方にも憧れるけど、僕は、ともに人生を重ねていけるような物が好きだ。
どのように生きたとしても、いつかこの世を去る時に、すべてを手放す時が来るのだ。
それまでは、自分の好きな物に囲まれて、時々傷つけてしまったり、修理したりしながら、一緒に暮らしていきたいと思う。

ハンガーのこと。

洋服ダンスを開けると、ハンガーにかかった洋服がバラバラに見えた。朝行く時も、帰って来た時もいつもいつもバラバラ。
スーツを買った時についてくるハンガーや、クリーニングをした後について来たハンガーを、そのまま使っていたのだからバラバラに見えるのもしょうがあるまい。
ハンガーがバラバラだから、洋服もバラバラになっていたようだ。
洋服を着る時に出して、酔っぱらって帰って来て、そのままボタンもかけずに乱暴にハンガーにかけて戻す・・・。戻された洋服は、手前や奥に傾き、踊っているように見えた。
今回、引っ越しをするので、ずーっと思っていたけど出来ずにいたこと、『すべてのハンガーを揃える』ということを思いきってやってみた。
一度に沢山のハンガーを揃えるのは、お金もかかるし難しいものだ。でも、最近はIKEAをはじめ、安い木製のハンガーが買えるようになっている。
もちろん、ハンガーにもピンからキリまであって、良いハンガーは数万円するのだけど、それは洋服が数十万円するものばかりお持ちの方にお任せして、僕は、すべての洋服のハンガーを買い替えることが出来る手頃な値段のハンガーにしてみた。
写真は、洋服ダンスの中。すっきりと収まった洋服は、心地良さそうに見えるではないか。自分で言うのもなんだけど、「まるで、洋服屋さんみたい!」
なんでもっと早くやらなかったのだろう!と思ったのであります。