愛しい写真。

引越しで押入れを整理していたら、昔の恋人Nの写真を入れた段ボールが出てきた。(このブログでは、時によってNかMになっているけど、それは彼のファーストネームとファミリーネームであり、その時々で使い分けていたためちょっと僕の中でもごっちゃになってしまっている)
どうしても中を開けることができず…
思わず、片付け上手で本も出している友人KIYOに相談した。

「今、引越しをしていてちょっと迷ってしまって…
昔10年間つきあった人との思い出の写真がダンボール一箱あるのと、子供の頃、小中高校大学などの写真も一箱あるのです。そういうものを僕は、改めて見返したりすることはないのですが、捨ててしまってよいものかどうか迷っていて…。
ちなみに、昔の恋人は、昨年亡くなってしまいました。
悲しい思い出は写真にはないのですが、すべて捨ててしまうほど、なかなか割り切ることが出来ません。どう思いますか?」
KIYO
「そうですね、その昔の恋人の写真ですが、見て悲しい思いにもならないのであれば、すっぱり捨ててしまっても大丈夫ですし、もし取っておきたいのなら、一番の思い出のものとか、一番かれがかっこよく写っているとか、そういった一番のものを厳選して取っておくのをおすすめします。
また、彼の写真だけではなく、自分の写真も同じように。
一番いいものをとっておいて、後は手放す。
もちろん、1番と言っても、一枚じゃなくていいですが。」
結局僕は、その箱を捨てることはできずに、そのままそっと置いた。
そのあと整理を続けていると、大昔に洋服ダンスの奥にしまって忘れていた3つの写真立てに入れた写真が出てきた。
2001年と2002年に訪れたフィレンツェや、シチリア島、ローマやサルデニア島での写真だった。ポンテベッキオで誰かに撮ってもらった写真や、レストランでお店の店員さんに撮ってもらった写真。
Nの太陽のような笑顔を見ながら、僕はこの笑顔が好きだったのだと思った。
輝くようなふたりの笑顔を見れば、ふたりが幸福の絶頂であったことがわかる。
この写真を捨てたところで、僕の中からNの記憶は消えて無くなることはないのだろう。
いつか、僕も衰えてNのそばへ行く時に全てが闇の中に消えてしまったとしても、僕たちは確かにあの時に、愛というものの中にあったのだ。

金沢のHさん。

金沢に来る一つの理由は、偶然お寿司屋さんで隣り合わせたノンケのHさん(僕と同じ年)と、美味しいものを食べながら、お互いの近況を話すこと。
Hさんは、日本酒協会の人で、日本酒にとても詳しい。
いつもHさんは、あらかじめお店にHさんセレクトの日本酒を持ち込んでいて、我々は食事に合わせてその日本酒をいただくことになる。
今回、『白菊の大吟醸』と『黒龍の石田屋』、そして、『平成八年の菊姫の大吟醸』をいただいた。
スッキリとした白菊ではじまり、香箱がにや海老のじんじょうをいただき、石田屋でお造りや鰤のぶっかけをいただき、菊姫で鱈の白子の茶碗蒸しや炊き合わせをいただいた。
Hさんは、日本酒の知識をひけらかすことなく、お料理に合わせた絶妙なチョイスで、いつも日本酒の奥深さを教えてくれる。
食事が終わると、Hさんはまだまだ一緒に飲みに行きたいと言うのだけど、僕ものんびりとひとりになりたいと思い、お別れした。
「今日はありがとうございました。また、来年、金沢で会いましょう」
一時期、Hさんはもしかしたらゲイなのではないかと思ったこともある。だって、ノンケがわざわざ男の人と食事をするだけのために大枚をはたくだろうか?
本当のところは僕にも未だにわからないのだけど、Hさんは僕とのんびりと食事をしながら、穏やかに笑っている。
わざわざ高価な日本酒を何本も用意して、僕と食事をして、Hさんにとって何かよいことがあるのかはわからないのだけど、こんな不思議な関係が、もうかれこれ、7年くらい続いている。
人生には、不思議なことがあるものだ。

鮨 八や

香箱がに

鱈の白子の蒸し寿司

のどぐろ

金沢には、僕の大好きな寿司屋さん『小松弥助』があって、ここに寿司を食べに来ることをいつも楽しみにしていたのだけど、大将が84歳ということもあり、今年の11月いっぱいでお店を閉店してしまった。
『小松弥助』で働いていたお弟子さんがやっている『志の助』や『乙女寿司』に行っても、やはり『小松弥助』に代わるお寿司屋さんは見つけることが出来ず、改めて『小松弥助』の偉大さを感じているのだけど、思いがけず、今回訪れた『鮨 八や』は、別の意味で素晴らしいお寿司屋さんだった。
店は町中から車で15分くらいかかる住宅地にあり、家の一階がお店になっている。
大将は、とても謙虚な方で、それだけでこのお寿司屋さんが素晴らしいことがわかる。
お酒は、立山のみ富山のお酒で、あとは菊姫、天狗舞など、石川県のお酒を揃えている。
お寿司は、野々市にある名店『太平寿司』で修行されていた流れを汲み、『あいじ』は兄弟子にあたるそうだ。
少しずつ出してくださる地元の魚が素晴らしい。富山湾の網にかかったミンククジラを炙ったものは香り高く、イカの塩辛の一歩手前というのも、塩辛くなくてお酒が進む。
香箱がには、内子と外子と蟹肉の三段構えという贅沢さ。
蛸は茹でただけのものと、甘く柔らかく煮込んだものが味わえる。
一番美味しかったものを挙げるとすると、鱈の白子の蒸し寿司だろうか。遊び心があり、とても美味しかった。
のどぐろでクライマックスを迎え、お椀を頼むと、鯛とのどぐろで取った出汁に薄めのお味噌が溶いてあり幸福感に包まれた。
また一つ、金沢で素晴らしいお寿司屋さんに出会えました。
★鮨 八や
076-233-3288
石川県金沢市示野中町1-71-7
http://tabelog.com/ishikawa/A1701/A170101/17000512/

料理 小松

香箱がに

鱈の白子の茶碗蒸し

鰤のぶっかけ

毎年のことなのだけど、冬の訪れとともに、金沢を訪れることを、ここ10年くらい続けている。
香箱がにが採れる11月の解禁を待って、たいてい11月に来ていたのだけど、今年は慌ただしく少し遅くなってしまった。
金沢に来ると、毎年一緒に食事をするストレート(たぶん)の友人がいる。
その昔、『あいじ』と言うお寿司屋さんに行った時に、偶然カウンターで隣り合わせてからの縁なのだけど、毎年僕が金沢を訪れるのを、誰よりも楽しみにしてくれているのだ。
今年は、この方が選んでくれた『料理 小松』というお店に行くことが出来たのだけど、これがまた素晴らしい和食店だったのです。
『小松』は、金沢の割烹料理の総本山でもある『銭屋』で働いていた方のお店で、僕の大好きな『雅乃』なんかも、兄弟子にあたるそうだ。
お料理は、シンプルでいて潔く、金沢の豊かな食材を見事に生かしている。
香箱がに、鱈の白子の茶碗蒸し、鰤のぶっかけ、炊き合わせも甘くなく素晴らしい。
大将は温和で、とても話しやすい。友人が用意した日本酒を飲みながら、楽しく豊かな時間を過ごすことが出来た。
また再訪したいと思う素晴らしいお店。
★料理 小松
076-224-0118
石川県金沢市鱗町86-1
http://tabelog.com/ishikawa/A1701/A170101/17005224/

Kちゃん、東京に住めるかな?

京都駅で別れる時はいつも、Kは西に向かう新幹線を待ち、僕は東に向かう新幹線を待ち、手を振りながら別れた後に別々の電車に乗る。
そんな時いつも思うのだ。もしも一緒に暮らしていたら、こんな寂しさを感じなくてよいのに…。
先日の京都からの帰り道、同じように西と東行きの新幹線に乗ると、KからLINEが入った。
K「Kちゃん、東京に住めるかな?」
僕「東京に来るの?」
K「仕事なら、あるから大丈夫。正くんの家で一緒に暮らせるかな?」
僕「段ボール三つくらいで来てね」
今までは、大分と東京で離れて暮らしていることで、うまくいっていたこともあるのかもしれない。べったりと一緒にいないことで、それぞれ自由に生きることができたところも大きいと思うのだ。
先のことはわからないのだけど、このまま離れて暮らしていくことに、Kは我慢が出来なくなったようだ。
僕も、先のことはわからないし、一緒に暮らしてゆくことが出来るのか、不安がないわけではない。
それでも、Kが決めたことなので、Kの思うようにまずはやってみようかと思う。
新しい家で、新しい暮らしがはじまるようだ。

別れる時に。

A-LANDで飲んでいたら、年下の恋人と別れたという27歳くらいの若い人が話しかけてきた。
この1ヶ月くらい、ずっと別れるための話し合いをしていたけど、やっと別れたということ。どちらかというと自分の方が年下君をいまだに好きでいるけど、彼とこのままつきあっていても、お互いに幸せになれないとわかっていると。
彼「それで、僕、手紙書いたんです。ちょっと長くなっちゃったけど…でもみんな友達は、手紙なんて渡さない方がいいと言うんですよ。今時手紙なんて形にも残るし重たいって言うんです。どう思いますか?
手紙なんて渡さない方がよかったですかね?」
僕「自分の気持ちを整理するためにも、きっと手紙を書くということが必要だったんだろうね。僕は、手紙を書いてよかったと思うよ。
最後にきちんと自分の気持ちを、文字にして伝えたかったんだよね?メールではなく手紙で」
彼「はい。きちんと自分の気持ちにも決着つけて、これから新しい人生をはじめたいと思ったんです」
僕「自分のやりたいようにやったのなら、あとで時間が経った時に、やっぱり手紙を書いてよかったって思えると思うよ。やりたかったのにやらなかった方が後悔すると僕は思うんだ。
別れ際は面倒だったりして、話し合うことさえ避けて別れるカップルがいるけど、きちんと思い残しのないようにして別れた方が、そのあとのふたりの人生にとっては、ずっと建設的なことなんだよね」
一度は恋に落ちて、ともに生きることを選んだふたりだとしても、その恋が終わって別れる時は、力仕事だ。
新しい道を歩き始めた27歳君の、次の恋愛話を楽しみにしている。

思いがけないプレゼント。

今月の終わりに、僕はまた一つ年をとる。
自分が47歳になるなんて、到底受け入れられずにいるのだけど・・・。
年末の慌ただしさと引っ越しの段取りですっかりそんなことも忘れていたところ、思いがけず年下の弟のようなKTから、誕生日プレゼントをいただいた。
MoMAのデザインショップの削ったチーズを入れる容器。
引っ越しが落ち着いて、友人たちが集うようなパーティーに活躍してくれそうで、とてもありがたかった。
僕がもし、僕のような人にプレゼントを選ぶとすると、本当に面倒くさいと思う。
大抵のものは持っているだろうし、変に自分の好き嫌いがハッキリしているのでうるさすぎるからだ。
そんな面倒くさい僕のような人間に、素敵なプレゼントを選んでくれて、ありがとう。きっと沢山迷ったに違いない。
たいせつに使いますね!KT

たいへんな時には。

僕には、知り合ってから25年くらいになる友人Tがいる。年は僕の2つか3つ上50歳くらいだろうか。
特にしょっちゅう連絡を取り合うような仲ではないのだけど、時々思い出したようにLINEが来るし、ぺんぺん草でもひょんな時に顔を合わせるので、まあ元気にしているのだろうと思っていたのだ。
それが、先日のぺんぺん劇団の芝居の後、一緒に食事をしたら、少し前に肺炎をこじらせて入院していたということがわかった。
僕「肺炎?!肺炎って、老人がよくなる病気じゃない?こじらせたって大丈夫だったの?」
と叫ぶ僕に、「今は大丈夫だけど、年をとるといろんなところにガタがくるのよ・・・」と、なんだか力のない返事。「KIがいてくれて助かったわ。やっぱり年下の恋人に限るわ」と言って笑った。
幸い、Tにはもう15年くらいになるだろうか、年下の恋人KIが一緒に住んでいたので、彼がすべて面倒を見てくれて、ようやく退院することができたようだ。
そんな話を聞いて、なんだか病気のせいかやつれて、心なしか老けたようにも見えるTのことが、とても心配になったのだ。
翌朝、Tのことが気になっていたのでTにLINEをしてみた。
僕「体調崩したり、何かあったらすぐに教えてね!」
しばらくすると、Tから連絡が入った。
「死にそうな時は言うから、心配しないで。入院くらいで死にゃしないから。」
年を重ねていくと、思わず体調を崩すようなことがある。家族を持つ人が少ないセクシュアルマイノリティにとって、そんな時に頼れるのは恋人であり、友人だろう。
たいへんな時には、頼って欲しいし、そんな人間でありたいと思う。これから先、僕だって何かが起きたら、思わず友人に助けを求めることもあるに違いない。
たいへんな時には、誰かを頼ろう。
支え合って、僕たちは生きているのだから。

劇団ぺんぺん第27回公演 瞼の母

毎年恒例でもある劇団ぺんぺんの芝居を、新宿のBRATSという劇場に観に行った。
僕は、第2回目から観るようになって、東京にいる時はほぼ欠かさず観て来たのだけど、さすがに第27回目の千秋楽にもなると、昔のように常連がわんさか駆けつけて、妙な一体感があるあの感じも薄くなってしまったように思う。
時代とともに新しいお客さんも入り、昔からの常連や役者さんのノンケの友人たちが自然に入り交じる新しい時代になったのだ。
実は、劇団ぺんぺんは今年もアクシデントが起こっていたようだ。12月第1週目の本番を数週間後に控えた11月のある日、前から何度か出演していた役者さんが諸事情により劇団を突然辞めた。
そして、それに伴う脚本の変更もあり、続けてまた新しい役者さんが辞めた・・・。
ふたりも役者が辞めたことにより、配役や脚本を大幅に修正しないと不可能となり、今回の講演自体が危ぶまれる事態となったのだけど、実際の千秋楽を観た感想は、ひろしさんをはじめ、昔からの役者たちが『女の意地』を見せるかのように、素晴らしい舞台になったのだった。
実は、この『瞼の母』は、劇団ぺんぺんでも再演で、15年くらい前だろうか、『明治一代女』との抱き合わせでやった演目だった。舞台を観ながら、その当時のことも思い出され、目頭が熱くなった。
舞台が無事に終わり、九州男でおこなわれた打ち上げに行くと、昔懐かしい顔ぶれが集まっていた。こんな風に懐かしい人に出会える年に1度のぺんぺんのお芝居も、残すところあと3回となってしまった。
30回目の公演で終了になるという劇団ぺんぺんのお芝居。いつまでも毎年の暮れの楽しみであって欲しいと思うのだけど、いつの日か、観たくても観られなくなる日が来るのかと思うと、なんともせつなくてたまらないではないか。

Patti LaBelle

髪なのか、羽なのか、わからない。

パティ・ラベルが好きだ。
押しも押されぬ大御所の実力派黒人女性シンガーと言ったら、アレサ・フランクリン、パティ・ラベル、グラディス・ナイト・・・だろうか。
彼女たちに続く存在としてきっと、ホイットニーヒューストンはいたのだろうけど、あんなに若くして逝ってしまったのが残念でならない。
90年代に、キャリン・ホワイトという黒人の若い女性が、『super woman』という曲を大ヒットさせたことがあったのだけど、その数年後に、グラディス・ナイトとパティ・ラベルと、ディオンヌ・ワーウィックという大御所の『THEおばさん』3人がしゃしゃり出てきて、その『super woman』をカバーして歌ったことがあった。http://youtu.be/Y-2olRqxK7c
「そこの小娘、引っ込んでなさい!」
と言った感じだろうか。
グラディス・ナイトは強烈な顔と個性を放っているし、パティ・ラベルは、頭が羽のようになっていて相変わらず気狂いのような声を出しているし、ディオンヌは控えめに抑えて歌っているけどなんだか化け物じみて見える。
そんな3人の『THEおばさん』たちの「super woman』は、本当はか弱い女の歌詞なのに、とてもそんな風に聴こえなくて苦笑いしたのを覚えている。
この町中がクリスマスに向かって温かい光に満ちている時期に、友人が上げたファイスブックの投稿で久しぶりにパティ・ラベルを聴いて、あまりにも素晴らしかったのでここに上げておく。
このビデオを見ると、パティ・ラベルは、他の誰とも違う唯一無二のシンガーであることがわかるだろう。

Merry Christmas!

For Harrietさんの投稿 2014年12月25日木曜日

Merry Christmas!