旅の醍醐味。

よく一緒に旅行しているXが仕事で台北行きを決めたので、僕も台北に来たのだけど、もうひとりの友人KRとLINEのやり取りをしていたら、KRもこの週末に台北行きを決めていたようで、偶然3人が台北で会うことになった。
土曜日の夜に、久しぶりにシンガポールの友人カップルからLINEが入った。3月に鹿児島に来るようで、その時のレストランの予約の件だったのだけど、僕が台北にいるよと送ると、びっくりして、彼らも台北にいることがわかった。それもなんと同じホテル!
そこで、夕方、ホテルのクラブラウンジで待ち合わせをして軽くお酒を飲みながら、久しぶりにシンガポールの友人カップルと食事をすることができた。
旅というのは不思議なもので、偶然と偶然が重なり、予期せぬ出会いが起こり響きあう。
食事の後、西門町に行くと、Xをはじめ、台湾人の友人たちがどこからともなく集まっていて、あっという間に12人を越す団体になった。
何も連絡をしていなかった台湾人の友人にも偶然会えたり、ソウルからも韓国人の友人が来ていたり、それもこれも、台北という町だからこそ起こりえたのだと思う。
深夜まで、偶然集まった友人たちとともにGoldfishで飲みながら、バカみたいに大きな声で笑い合った。
こんな風に20年後も、友人たちと台北で笑い合えたらいいなぁ。

Red Circle

台北に来たのは、台湾人カップルのEとRが、台北にカフェをオープンさせたから、そのお祝いを兼ねてというのがひとつの目的。
お店は、松山空港のすぐそば、富錦街464號 FuJin Streetと言うお洒落なカフェやアンティーク屋さんなどが立ち並ぶ並木道にある。
台北の雑踏からは離れた緑が広がる道にあり、東京のどこかに例えると、代官山だろうか。
店内は、北欧の椅子などが置かれ、アンティークのレコードやアルバム、古き良き時代の映画のビデオなんかが置いてある。友人Eと、映画監督と、デザイナーの3人でお金を出し合って作ったと言う。
机の上には、雑貨や積み木なんかもあり、お客さんは自由に遊んでいる。
そんなアンティークのスピーカーもレコードも雑貨も何もかも、実はすべて販売しているという。
カフェのメインは、ル・コルドンブルーで学んだRの作るシフォンケーキだ。特に有名なものは、檸檬を使ったシフォンケーキで、爽やかな香りが広がり、甘すぎずあとを引く美味しさ。チョコレートのシフォンケーキも、とても美味しかった。
コーヒーや紅茶にも凝っていて、そのうちに抹茶と煎茶の美味しいものを探してお店に置きたいと言うので、お祝いの品物は、京都の開化堂の茶筒にした。茶匙に、『Red Circle』の文字を彫ってもらったのだ。
店内は、アナログなレコードが流れ、懐かしい時代の緩やかな空気が漂っている。のんびりと心地のよい時間を過ごすことができるけど、土曜日日曜日の午後は、まるでゲイパレードのようにゲイのお客さんが押し寄せるそうだ。
こんなお店、まだ東京にはないけど、いつか自分の好きなものに囲まれたカフェを持つのもいいだろうなあと、楽しい想像に耽った。
⭐︎Red Circlehttps://m.facebook.com/RedCircleCake/

志摩へ。

伊勢で参拝をした後は、車を借りて志摩へ。伊勢から志摩はとても近く、1時間もしないうちに志摩の青い海が見えてくる。
もしも東京から伊勢に行ってお参りをした後、ついでに志摩まで行こうとすると、東京を早朝に出ない限り、志摩へ到着するのはかなり遅くなってしまうけど、名古屋で一泊できたので夕陽の時間にも十分間に合った。
前回、志摩に来た時は、有名な『志摩観光ホテル』に宿泊して、志摩で有名なアワビや伊勢エビを食べたのだけど、この値段ならこれくらいだよなあ・・・という気分になってしまったので、今回は手頃な値段の宿にして、眺めだけにこだわってみた。
浜島の町の外れにある宿は、部屋から海が臨めて夕陽をゆっくりと眺めることができる。志摩に来て驚くことは、周りに全然民家がないことだろうか。
今まで、様々な海沿いの宿に泊まったことがあるけど、寒い時期の志摩はかなり狙い目だと思う。紀伊半島が実はとても大きな半島なので、志摩まで来ること自体、時間がかかるから人も少ないのかもしれない。
海は青く、どこまでも澄んでいる。
名古屋からも京都からも大阪からも近いのに、こんなに綺麗な海があるなんて、ちょっと驚きだった。
ここ数日、寒波の影響で空気がひんやりとして冷たく、そんな時に入る熱い温泉のなんと贅沢なことだろうか。露天風呂でのんびりとして、風呂上がりのお酒を飲んで、この上ない幸福を感じた。

神宮へ。

五十鈴川

伊勢神宮に来たのは、前の恋人と訪れて以来だから、かれこれ15年ぶりくらいだろうか。
大きくは外宮と内宮に分かれ、125の社からなる伊勢神宮の正式名称は、地名などつかない『神宮』だ。
参拝は、外宮→内宮の順番で行うものであり、伊勢市駅から歩いてすぐの外宮へ入っていくと、すぐにここが他の神社とは一線を画すことがわかる。
一言で言うと、『清々しい』のだ。
外宮からはバスで内宮に向かい、宇治橋を渡りながら透き通った五十鈴川を眺める。深呼吸をすると、「ああ、久しぶりに神宮に来たなあ…」と思う。濃い檜のような、森林の匂いが一帯を覆っているのだ。
時間のない時は、正宮だけ参拝するしかないのだけど、出来れば、周りにある別宮も参拝するといいと思う。荒祭宮、風日祈宮など、1300年以上も前から人々が祈りを捧げてきたのには理由があるのだろう。
僕が神宮の好きなところは、格式が高いとか、荘厳な雰囲気というよりは、とても親しみやすさを感じるからかもしれない。そして、神宮を後にするときは、なんとも言えず気持ちよくなっているからだろう。
できれば来年も節分までにお参りをして、清々しい気持ちで新しい年を迎えたい。

2015年の旅。

今年もいろいろな町へ旅をした。
いつか、水戸黄門になりたい僕としては、かなり楽しい1年だったように思う。
新年明けの大阪旅行から始まって、年末の大阪で終わったのはちょっと意外だった。
福岡 6回
大阪 5回
八日市 3回
宮島2回
大分 2回
京都 2回
金沢 1回
沖縄 1回
天草 1回
ニューヨーク 1回
トロント1回
ポートランド 1回
コペンハーゲン 1回
旅をして、見たこともない景色を見て、その土地の料理に出会い、人に出会う。
これほど楽しいことがあるだろうか。
来年も、日本中、そして、世界を駆け回りたいと思う。
今年、お話できたすべての方々に感謝している。
ありがとうございました。
新しい年にも、みなさんの笑顔が溢れますように。

恐るべし、永観堂。

京都は、それこそ町中のいたるところに紅葉の名所がある。そんな中で、限られた時間でいったいどこに行くか。
もともと決めていたのは、嵯峨野の『二尊院』と『常寂光寺』。この二つも素晴らしかったのだけど、もう一箇所、ここぞというところにも行きたい…。
今年のJR東海の「そうだ 京都 いこう」キャンペーンは、『北野天満宮』が使われていた。タクシーに乗って北野天満宮の紅葉はどうかと聞くと、運転手さんは、「今年の北野天満宮は、あまりよくないみたいですね〜」との返事が返ってきた。
ホテルのコンシェルジェに問い合わせると、「妙心寺」もいいみたいですが、「紅葉の永観堂という言葉が古今集にあるほど、永観堂はおすすめでございます」という返事がかえってきた。
最後の日にKと二人、東山のたもとの永観堂へ。中に入る時に、拝観料にまずは驚かされた。だって、1000円なのだ。
「ひとり千円は、高過ぎるね…」と文句を言いながら、中へ入ると…
あまりの紅葉の群れを目の前にして言葉を失った…。
見渡す限り、どこもかしこも紅葉なのだ。
いったい昔の人は、この光景を計算して作ったのだろうか…、緑っぽい紅葉から、真っ赤な紅葉まで様々な色彩が縦横無尽に織り成す光景に、しばし言葉を失った。
この時期に、『永観堂』の紅葉を見られる幸福。
それを思うと、千円など高くはないと思ったのです。

保津川下り。

よくしゃべる船頭さん

トロッコ列車

おでんや焼きイカを舟の上で食べられる

京都で丸々1日あるので、L&Jカップルと4人でどこに行こうかと、ずっと前から思い悩んでいた。
京都には、桜の名所と同じように、紅葉の名所が町中の至る所にあるからだ。
せっかくシンガポールから京都に来たのだから、「ああ、やっぱり京都と言うのは別格だなあ…」というくらいの感想を持ってシンガポールに帰って欲しいじゃないですか。
そこで、散々悩んだ挙句、レンタカーを借りて嵯峨野に行くことに決めた。嵯峨野には電車でも行けるのだけど、彼らの王様体質とその後の行動を考えて車での移動にした。
タクシーの運転手さんからは、絶対に10時半までに入ってくださいと言われていた。嵯峨野へ向かう道が、ところどころ土日は規制が入るらしいのだ。
JR嵐山嵯峨野駅のそばに車を止めて、今度はトロッコ列車の長蛇の列を横目に亀岡まで向う。亀岡駅からは歩いて10分くらいで船の乗り場が見えてくる。
用紙を記入してひとり4100円払って少し待つと、番号が呼ばれて舟へ。亀岡から嵐山まで、およそ2時間をかけて川を下ることが出来るのだ。
四人掛けの二列目の席に座り、いざ、出発すると、船頭さんがところどころで面白おかしく解説をしてくれる。
急流では歓声が上がり、遠くの山々を臨みながら、愛宕山の解説が入る。
舟は川底の石に時々あたりながら、岩岩に囲まれた細い流れの中を舵を切ってすり抜けて行く。
山々は、例年よりはよくない紅葉とはいえ、晴れ渡る空に黄色や赤の紅葉が鮮明に燃えているように見えて美しい。
途中、猿が水遊びをしているところでは、LもJも歓声を上げた。
渡月橋の船着き場に着く前には、おでんや焼きイカを舟の上で買って食べられるサービスもあって、彼らも堪能してくれたようだ。
その後、竹下通りかと見紛う人をかき分けて、常寂光寺、二尊院へ行き、美しい京都ならではの紅葉を目に焼き付けた。
冬は寒いので屋根やカバーをつけるらしいが、保津川下りは春から秋が最高に楽しめると思う。
★保津川下りhttp://www.hozugawakudari.jp

我愛台湾。

Goldfishにて、Tommyの撮ったパレードの写真を見ながら…

道を歩いていると、八角が混じったようなアジアな匂いがどこからかしてくる。
大勢での食事は、みんなの顔の見える円卓で行う。急に後から予定外に人が増えたって、詰めれば大丈夫。大丈夫。
待ち合わせをすると、大抵遅れてくるし、こちらが遅れても全然気にしていない様子。
台湾に来ると、台湾人の友人たちからメッセージがたくさん入る。短い滞在であろうとどこかで会いたいと。
台湾人の多くは、日本人と違って感情が剥き出しで、おおらかで、ざっくりと懐深いように思う。
飛行機が台湾に着いて、一歩外に出るとちょっとホッとする。
たとえお財布やカードを忘れて来たとしても、台湾ならばなんとかなると思える。これは、ソウルや北京や上海なんかでは決して感じられないもの。
短い滞在を終えて日本に帰る時にいつも、今度はいつ台湾に来られるんだろう…と思うのだ。
謝謝!
再見!

天草のあたたかさ。

初日に行った『奴寿司http://s.tabelog.com/kumamoto/A4305/A430501/43001204/』の大将は、カウンターに座った4歳くらいの女の子を、自分の孫のようにやさしく相手をしながらお寿司を握ってあげていた。
高倉健も贔屓にしていたという、『明月http://s.tabelog.com/kumamoto/A4305/A430501/43005546/』という天草ちゃんぽんのお店に到着するものの、結局この日はお店が開かないと知る。
「先ほど13時から開くとお電話では聞いたのですが…」と、出前中のお店のおじいさんに言うと、「今日は出前だけでいっぱいいっぱいなもんで、お店は出来ないんですよ」とのこと。
そんな返事でも、そのおじいさんがとても誠実に答えてくれたので、また今度来たいなあと思えたのだった。
近場に天草ちゃんぽんのお店はないものかと探し、天草ちゃんぽん札所参という『かどや食堂http://tabelog.com/kumamoto/A4305/A430501/43009385/
』に向かった。
食堂に入ると、おじいさんとおばあさんが座っていて、他におばあさんがふたり、定食を食べているところだった。このおじいさんとおばあさんはお店の人で、駐車場を探す僕を見るなり、ニコニコニコニコしている。
ちゃんぽんを頼むと、しばらくしたのち野菜たっぷりの天草ちゃんぽんが出て来た。このちゃんぽんが思いのほか美味しくて、帰りにまたキッチンを覗いて「ご馳走様!」と声をかけると、またしてもおじいさんとおばあさんはニコニコして外に出て来るのだ。
この店はきっと、過疎化が進んだ天草の町で暮らす老人たちが食事をしに来ては、おしゃべりをしてゆく店なのだろう。
夜に行った『福伸はなれ利久http://s.tabelog.com/kumamoto/A4305/A430501/43008236/』は、有名な『福伸』の支店で、手軽な値段で天草の海の幸と天草大王などの鳥も食べることが出来る。
お料理を運んでくれる若い女の子がとても感じがよくて、「頭が本当に小さくて、まるでモデルさんみたいだね」と褒めると、顔を真っ赤にしてはにかんだ。
天草の最終日の朝に、朝ごはんを持ってきた宿のおばさんは、お料理を運びながら、「今日でおかえりですねえ…寂しいですねえ…」と、ポツリと言った。
このおばさんとも、挨拶とちょっとした会話をしただけなのだけど、そんな言葉お世辞なのかもしれないけど、なんだかちょっとうれしくなった。
旅には、名所を回ったり、美味しいものを食べたり、はじめての経験をしたり、様々な楽しみがある。
今、東京に帰ってきて天草のことを懐かしく思うのは、天草で出会った人たちのこと。
今でも彼らの笑顔を思い出すだけで、温かくなる。

イルカに会いに、天草へ。

小さな頃から夢見ていたことは、いつかクジラを見にいくことだった。
未だクジラは見ることは出来ないのだけど、天草では野生のイルカを見ることが出来るというので、今回、天草へ来たのだ。
天草は、小さな島が沢山あり、暖かな対馬海流の影響を受け亜熱帯。美しく穏やかな海は、起伏に富んだ海底があり、豊かな生態系を築き上げている。
そしてこの天草には、およそ200頭ものミナミハンドウイルカがいくつかの群れをなして生息している。
予約していた受付に行くと、初日は天気が良いのに海が少し荒れていて白波が立っていた。受付の人曰く、
「もし、こちらにお泊まりなら、明日の方が海が穏やかなので、明日いらした方がいいかもしれません。海が荒れていると、船酔いしてイルカどころではなくなってしまうので…」と言う。
小さな頃から車に酔いやすい僕は、「それじゃあ、明日の朝にします。イルカを見に来たのであって、撒き餌を撒きにきたわけではありませんから…」
翌日、海は凪ぎ、空はどこまでも青かった。
静かな海に出るとすぐに、遠くにイルカの群れが見え隠れし始めた。
船は、あっという間にイルカの群れに近づき、イルカたちは僕たちが来ても気ままに泳いでいる。
しばらくすると、イルカは示し合わせたように水面から消えていなくなり静かになった。
船は、留まり、辺りをみんなで暫く見回していると、ほんの少ししたあとに、また少し遠くでイルカは水面に飛び出して来た。
船はイルカに向かってまた一気に近づいてゆく。
思わず船の真横にイルカが顔を出すこともある。イルカは人間を恐れているというよりは、人間と一緒に泳ぎながら遊んでいるといった感じなのだ。
イルカと人間のやり取りを見ていると、かくれんぼをしているように思えてくる。
歓声をあげながらイルカと戯れ、はじめてイルカをかわいいと思った。
イルカから見たらきっと、
世界には海が果てしなくあって、遠くにほんの少し陸地があって、そこに人間という動物が暮らしているだけなのだろう。