Bridge7周年パーティー。

アナと雪の女王のエスムラルダ

僕のホームバーであるBridgeが、7周年を迎えた。10時、12時、2時と、スタッフ、エスムラルダ、まさや君によるパフォーマンスが繰り広げられた。
エスムラルダのパフォーマンスは、新宿二丁目ならではの安っぽさが満載で、いつも「本当にくだらないなあ…」と思いながらも笑ってしまう。また、プロの音楽家であるまさや君の歌は、胸に迫るものがあった。
そしていつも感心させられるのは、スタッフたちのパフォーマンスだ。昼間の仕事を持ちながら、きっと一生懸命練習したのだろうなあと思うと、かわいくて仕方がない。
Bridgeの7周年の歴史は、そのまま僕自身の、恋愛の喪失から再生への歴史に重なっている。
楽しい時は、ともに笑い。一人では立っていられないような時も、Bridgeの友人たちが支え続けてくれた日々がある。
Bridge7周年、おめでとう!
そして、ありがとう。

幸せなゲイ。

ぺんぺん草のひろしさんの言う芝居がかったセリフに、
「幸せなゲイを連れてきてくれたら、陽気な死体を見せてあげるわっ」
というような言葉があるのだけど(ちょっと違うかもしれないけどだいたいこんな感じ)、昔からゲイは、『決して幸せになれない人たち』あるいは、『どこか幸せでない人たち』なのだと、2丁目のゲイ自身に思われていたのだろう。
先日Bridgeで飲んでいたら、隣につきあって24年だというカップルが座った。
彼らには時々Bridgeで偶然会うことが今までにもあったのだけど、59歳と58歳のカップルでありながら、いつ見ても熱々で、時々ふたりで顔を見合わせたかと思うとキスをするのだ。それも何度も。
もしかしたらひとりがハワイ出身ということもあるのかもしれないけど、なんとも自然にお互いのことを愛おしく感じているのが伝わってくる。
彼らはその昔、千駄ヶ谷の東京体育館で偶然出逢い(偶然ということにしておこう)、その1週間後にまた同じ場所で出会いキスをして、そのまた1週間後に同じ場所で会った時には、つきあうことにしたそうだ。
ふたりはそんな話を僕たちにしながら、僕とKの顔を見て、「ふたりとも幸せそうな顔をしてる」と言った。
ひとりは高齢のお母様の面倒を見ていて、ふたりで一緒に住むことは叶わないのだけど、ふたりで過ごせる時間は、とてつもなく幸福な時間なのだと言うのだ。
彼らの話を聞きながら、ぺんぺん草に、彼らを連れて行ったら面白いだろうな…と考えていた。ひろしさんに向かって、
「さあ、ひろしさん、陽気な死体を連れて来てちょうだい!」って言うのだ。

ふたりで暮らすこと。

箱根

僕とKがつきあいはじめてから、間もなく2年が過ぎるのだけど、先日ふとKが、「東京に行こうかな?」とつぶやいたことがあった。
僕は、どうせ冗談だろうと聞き流していた。末っ子のKが東京に来ることは、お母さんたちが寂しがるだろうし、仕事を東京に移すことも簡単ではないように思っていたから。
でも、今回、また同じ話が出た。Kが東京に来るか。僕が大分に行くか…。(大分の場合は、僕は掃除のおばちゃんだ…)
初秋の好天に恵まれた日、箱根に日帰りで行って来た。
前につきあっていた人とは、箱根はたまに車で行ったのだけど、今はロマンスカーで行って、箱根湯本からはバスで移動した。
美しい箱根の山や川を見ながら、こんな田舎で生活するのはどんな毎日なのだろう…と考えていた。
僕が今、仕事に疲弊しているからかもしれないけど、東京ではないどこか田舎の町で暮らすことに魅力を感じてしまう。
田舎で暮らすことに不安はある。僕は東京生まれ東京育ちだし、都会の便利さに慣れ過ぎているから。伊勢丹や映画館がないと気が変になってしまうのではないか…とか。
天山の温泉に久しぶりに行ったら、昔のようにゲイはいなくなっていた。入る時に小さなタオルを買ったのだけど、出る時にKがタオルを持って帰ると言う。
僕は、名前の入ったタオルなんか家に置かない主義なのだけど、Kは大事そうにタオルを持ち帰り、洗濯をして、こっそりと僕の白だけのタオルの中にその温泉タオルを忍ばせて帰ったようだ。
Kがいなくなった家で、文字の入った白い温泉タオルを見たら、なんだかとてもKに会いたくなった。
もしKとふたりで暮らすなんてことになったら、僕の家はこんなタオルであふれかえるのだろう…。

やさしい言葉。

このところ、珍しく仕事で心身ともに疲れきっていた。
Kが帰る最後の日の朝、Kがまた大分に帰ってしまう寂しさを感じながら、僕はなかなかベッドから出られなくて、色々なことをつぶやいていた。
「何もかも捨てて、田舎で暮らしたい…」
「東京の暮らしに疲れた…」
Kは、隣で心配そうに僕を抱きしめていた。そして僕の顔を覗き込みながら、
「大丈夫?ただしくん?」
「疲れちゃったの?」と聞いてくる。
僕が、「この年で会社やめたら、どこにも働き口ないだろうな…」と言うと、Kはすかさず、
「大分に来たらいいよ。僕の家で一緒に暮らせばいいよ。」と言った。
僕が、「この年で自分のやってきたこと以外なんにも出来ないけど、選ばなければ大分でも仕事はあるかな?」と言うとKは、
「ただしくんは、どこかで掃除のおばちゃんやればいいじゃん。そしたら二人で大分で暮らせるよ」
いったいどこから掃除のおばちゃんが出て来たのかはわからないけれども、そんな言葉に朝から涙がじんわりと溢れたのでした。

夜、ふたりで眠る時に。

腕枕は、昔から苦手だった。
している方も、されている方も気をつかうことになるから。
前に10年間つきあった人と寝ていた時は、彼が真ん中で大の字になってすぐに寝てしまい、その寝息を聞きながら、僕が彼の左側でやっと寝るような感じだった。それは、一つのスペースに、ふたりが静かに並んで眠るような感じ。
今つきあっているKは眠る時に、僕に絡みついてくる。それはまるで、会えない時間を取り戻すために、なんとか一つになろうとでもするかのようだ。
僕は右端に仰向けでいて、真ん中にKが僕の方を向いたまま左手を僕に回すか、左手と僕の左手をきちんと重ね合わせて眠る時もある。おまけに左脚がガバッと僕に乗っかってくる。前にここに書いたけど、『肘攻撃』というのもある。
つきあいはじめの頃は、そんな寝方がとても難しく、どうやったら眠ることが出来るのか、毎回試すようなことをしていた。それが、つきあって間もなく2年になろうとする今、もはや寝方のことを気にすることはなくなった。
僕がKの様々な攻撃を、受け入れるようになったのだと思う。それもごく自然に。
自分独自の習慣やスタイルがたとえ確立していたとしても、人は、つきあう相手によって、いかようにも変われるのだろう。

大阪弁。

SHIFTの松茸ご飯。

夜の新幹線で大阪に来た。
新大阪に着いたのが9時だったので美味しそうな店は諦めて、ホテルにチェックインした後、堂山の『SHIFT』へ。
お通しはチーズを選んで、マスターのひろしさんに、「ごはん食べてないの…」と甘えると、「松茸ご飯食べる?自分のために作ったんだけど…」という言葉が。
喜んでばくばく食べて、「ゲイバーで、松茸ご飯なんてはじめて食べた!」と言ったら、はにかんだようなかわいい顔になった。
その後、『RELAX』でichiくんを、独り占めして騒いでいたのだけど、最近ちょくちょく来る大阪で、なんだか居心地のよさを感じているのは、僕が大阪弁が好きだからかもしれない。
セックスの時に、相手が大阪弁や博多弁だとアガると言う人がいるのもなんとなく頷けてしまう…^^;

ペンキの剥げた後の私。

なんの芝居だかは忘れてしまったけど、二丁目のぺんぺん草のひろしさんがたまに言う台詞で、
「私が欲しいのは、ペンキの剥げた後の私を、やさしく包んでくれる人…」
と言うのがある。(ぺんぺん草は、芝居好きのマスターがやっているせいか、いつもこんな馬鹿げた芝居の台詞のような言葉が飛び交っているイカれた店なのだ)
僕は時々、そんな芝居がかった台詞を思い出すことがある。
あなたにとって、『ペンキの剥げた後の私をやさしく包んでくれる人』はいるだろうか?
自分が調子のいい時は、周りには人が溢れているものだ。でも、もしもボロボロになって、自尊心も打ち砕かれ、すべてを失ってしまった時に、それでもそばにいて守ってくれる人はいるだろうか?
それはきっと、親のような愛だろう。そして人によっては、恋人の愛や、友情かもしれない。
そんな人がいることは、なんてありがたいことだろうか。
そして、誰かのペンキが剥がれた時に、黙ってそばにいることが出来るような人間になりたいと思う。

TAQ

TAQに誕生日にもらったプレゼント

ここでも何度か取り上げていたのだけど、MoCAで開催されていたTAQの個展が終わった。6週間という長い会期の中、様々な人が観に来てくださり素晴らしい展覧会になった。
TAQは、新宿3丁目にあるTAQ’S KNOT という店のマスターなのだけど、その店には、僕がまだ学生の時から通っている。
通い始めの頃は、カズさんというちょっと変わった感じのTAQのパートナーもいて、どちらかというと僕はカズさんに色々話しかけてもらったりしていたのだけど、カズさんが若くして亡くなり、激動の人生をTAQは通り過ぎて来た。
その後、ゲンちゃんというパートナーが出来て、僕はゲンちゃんとも仲良くなって、当時僕がつきあっていた恋人と4人で、温泉旅行に行ったこともある。
TAQのおばさまであり女優の、故『大塚道子』さんもよくTAQ’S KNOTに訪れていて、時々僕が表までタクシーを停めに行ったりしたものだ。個人タクシーを停めようとすると、「わたくし、個人は嫌いなんですよ。本当に生意気なんですから…」と言っていた(笑)
TAQは、類稀な頭の良さと、驚くほどの好奇心を持って作品を作り続けているアーティストであり、ゲイの世界において、はじめてパートナーシップの素晴らしさをみんなに伝えようとした人ではないだろうか。
TAQ’S KNOTを通して、様々な人たちが巣立って行き活躍の場を広げ、今のゲイ文化を作り出していると言っても過言ではないくらい、多くの人がTAQの店に関わり影響を受けている。
僕は、多摩美術大学の後輩ということもあり、本当によく可愛がってもらった。TAQは、僕にとってお母さんのような人だ。
ゲイが苦労して勝ち取って来た権利を教えてもらったのもTAQだし、ゲイとしていかに楽しく生きてゆくかを考えさせられたのもTAQだし、誰かとつきあってゆくことの価値を教えてもらったのもTAQだ。
個展の会期中は、イロドリでやっていたこともあり、何度も足を運んだのだけど、最終日になって統計を取ったら、500人以上の人が来場して下さったようでTAQも喜んでいたし、僕自身とても嬉しかった。
これから先のTAQの活動は僕にはわからないけど、僕はTAQの意志を少なからず受け継ぎ、次の世代に伝えていけたらいいなあと今は考えている。

何気ない日常の風景。

誰かとつきあっていると、何気ない日常の風景にその人を感じることがある。時々そんな風景を思い出して、温かい気持ちになるものだ。
Kは病院で検査技師をしているので、濡れたままになったものなどは細菌の温床だと言って我慢出来ないようだ。だから、洗面所やお風呂のものは、すべて不思議な感じで上に浮いている。
コンタクトケースやコンタクトの洗浄液が入ったボトルは、下にキッチンペーパーが綺麗に折りたたまれて敷いてある。ハンドソープはS字型のフックに吊るされているし、シャンプーやリンスは金属の脚のついたものの上に置かれている。
Kは、僕と違って堅実で無駄遣いをしないので、頂き物のタオルを大切に使っている。
それも、擦り切れるくらいに使い込まれていて、そんなタオルが綺麗に折りたたまれているところを思い出すとせつなくなる。
洗濯物は、痛むことを気にして丁寧にネットに入れるし、すべて裏返して綺麗に干してある。
お風呂から上がる時に、バスタオルで身体をざっと拭いて上がろうとする僕に、脚の裏まで拭くように怒って、風呂のドアをピシャリと閉めてしまう。僕は身体を拭きながら、宙に浮いたシャンプーなどを見ている。
僕がKの家の風景を色々と思い出すのは、もしかしたら離れて暮らしているからかもしれない。
Kの洗面所には、二人で宮崎の海で買った綺麗な巻き貝がちょっこり置いてあって、その貝を見るたびに、宮崎の海での楽しかった旅を思い出す。
僕の家の洗面所にも、同じ巻き貝が置いてあって、その巻き貝を見ると、Kも同じようにこの貝を見ているだろうかと考える。

秋の風。

僕には、娘がいる。
このブログにも何度か登場している28歳の台湾人で、日本の大学院を卒業して今年の春から日本の大手企業に就職したゲイの娘Ke。
Keは、笑うと目が無くなってしまうような顔で、この上なくやさしい性格。そのくせ自分の信念は曲げない強い精神力を持っている。
Keのお母さんは彼が若い時に病いでお亡くなりになり、お父さんは台湾ではなく海外に単身赴任、妹さんが一人台北に暮らしている。(僕が、Keを娘と呼んでいるのは、もしもの時の緊急連絡先になっているから)
僕は、Keと時々一緒にご飯を食べたり、映画を観たり、お酒を飲んだりしている。色々な話をして、一緒に台湾料理を食べに行ったり、火鍋を食べたり、台湾スイーツを食べに行って、美味しい!美味しい!と楽しい時間を過ごして来た。
数週間前に、僕が飲んでいる横に、偶然Keがやって来て、友達と一緒に座った。僕はそのKeの友達に、前にパーティーで会ったことがあった。色々話しているうちに、僕が酔っ払ってその友達に、「かわいいね!」と言った時にKeは、「もう!お母さん、やめて!」と言われた…。
その後、Keと食事をした時に、彼のことがなんとも気になると聞かされた。僕は、ただの友達だと思っていたので驚いたのだけど、その後ふたりは、めでたくつきあうことになったのだ。
それを聞いて、娘のめでたい旅立ちを喜ぶ半面、なんだか僕の心にせつない風が吹き抜けた。
「なんだ…Keはもう、俺のKeではなくなっちゃったんだ…」
(今思うと、随分うざい発言…)そんなことをKeとLINEでやりとりしているうちに、なんだかKeもせつなくなってしまったようで、僕も自分でも大人気ないないなあ…などと思いながら寂しさを抱えていた。そしてしばらく色々考えたのちに、LINEで返信した。
「恋人は、いつか別れることがあっても、親子はずっと、親子です。」
我ながら、よくある安いコピーのような気もするけど、自分の気持ちを言い得ているようで悦に入っていた…。
Keも、(きっと、しょうがないなあお母さん…なんて思いながら)、
「泣きそうになるよ。お母さん!」と返信が来た…。
せつない秋の風が吹いています…