恋という奇跡。

年をとると、なかなか恋もしなくなるのではないだろうか。
僕も、前の恋人と別れた時は39歳で、その後誰かを好きになることなどあるのだろうか…と思っていたし、40歳を過ぎて、こんなおっさんを相手にしてくれる人などいるのだろうか…と思っていた。
傷つくのが怖いし、ふたりの関係を作りあげてゆくこともエネルギーがいるのも知っているし、別れも酷い力仕事だし…恋愛に踏み出せずにいる気持ちはとてもよくわかる。ひとりで生きていた方がずっとラクに思えるから。
僕と同世代である友人のXが、若い子に恋をした。
しかも、Xは今までずっと『ブス専』という名を欲しいままにして来たのに、今回の若い子ちゃんはどういうわけだかイケメンで、その方向転換に周りは驚きを隠せなかった…。
Xは、前のつきあいが終わってから13年間もひとりで生きて来たようだ。もちろん、時々色々な出会いはあったものの、僕が知っているここ8年くらいの中では、つまみ食い程度のつきあいしかしていなかったように思う。それが珍しくときめいているようで、目がハートマークになっているのだ。
X「ただしちゃん。Kちゃんとつきあいだした頃、仕事や毎日がやる気マンマンではかどらなかった?」
僕「あんまり覚えてないけど…恋をすると毎日が輝き出すんだよね…」
40歳を過ぎたとしても、人は誰かに恋をするようだ。そしてそれは突然やってくる。
恋愛は、はじまってみないとわからないし、三ヶ月を過ぎる頃どうなっているのか、この先Xたちがどんな関係になってゆくのか、それはふたり次第だし誰にもわからない。
それでも一つ言えることは、今のふたりの輝くような毎日は、人生の中の奇跡のようなものだということ。
恋愛の渦中にいる時は、ジェットコースターのような毎日を思いきり楽しんだ方がいい。
たとえ今回の恋愛が形を変えたとしても、膨らんだり縮んだりしながら、ときめいたこころは、きっと次の恋愛につながってゆく。

ゲンちゃん。

ゲンちゃんがお店をやめて、13年くらい経っただろうか。
ある時期ゲンちゃんのお店は二丁目では飛ぶ鳥落とす勢いのあるお店だった。新千鳥街にある小さな店にはガチムチの男たちが溢れ、ゲンちゃんは身体を鍛え、時にはハーネスを身につけてお店に立つ日もあった。
トイレには、海外のゲイ雑誌を切り取ったエロい写真が貼りつけられていて、トイレに行くと帰ってくるのに時間がかかった。
ゲンちゃんは、ある日突然倒れた。大きな病気だったのだ。飲み過ぎていたのかもしれないし、ストレスも極限に溜まっていたのかもしれない。その後、ゲンちゃんは仕事をすっぱりと辞めて、隠遁生活と言ってもいいような静かに暮らす日々を送っていた。
久しぶりに会ったゲンちゃんは、身体を鍛えていて、高級なスーツに身を包み、とても元気そうに見えた。間も無くもう一度お店をオープンさせるらしい。
「前の恋人とも昨年末に別れて、自分も身体を鍛えはじめて、次のステージに動いて来た感じがするんだ」
そんな風に話すゲンちゃんは、新しいことに挑戦する期待に胸を膨らませていた。
昔、僕が長くつきあっていたMと一緒に修善寺や京都に旅行した話をした。Mが亡くなったことを先日知らせた時にも、やさしいメールをもらっていたのだ。
人生とは、本当に先の読めないものだと思う。身体を壊し、もう二度とお店に立つことはないと思っていたゲンちゃんが、もう一度お店をオープンするのだ。
ワクワクするような笑顔を見ながら、僕もとてもうれしくて、何度も乾杯を交わした。

味方。

46歳にもなるのに、時々、仕事の忙しさと重圧に疲弊することがある。
連休期間中、なるべくKと過ごすためにプライベートを優先していたのだけど、あまりの仕事メールの多さに僕自身くたびれてしまい、しまいには夜中にクライアントから無理難題のメールが来て酷く落ち込んでいた。
朝になって、僕はなんだか起き上がる気力もなく、ベッドの中でKにしばらく愚痴を言っていた。
僕「年をとったら、もっとラクになるのかと思ってたんだけど、いくつになってももっと大きな問題が降りかかってくるし、働いても働いてもラクにならない…もう、仕事早くやめたいなあ…」
K「ただしくんの会社、早死にだって聞いたよ。もう、会社辞めちゃった方がいいよ」
僕「え?」
K「大分で掃除のおばちゃんやってもいいし、お母さんの家で暮らしたっていいんだから…もう、会社なんてやめてあげて!」
僕の会社の平均寿命が50代だったことを知り、Kは本気で僕のことを心配しているようだ。ストレスで僕が押し潰されてしまうのではないかと、この頃いつも心配してくれる。
ベッドで弱音を吐いてばかりの僕を、後ろからずっと抱きしめながら、僕に早く会社をやめろと言うKの声を聞いていたら、なんだかちょっとかわいくて元気が出てきた。
本当に辛い時に、どんなことがあっても味方でい続けてくれる人がいることは、なんて幸せなことだろうか。
いくつになっても僕は、こんな風に誰かに支えられながら、なんとか生きているのだ。

ゴールデンウイークのはじまり。

息をつく暇もなかったこの3ヶ月間あまり。パレードがやっと終わったと思ったら、珍しく風邪をひいた。それでもハードな出張をこなし、いつしか風邪もどこかへ飛んでゆき、大分からKが病院の仕事の後、羽田に来る日に。
イタリア映画祭の最終回をキャンセルして、羽田空港に向かう。本当は、羽田空港から新宿か外苑前まで電車で来てくれたらラクなのだけど、僕が迎えに行くことが、Kにはうれしいようだ。
30日に来て、3日までしかいられないKを思うと、できる限り一緒にいてあげたいと思う。
本当は、撮影が2日3日4日のどこかに入ることになっていたのだけど、天気のことを考えながら散々迷った挙句、僕の一存で撮影を4日にずらしたのだ。
もし、3日に撮影をしたら、最後の日はほとんどKの相手をすることが出来なくなってしまう。せっかく大分から飛行機のチケットを買って僕に会いに来てくれたのだ、周りには申し訳ないけど、僕のプライベートを優先させてもらった。
朝から、お米を精米して、サンマの干物を焼いて、明太子と納豆、九条葱の味噌汁、白米を土鍋で炊いて朝ごはん。
みんなにとっては当たり前の朝食さえ、僕たちにとっては、幸福な朝の時間だと思える。
洗濯をすると、Kが張り切って干してくれて、僕が植物に水をあげる…。
ごはんを食べたらKは眠くなったようで、今はソファーですやすや眠りはじめた。
特に何もスペシャルなことはないのだけど、こんなことが、僕にとっては幸せなのだと、改めて思ったのでした。

カミングアウトの行方。

3月最終日の渋谷区『同性パートナーシップ条例』が決まったニュースにより、思いがけず沢山の新聞やテレビに出てしまって、僕としては予期せぬ華やかなカミングアウトとなってしまった。
その後、会社で何か言われるかな?と思いながらも2週間が過ぎたのだけど、一つあったのは、美容院で、「テレビ見ましたよ!よかったですね!」と、美容師さんに言われたことくらいだ。
それにしても、あれだけの媒体に出て、ゲイの友人たちからは反響があったのに、会社ではまるで何事もなかったようなのはどうしてなのだろうか?
一つは、前にも書いたように、仕事場の人のセクシュアリティなど、特に自分には関係ないと思っているのかもしれないのと、「テレビ見ましたよ!実はゲイだったんですね!」などとは、さすがに本人には言いにくいのかもしれない。
そう思いながらも、入社以来、一番一緒に過ごしてきたコピーライターIがこの2週間顔を出さないのは、やはりテレビを見て、僕に近づきたくないと思っているのかもな…と思っていた矢先、会社のゲートでばったり会った。
Iは、今までと何も変わらず僕に話しかけて来て、最近の仕事のことなんかを立ち話しながら「またランチ行きましょう!」と言いながら去って行った。
僕は、勝手にカミングアウト後の会社での影響を色々妄想していたのだけど、あまりのリアクションのなさになんだか拍子抜けしてしまった。そしてそんな一部始終をKにLINEを入れた。「なんで、誰も何も僕に言わないのかな?」と。するとKは、
「ただしくんは、自分では周りに気づかれていないと勝手に思っているだけで、周りはもうずっと前から知っているんじゃない?
だって、どこからどう見ても丸わかりだもん」
小さなカミングアウトは、仕事場でもしていたのだけど、あれだけ華やかにカミングアウトされると、もう疑う余地もないから意外と周りの反応はこんなものなのかもしれない。
そう思いながらも、いつか誰かが何か言ってくるのではないかと、今はすでにそれが楽しみになっている。

まっちゃん

二丁目の老舗ゲイバー『九州男』に、まっちゃんに会いに行った。
まっちゃんは、OUT IN JAPANの撮影に参加してくれたので、カミングアウトにまつわる思い出を書いてもらうためだ。(間も無くOUT IN JAPANのWEBが立ち上がるので、楽しみにしていてください)
『九州男』は、30年以上になる老舗。まっちゃんは、67歳。それでももう、35年以上、ほとんど毎日の出来事をメモにして書き留めている。昔は手で紙に書いていたようだけど、今はiPhoneの中のメモに書き留めていた。
僕「まっちゃん、フレディ・マーキュリーと出来たの、いつだっけ?」
まっちゃん「あれは、19◯◯年5月11日!」
Queenのフレディ・マーキュリーは、その翌年にもまた、まっちゃんに会いに来たそうだ。お店には、その当時のフレディ・マーキュリーが、まっちゃんと肩を並べてこちらを見ている写真が飾ってある。
まっちゃんを見ていると、67歳になった今でもなんとも言えずかわいいし、若い頃はとてもモテたというのも頷ける。(巨根だというまことしやかな噂もあるのだが、確かめたことはない…笑)
みんな年をとる。僕もあなたも。そしてそれは、ほんの少し僕たちにとって、不安なことでもある。
でも、こうしてまっちゃんを見ていると、幸せそうに年をとる人もいるのだとなんだか温かい気持ちになれる。

フランス人と日本人のゲイカップル。

ホワイトアスパラガス

トルテッローネ。Nが鴨を分けてくれた。

フランス人のXと日本人のYは、つきあいだして14年になるゲイカップル。今月の頭にXの故郷に行き、親戚や友人を集めて結婚式を挙げたばかり。Xから連絡があり三人でエミリアでランチをした。
結婚式では、有名なビアンのミュージシャンがギターで歌ってくれた曲が素晴らしかったと、その時のシーンを思い出して熱くなるX。Yはフランス語がわからないので、結婚式の一部始終を、Xの弟さんが横で英語に通訳をしてくれたそうだ。
フランスでは、昨年同性婚を認めはじめたようで、ヨーロッパの中では少し遅い方かもしれない。(ちなみにイタリアはまだだ)
ふたりはずっと一緒にいられたわけではなくて、Xが大使館の仕事で台北Yが東京、Xが東京勤務になるとYがアメリカ勤務になるというように、14年のうちの11年間くらいは、遠距離でつきあいを続けていたようだ。
今は一緒に暮らし始めて3年。生活習慣の違いから小さな喧嘩をすることはあるけれども、もう、二度と離れて暮らすことは考えられないという。
薬指に同じ指輪をしながら幸せそうなふたりを見ていると、こちらまで幸せな気持ちになる。
ふたりは、ゆくゆく子どもを育てたいとも考えている。そして、ゲイカップルが子どもを持つことについて、様々なところから情報を取り寄せている。
でも、先のことを話し出すと、ふたりの顔がちょっと曇った。
X「日本に11年もいたから、私は今度、転勤をしなければならない時期なのです。ニューヨークかロンドンかデュッセルドルフに…」
Y「いつまでもこの状態は続けられないとはわかっているので、いつか、僕が仕事を諦めて、彼について行こうと思っているのです。どちらかならば、僕の仕事を犠牲にした方がいいので…」
僕は、僕が以前10年間つきあったけど、亡くなってしまったNのことや、今のKのことなんかを話した。XとYは、Nの話を聞きながら、ちょっと涙ぐんでいた。
僕「なるべくふたりが一緒にいた方がいいと思いますよ。人生は一度きりしかないのだから、こんなに愛し合っているのだから、これからも少しでも一緒に過ごした方がきっと幸せですよ」
別れ際ふたりは、「今度は友達を連れてirodoriに遊びに来ます」と言って手を振った。ふたりからは幸せなエネルギーが目に見えるように放たれているようだった。

TAさんとごはん。

イロドリのトイレ

TAさんと、昔からの友人KIが知り合いだったことがわかり、三人でイロドリで晩ごはんを食べた。
TAさんは、40代後半で恋人のS君は大学三年生。僕とK以上に年の離れたカップルだ。二人は公の場で華やかに結婚式を挙げて、その様子はビデオで撮影されてSNSにも流れた。TAさんは、日本でこそ法律的には結婚は認められていないものの、Facebookでも既婚と書いている。
二人は、先日のOUT IN JAPANの撮影にも来てくれて、仲睦まじい関係を見せつけてくれたし、出来上がった写真もカッコよかった。
今、S君は就職を控えていてなかなか大変な時期のようで、週の半分くらいは、TAさんは別の家に帰っていて、同居と別居半分半分の生活をしているらしい。
「あいつは夜型になっているし、俺がいると、テレビを見るのも、先に寝るのも気をつかうから、だったら半分くらいは別々に生活した方がふたりにとってはいいかなと思って…」
そんな話を聞きながら、長く続けてゆくためには、お互いの努力と思いやりが不可欠なのだなあと改めて感じた。
イロドリの窓際で食事をしていたら、妹のGがトイレットペーパーを沢山買って通りかかったので、そのまま席に呼んで楽しい宴がはじまった。
こんな風に、通りがかりの友達がふらりと入って来て食卓に加わるイロドリは、僕たちのHOMEのようになっているのだ。

おかえりなさい

数日前に、かつての恋人Nが亡くなったことを知って、途方に暮れた僕は、今の恋人Kに知らせた。
するとKは、すぐにLINEを送ってきた。
K「その人も、きっと幸せだったよ」
僕「Kは僕と2年半一緒にいて幸せだった?」
K「幸せだった…」
K「でも、もっとやさしくしてあげて!」
数日間、悲痛に暮れる僕を、Kはじっと見守っていた。
和歌山にお墓参りに行くと言った時も、「きっと喜ぶよ」と言ってくれた。
本当は、Kも不安だったに違いない。
自分の恋人が、昔の恋人をあまりにも深く愛していたことを知って、驚いたに違いない。
長旅からヘトヘトになって帰った僕に、
いつものようにKからメッセージが届いた。
「おかえりなさい」

Nに会いに、和歌山へ。2

暖かい青空が広がる中、鄙びた駅を降りると、辺りは遠く山々に囲まれていた。
山の中にある古いお寺に着いたら、静かに風が吹いて、鳥がさえずり、大きな木が豊かに枝を広げていて、なんとも言えない山のいい匂いがした。
「会いに来たよ。N。いいところをえらんだね。」
お墓に着いて、シャンパンを開けて、家から持って行ったグラスで乾杯をした。
Nの好きだったお弁当を広げ、僕もお弁当を食べながら、心ゆくまで話しをした。
お墓になんか、もうNはいないのかもしれない。でも、そんなことは僕にはどうでもよかったのだ。
自分でも、「どんだけドラマクイーンなんだろう…」と思うけど、もし僕がNより先に死んだら、きっとNも僕と同じことをしたと思う。
「そばにいられなくて、ごめんね」
「愛しているよ」
「ありがとう」
人は、死んでしまったら、いったいどこに行くのだろう?
本当のところはわからない。でも僕はまた、来世なのかどこかでNに会えると思うことが出来る。
帰り際、お寺を振り返ると、もう一度山のいい匂いがした。
胸いっぱいに吸い込んで、「また、会いに来るからね」とNに言った。
※Nの訃報が二丁目に流れたのと、この、個人的なこともなんでも書いちゃうブログにより、友人たちから様々なメールをいただいた。
「ハグしてあげたい」
「ユーミンの曲「夜空でつながっている」を聞いてみて」
「早く元気を出して」
「終わりじゃなくて、状況がほんの少し変わっただけだよ」
「これからは僕が姐さんを守ります」
夕飯や飲みの誘いなど、友人たちの温かい気遣いに励まされ続けている。
僕は、大丈夫です。時間がかかるかもしれないけど、少しずつ立ち直ります。
この場を借りて、もう一度大好きな友人たちに感謝の気持ちを伝えたいと思う。
ほんとうに、ありがとう!