トロントニアン

ニューヨークでの2泊が過ぎて、早朝の便でトロントへ。
先にトロントに入っていた友人たちと合流して、セントローレンスマーケットを散策してから、カナダ人の友人のホームパーティーへ。
ゲイの友人二人でシェアしているマンションは、とても広く眺めもよく、彼らが手の込んだ食事も全部用意してくれていた。
ニューヨークの人のことを、ニューヨーカーと言うように、トロント人のことを英語では、トロントニアンと言う(ちなみに、東京人は、トウキョウイット)。
ニューヨークからトロントに入ると、驚かされるのは人が全然違うことだ。ニューヨーカーは、速歩きで人を押しのけて歩いていくようなところがある。「excuse ME!」と言った感じに(MEが重要な感じ)
それに比べてトロントニアンは、町をとてもゆっくり歩いていて、なんというか、おっとりしていて余裕がある感じなのだ。
トロントニアンの友人たちも、カナダ人の例にもれずとても親切で、誰とでも分け隔てなく話をする。自家製のサングリアを飲みながら、ベランダで焼いてくれたバーベキューでお肉を食べて、彼らの生活や生き方の話を沢山聞いた。
ホームパーティーに僕たちを招いてもてなしてくれたのは、彼ら自身が何かにつけホームパーティーをやるということと、普通にお店で食事するよりも、ローカルな本当のトロントニアンを知って欲しいからだと言う。
旅行会社の社長をはじめ、建築家や教師など様々な職種の彼らと、はじめて会った人であってもぐっと距離が縮まり話が進むのは、僕たちがゲイだからだろう。
カナダ人は、概ね日本人に対してとても友好的で、時間があれば日本に観光に行きたい。お花見がしたいなどと口々に言っていた。
トロントニアンが東京に遊びに来た時に、僕たちはいったいどんなおもてなしを彼らにしてあげることが出来るだろうか。

劇団ぺんぺん。

新宿二丁目に、『ぺんぺん草(以後ぺんぺん)』というお店があって、開店してからもう37年を迎える。
お店がオープンしてから10年経った時に、マスターのひろしさんはお客さんと遊び半分で芝居をした。そしてそれからなんと、26回も芝居を毎年公演してきたのだ。
ぺんぺんの芝居は、『真夜中のパーティー』から始まり、オリジナル作品があり、和物があり…正直くだらないなぁと思うものばかりなのだけど、中ではオリジナル作品の『TAKE FIVE』のシリーズはとても面白く、笑あり、涙ありで、僕にとっても忘れがたい作品だ。
『TAKE FIVE』のシリーズは、二丁目の小さなゲイバーが舞台になっていて、そこのゲイバーで起こるお客さんたちとのやりとりや事件が面白おかしく脚本となっている。
僕たちからすると、ゲイってなんて身勝手で、虚栄で、自分のタイプには目がなくて、いつも恋愛したがっていて、欲望に溢れ、涙もろく、滑稽な生き物なのだろう…と思ってしまうけど、実際にゲイバーの中から客席を見ていたら、本当にゲイの会話は芝居のように面白いのだろうと思う。
ひろしさんは、自分の目の前で起こっているゲイバーの日常のシーンや会話を繋ぎ構成することによって、新しい二丁目ならではのゲイ文化を作ることに成功したのだ。
そんな僕にとっては愛おしいぺんぺんの芝居も、残すところあと4回限りで終了になるという。あと4年やったら丁度30回を迎えるので、それでキリよくおしまいにするらしい。
(自称)68歳のひろしさんも、そろそろいいかなと思ったようだけど、側から見ている限りは、まだまだ元気だし、死ぬまで芝居を続けて欲しいと思うのだが…。
願わくば、31回目に、昔の懐かしい『TAKE FIVE 早春』を、もう一度観たいものだ。

ふたりの生きた証。

Keiさんは49歳。13年間一緒に暮らしていた52歳のパートナーAさんを、昨年、くも膜下出血で亡くした。
ふたりでリビングでテレビを観た後、Keiさんが先に休んだのだけど、朝起きたら椅子に座って上を向いたまま、Aさんは亡くなっていたのだった。
当時、あまりにも突然の出来事で、僕も驚いたし、Keiさんにいったい何を話しかけたらいいのかわからなかったのだけど、あれから一年が過ぎてやっとランチをすることができた。
お互いの家族にはカミングアウトは済ませてあったものの、Aさんが亡くなった時に、これはもう隠せないと思い、仕事場にもカミングアウトをしたそうだ。
「13年間連れ添ったパートナーが亡くなりました…」
会社の人たちは葬儀にも来てくれて、その後も仕事場においても支えてくれたようだ。もしもカミングアウト出来なかったら、すべてを隠して日常生活を続けることを思うと、地獄のような毎日だったに違いない。
時間が経ったのと、僕自身かつての最愛の恋人を亡くしたこともあり、自分の話をしながら、Keiさんに聞いてみた。
僕「Keiさんは、Aさんが亡くなってから、どんな風に過ごして来られたんですか?」
Kei「友達が支えてくれたんだよね…。葬儀の時も、僕を心配して誰かしらが家に泊まってくれて…」
Kei「娘のように可愛がっている若い子がいるんだけど、彼らが本当にちょくちょく家に来てくれて、お酒は飲んだらダメだからとか世話焼きで…」
Aさんとの共通の友人たちと一緒に沖縄や韓国に旅行に行ったり、今年もAさんの前彼たちと一緒に沖縄旅行に行くようだ。
Kei「今でも考えてしまうのは…Aとつきあいだして、Aを大阪から東京に連れてきてしまったことが、本当にAにとってよかったことなのかな?って。Aは、幸せだったのだろうかと…」
突然の別れは、遺された者にさまざまな疑問を投げかけてくるものだ。答えのない問いが次々と浮かび、何度も繰り返されることもある。
「本当に彼は幸せだったのだろうか…」
僕には、Aさんの気持ちはわからないけれども、本当に仲良く暮らしていたふたりを見ているから、Aさんも幸せだったのではないかと思う。
Aさんは、Keiさんに、「Keiの親が年をとったら、俺が面倒見るから…」と言っていたそうだ。そんな話をしながら、Keiさんは、懐かしそうにAさんを思い出していた。
Aさんとふたりで過ごした日々は、Keiさんの中でいつまでも心に残り、輝き続けるだろう。

ぺんぺん草のひろしさん。

湯葉と海の幸

鱧とじゅんさい

蛸と茄子と胡瓜

ひろしさんと久しぶりにご飯を食べようという話になって、最近の僕のお気に入り『和食 こんどう』にお邪魔した。
ひろしさんは、スマホも携帯も持っていない。
7時の待ち合わせに僕がほんの少し遅れてしまい、新宿通りの杉大門の入り口から歩いて行くと、100メートル先くらいにひろしさんが歩いていた。
ひろしさん「先に店に入ったら、ご予約のお名前は?と聞かれて、とっさにあんたの名前を言おうとするんだけど…
いつもは生意気ひろしと呼んでるから、あれ?なんだったかしら…まさか生意気という名前で予約してるはずはないし、ひろしでもないし…
また後で、時間になったら来ます!って言って出てきたわ!」
僕「え?ええ?だって僕の名前知ってるじゃん!」
ひろしさん「とっさに聞かれて出てこなかったのよ!それに、もしかしたら5時からだったのを時間を間違えたんじゃないかと思って、確かめようもないし…」
お店に入ると、いつも柔和な大将が、ニコニコ笑って迎えてくれた。「先ほどはどうも…」
ひろしさんと時々ご飯を食べるのは、一緒にご飯を食べて、お酒を飲みながら、のんびりとした時間を過ごしたいからだ。
普段は二丁目のお店の中にいるひろしさんは、くだらないことばかり話してお客さんを笑わせているけど、外に出るとふたりでのんびりと話ができるからだ。
ひろしさんは、時々お店の人の働く様子をカウンター越しに見ながら感心している。
ひろしさん「あら…この店、一人で全部作ってるのね…こんなにお客さんがいて、出す順番もバラバラなのに、よくも一人でこれだけの仕事が出来るわね…」
僕「二丁目のどこかの店とは大違いね…3種類くらいしかない飲み物のオーダーを、お客さんに何度も聞くしね…」
ひろしさん「笑・・・ここのこんなお料理、田舎のやつらに食べさせてあげたいわ…あいつら、こんなお料理を食べずに死んでいくのよ…」
僕「大げさな…愛媛は新鮮な魚が食べられるからいいじゃない?」
そんなくだらない話をしながら、時間を気にせず、日本酒と美味しいお料理をいただいた。
僕が若い頃からずっと知っているひろしさんとの食事は、なんというか…家族のようなあたたかさがある。
★和食 こんどう
03-6457-8778
東京都新宿区荒木町8 ネモトビル 1F
http://tabelog.com/tokyo/A1309/A130903/13150477/

3ヶ月未満の恋。

同世代の友人Xが、ここ1ヶ月くらいの間ずっと恋に落ちて、上がったり下がったり、ジェットコースターを乗っていたような毎日だったのだけど、どうやらその恋も、終止符が打たれたようだ。
何があったのかは、ふたりにしかわからないことなので、ここでは敢えて触れずに置くけれども、こんな時にいつも僕が思うのは、『恋の儚さ』だ。
僕たちゲイの恋愛は、『3ヶ月未満の恋』が多いようだ。(実際には、ONE NIGHT STAND もしくは、ONE NIGHT ONLY♪ が9割を占める気もする)
僕も、自分のゲイライフを省みて、『3ヶ月未満の恋』の、なんと多いことかと思う。
一つの恋が終わって、Xは髪を切った。
Xにとっては13年ぶりの恋だったのだ。
たとえ1ヶ月の関係だったにせよ、ほとんど諦めかけていたXの目に輝きが溢れて、毎日が色づき、人生の素晴らしさを堪能したことだろう。
13年間閉じこもっていたXは、天の岩戸から出て来て、世界をもう一度見るようになったのだ。
新しい髪型になり、眼鏡も外して、自分に自信を取り戻しつつあるXに、また新しい恋がはじまりますように。

シンガポールから L&Jカップル、再び。

LとJのカップルは、このブログでも度々登場しているシンガポール人のカップル。昨年は九州、今年は京都を一緒に旅行した。
今回、東京に一週間滞在するふたりは、若いJの誕生日を東京で祝うということが目的で、前回会った京都で、店の予約を僕が頼まれてもいた。
彼らは、自分の子どもたち(Lには前妻との間に子どもたちがいる)が北海道旅行する際にも、僕に寿司屋さんや割烹料理屋さんの予約を頼んでくる(日本のほとんどのレストランは余程の店でない限り、英語での電話対応は出来ないため)。
彼らが小樽なんかの田舎町の寿司屋さんで、片言の日本語で食事をしているのを思うとうれしくなる。お店の方は、日本語の名前で予約したのに、なんで外人が来るのだろう…と思っているに違いない。
今回、Jに何かプレゼントを贈ろうと考えつつ、お金持ちでなんでも持っているふたりに何がいいだろうかと悩んでいたのだけど、前回、鹿児島でしゃぶしゃぶを食べた時に、ふと薩摩切子を手にして美しさに見入っていた彼らを思い出して、江戸切子を贈ることに決めた。
伊勢丹で江戸切子を探すと、美しいグラスが幾つもあり、散々迷ってタンブラーでもなく日本酒用のおちょこでもない普段使い出来そうなグラスにした。
僕の家では、江戸切子のワイングラスを母が買い求め、よく家で普段使っていた。今思うと、美しくカットされたガラスは手に持つと触感がよく、ワインの色も引き立てていたのだ。
彼らが気に入ってくれたらいいなあと、プレゼントを渡すのを今から楽しみにしている。

トロミ。

八寸

甘鯛

お造り

トロントで暮らしているトロミは52歳。日本よりカナダでの生活が長いので、もはやカナダ人のようだ。久しぶりに東京に来るというので、いつもの新宿御苑の『いまゐ』で和食を。
母親の痴呆が酷く、父親が介護をしながら北海道で暮らしているため、時々こうして日本に戻り、両親にも会いに行くようだ。
15年くらい前に、トロミを追って日本人の恋人がカナダに渡ったものの、その後ふたりは別れて友達になっていた。
トロミは、昔と違って、年を重ね、恋愛には少し諦めモードになっているようにも見える。
『いまゐ』の食事は気に入ったようで、こうやって少しずつ季節の食材が食べられることを喜んでいた。
トロミ「もう年だから、お金はいくら出してもいいから美味しいものを食べたいんだよね…
保険とかって、今になって思うとバカみたい。人間、死んじゃったらおしまいなのに、なんで死んだ時の保障なんて考えてお金かけるのか、意味がわかんないよ」
「これからはお金を、きちんと使っていくことにしたんだ。持っていても仕方ないもん。」
52歳ともなると、人生の後半戦を考えるようになるのだろう。
僕を見ながら、
「仕事もあるし、年下の恋人もいるし、人生うまくいってる感じでいいなあ…」と言う。(側から見ているよりも、結構大変な人生なのだけど…)
「自分もまだまだ諦めないで、恋人を探すよ」
大阪に向かったトロミから、メールが入った。
★いまゐhttp://tabelog.com/tokyo/A1304/A130402/13130365/

アウティング。

夜中に仲通りを歩いていたら、僕のジムのカフェで働いていた若い子に会った。
彼「あのー、知ってると思うんですけど、うちのジムのカフェスタッフもジムのインストラクターも、みんなただしさんがゲイだって知ってますよ」
僕「え?ええ?えええ?な…なんで?!」
彼「前のカフェスタッフのゲイの子が、みんなに話してたんです。僕ではないですからね…」
僕「あ、あの子か…」
今更、ゲイだとジムでバレたところで、僕には特に困る要因もないのだけど、ずっとずっと自分はバレていないと思って(というか、ジムでセクシュアリティなんて関係ないし)過ごして来たのに、丸わかりだったなんて
_| ̄|○
僕たちは時々、こんな風に知らぬうちに、周りから勝手にアウティングされることがある。
今まで、誰も気づいていないと思っていた受付の女の子なんかも、みんな当然のように知っていたのかと思うと、なんとも少し照れくさいような気がするけど、まあ、これでジムではセクシュアリティを隠さなくてもいいのかと思うと、ちょっと気がラクでもある。
僕の会員ページには、GAYと注意書きでも入っているに違いない。もしくは、取り扱い注意だろうか…。

Mのあしあと。2

宮島で撮影が夕方終わり、明日は八日市で仕事なので京都に泊まることにした。
8時に京都に着き、ホテルにチェックインした後に行きつけの『河久』へ。到着すると若旦那がいつものように相手をしてくれた。
若旦那「あのー、今日ただしさんがいらっしゃるとは考えていなかったのですけど、実はMさんのことをさっきふと思い出していたんです…」(Mさんとは、僕が10年間つきあった後、昨年亡くなった昔の僕の恋人だ)
僕「そうなの?どんなこと?」
若旦那「前にMさん、カウンターに一人で座られて、お隣に白人のお二人の女性観光客が座られたんです。お二人は、大原に行きたいけど、どうやって行ったらいいのかわからないので行き方をMさんに尋ねて、Mさん、一生懸命英語で伝えていたんです」
僕「大原って、遠いし観光客にはちょっと行きづらいところだよね…それで?」
若旦那「そしたらその後、Mさんが、俺が連れて行ってやる!と言って、結局その外国人二人をタクシーに乗せて、大原まで連れて行って案内されたんです…Mさん、ほんとにやさしい人でした…」
僕は、若旦那を見ていたのだけど、ふいに涙が溢れ出た。Mは、こんな話に事欠かないくらい、お節介でお人好しだったのだ。
人は、亡くなった後にも、いたるところにその人が生きていた証を遺す。
誰よりもやさしかったMを愛して、僕は本当に幸せだったと思う。
Mはどこか遠くから、僕に彼のやさしさを思い出させ、僕を温め、勇気づけてくれている。

Mのあしあと。

10年間ともに生きたMが逝った後、実は、息を殺すように生きていた。
どこへ行っても、何を見ても、何を聴いても、何を食べても、Mのことを思い出していた。
映画も観る気が起きず、頑張って観たとしても、観ているうちにMのことを考え出してしまい外に出てしまったり、そんな毎日だった。
友人たちに知れ渡り、二丁目にもMの訃報が流れて少しした後に、バーで会った人に言われた。
「とてもいい人だったよね…」
僕は言葉もなく、目の奥から熱いものがこみ上げて来た。
しばらく経ったのち、偶然パーティーで、Mの好きだったバー『キヌギヌ』のシンスケに会ったので、知っているかもしれないと思いながらMの訃報を伝えた。
シンスケは、僕の目をじっと見たまんま黙っていた。
その後、Mを知るビアンのSから、シンスケから聞いたのかBridgeに泣きながら電話が入ったそうだ。
「Mさん、亡くなってしまったの?本当に?」
そして今日、偶然隣り合わせた若い友人に、知っているかと思いながらMの訃報を伝えたら、その友人の目から涙が溢れ落ちた。
「オーケストラに決まった時にもお祝いしてもらったんですよ…」
僕が10年間ともに生きて、51歳にして亡くなってしまったMは、様々な人の中に、彼なりのやさしさを遺していた。
Mの話を聞くたびに、今でも彼が生きているように感じることがある。
今でも僕のそばにいて、おおらかな笑顔で微笑んでいるように。