忘れられない誕生日。

9月21日は、母の誕生日。
そして、亡くなった昔の恋人Nの誕生日でもある。
昔、はじめてNの誕生日を聞いた時に、耳を疑った。「本当に9月21日?」
僕の親族は、同じ誕生日の人がお嫁に来たり、家族と同じ名前の人と結婚したりする不思議な家で、Nが母と同じ誕生日だと知った時に、この人は僕の恋人になるに違いないと思ったものだ。
母が一時期入院をした時に、Nは手づくりのお弁当を持って、僕の母のお見舞いに来てくれたことがあった。
母は、とてもNのことが気に入って、その後もことあるごとに、「Nさんは元気かしら?」と僕に聞いていたものだ。
昨日は母の誕生日を祝い食事をしながら、どうしても51歳で亡くなってしまったNのことばかり頭の中でぐるぐると考えていた。
Nは僕と別れたあと、いったいどんな毎日を送っていたのだろう…
自分の死が近づいた時に、どんな気持ちで過ごしていたのだろう…
Nの人生は、幸福だっただろうか…
もう二度と見ることの出来ない、太陽のような微笑みと、触れることの出来ないNの大きな身体に包まれた時の安心感を思い出す。
今でもNが、僕のすぐそばにいるように。

手をつなぐ。

Kと一緒にドライブをしていると、運転はKがしてくれるので、僕は助手席に座って景色を眺めていたり、時々鼻歌を歌っていたりする。
クルマに乗っている間はほとんどずっと、僕は右手をKの左脚の上に乗せている。
Kは、僕の手を感じると、右手でハンドルを握りながら左手を僕の右手に重ねてくる。そして、僕の右手の指を丁寧に触る。わかってるよ…とでも言うように。
手を触られていると、言葉ではなくても、Kの思いが伝わる気がする。まるでKが横で、さもないことを僕に話しかけているように。
クルマに乗って、ふたりで手をつないでいると、時々Kが運転の途中に僕の横顔をちらっと見ることがある。
それは、自分の恋人がどうしてるのかな?とふと確かめるようであり、Kに運転させておいて僕だけスヤスヤ寝ていないかどうかチェックするように。
うとうとしていた僕は、Kに悟られないように、慌ててKの手をぎゅっとつかむ。
Kはほんの少し笑って、また手を握り返してくる。

アラフィフ。

51歳のゲイの友達に、「アラフィフでごはんを食べましょう!」と言われ、
「まだ、40代なんですが・・・」と反論するも、
「四捨五入よ!なに言ってんの?」と言われ、しぶしぶアラフィフの会で『irodori』へ。
「もう、セックスとかいいのよ・・・めんどくさいし・・・そんなにできないし・・・あんまりやりたいとも思わなくなったわ・・・ベッドで添い寝してるだけでいいわ・・・でもかわいい子が欲しい・・・」
「そうなのよねえ~」
「今は食事会や飲み会なんかも、連続で予定に入れるより、一日空けてちゃんと休んでからにしたいのよね・・・」
「わかるわかる・・・」
「今はこうして、友達と美味しいもの食べながら飲んでいる時が一番幸せ・・・。週に1回くらい、こうして美味しいものが食べられたらそれでいいわ・・・」
「ほんとに・・・」
アラフィフおばさんたちのトークは、30代や40代とも違う50代の本音トークが飛び交っていた。
昔は、50代になったらどうなってしまうんだろう・・・って思っていた。若い頃は50代なんて聞くと、おじいさんとしか思わなかったのだ・・・(ちなみに、60代はほぼ棺桶のイメージ)
それが、まさか自分が50代に近づくなんて!!!(そうそう、初老というのは、40歳からだそうだ・・・やーめーてーーーー)
ただ、僕の周りのゲイたちを見ていると、50代って言ってもなんだかみんな颯爽としていて、ちょっと余裕もあったりして魅力的に見える人たちばっかりだ。
ジムに行き、時々美味しいレストランで食事をして、海外国内旅行をたびたびして、「今度はミコノスに行ってみたいわ・・・」なんて話をしているのを笑いながら聞いていると、ゲイの50代ってとても楽しそうに思えたのだ。

OUT IN JAPAN #003 in OSAKA

OUT IN JAPAN の撮影会が、10月の大阪パレード前日に大阪で行われることになった。
大阪での撮影の告知をすべく、堂山のバーを何軒か回り、パンフレットを見せながらお客さんと会話をした。
『OUT IN JAPAN』ってそもそも何なんですか?と聞かれ、何のためにそんなことしてるんですか?というシンプルな問いも。
『OUT IN JAPAN』とは、セクシュアルマイノリティの可視化であり、社会に広く理解を求めていくためのプロジェクト。
ストレートの人たちは、ゲイ(セクシュアルマイノリティ)なんてテレビの中のオネエキャラだけの話であって、自分の周りには全然いないと思っている人たちがほとんどなのではないだろうか。
7.6%(※)という統計でもわかるように、誰の周りにも存在しているのだけど、自分がそうであると言えずにひた隠しにして生きているセクシュアルマイノリティがほとんどなのだ。※http://www.dentsu.co.jp/news/release/2015/0423-004032.html
まずは、世の中にたくさんいるセクシュアルマイノリティに気づいてもらうこと。そして、自分たちの周りにもいるのかもしれないと想像してもらうこと。
そして、そこからゆっくりと差別や偏見が減っていき、セクシュアルマイノリティにとってより暮らしやすい世の中に近づいてゆくのではないかと思うのだ。
大阪で会いましょう!
★OUT IN JAPAN ♯003 in OSAKA
http://facebook.com/outinjapan

娘の恋人。

台湾人の娘KEからLINEが入り、会いたいと言って来た。(KEは本当の娘ではなくて、僕が娘のように可愛がっている年下ゲイ)
久しぶりに親子水入らずで台湾料理店を予約すると、KEからまたLINEが入り、「お母さんに会わせたい人がいるんです…」とのこと。
お店に現れたKEは、僕に恋人を紹介をする。
KE「僕と同じ年のKUちゃんです」「KUちゃん、こちらがお母さん…」
あれやこれや美味しそうな小皿料理を頼み、「美味しい!」などとはしゃいでいると、KUちゃんが怖る怖る聞いてきた。
KU「あのー、なんてお呼びすればいいですか…?」
僕「あ・・・ただしです。(お母さんではなく…)」
KEは、前の恋人と1年以上交際したあとに、半年くらい前に別れてしまった。僕から見たら、前の恋人もとても可愛かったし、お似合いのカップルだったのに、なかなかつきあってゆくということは難しいものだなあ・・・と思っていた矢先、また新しい恋人か出来たのだ。
今年30歳になるというカップルは、じゃれ合う二匹の子犬のようで、見ているだけで微笑ましい。
僕が30歳のころは、Mとハネムーンのように幸福の絶頂だった。
そしてもし、もう一度30歳に戻れるなら、どんな恋愛をするだろうか?と考えてみる。
僕がもう一度30歳になったら・・・これ以上ないくらい思いっきり遊びまくるだろうな・・・。
★台南担仔麺 屋台料理 来来
03-3289-1988
東京都中央区銀座7-7-7
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13011564/

やさしいことば。

映画『アリスのままで』は、若年性アルツハイマーを扱った素晴らしい映画だった。
アルツハイマーは、誰か遠くの人のかかる難病だとは思えなくて、時々人の名前が出てこなかったり、昔の出来事をすっかり忘れてしまっている僕にとっては、いつか自分がなるかもしれないというちょっとした不安さえ感じさせる病気だ。
年を重ねてゆくとき、そして明らかに身体の機能が老いてゆくとき、どのように生きてゆくか、身近に誰かがいてくれるかどうかというのは、僕たちゲイにとっての大きな課題でもある。
そんなある日、冗談半分で、Kに聞いてみた。
僕「僕がアリスみたいになったら、どうする?」
ちょっと間があったのち、Kから返信が来た。
K「Kちゃんの赤ちゃんになる」「ただしくん」
それは、笑ってしまうくらい子どもみたいな返事だったのだけど、ほんわりと温かい気持ちになった。
本当の老後は、そんなに簡単には行かないのかもしれない。僕とKがいつまで一緒にいられるかもわからない。でも、こんな風に誰かがそばで言ってくれたら、気持ちもふっと軽くなるものだ。

おもと。

二丁目の『ぺんぺん草』で飲んでいて、今年69歳になるマスターのひろしさんと、『年をとって、仕事をやめたあとにやりたいことってなんだろう?』という話になった。
ちょっと考えを巡らせたあとに、ひろしさんは、
「おもとが好きなの…」とポツリと呟いた。
僕「おもとって…あの、万年青?よく日本の庭先の日陰にある陰気な葉っぱの万年青?」
ひろしさん「そうよ。わたし、おもとを育てていたいの…」
僕「昔から、デパートの屋上の園芸売り場で、なんで万年青なんか育てる人がいるんだろう…?って思ってた。花も咲かないし、せいぜい赤い実がなるくらい?」
ひろしさん「葉っぱが好きなの…白い根っこに水を当てて、きれいにしてあげるの…その下には苔がびっしりと生えていて…」
年をとると、
花が好きになり→盆栽が好きになり→山野草が好きになり→苔が好きになり→最後に石が好きになる
と言うけど、そんなものだろうか?
酔っているからか、ひろしさんは、万年青の話をしながら、万年青の深い緑を思い浮かべているのか、気味が悪いくらいずっとうっとりとしていた・・・。
万年青でも、苔でも、なんでもいいからたくさん育てて、100歳になっても『ぺんぺん草』をやっていてほしいものだ。

年の差カップル。

 「カナダに旅行に行くので、相談にのってください」
知人からそんな連絡が入り、『KINSMEN』で待ち合わせ、その後Bridgeへ。
30代はじめのTくんは、久しぶりに取れる長期休暇に、トロントを中心にして1週間くらいで遊びにいきたいという。トロントは行くとしても、他に、自然公園に行くか、モントリオールに行くか、迷っていると言うのだ。
僕は、せっかくだからトロントとは全く違う、フランス文化の影響が色濃く残るモントリオールに行くことを勧める。そして、先日USAGIですれ違ったモントリオール在住のJFに会ってくれば?と。
Tは、20歳以上年上の彼と6年間もつきあって一緒に住んでいると言う。そして理系。とても保守的で、2丁目のことも、ゲイが普通に知っていそうなことも結構知らなかったりする。
T「LGBTってなんのことですか?」と真顔で聞かれた。
僕「Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender」
T「なんで、GLBTじゃないんですか?」と聞いてくる。(そういうことを聞き返す辺りも理系っぽい)
T「GLBTと表記する国や地域もあるし、その先のLGBTQ・・・など、もっといろいろなセクシュアルマイノリティーを表記する国もあるよ。日本では、まず、LGBTを根付かせて、その後に時代とともに変わっていけばいいかな・・・というのが今の周りの共有している雰囲気かな。」
Tくんにとっては、56歳の彼との関係も、いろいろな悩みがあるようだ。年の差のあるカップルならわかるのだけど、彼が定年になったあとどうするのかとか、もっとその先、老後と言われる年齢になってゆく時にどうしたらいいのか・・・。
日本で生きるセクシュアルマイノリティーは、幸せな老後をなかなかイメージしづらい状況にいるのだと思う。
それは、ふたりの関係が社会的に認められていないために得られない権利がたくさんあったり、大事な時にパートナーに対する決定権がなかったりすることも大きな原因だろう。
そんな年の差カップルの話をしながら、気持ちのよい土曜の夜を過ごしたのでした。(ああ、僕をトランクにつめて、カナダに連れてって欲しい・・・)

毎日のささやかなこと。

朝起きたら、「おはよう」。
お昼には、何かLINEのスタンプ。大抵ブラウンがトイレに行っているものか(僕がよくトイレに行くため)、ブラウンが散歩しているもの(僕が働かずにさぼってばかりいると思ってる。あながち間違っていない気もする)。
夕方家に帰る頃に、「ただいま」。
東京と大分で離れて暮らす僕とKは、毎日毎日何気ない言葉をかけあいながら、その日の相手の様子を気遣っている。
それは、昨夜元気だったからといって、今日も元気とは限らないからだ。人間は生きものだし、毎日の外的要因によって、感情にも起伏があるものだから。
今朝起きてから、7時頃に僕が「おはよう」と打ったまま、昼になってもKからはなんの返信もスタンプもなかった。
「あれ?何かあったのかな?スマホを家に忘れて行っちゃったのかな?それとも、どこかで落としてしまったか?」
何も連絡がないまま夕方になり、7時頃やっとKからLINEが入った。
「携帯壊れた。画面割れた。」
それを見て、僕もほっとして、「よかった。心配したよ」と打った。
Kは、「ただしくんに電話しようと思ったんだけど、名刺が見つからなくて、Xにかけたけど出なかった…謎の着信があったら僕だからと言っておいて」
どうやら、僕の電話番号がわからずに、X(ムーン)に電話をかけたようだ。かわいそうなムーン。
もしも、スマホも携帯もないような昔だったら、僕とKはつきあってはいなかっただろうなあと思う。
毎日のささやかなことを伝えながら、僕たちはなんとか繋がっているのだ。
「おやすみなさい。ゆっくり休んでね」
毎日同じような言葉でも、ふたりにとってはたいせつな言葉なのだ。

大阪からHが来た。

久しぶりに家に早めに帰って、シェリー酒を飲みながらひとりで『茹で豚』をのんびりと作っていたところ、HからLINEが入った。
「突然ですが、いま東京です」
Hはたびたび東京に出張で来ているのだけど、事前に僕に連絡をすることはまずない。いつもこんな風に突然、それも夕方や夜になって「今から会えないか?」と言ってくるのだ。
「あと30分くらいしたら出られるので、伊勢丹で待っててください
(茹で豚を茹でるのにもう10分、味をしみ込ませるのに10分かかるから)」
その昔、8年間くらい東京に住んでいたHは、今は実家のある大阪で暮らしている。僕より5つ年上で、ものすごいクローゼット。いつも自分がゲイであることに罪悪感さえ感じていた。それでもそんなHを、僕は好きになってしまったのだった。その恋は完全には叶わぬまま、Hに恋人がいたことと、大阪にHが戻ってしまったことでゆっくりと冷めていったのだった。
『神場』でワインを飲みながら、仕事のこと、家族のことなんかの話を聞く。そしていつものように、ゲイライフの話へ。
H「今はもう、大阪で映画に行くことさえできないんだ・・・大阪は東京と違って、映画館で誰に会うかわからないから、男同士で映画を観ているところを見られたら、絶対バレちゃうと思うんだ」
H「今はもう、飲みにも行かないよ。堂山はノンケの店もあるから、堂山なんかで会社の人に蜂会わせたら、それだけでホモだってバレちゃうからね・・・」
僕「そんなにいつも人の目を気にしていて生きるなんて、本当につらいだろうね・・・」
H「会社でもすぐにプライベートの話で突っ込んでくる人がいるから、どうかこちらに話が向かないようにとずっと思ってるんだ・・・」
僕「でも、会社やめたら、その人たちとはもう会わないんでしょ?そんな人たちのことをなんで気にするの?もっと楽に生きられないの?僕が一緒に行って、横でレインボーフラッグでも振ろうか?」
H「僕には、ただしみたいな生き方は無理だよ。できないよ」
もしかしたら、日本中のほとんどのゲイたちは、Hのように毎日息を殺して生きているのかもしれない。自分がゲイであることを隠しながら、決して気づかれることのないように・・・。
そんな生き方を思うとき、僕たちゲイは、なんでそんな風に息を殺しながら生きなければならないのだろう・・・と思う。
そんな風に四方八方に気を張り巡らせながら生きることで、僕たちはいつか幸せな人生を送ることができるのだろうか・・・?
恋人と一緒に映画にも行けないし、町も一緒に歩けない生活なんて、今の僕には想像できない。Hがいいとか悪いとかではなくて、そうせざるをえない状況が、今の日本の社会なのだと思う。
そして、そんな馬鹿げた状況を、僕たちは時間をかけてでも、なんとかして変えていかなければならないと思うのだ。