ひとつ1つ。

1月28日に宮古島に引っ越ししてきて、その後家のリフォームが始まって3週間がたった。

当初予定していたリフォームに加えて、仏壇が入っていた場所を収納にしたり、キッチンの蛇口を変えたり、食器乾燥機を取り外したり、床の間を解体したり、トイレと風呂場のドアを付け替えるなど、思っていたよりもリフォームが増えてきている。

元々のスケジュールだとそろそろ客室のリフォームに取り掛かりたいところなのだけど、いまだに母屋にかかりっきりなので、さすがにKも心配になったのか「大丈夫かな?」と言い出した。

僕も焦る気持ちがありつつ、見えていない客室のリフォームもあり心配になり大工さんに相談した。

母屋のリフォームは2月で終わらせたいこと。3月から6月までに客室を完成させたいこと。思っていることを1つ1つ紙に書いて相談したら僕たちも少し安心できた。

宮古島に、東京の物差しを持ち込んではいけない。宮古島に来たら宮古島のルールがあるのだ。

焦る気持ちはいつしか、「なるようになるから大丈夫」というおおらかな気持ちに変わっていった。

おばあの襲撃。

家の右隣の土地が細長いブリーチーズのように5坪くらい別の人の土地になっていて、我が家の倉庫がそのチーズみたいな土地にかかって建てられていることは以前ここに書いた。

いよいよ決済をするというときになって測量しさんが計測にきて判明したことなのだけど、これには家の持ち主もびっくりしていて、今まで何十年も隣の土地の上に自分たちのブロック塀や倉庫が架かるように建っていたことを売る時になって初めて知ったのだった。

この隣の土地の持ち主は、幸い売主の知り合いで、今は沖縄本島に住んでいる92歳のおじいさんとまでわかった。僕はそのおじいさんが亡くなる前にこの件をはっきりと精算して欲しく、不動産屋さんに何度もお願いしていた。

もしおじいさんが亡くなってしまったら、土地の所有者が息子さんとかになり、この5坪の土地を譲り受けるのにまた面倒なことになると思ったからだ。

今日はそのおじいさんの妹(75歳くらいのおばあ)が土地を確認しに来ると聞いて、売主さんと不動産屋さんとおばあとで家に来ることになっていた。

僕は必要なかったのだけど、家の庭にも入って確認するようでそのついでにおばあに挨拶をした。

「あら、随分若い人が引っ越して来たのね・・・私たちこの家が売りに出ると聞いて、どうなっちゃうんだろう?と心配してたんだけど、こんな若い人たちが来て本当に嬉しいわ」

おばあは我が家のある上野という地区の生まれで、今でも僕の家の2軒先に家を持っていて親戚ともども別荘のようにして使っているとのこと。

「秋にはいつも豊穣を祝うお祭りがあるからぜひ来てくださいね」

おばあの家は地主のようで、近くの小さな神社のようなところも所有していて、そこでお祭りをやるのだそうだ。

挨拶を終えて夕方、家で食事を作っていると玄関のベルが鳴っ他ので外へ出ると先ほどのおばあが別のおばさんを連れて立っていた。

「近所の人を紹介したいと思って・・・」

「はじめまして・・・その向こうに住んでいる○○です。ウエディング関係の仕事してるんで、何かあったら電話くださいね」

そのおばさんは本当でも大きなウエディングビジネスをやっているようで、仕事のチャンスはないかと挨拶に来たのだった。

「こんな勢いで地元のおばあやおじいがどんどん襲撃してきたら怖いな・・・」Kと2人顔を見合わせたのだった。

床の間。

母屋の大広間には床の間があって、ここ2週間くらい床の間の横にベッドを置いたままこの先リフォームをどうしようかと思いあぐねていた。

床の間は、掛け軸を飾ったり、お花を飾ったりして客人をもてなすような部屋にあるもの。床の間に足を向けて寝てはいけないと昔よく母に言われたことを思い出す。

でも今の僕たちの家では、床の間に飾る掛け軸もないし、客人をかしこまって迎える習慣もない。床の間のスペースを活かすよりもむしろ、そのスペースを収納にした方がいいかもしれないと思い始めたのだ。

そこで、急遽計画を変更して床の間を解体することにした。

柱は鋸で倒され、床の間はあっという間に広い空間に変わった。

晴れた宮古島。

冬の宮古島は日本海側の気候と似ていて、曇りや雨の日が多く全般的に晴れる日が少ないようだ。

引っ越してきて2週間が過ぎたのだけど、「今日は晴れだー!」という日は今まで1日たりともなかった気がする。

曇っていたり雨が降っているけど、突然晴れ間が見えて太陽が顔を出し、気温が一気に23度くらいになる・・・なんてことは何回かあった。

今日は珍しく晴れ間が出たので、リフォームが終わる夕方を待って、家からも近いイムギャーマリンガーデンに行ってみた。


海はターコイズのような色で透き通り、水辺線まで真っ青に見える。空は我々の雨で鬱積した気持ちを笑い飛ばすかのように青かった。

欄間。

我が家には、僕たちが住もうとしている母屋に「欄間」があって、昔ながらの風情を醸し出している。

家を下見に来てリフォーム業者さんと話していた時には、この欄間はここだけアジア的な感じがするので取っ払いたいと思っていたのだけど、ここに住んでみたら、前の家主が作ったこの欄間はそのまま残したいと思うようになった。

欄間は、一枚の板から彫られた飾りもので、風を通や音を通し、それ故にエアコンなどは効きづらくなると思われる。


それでも欄間を残したのは、夜にほのかな明かりを灯して欄間を見上げると、まるで影絵のように欄間の彫ってある松の木や梅の木が浮かび上がって見える。

それはちょっと幻想的な世界で、自分がもし子どもの頃だったらこんな影絵を見て色々な想像をしてたんじゃないかなと思える。

こんな風に僕たちの家は、前の家の面影を残しつつ、少しづつ自分たちの家に変わっていくのだ。

隣人。

宮古島に引っ越ししてから、100mくらい離れた左隣の家に10回以上挨拶に行っているけど、一度も会えずにいた。

その家は白くモダンな感じで、外には犬小屋があってコロちゃんという臆病なミックス犬がいた。

外から見える和室には虎の掛け軸がかかっていて、年配の方の家かな・・・と思っていた。

何回行っても会えなかったのは、この時期サトウキビの収穫で周囲の畑は大忙しのようで、朝から晩までずっと外に出たままのようなのだ。

そこで、朝7時過ぎに海を連れて散歩がてら行ってみることにした。

コロちゃんに声をかけながら吠えられながら入っていくと突然障子が開いて、中からゴルゴ13が現れた。

「今度隣に3人で引っ越して来ました。今後ともよろしくお願いします」

「あーはい」

「これ、召し上がってください」

お菓子を差し出すと、ゴルゴは急に笑顔になった。

宮古島の顔にはいくつかのパターンがあると思う。1つは鼻が丸く目がキラキラとつぶらな顔。そして伊良部島などで多いと感じる彫りの深い顔。

ゴルゴはこの彫りの深い顔立ちの部類で、黙っていると迫力がある。

これでやっと道を挟んだお向かいさんと左隣に挨拶ができた。右側には近くに民家がないので、ひとまずこれで挨拶は終了。

porto cervo

ドイツ文化村の隣のシギラリゾートの中に、「porto cervo(ポルト・チェルヴォ)」というピッツェリアがあって、テラス席ならばワンチャンもOKということで海を連れて散歩ついでに行ってみた。

porto cervoは、昔行ったイタリアのサルデーニャ島にある美しい港町。

宮古島の海の青さは、宮古ブルーとも言われて特別な美しさを誇っているけど、サルデーニャ島のコスタ・ズメラルダのエメラルド色の海も青緑色で他にはない美しさだったのを思い出す。


サラダとピザとパスタを頼む。サラダは島野菜を使っていて、ピザにも島らっきょうなんかが使ってあって面白い。ピザがもっとパリッとした生地で上がっていたら尚よかったけど、海と一緒に幸せな時間を過ごすことができた。

⭐️porto cervohttps://shigira.com/restaurant/porto-cervo

長靴をはいた犬。

冬の宮古島は日本海側の気候と似て曇りや雨が多く、最低気温は18度最高気温は23度とかなのでどこか梅雨のようにさえ感じてしまう。

こんな時期、海を毎日2回外に散歩に連れて行くのが面倒なのは、雨の中を歩かせると足が泥だらけになってしまうから。散歩の旅に手足を洗うのは、犬にとっても負担になり良くないことなのだ。

そこで、長靴を買って履かせてみた。

今まで海で泳ぐ時にマリンシューズを履かせていたせいか、靴を履くことにそれほど抵抗感はなく、散歩に行くことで喜んで飛び跳ねている。

雨の後の畑からは赤土が流れ出しドロドロの状態の道を、海は颯爽と歩いていく。

家に帰ってから長靴を脱がせてみると、脚全体は綺麗で、タオルで拭く必要さえなかった。海の長靴を見ながら、自分たちも長靴を買わないとな・・・と思ったのだった。

夜の鳴き声。

この家は人が住まなくなって数年経過していたので、鳥が住処として住み着いているようだ。

家を買う前に何度か見にきていたのだけど、その度に磯ヒヨドリが出てきて、「ここは俺様の家なんだけど、何か用ですか?」とでも言いたげに色々なところに止まっては僕を見つめていた。

家に住み始めて朝玄関に出ると、外に鳩のふんが1つ落ちていることが度々あった。東京で見るグレーの鳩ではない茶色い鳩が庭によくきているのを絵にしていたので、その鳩だと思った。

夜中に寝ていると、時々「ケッケッケッケッケー!」という感じの鳴き声がする。それは不思議な泣き声で、およそ鳩や磯ヒヨドリから発せられるような音ではないと思った。

ネットで鳴き声を検索すると、ヤモリの鳴き声だということがわかった。

そういえばヤモリは家の至る所にいて、窓を開けるといたり、トイレの窓のサッシに隠れていたり、ドアの隙間にいたりするのを目撃していた。でもヤモリは熱海にもいたのに、こんなに鳴くとは知らなかった。それとも宮古島のヤモリが特別よく鳴くのかもしれない。

昔だったら、家の中にヤモリがいたなんて言ったら、怖くて見つけるまで眠れなかったと思う。でも今は、ヤモリは人を攻撃するような動物ではないとわかっているし、そのおっとりした動きに親しみさえ感じている。

夜中に鳴き声が聞こえても、「あ、また鳴いている・・・」くらいにしか思わなくなった。

家のリフォーム一座。

家のリフォーム屋さん探しで何社にも声をかけつつも、何ヶ月たっても見積りが上がってこなかったり、なかなか返事がもらえなかったり、びっくりするような見積もりだったりしたのだけど、家を決済する時にようやく助っ人Mさんが現れた話は前にここに書いた。

Mさんは72歳くらいの白髪のおじいさんで、物腰が柔らかく、こちらの話をきちんと聞いて、自分の思ったことを訥々と話してくれるようなタイプ。

大工さんは職人なので、堅物のイメージがあったのだけど、Mさんならばこちらの相談にのってくれながら一緒に作っていってもらえるような安心感を感じたのだった。

アメリカのカリフォルニアに40年以上行かれていた人で、なぜ宮古島に住むようになったのかはまだわからない。

だからといって、ルー大柴のように英語が日常会話に混じることは全くなく、英語が出てきたことも聞いたことはない。

僕たちの家のリフォームは細々と色々な箇所をしていかなければならなくて、その都度素材や色形を決めながら少しずつリフォーム作業を進めている。


Mさんには30代後半くらいのGさんという頼もしい若手男性がいっしょに着いていて、右腕となって作業をしてくれていたのだけど、その後、網戸の張り替えやペンキ塗りの作業の日になると、いきなり20代後半くらいの女性2人が現れた。

2人の若い女性は、Mさんのことをまるで親戚のおじいさんのように話しかけていて、ところどころで意見が食い違うと言い返したりしている。

それは、棟梁に楯突く生意気な女というよりも、親密さから来るラフなコミュニケーションのようだ。

Gさんも気さくな人です黙々と仕事をこなしつつも、海のことをとてもかわいがってくれる。

リフォームのある日はこの一座が我が家に8時半にはやってきて、夕方まで家の中でバタバタと作業をしていてとても賑やかだ。

海はこんなに人が家に来ることはなかったので、はじめ戸惑って吠えていたが、今はそれぞれの人を認識して懐いている。

このリフォーム工事、いつまでかかるのかまだまだ先が見えていないけど、一座の一人ひとりがとてもいい性格の人たちなので、僕たちも気楽にいられるのがありがたい。

こんな素敵な出会いに恵まれたことも、宮古島の神様の計らいのように思い、心から感謝している。