古酒。

家を買った後に登記の登録が出来たので、手続きをしてくれた司法書士事務所に登記簿を取りに出かけた。

受付で要件を告げると、手に虎の置物を持った白髪のおじいが出てきた。

このおじいが司法書士なのだけど、宮古訛りがキツくて電話だとほとんど何を話しているのか聞き取ることができず、直接話していてもところどころ意味が不明で何度も聞き返してしまう。

「これは宮古の古酒だから、あなたにあげるから」

どうやら古い泡盛を僕にくれるらしい。

「古くてとてもいい酒だからね」

御礼を言うと、おじいさんは豪快に笑って中に入って行ってしまった。

きび倒し。

宮古島に引っ越してきてからこのところ、ずっと曇りか雨の日が続いていて、時々晴れ間が見えたとしてもすっきりと一日中晴れているという日がほとんどなかった。

石垣島には冬に1週間くらい滞在したことがあったので、冬の島の天気は日本海側のように曇りが多いことはわかっていたものの、毎日晴れないかと天気を気にしながら過ごしていた。

ボイラーの工事をしに来ていた時におじさんと話していると、天気の話になった。
「今日も風が強いですねえ・・・」「きび倒しが終わるまではだいたいこんな天気ですよ」
「きび倒しって・・・サトウキビ?」「サトウキビを今収穫してるでしょ?だいたい3月半ばくらいまではこんな天気ですよ」


僕たちの家の周りは「ざわわ・・・ざわわ・・・ざわわ・・・♪」という歌が聞こえてきそうなくらいサトウキビ畑が一面に広がっている。サトウキビ畑の西側の向こうには背の高い建物がないおかげで遠く海が見える。

この時期、至る所で朝早くからおじいさんやおばあさんが機械を使ってサトウキビを刈り取っているのが見える。機械の音は大きいけれどもその景色は雄大で、人々の日々の営みを感じさせ、どこか昔の西洋絵画を思わせる。

海はそんなサトウキビ畑の中を、今では自分の領土とでも思っているかのように、時々喜んで急に走り出したりしながら楽しそうに歩いていく。

サトウキビ畑の景色の移り変わりとともに、今の僕たちの毎日はある。

送料問題。

渋谷区に住んでいた時は、日用品で足りないものが出た時にはすぐにAmazonや楽天でポチッと買い物すれば、翌日には黙っていても手元に荷物は届けられていたし、それが当たり前の毎日だった。

熱海に引っ越した時には、Amazonでポチッとしても、2泊3日くらいで届くことが多く、それはそれで何も不便を感じずに過ごすことができていた。

宮古島に来てから、何気なくお酢や薄口醤油をAmazonでポチッとしてみたら、お届けが1週間後担っていて、尚且つ商品によっては送料が2000円くらいかかるものも普通にあった。800円の商品を買っても2000円送料が取られるなんて・・・。

1週間かかるなら、地元のスーパーで買おうと思って探してみたものの、自分がいつも使っている調味料は見当たらず、どちらを選択するかで結局Amazonで買うことにした。

宮古島に引っ越してきたので記念樹を植えたいと思い、2mくらいあるフサアカシアを本土で買って送ってもらおうとしたところ、宮古島には送ることはできないという連絡が入った。佐川だと空輸になるので4万5千円かかりますとのこと。

どうやら超大型荷物を宅配便で送ることも難しいようだ。

宮古島での暮らしは、今までの暮らし方を変えるいい機会にもなっているのだと思う。日用品にしても一つ一つ買うものと買い方を吟味して、どこでどうやって買うのかを決める。

今までの僕の暮らし方自体が、麻痺していておかしかったのだとも思えるのだ。

バラを植える。

熱海からバラを一つ一つ包んで段ボール箱に入れて引越し屋さんに運んでもらったのだけど、1週間以上経って宮古島に到着し、やっと庭に植え付けることが出来た。

夏の暑さや湿度を嫌うオールドローズを中心とした僕の家のバラは、耐寒性はあるものの耐暑性はないと思われる。それでももしかしたら宮古島でも花を咲かせてくれるかもしれないと思い運んでもらったのだった。

なるべく暑い西日を避けるように、慎重に植える場所を選び一つ一つ植え付ける。

僕たちの庭に、古のヨーロッパのオールドローズが芳しい花を咲かせてくれますように。

ドイツ文化村。

僕たちの家は、平良という宮古島の便利な町中ではなく、上野という田舎町にあるのだけど、この上野に住み始めて実は「ドイツ文化村」というところのすぐ近くであることがわかった。

「文化村」と言えば、僕がまだ学生だった頃に渋谷にできた「東急文化村」が思いつく。でも、宮古島にある「ドイツ文化村」のことは、「ヨーロッパに憧れた偽物の町なんじゃないか?」くらいに思っって気にも止めずにいた。

先日、宮古島の人気店「モジャ」のパン屋さんとお話ししていたところ、ワンちゃんは雨の日には「ドイツ文化村」を散歩させるといいと言っていたことを思い出し、天気が悪かったので行ってみることにした。僕の住む家の周りはさとうきび畑ばかりなので、雨が降ると赤土が道に溢れ出し、海の足が泥だらけになってしまうのだ。

家から車で5分の「ドイツ文化村」、こう名づけられるにはきちんとした理由があって、これが素晴らしい場所だったのだ。

1873年7月12日、ドイツの商船R.J.ロベルトソン号が航行中に台風に遭い上野宮国沖のリーフに座礁難破した。これを発見した宮古島の住民は、一晩中松明の灯りで勇気づけ、激浪の海にサバニを漕ぎ出し乗組員を救助。1ヶ月余りに渡り手厚く看護して、無事に本国に帰国させた。その報告を受けたドイツ皇帝ウエルヘルム一世は、島民の博愛の心を称えるため軍艦を派遣し、宮古島に「博愛記念碑」を建立した。


ドイツからそのまま運ばれたような洋館が立ち並び、ドイツの庭が再現されたような美しい広々とした石畳と芝生が広がっている。海に面して犬を連れて自由に入れる遊歩道があり、まるでここはドイツなの?と思ってしまうような美しい景観を作っているのだ。

海はご機嫌で歩きながら、僕たちも思いがけず素晴らしい場所に会えたと喜んだのだった。

宮古島のライフライン。

宮古島の新居に引っ越してきたはいいけれど、家のライフラインが東京の家と違っていてわからないことだらけでいる。

水道はもちろん普通に飲めるのだけど、日本にしては珍しく硬水なので、ステンレスに水垢がつきやすかったり、飲んだ感じが軟水に慣れた身にしてみれば少し違和感を感じる。そのせいか、お水を買っている人をよく見かける。

ガスはプロパンガスで、ガス屋さんに連絡すると持ってきてくれる。このガスは主にキッチンのコンロで使われる。

お風呂と給湯器にはガスではなくボイラー室があって、灯油を使ってお湯が沸かされて出てくる仕組み。

僕はこのボイラーというものを使ったことがなく、2日間くらい使い方がわからずお水で過ごしていたのだけど、さすがに寒すぎるので業者さんを呼んだ。「数年住んでいなかったせいかボイラーを使うと時々カラカラと音がするので、中を点検した方がいいでしょう。黒い煙が出たら危ないので知らせてください」と恐ろしいことを言って帰っていった。そんなことを言う前に直してから帰って欲しいものだ。

このボイラーが曲者で、お湯は出るのだけど温めたお湯を溜めておいてお湯を出す仕組みのため、シャワーの水圧がとても弱く、僕もKもシャワーを浴びながら侘しい気持ちになっていた。そこで、他の業者を呼んで何か方法はないかと聞いたところ、直接お湯を沸かす給湯器に変えたら水圧問題は解決されるとのこと。

「おいくらなんですか?」「16万5000円です」「シャワーの水圧のためには仕方ないか・・・」

エアコンも古いものが取り付けられているので、熱海から運んでもらった200Vのものを取り付けようとしたのだけど、分電盤が古いので付け替えないといけませんと言われ電気屋さんが来て見積もってもらったところ、「15万円です」と言われた。熱海で分電盤を変えた時に11万円だったので覚悟をしていたが、引き込む電線の距離が長いため多少値段が上がるのだそうだ。

新居への引っ越しであればこんな出費はないのだろうけど、中古物件を少しずつリフォームして暮らしていくことを選んだ僕たちは、こうやって一つ一つ問題を解決しながら、少しずつ住みやすい家に近づけていく。

引越し荷物がやってきた。

1月24日(水)に搬出した我が家の荷物は、25日にはコンテナに詰め込まれて、船は26日に有明埠頭を出発した。

宮古島の平良港に着いたのは恐らく昨日で、荷物を搬出してからちょうど1週間たった2月2日(水)に宮古島の我が家へやってきた。

朝の9時に引越し業者さんたちが現れて、現場の経路の確認をして、そこへ大きなトラックがコンテナを載せたまま家の前にやってきて、何度かハンドルを切り返しながら門の中に入ってきた。


リビングから見ていた僕たちは、あのコンテナ1つにうちの家財が全部入ったのかと不安になったのだけど、コンテナが開くと8割方上の方までギッシリと荷物が積み込まれていた。

業者さんは7人もいて、1時間もしない内に搬入は終わり、家の中は沢山のダンボールが積み上げられた。

通常の引越しならば、コンテナからまたもう一度トラックに荷物を詰め替える作業があるようだけど、宮古島は狭いので、コンテナごとトラックに積み上げて、そのまま引越し先に来て荷物を下ろすことができる。

やっと我が家の家具が届いて、海は早速ソファに乗って臭いを嗅いでいる。

業者さんが帰ると、今度は重機がやってきた。重機の先には大きなシークワーサーの木がぶら下がっている。

家の北側に浄化槽を新しく設置した際に、元からあった槇の木たちは切ってもらったのだけど、シークワーサーの大きな木が一本あって、それを切って捨ててしまうのはもったいないと思ったのだ。

そこで、業者さんにお願いして、日当たりのいい南側に植えてあげたいと伝えると、一つ返事で引き受けてくれた。

僕たちの力などでは運べない大きな木なので、重機がなかったら地面も掘ることはできない深さだ。


浄化槽の業者さんは、そんな大木を植えることを面倒とも言わず、ニコニコしながら土を掘り大木を植えてくれた。

「宮古島の人は温かい」

それは、今のところ僕が出会った人たちの印象だ。

とてもおっとりしている感じもあるけど、温かく人なつこい人が多い。

このシークワーサーの大木がうまく根付いて、いつか実がなったら、浄化槽の業者さんにも分けてあげたい。

Poloが宮古島の平良港に到着。

1月26日に東京の有明埠頭で預けたPoloが、7日経って宮古島の平良港に着いたのでいつでも取りに来てくださいと連絡が入った。

予定では明日のピックアップだったのだけど、早めに取りに行こうと出先からレンタカーで平良港へ向かう。

簡単にサインをして鍵をもらい、ぽつんと置いてある車を見つける。

車の中には土鍋やストウブなどの重たい鍋と観葉植物が積んであったのだけど、植物はなんとか1週間を生きながらえてくれていたようでほっとした。

レンタカーを1日早く返却したら、1日の半額分と保険部分が戻ってきた。

着々と我が家の荷物が手元に届きはじめた。