ドイツ文化村。

僕たちの家は、平良という宮古島の便利な町中ではなく、上野という田舎町にあるのだけど、この上野に住み始めて実は「ドイツ文化村」というところのすぐ近くであることがわかった。

「文化村」と言えば、僕がまだ学生だった頃に渋谷にできた「東急文化村」が思いつく。でも、宮古島にある「ドイツ文化村」のことは、「ヨーロッパに憧れた偽物の町なんじゃないか?」くらいに思っって気にも止めずにいた。

先日、宮古島の人気店「モジャ」のパン屋さんとお話ししていたところ、ワンちゃんは雨の日には「ドイツ文化村」を散歩させるといいと言っていたことを思い出し、天気が悪かったので行ってみることにした。僕の住む家の周りはさとうきび畑ばかりなので、雨が降ると赤土が道に溢れ出し、海の足が泥だらけになってしまうのだ。

家から車で5分の「ドイツ文化村」、こう名づけられるにはきちんとした理由があって、これが素晴らしい場所だったのだ。

1873年7月12日、ドイツの商船R.J.ロベルトソン号が航行中に台風に遭い上野宮国沖のリーフに座礁難破した。これを発見した宮古島の住民は、一晩中松明の灯りで勇気づけ、激浪の海にサバニを漕ぎ出し乗組員を救助。1ヶ月余りに渡り手厚く看護して、無事に本国に帰国させた。その報告を受けたドイツ皇帝ウエルヘルム一世は、島民の博愛の心を称えるため軍艦を派遣し、宮古島に「博愛記念碑」を建立した。


ドイツからそのまま運ばれたような洋館が立ち並び、ドイツの庭が再現されたような美しい広々とした石畳と芝生が広がっている。海に面して犬を連れて自由に入れる遊歩道があり、まるでここはドイツなの?と思ってしまうような美しい景観を作っているのだ。

海はご機嫌で歩きながら、僕たちも思いがけず素晴らしい場所に会えたと喜んだのだった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です