松坂牛たんど

仕事終わりのKを待って、車で四日市へ向かう。

途中、浜松のパーキングエリアで休んだけど、三重県四日市にはすんなりと着いた。

愛知県を横断してわかることは、東名に沿って延々と工業地帯が続いていること。ちょっと川崎や横浜に似た風景は、どうしても経済を優先させて来た後に残った環境汚染のことを思ってしまう。

はじめて来た四日市は、たまたま奈良との中継点だから泊まることにした。

10時を過ぎてご飯が食べられるところを探すと、焼肉屋さんが近くにあった。


分厚い牛タンが思いの外美味しかった。

⭐️松沢牛たんどhttps://www.tando.cc/

会社のデスクがなくなる。

僕の会社はコロナ禍ですぐにテレワークに切り替わったのだけど、その後もずっと基本的にはテレワークが続いている。その後会社の決断したことは、一人一人の個人のデスクをなくしてオープンオフィスにすること。それも2001年1月から。

それに伴い、12月中に全ての個人所有の荷物を持って帰らなければならなくなり、2回に分けてやっと荷物の整理を終わらせた。

26年以上いた会社なのでそれなりに荷物も多く、アートディレクターという職業柄写真集などの資料も多く、これがとても大変な作業だった。

机の中には入社当時の日記や様々なロケ地で撮影した写真なども出てきた。結局4つの段ボールを自宅に送り、会社にあった荷物は全てなくなった。

こうして会社になんにも荷物がなくなったことを思うと、「定年退職の日って、こんな感じなんだろうな・・・」と思ったのだ。入社した日なんて、つい昨年くらいに思い出せるのに、本当に30年近くも時が流れてしまったのだろうか?と不思議な気持ちになる。

会社人生の一番の財産は、毎月給料をもらえたことで、たくさんの旅行をできたこと。そして、美味しいものをたくさん食べたこと。人生の様々な体験をすることができたこと。

会社の業務のことではないけど、それがあの会社に入って一番良かったことだ。

海の準備。

海とは、今週末に我が家にやってくる生後2ヶ月のスタンダードプードルのこと。

海が家に来る日が迫ってきたので、様々な本やネットを読みながら準備をしているのだけど、大人になってから子犬を育てるのは初めてなこともあり、これでいいのだろうか?とわからないことばかり。

例えば、いずれは一人でもお留守番できるようにと、少し大きめのケージを買った。このケージ、北欧のデザインのもので、我ながら買ってよかったとほくそ笑んでいた。

このケージは我々の寝室とつながっている3畳の畳の部屋に設置した。最初は大抵ここにいて、時々出して遊んで、トイレができるようになったら次第に外にいる時間を増やしていけばいいと・・・。

その後本を読んでいたら、「犬はできるだけ人のいる場所にいるのが望ましい。例えば、リビングに」

我が家のリビングは、今までの19畳のリビングとは違い、12畳になってしまった。そこにケージを置くのはかなりきつい・・・どうしよう・・・と散々迷った挙句、先日カインズで小さなケージを買った。

このケージは、トイレを置いてトイレ訓練をしつつ、横にクレート(犬が入る移動できるかごのようなもの)を置いてそこで休ませれば良いか・・・。

犬1匹のために、いずれすぐに入らなくなるケージを2つも買ってしまった自分に呆れるし、おもちゃだのブラシだのまだまだ他にも必要なものが次から次にあって、Kと二人色々相談しながら少しずつ買い足している。

目下の不安は、土曜日に家にきた後、来週の火曜日に僕が家を空けなくてはいけないこと。僕の不在の間、泣き続けているかもしれないと思うと、どうしたものかと頭を悩ませている。

隣近所は幸い離れているので、それほどうるさくわないとは思うものの、「なにごとか?」とは思うはず。どうしたものか?

「結婚の自由をすべての人に」訴訟:本人尋問の機会を奪わないでください。

先日の裁判の期日で、裁判長と言い合いになったことはここに書いた。

通常の裁判であれば行う原告による本人尋問を、裁判長は必要だとは思っていないようで、このままだと本人尋問のないまま、地裁は結審へと向かいそうなのである。

そこで、弁護団と一緒に記者会見を開き、全国から賛同者の署名を集め、裁判長に本人尋問をしてもらえないかという内容の手紙を署名とともに送ることにした。

もしもこのまま本人尋問が行われなければ、僕たち原告の証言や証拠としては、陳述書のみが一人歩きしていくようだ。陳述書は、自分の人生を総括して色々書いたつもりではあるが、そこには書ききれない様々な不平等や困難が僕たちの日常には溢れている。

高等裁判所、最高裁判所に行った時に、きちんと証言や証拠として残せるように、どうか我々に本人尋問の機会を与えて欲しい。

もしも、これらの思いに賛同してくださるならば、下記のサイト「change.org」から賛同願えないでしょうか?

⭕️https://www.change.org/p/東京地方裁判所-裁判長-同性婚訴訟の原告から-本人尋問-の機会を奪わないでください?recruiter=59721583&utm_source=share_petition&utm_medium=twitter&utm_campaign=psf_combo_share_initial&utm_term=psf_combo_share_initial&recruited_by_id=ceb8e470-ba54-0130-0931-00221964dac8

<以下は、僕の記者会見の内容です>
原告のただしです。私は51歳です。現在16歳年下のパートナーかつと一緒に暮らしています。

陳述書では、今までの人生のことを総括して書きましたが、今現在も私たちの生活は続いていて、日々様々な困難に向き合っています。裁判官の方々にはどうか、私たちの口から本人尋問を聞いていただきたいです。

今年になってコロナウイルスの影響で働き方が変わってきたこともあり、私は10月の終わりに、東京の渋谷区から離れて田舎町に引越しました。

新しい家を探す時に、二人で家を買うことも考えましたが、
私とかつは家族と認められていないため共有名義にはできないし、私の名前で家を買ったとしてもかつは相続できません。

家を借りる時には、不動産屋に話すのはどのタイミングがいいのか?大家さんは同性カップルを受け入れてくれるだろうか?審査で男同士の入居が理由で落とされないだろうか?不安はいつもつきまとっていました。
かつが病院勤務で少し離れた町に毎朝車で通勤することになり、自動車を購入しました。私の名義で買った自動車ですが、毎日通勤で一番乗るのはかつです。かつのための保険に入ろうとしましたが、ほとんど全ての保険会社で断られました。家族として認められていないからです。

田舎町に引っ越した翌日に、隣近所に挨拶に行きました。私たちは二人の関係性を隠すつもりはありませんが、はじめての人に自ら二人の関係性を伝えることもしません。

なぜならば、同性同士のカップルは、未だに国によって認められていないため、恐らく家族として受け入れてもらえないだろうし、同性同士が一緒に暮らしているとわかると、影で色々な噂をされるかもしれないことを恐れているからです。

私は51歳なのですが、年齢を重ねていく不安もあります。私の命に関わるもしもの時に、この田舎町の病院でかつは家族として認めてもらえないかもしれない、私のそばにいることができないのではないか?と不安になることがあります。

私たちは、自分が心惹かれる対象が同性であるというだけで、こうして今でも生活のあらゆる場面で、不平等や差別を強いられながら暮らしています。

これは、人権の問題ではないでしょうか?

裁判官は、私たちの意見陳述は夾雑物であり、今回の裁判は法律の話なので本人尋問はあまり重要ではないとお考えのようです。しかし、数ヶ月前に提出した紙の陳述書だけではなく、今現在の暮らしにおいて日々感じている二流市民のような扱いや不平等の話を、是非本人尋問で私たちそれぞれの原告の口から聞いていただきたいのです。

花の苗を植える。

我が家の階段の周りには、山に面した斜面があって、大きなもみじやくぬぎ、栗やどんぐりなどの他は、ほとんど雑草が生い茂っている。

家から運んでもらった植物を春までに植えたいと思っているが、まずは空いた時間を利用して花の苗を植え付けた。

ケースで頼んだ苗


斜面があまりにも大きいため、パンジーやプリムラを24個入りのセットで頼んで、交互に植え付ける。黄色パンジー24個・赤紫パンジー24個・プリムラ24個あったはずの苗が、あっという間になくなった。

これに後からガーデンシクラメンを足して、冬の寒い間、咲き続けてくれたらいうれしいな。

一鰻

伊東に行ったついでに、ランチを食べようと思い、見つけた鰻屋さんがこの「一鰻」。

駅のそばだけど、シックな店内にお客さんはいなくて、若い大将が見える。表には、「鰻丼6,800円のみ」。それを見たKが、「これしかないみたい。ただしくん、やめようよ」

「せっかく来たんだから入ってみよう」そう言って入って見ると、店内には、「写真撮影お断り」「山椒は置いていません」「鰻にはわさびをつけて召し上がってください」などと買いてある。

店内にはジャズが流れ、とてもいい感じのお店だけど、大将のこだわりが相当強いのがわかる。

鰻丼を二つ頼んで待っていると、ゆっくり何度も串の上下を変えて、火の加減を見ながら焼く場所も変えながら鰻を丁寧に調理する大将が見える。

出された鰻丼は、今まで食べたことがないくらいふっくらとして美味しく、外はこんがりといい感じに焼けていた。一番驚いたのは肝吸いで、大きな肝が、プリップリのまま柔らかい感触を残していたのだ。

普通、肝吸いは、肝が縮まって固くなっているのがほとんどだけど、ここは肝の食感を残して火を入れているのだった。

写真を一枚も撮れなかったのが残念だけど、もし伊東に行くことがあったら、「一鰻」をおすすめする。ちなみに下田には、美味しい鰻屋さん「小川家」がある。

関連ランキング:うなぎ | 伊東駅

CAINZ

カインズをご存知だろうか?

僕が住んでいた渋谷区界隈にはカインズなるものはなかったから知らなかったのだけど、伊東に遠出をしてこのカインズに行ったら、本当に驚いたのだ。


単なるホームセンターかと思ったら、そうではなくて、整然と商品が並び、リフォーム・インテリア・エクステリア・園芸・資材・ペット・自転車・フード・酒など、暮らしに関わる何もかもが揃っていて、なんというか、海外にある大きなホームセンターのようなオシャレな佇まいなのだ。

特筆すべきは、自社製品のデザイン性が高いこと。無印良品とも違って使い方や利便性、デザインを考えきちんとデザインされている。

今回、カインズには、海(僕の家に来る犬の名前)のおもちゃなんかを買いに来たのだけど、あまりにも買いたいものが多くて、思わず爆買いしてしまった。

落ち葉掃き。

隣の家のおじさんがこちらに見えた時に、

「道の落ち葉はひっきりなしに落ちてくるので、掃いたら、通りの向こうの竹やぶの崖に落としちゃっていいですから。私はゴミ袋で捨てて流けど、向こうに投げちゃっていいですからね・・・」

僕の家には大きな樹木が何本かあって、この時期毎日ものすごい数の落ち葉が落ちている。紅葉も終わりに差し掛かり、毎日がまるで舞台美術を見ているようにハラハラと美しい紅の葉っぱが落ちていく。

隣のおじさんは、もしかしたら暗に、「葉っぱがたくさん落ちるから、掃除してね」と言っていたのかもしれない・・・だっておじさんの家には大木はなくて、うちの敷地の木々の落ち葉が完全におじさんの家にまで葉っぱを毎日落としているから。

55段くらいある階段と、家の前の数十メートルの道を掃くことは毎日は難しいけど、週に2・3回ならできるだろう。そう思って箒を持って一気に掃いて、おまけに左右の隣の家の前も掃いたらヘトヘトになった。

これだけ大きな敷地を掃いたことも今までなかったからしょうがないけど、こんなことも次第に慣れていくだろうか?

綺麗に掃いた階段や道を見ると清々しい気持ちになったけど、夕方窓から覗いたら、また落ち葉が容赦無く空から降っては落ちていた。

バス停の花。

家から山を降りて歩いていくと、7分くらいでバス停に着く。

朝の7時代には1時間に4本あるけど、大抵2本で、少ないときは1本になってしまうバス。それでもこの路線はまだ本数がある方なのだそうだ。

バスを1本逃したら、30分くらい待つのは当たり前だし、バスは時間通りにはあまり来なくて、10分くらい待たされることもある。東京で暮らしていた時のことを思えば、ありえないことばかりなのだけど、それがこの熱海の日常なのだ。

そんなこともあり、バス停で待つ時間は大抵10分くらいあって、スマホを見たりしながら待つのだけど、今日はなぜかバス停の看板にふとお花がいけてあるのに気づいた。

一体誰がいけたのだろう?地味なお花だけどわざわざお花を摘んだのかここまで持って来て、花をさしてお水を入れるのだろう。誰がやっているのか、その行為自体を思って温かい気持ちになる。

こんな小さなお花に気づく人もいないかもしれないのに・・・、いつかこのお花を持って来ている人に会ったら、話しかけてみたい。

期日(結婚の自由をすべての人に訴訟)。

5月に予定されていた裁判の期日が、コロナの影響で結局12月2日になった。

今回は、裁判長の横(左右)に座っていた若手裁判官がまるっと交代したので、まずは弁護士から原告側の主張や総括をお伝えし、その後、原告3人による意見陳述が行われた。

この意見陳述がどれも感動的で、一人ひとりがそれぞれ傷ついてきたことを思うと涙がじんわりとこみ上げてきた。

そこから裁判は大もめになった。

それは、裁判長が、今回の我々の裁判では原告側の本人尋問は行わないという姿勢を崩さなかったから。裁判長にとって、原告の陳述はそもそも「夾雑物」であり、裁判にはあまり関係ないものと思っているらしいのだ。

弁護士たちは、なんとか本人尋問をおこなってくださいと、入れ替わり立ち替わり裁判長にお願いした。僕もすかさず立ち上がり、どうか我々の本人尋問をおこなってくださいと懇願したのだ。

中川弁護士と裁判長がかなり感情的な言い合いになったけど、結局裁判長は尋問など必要ではないという立場を崩す事はなかった。

我々の意見陳述というのは、裁判では実は証拠にはならないらしい。陳述書は証拠になるのだけど、陳述書に書ききれない様々な不平等や差別、苦しんだことを、本人尋問として発言しなければ、この裁判の証拠として扱われる事はないのだ。

これは、我々だけでなく、日本で暮らすたくさんのセクシュアルマイノリティのための裁判。

何としてでも平等の権利を勝ち取るまで、引き下がるわけにはいかないのだと、今日も気持ちを新たにしたのだった。