今年の6月20日は、お財布を。

今年の6月20日は、新しいことを始めるのにいい日だとかで、お財布を買うのにも一番いい日なのだそうだ。

色々なネットの記事にそんなことが書いてあって、Kとお揃いで買ったイルビゾンテの皮の財布もくたびれてきていたので、伊勢丹の財布売り場に行った。

昔は、「お金持ちは長財布」とよく言われたものだけど、僕のようにカバンを持ち歩かない行動パターンからすると長財布は使い勝手が悪く、最近は短い財布にしていた。

でも、小銭が入ると厚みも出て、フィットしたパンツを履くと、財布の形が気になってもいたのだ。

コロナの流行もあって、現金を使う機会が少しずつ減ってきているので、思い切ってすごく薄い財布にすることにした。クレジットカード2枚と、パスモ、OKスーパーのカード、新宿御苑のパス。

色々見た挙句、結局、コムデギャルソンの財布にした。僕は紺色でKは水色。

コムデギャルソンのロゴを見たKは、「コムサデモード?」と言ったので笑ってしまったのだけど、Kがコムサを知っているのは、家の近くにコムサの会社「FIVE FOX」があるから。

「僕が高校生の頃、コムデギャルソンは圧倒的な存在感があってね・・・骨董通りにお店があって・・・川久保玲という天才デザイナーが・・・」と話しても、洋服には全く興味のないKにとっては、コムデもコムサも関係ないようだった。

朝ごはんの難しさ。

うちでは毎日、朝ごはんをしっかりと食べる。

朝ごはんを食べないと、午前中でもお腹が空いて力が入らなくなるし、午後もその影響が残る気がする。

でも前日に、明日の朝ごはんは、干物を焼いて、ご飯を炊いて、味噌汁を作って・・・と準備していても、いざ朝起きてみると、そういう気分でない時もあるものだ。

お酒を結構飲んだ翌日とか、遅く眠りについた翌日とか、重たいお米ではなく、かといって口の中が乾くパンでもなく・・・という日があったりする。

そんな日は、アボカドを中心にしたサラダのような朝ごはんにしてみる。アボカドの他には、冷蔵庫にある野菜を適当に。それに、卵やチーズのタンパク質をきちんと入れて。

今日は、今年初のゴーヤーをツナと和えたサラダや、トマト、茹でたトウモロコシを一緒にしてみた。野菜はスーッと口から入って行き、オリーブオイルを絡めたアボカドも美味しく食べ応えがある。

基本的に朝ごはんは前日の夜に準備をしておくものだけど、「今、食べたいものはなんだろう?」と臨機応変に変更できるようにしておいた方がいい。

その時に食べたいものが変わるというのも、生きている証だし、自分が何が食べたいのか、身体の声を聞くということも大切なこと。

最後の一葉。

2月末からずーっとリモートワークが続いている中で、やっと少しずつ会社に入館できるようになった。

僕はまだ出社していないのだけど、実際に出社した人からいきなり僕の机の上の写真が送られて来た。

僕の机の上には、小さなゴムの木があるのだけど、びっくりしたのは、もう絶対に死んでしまったと諦めていたゴムの木の、葉っぱが一枚だけ奇跡のように残っていたこと。

実は、この4ヶ月間、ずーっとずーっとこのゴムの木のことが気になっていたのだ。

基本的に入館が許されなかった4ヶ月間、2月と3月初めに理由をつけて入館して、その際にお水をあげて、2回目では洗面器いっぱいにお水をあげて、これでそのうちコロナ騒ぎも終わるだろう・・・と思っていたのだ。

でも、僕が思っていた以上に東京の状況はよくはならず、もう会社に入ることのできない状態になってしまった。

途中、一度だけ女性の先輩が出社した際に、「お水をあげておきました」という嬉しいメールをいただいたのだけど、それからだって3ヶ月はあったと思う。

ゴムの木は、自分の身体から水分をなるべく蒸発させないようにと、葉っぱを1枚1枚落としながら、耐えて生きていたのだと思う。

そうして葉っぱがたった1枚になってしまっても、またいつかお水をもらえるかもしれないという希望にしがみついていたのだ。

植物の生命力の強さに、改めて感動した。

初夏の食べ物:トウモロコシ

この時期、トウモロコシがスーパーで並んでいると、つい買ってしまう。

茹でただけなのに、こんなに美味しいと思える食べ物も、そうそうないように思う。

トウモロコシの欠点は、歯に挟まることだろうか。

3本のトウモロコシを茹でて、テーブルに置いておくと、仕事から帰ってきたKがかぶりついた。

枝豆でもトウモロコシでも、家に帰ってきて、すぐに食べられる茹でた野菜が何かあるだけで、頼もしいものだ。この時期にしか食べることのできない野菜や果物を、できるだけ身体に摂るようにしている。

<トウモロコシの茹で方『ガッテン』>

水からとうもろこしを入れて沸騰してから3分加熱、火を止めて塩を振り入れ4分放置。(塩の分量は、1リットルの水に大さじ2。1.5リットルの水には大さじ3)

エコバッグ。

世の中、デパートやコンビニでさえも、ビニール袋が有料になるように変わってきた。

この流れを僕はとてもいいことだと思っていて、急にエコバッグの活躍が日常生活でも増えてきたように思う。

近所の買い物だと、このマルシェバッグを持っていくのだけど、少し散歩する時などは、ニューヨークで買ったエコバッグをポケットに入れて持っていく。

エコバッグの必須条件は、とにかく小さく折りたためて軽量で、水にも強いということだろうけど、僕はどうしてもこのナイロンやビニール、プラスチックの素材が好きではないのだ。手で広げる時も、手で持つ時も、肩にかける時も、この感触が本能的に苦手なのだ。

そこでふと思いついて、最近はコットン製のトートバッグを使うようになった。

ポートランドの古い書店で買い求めた

トートバッグは、旅行の時によく買い求めてきたので、気づいたら何種類も在庫があり、このところ旅行で僕がトートバッグを手に持って買おうとすると、

「ただしくん、トートバッグ使いきれないくらいあるでしょ」

と、毎回Kに止められるアイテムの一つ。

でも、これからは家で眠っていたトートバッグを、適当に気分によって使うことができる。

ちょっとした違いなのだけど、コットンのバッグを広げて、野菜や豆腐、果物を入れる。手で持ちながら、「ああ、やっぱり天然素材が好きなんだよな・・・」と思うのだ。

これも、リモートワークで頻繁に買い物をするようになって、改めて自分の本当に好きなものが見えてきた証。

眠れない夜。

編集で22時まで働いた後、あまりにも疲れていたのでタクシーで家に帰り、持ち帰ったお弁当を食べ、仕事モードで火照った頭を冷やそうと、ほんの少しレモンサワーを飲んだ。

23時すぎになり、ベッドに入ったのだけど、目が冴えて、頭の中がぐるぐると仕事モードになった状態のまま、全く眠れずにリビングと寝室を行ったり来たり。

途中、リビングのソファの上で寝ようかと思い、態勢を整えるも眠れず、柔軟体操したり、ネットを見たりしながら、5時頃ベッドに行き、うとうとして5時半になり、そのまま待っていたらKが起きた。

普段と同じようにしらす丼を作り、ワカメの味噌汁を作り、茹でた野菜やきゅうりを並べて朝ごはんを食べた。Kを送り出して、急に睡魔に襲われて、1時間半くらいソファの上で気絶したように眠った。

こんなに朝まで眠れなかったのはほとんど初めてで、自律神経がおかしくなってしまったのだろうか?と考えていたのだけど、よくよく考えて一つ思いついた。

編集室に入る前に、ローソンでアイスコーヒーを買い求めたのだ。それが、500mlくらいあるサイズでびっくりして、それを作業をしながら飲み続けた。

もともとコーヒーは、あの酸味が好きではなく、あまり飲まなかったのだけど、朝だけ目を覚ますために1杯くらい飲むことはあった。でも、ここ4ヶ月くらいのリモートワークの中で、コーヒーには口をつけていなかったのだ。

母は、絶対にコーヒーを口にしない人で、「眠れなくなるから、あなたも飲まない方がいいわよ」と言っていた。

僕は得意先や仕事中に出されることもあり、コーヒーは飲んだり飲まなかったりしていたのだ。でも、この4ヶ月でまっさらな身体になったことによって、はっきりとした拒絶反応が現れたのだろうと思ったのだ。

会社に行っていた時は、忙しさの中で分からなくなっていたことを、思いがけずリモートワークによって、自分の身体の本能が目覚めたのだ。

初夏の仕事:山椒の実の保存


春先に食べる竹の子に添えてある山椒の葉は、山の春を凝縮したような香りがなんとも言えない。

山椒の実も好きで、イワシと一緒に煮たり、牛肉と煮たり、味噌漬けの肉に添えたり、西京漬の魚に添えたり、使い方はいくらでもある。

Amazonでポチッとすれば買えるものではあるけど、梅雨の走りのこの時期に出回る山椒を見かけると、迷わず買い求める。高知県産のものは安く、京都産のものはまるでブランド山椒のように、格別に高い。これは竹の子も同じ。

この作業で唯一嫌なことがあるとすると、山椒の実を、小枝から丁寧に取り外すこと。小さな枝は取ること自体が面倒で、一人でやっていると、その遅々とした成果にうんざりしてくるし、単純作業に発狂しそうになる。でもこの単純作業は気の持ちようによっては無心になれて、軽いトランス状態になることもできる。

気の短い僕は、山椒の実についたこの枝というか、小さな茎のようなものは、それほど気にせずざっくりと取るようにしている。

どうせ、葉っぱも食べられるのだから、実をつなく小さな繊維も食べられるのだ。きになる場合は、料理に使う時に除けば良いと思う。料理に使う時は、せいぜい大さじ1杯くらいなのだから。

<山椒の実の保存>
1. 山椒は、たっぷりの水にしばらくつけたのちに、ざっくりと洗う。結構葉っぱや枯れた枝も入っている。

2. 山椒の実を小枝から辛抱強く外す。

3. 2Lくらいのたっぷりのお湯を沸かして、塩を大さじ2くらい入れ、山椒の実を入れて7分間茹でる。5分から10分の間で、1粒食べて見て簡単に潰れたら良い。

4. 茹でた山椒をざるに上げて、ボウルに水を貯めて、山椒を水に放つ。水を3回くらい取り替えながら、1時間くらいつけて辛味を抜く。(これも好き好きで、ほとんどつけない人もいるし、4時間つけておく人もいる)

5. ざるに上げて、水気が取れたらジップロックなどに入れて冷凍庫に入れる。1年間はゆうに保存できる。

先に愛した人

台湾のゲイ映画『先に愛した人』は、台湾の湿度と雑踏に包まれた、素敵な映画だった。

一人の男性が亡くなり、その奥さんが中学生の息子を連れて若い男のアパートを訪ねるところからお話がはじまる。

死んだ男は、その若い男と付き合っていたようで、その保険金の受取人が、息子ではなく若い男に書き換えられていたというのだった。

そこから話は、息子の視点で語られていく。

お父さんがゲイで、若い男と駆け落ちして帰らなくなった上に死んでしまう・・・そこへ奥さんが出てきてがなりたてる・・・日本のゲイ映画で、こんな映画があっただろうか?

台湾のゲイシーンが、日本よりも遥かに進んでいるように、台湾のゲイ映画も、日本のゲイ映画よりもずっと進んでいると思った。

アジアの情念的な、演歌的な、ちょっと作りすぎなところもあるけど、映像を見ながら切なくて涙が頬をつたった。

⭐️先に愛した人https://www.netflix.com/jp/title/81045891

源氏名。

先日、友人たちとLINEで会話している時に、「そういえば昔は、みんな源氏名で呼ばれていたよね・・・」という話になった。

源氏名と聞いても、若い人はピンとこないかもしれないけど、昔は新宿2丁目などでは、自分の本名を誰もが隠していて、ほとんどの人が別の名前で呼び合うようにしていたのだ。

もちろん、本名の下の名前を言う人もいたけど、だいたい90パーセント以上の人は本名とは全然違う名前を名乗り、呼んでもらうのが当たり前だった。

それは今から考えると、自分がゲイであることを誰もが、自分の会社なり、学校なり、家族なりに、絶対にバレないようにひた隠しにしなければならないことが当たり前の世の中だったのだ。

そこには、ゲイであることは、どこか、人に知られてはいけない秘密。悪いこと。のような共通の認識があったのだと思う。

そしてこの、「人に知られてはいけない秘密」によって、僕たちは時に傷ついたり、自分の中の闇の部分であったり、人に言えない烙印のように感じていたのだろうけど、その反面、そういう他の人とは違う秘密の世界に属していることを、心のどこかで愉しんでいるようなところがあったとも思う。

そして、他の人には知られない秘密の世界が、「新宿2丁目」だったのだ。

そうであるからこそ、新宿2丁目は、世界でも他に類を見ない様々な文化が生まれ、育っていったのだと思う。

時代が変わり、新宿2丁目の秘密性や希少性がなくなってきた今は、いわゆる「新宿2丁目文化」的なものは、今後育ちにくいのかもしれないとも思う。

パストリーゼ77

パストリーゼ77という消毒液のことは、コロナ以前にここに書いたことがある。

うちではキッチンに常備してあって、まな板を拭いたり、ステンレスのキッチンの台を拭いたり、食卓を拭いたり、食品に吹きかけても大丈夫なので、様々な食材が置かれるキッチンでの安全のために使用して来た。

でも、コロナの騒ぎが起こり、アルコール消毒液が転売屋によって何万もする高値で売られ、酷い状況が続いていたが、マスクの転売禁止の次に、消毒液も転売禁止となり、高額の転売自体は無くなった。

それでもまだこのパストリーゼは手に入りづらく、次にどこで売られるかという情報公開を目的にしているツイッターまであるくらい。

どこかで売られていても、売り出しの時間丁度に構えてネットでポチッとしても、毎回カゴに入れられず売り切れになってしまうか、カゴに入れてもその後の手続きの間に売り切れになってしまうという、「なんなの!キィィィィーーーーー!」となってしまう事態が続いている。

でも、僕が、買えなかったと落胆するたびに、Kは、「すぐにまた普通に売られるからそんなに頑張らなくていいよ」と、どこ吹く風なのだ。

こっちは頑張って、時報を見ながらなんとか手に入れようとしているのに、Kはのんきにしていて、買えなかった僕を横目に見て笑っている。

腹立たしいと思いながら、僕もこんな消毒液ごときに気分を害されている自分が馬鹿馬鹿しいとも思うのだ。