會水庵

穴子玉子フハフハ丼

赤坂にある『會水庵』のことをここに書くのは3回目。

今回のこのブログでは、『検索機能』がついたため、このブログ内の記事から検索出来るようになったのだ!(3回目というのは、試しに検索してみてわかった)笑

赤坂のTBS通りをちょっと小道を入ったところにある『會水庵』は、お昼時にはちょっとした行列が出来る和食屋さん。

ここのお店でオススメは、焼きいわし丼か、しらすといわしの親子丼か、穴子玉子ふはふは丼。

開いたいわしをじっくりと焼いただけで、「美味しいとは、こういうものなんだ?」としみじみと胸の奥深くに届くような味わいなのだ。

僕が頼むのは大抵焼きいわし丼。Kは、穴子が大好きなので穴子玉子ふはふは丼。

お店をやってらっしゃるご夫婦もとても感じがいいので、いつか夜に食べに来てみたいと思いながら、まだ来れていない。

夜もきっと、「ああ、おいしい」と思えるようなシンプルな料理なんだろうな。

⭐️

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ゴルゴンゾーラ

冷凍庫には、パルミジャーノ・レッジャーノと、無添加のピザ用チーズ、そして、ゴルゴンゾーラをいつも常備してある。

ゴルゴンゾーラは、塩気が強く青カビが多くピリッとしておるピカンテと、少しマイルドで青カビが少なめのドルチェがあるが、どちらも何故か蜂蜜に合うのが不思議。

高校生の時に、はじめてゴルゴンゾーラを食べた時に、「世の中に、こんなに美味しいものがあったんだ」と感動したのを覚えているが、その気持ちは今でも変わらない。

一番よく作るのは、生クリームに溶かしてパスタのソースにすること。

そして時々余った椎茸で作るのが、この椎茸ゴルゴンゾーラ。

椎茸の軸を切って、傘の裏側にゴルゴンゾーラを乗せて、網で焼くだけ。ゴルゴンゾーラが溶けてきたら食べごろ。(一手間かけたければ、殻の裏に醤油を塗ってもいい)

椎茸の軸は、まとめて冷凍しておいて、まとまったら細長く切って、ニンニクとオリーブオイルと赤唐辛子でアーリオ・オーリオにすると美味しい。

僕と付き合いはじめた頃のKは、チーズにあまり馴染みがなくて、臭い匂いに抵抗があったようだけど、今では僕以上のチーズ好きになってしまった。

人と付き合っていくうちに、苦手なものを克服するようなことがたまにあるけど、「変われる」って、人と付き合う醍醐味のひとつかもしれない。

白万重


今年は暖冬だったせいか、ベランダで気がつくとクレマチスの『白万重』が咲いていた。

気がつくとというのは、この花が緑色に近い白なので、咲いていてもパッと見、気づかないことがあるから。

それにしても、このテッセンの面影を留めつつ、八重に重なる白い花のなんと美しいことか。

似ている花に、『ダッチェス・オブ・エジンバラ』というエジンバラ公爵夫人というもっと大きく豪華な白い八重の花があるが、そちらはイギリス王家といった華やかな感じ。

『白万重』は、どこか楚々とした日本的なしとやかさを感じる。

ジュディ 虹の彼方に

日本での公開前から主役のレニー・ゼルウィガーの演技が評判になっていたけど、見事にゴールデングローブ賞もアカデミー賞も受賞した。

楽しみに見に行った『ジュディ 虹の彼方へ』は、全盛期のジュディ・ガーランドではなく、晩年のジュディにスポットライトを当てている。ところどころで幼少期の話が挟まれ、彼女の人生全体をとてもわかりやすく浮かび上がらせている。

 

ジュディ・ガーランドといえば、アメリカでは言わずと知れた、比類なきゲイアイコン。ジュディが映画『オズの魔法使』(1939)で演じた少女ドロシーにちなんで、ゲイは自分たちのことをしばしばフレンズ・オブ・ドロシーと呼んだそうだ。

ジュディ・ガーランドがなぜそれほどまでにゲイやLGBTQに指示されるのか、僕も詳しくは知らないし、日本ではほとんど知られていないことだと思う。

実際のジュディのお父さんがゲイであったり、2番めのヴィンセントミネリがゲイであったり。4番めのマークヘロンもゲイであったり、それにも増してショウビジネスの世界でゲイに囲まれていたからとも言われている。

また、『オズの魔法使い』の世界が、昨年のMETガラで話題になったテーマ『CAMP(華美で楽しく不自然なくらい作り込まれた世界)』を作り上げていて、この世界観が多くのゲイに共感されたとも言われている。

レインボーフラッグはこの歌にちなんで作られた訳ではないようだけど、レインボーフラッグ以前に『虹の彼方に』はあったわけで、ゲイやLGBTQの人々は、まだ差別やヘイトクライムが続く時代に、この歌に身を寄せるように生きていたのだと思う。

 

レニー・ゼルウィガーってわからないほど、圧巻のステージと歌声で魅了された。映画を見終わって、昔見た『オズの魔法使い』を、もう一度Kと一緒に見てみたいと思った。

⭐️ジュディ 虹の彼方にhttps://gaga.ne.jp/judy/

メガネも、安くて良いデザインを。

普段は僕もKもコンタクトをしているのだけど、時々メガネをかける。

メガネは、ずっと999.9をメインにしている。

ほかのブランドもいくつも試したけど、結局メガネは長時間かけていて疲れないもの、かけ心地に尽きるのではないかと思っている。

先日ネットの記事を目にして、お散歩がてら原宿のJINSに立ち寄ってみた。

パリの兄弟2人組のデザイナーであるロナン&エルワン・ブルレックの手がけたメガネが5000円で買えるというのだ。しかも、レンズ代込みで!

原宿東急プラザの5階にあるJINSは、場所柄かコロナウイルスの影響か空いていて、すぐにメガネを試すことができた。

このSUGATAシリーズ、かなり人気のようで、マットの色などは既に在庫切れになっていたのだけど、僕は茶色のフレームのもの、Kはグレーのフレームのものを買い求めた。

つけ心地がよくて驚くほど軽い。しかも、視力の検査をして10分足らずでメガネが出来上がった。信じられないことは、レンズ代入れて消費税合わせて5500円という価格。

 

他のデザインで老眼鏡作ってもいいかも。

999.9ならばレンズ代入れて4万円以上が当たり前だったので、これで旅行行けるじゃん!と思い、これからはこんな買い物もいいかもと思ったのだ。

⭐️SUGATAhttps://designproject.jins.com/jp/ja/sugata/

Cooperstown からのメール。

僕たちが、2年前に遊びに行ったニューヨーク郊外に住む友人から、久しぶりにメールが来た。

『恐ろしい時代 けれど元気?
僕たちは all right です。

Please take care.』

新型コロナウイルスによる日本の影響を心配しているようで、僕もすぐに返信を書いた。

目に見えないウイルスは、今や世界中に広がり、未だに収束する気配もない。

そんな中、遠い国から気遣ってくれる友人のメールは、ほっこりと温かく感じられた。

※写真は、春を感じる彼らのお庭。

立憲民主党と社民党でお話しをしました。


立憲民主党と社民党の政治家と、今回の訴訟について原告と弁護士がお話をする会が設けられた。

立憲民主党は、枝野さん、福山さん、辻本さん、西村さん、尾辻さん。社民党は、福島さん。原告は、僕と西川さんのふたり。西川さんは、共産党と立憲民主党。僕は立憲民主党と社民党。

もともと協力的な野党に話をしても、国の法律は変わらないとは思うのだけど、国会で話題に出るだけで、国民の関心も寄せられるかと思う。いつかは与党とお話しをしたいと思っているのだけど、今のところそれがなかなか難しいのだ。

僕の話の趣旨は、この訴訟は、『同性婚好き嫌いの問題』ではなく、『人権の問題』であるということ。地道に正確な知識を啓発することで、次のステップに繋がっていくことを願っている。

<以下は、スピーチの内容>

『結婚の自由をすべての人に訴訟:原告としてお伝えしたいこと』
2020/03/05 ただし

●自己紹介。
原告のただしです。
私は51歳で、16歳下のかつというパートナーがいます。
九州出身のかつは、私と一緒に暮らすために医療の仕事を辞めて東京に出てきました。

私たちの暮らしは、かつが洗濯や掃除をして私がごはんを作り、ふたりで一緒に朝ごはんを食べます。そして、毎朝手を振りながら私がかつを見送ります。早めに私が帰れる日は、私がごはんを作り、今日あった出来事を話しながらふたりで一緒に晩ごはんを食べます。

●母へのカミングアウト。
かつと訴訟に出ることを決めた後に、母とランチをしながら母にはじめて自分の口からカミングアウトをしました。

母の瞳には落胆の色が見え、自分を責めているようにも感じました。私がその時に、何よりもつらく悲しかったことは、母が私のことを、「かわいそうな子」「他の子より劣っている子」と思っているように感じたことでした。

でも、最後に思い知ったのは、ゲイであることを蔑んだり恥ずかしいと思っているのは、母ではなく自分だったということでした。

●幼少時代。
私は物心ついた頃から、好きになる人も興味の対象も、ずっと男性でした。そしてこのことは絶対に父や母や周りの人には知られないようにと幼心に決めて生きてきました。なぜなら、友達にいじめられたくなかったし、なによりも、自分の愛する父や母に、自分のことを嫌いになって欲しくなかったからです。

中学校でも高校でも、自分は病気なのではないか?いつかは女の子を好きになることができるのではないか?と死に物狂いでいろいろ試したのですが、結局それは変えることは出来ませんでした。

なぜならば、性的指向は病気ではなく、自らの意志や努力、他者の力によっても変えることのできないものだったのです。

学生の頃からいつも思っていたことは、自分は兄のように結婚はできないし、子どもも持つことはできない。このままずっと、生涯死ぬまでひとりで生きていかなければならないということでした。

●なぜ原告になったのか。
私がなぜ原告になったのかをお話ししますと、50歳の私には、国を相手に裁判で争うことよりも、このままかつとふたりでどこか海の見える田舎町でひっそりと生きていく方が楽だと思っていました。

でもある日、もしも私が物心ついた時から、男性同士が結婚できたのなら人生はどうだっただろう・・・?と想像してみたのです。

家族や親戚、会社の先輩や後輩、中学や高校の友人たち、みんなから笑って祝福される結婚式があっただろうし、ふたりで相談しながらマイホームを買う夢だってあっただろうし、もしかしたら子どもを持つことだってできたかもしれません。

そんな、男女のカップルであれば当たり前のことを、私たちは予め自分の人生にはないものとして生きてきたのです。

そう思ったら、これからの若い世代の人たちにとって、誰もが好きな人と結婚できるという当たり前の選択肢が、はじめからある社会であって欲しいと思いました。

●結婚によって叶うこと。
昨年から私の会社でも、同性パートナーとしての届け出が認められるようになり、結婚休暇、服喪休暇、家族看護休暇、育児休暇、介護休暇などが取れるようになりました。

しかし、万が一私が倒れてしまっても、かつは病院で医師と私の治療法を話し合うことはできないでしょう。16歳年上の私が先に亡くなったとしても、かつに遺産を遺してあげることもできません。

そんなことを想像するたびに、いつも自分たちが『二流市民』のように扱われているように感じています。

アメリカでは、結婚することによって得られる社会保障は、1500以上あるようですし、日本でも同じようにあるのだと思います。でも私たちは、そんな保証など何一つないものとして生きていかなければならないのです。

●同性で結婚ができないことは、『人権問題』。
今日、このお話を聞いてくださっている方の中には、もしかしたら正直、「同性愛なんて周りにいないし、気持ち悪い」と思っていらっしゃる方もいるかもしれません。ですが、どうか考えていただきたいのは、これは好き嫌いの問題ではなくて『人権』の問題だということです。

現在の日本では、同性愛の若者は、自己肯定感が得られず、いじめや差別を恐れて自傷行為や自殺を選ぶ人が、異性愛の若者に比べて約6倍も多いという報告があります。

これは、私たちの国が同性同士の結婚を認めていない。同性を好きな人たちを、劣った存在のように扱っていることが、直接原因として結びついているように思われます。

『世界がもし100人の村だったら』という本の中には、100人の村の中で11人が同性愛者であると書かれているのですが、同性を好きになる人は、この国でもあなたのすぐそばに必ずいます。

もしも、周りにいないと感じているならば、彼らがいじめや差別を恐れて、息を潜めて暮しているからです。

肌の白い人や黒い人、背の高い人や低い人がいるように、性的指向は、無理やり変えることのできないその人の属性であり個性の一つです。

その人の変えることの出来ない属性によって、いじめや差別を受ける。若者が命を落とす。その人の変えることの出来ない属性によって、自分の好きな人と結婚することができない。平等の権利が与えられない。他の人よりも劣った人間のように扱われる。

そういう時代はもう、私たちの世代で終わりにしたいのです。

●結婚は誰にでも平等の権利。
そもそも結婚とは、誰かに許しをもらうものでしょうか?
この国には、結婚ができる人と、結婚が許されない二流市民がいるのでしょうか?
好きな人と結婚ができるということは、人間として誰もが平等に持てる権利ではないでしょうか。

その人がたとえ同性を好きになろうとも、異性を好きになろうとも、誰もが等しく好きな人と結婚できる。そういう社会になれば、これから先の若い人も、自分自身をきちんと肯定することができるし、いじめや差別も少しずつ減っていくと思います。何よりも人生をもっと自由に大きく思い描くことができると思うのです。

そのためにもどうか、先生方のお力をお貸しください。

今日は誠に、ありがとうございました。

パートナーシップについて思うこと。

僕は、物心ついた時から、好きになる人も興味の対象も男性だったのだけど、ハッキリとゲイを意識するようになって、それが自分ではもう変えることのできないものだと気づいてから、自分の将来を思い描く時にはいつも、兄のように結婚することはできないし、子どもたちに囲まれる幸せな家庭も築けない。このままひとりで生涯生きていかなくてはいけないんだ・・・と感じていた。

それに、当時の若いゲイにとっては出会いも限られていたし、性欲のコントロールもとても難しく、まわりの大抵の友人たちは、セックスをしては別れて、また新しい男と出会っては捨てられて・・・を繰り返していた。

そんな中で大学生の時に、新宿三丁目にある『タックスノット』というお店にいくようになり、そこではじめてマスターのひとりであるタックさんに出会って、『パートナーシップ』という人との付き合い方があるのを知ったのだった。

今であれば、パートナーシップという言葉自体はよく耳にするけど、その当時のゲイの間では、「男性同士が長いつきあいを続けていく」などという前例がなく、お手本になるような人たちも周りには全然いなかったのだ。

パートナーシップとは、お互いが寄り添い見つめ合っていた恋愛状態の先にあるもので、今度はふたりで同じ方向を見つめながら、少しずつ前に歩いていくことだ。調子の良い時はともに喜び、悪い時は共に協力して乗り越え、ふたりで日々努力をしながら関係性を続けていき、年月を重ねていくことでより強固で深い関係になってゆくもの。

ちなみに日本の古典的な夫婦のありようは、パートナーシップではなくて、夫がいて、妻や子どもは夫の所有物のような関係に近いのかもしれない。

もしも僕がタックスノットで、パートナーシップという考え方に出会わなかったら、今の僕はなかったと思う。そう考えるとちょっと怖くなるのだけど、51歳になった今でも、目をギラギラさせて、自分のタイプを探すことに毎日意識を集中して生きていたかもしれないのだ・・・(もちろんそういう生き方もありだと思うけど、ちょっと僕にはきついかな)

ひもの 万宝

先日の下田で旅行で発見した素晴らしいお店がもう一つあったので、ここにご紹介しておきたい。

下田の駅から白浜へ向かう道を、漁港の方に入って行ったところにある『ひもの 万宝』は、漁場のおじさんとおばさんがやっているひもの専門店。

下田で漁れた魚を中心にそれ以外の場所からも美味しい魚を集めては、極上のひものを作っている。

お店では買ったお魚を炭火で焼いてくれて、ご飯やお酒を持ち込めば店内で焼いてくれて食事までとることができる。

大将がとてもいい人で、話し好きだから、いろいろ質問しても快く答えてくれる。

配送にしてもらった200円のサンマの干物を家で焼いて食べたら、中身もふっくらとして塩辛くなく、とても美味しかった。

下田に行ったら絶対立ち寄りたいお店。

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目に見えない敵。

新型コロナウイルスの影響で、先週から会社はリモートワークがはじまり、このまま今週も基本的には在宅勤務になっている。

先日、ふとトイレットペーパーがあと4つくらいだったので、下のコンビニに買いにいくと、トイレットペーパーの棚はすっからかんだった。

ネットではトイレットペーパーやお米の買い占めの記事を読んでいたけど、内心、「そんなことするの、ある限られた地域だけだろう」くらいに思っていたのでほんとうに驚いたのだ。

注意して見ると、OKというスーパーでも同じように、お米の棚がほとんど残ってなくて、冷凍食品などがそこだけガッポリと空いていて、カップラーメンの棚も閑散としていた。

ネット上のデマを信じて買い占めするような行為を、いまさらここでとやかくいうつもりはない。東日本大震災の時にも同じようなことが起こって、様々な偽の情報が横行して、いったい何がほんとうの情報なのか、わからなかったからだ。

ウイルスを持っている人がマスクをする場合は、他の人へ咳やくしゃみでうつす可能性は低くなる利点があるという。

マスクをしたところで、ウイルスを防ぐことは出来ないという。ウイルスはマスクの繊維の穴など比べ用もなく小さいのだ。ウイルスのついた手で鼻の中や口を触る回数が減るくらいであると何度も言われていても、情報に踊らされて死に物狂いでマスクを買い漁る。

電車の中で、マスクをしないで咳をした人に食ってかかったりする行為も、ちょっとにわかには信じられないけど、それだけみんな、様々な情報に翻弄されて、不安がどんどん巨大化してしまっているのだろう。

我々人間にとって、目に見えない敵はそれだけ怖いものなのだ。

一日も早く、コロナウイルスのニュースを見ない日が来ることを願うばかりだ。