フェチ。

今では全く見ることのなくなったSNSで、珍しくメッセージをもらった。
そこには、「変わった趣味があります」と書かれていて、興味津々で尋ねると、その人は、
『喉仏フェチ』
ということだった。SNS上の僕の写真を見つけて、その喉仏に興味を持ってくださったそうだ。
「喉仏はどのような感じですか?喉仏の正面からと側面からの写真があればお願い致します」
僕は、人の喉仏のことも、自分の喉仏のことも、人生で考えたことはなかった。
フェチというのは不思議なもので、その部位によっては他の人には全く理解出来ないものかもしれないけど、当人には堪らない魅力なのだろう。
SMもフェチだろうし、筋肉に対する羨望もフェチだろう。
匂いフェチ、お尻フェチ、デニムフェチ、ユニフォームフェチ、靴下フェチ、ヒゲフェチ、一重フェチ、メガネフェチ、白髪フェチ、制服フェチ…
今まで様々なフェチの人がいると話には聞いていたけど、まさか、『喉仏フェチ』というジャンルがあるなんて思わなかったな。
自分の外見で、眉毛以外にあまり人に褒められた記憶はないけど、喉仏であれ褒められると、なんだかこそばゆい感じがした。

新宿御苑の年間パスポート。

新宿御苑の『年間パスポート』を買って、この1年間でだいたい14回くらい新宿御苑を訪れただろうか。
『年間パスポート』は2000円なので、1回200円の入場料で入るよりも少し得したことになる。10回未満ならば損したことになるのだけど、桜の季節にも混雑した列に並ばずにすむので、お得感はあると思う。
それにこのパスポートを持っていると気のせいか、より新宿御苑が自分の庭のように身近に感じるのだ。
ほとんどの人は、桜の季節の新宿御苑をご存知だろうけど、数年間を通して何度も通ううちに気づいたことは、新宿御苑には季節を通して様々な見所があるということ。
ソメイヨシノの季節はそれはそれで見事だけど、新宿御苑の桜はソメイヨシノよりも早く二月に開花する寒桜もあるし、八重桜の品種は特に多様で、ソメイヨシノのあとは絢爛豪華に八重桜が咲き乱れている。秋に咲く十月桜もあるし、冬に咲く小福桜もあるし、新宿御苑の中にはおよそ65種類の桜があるようだ。
秋の紅葉も、十月十一月十二月と長期に渡って楽しめるし、今の時期は冬から春に変わってゆく蝋梅や水仙などの花がひっそりと咲いていて、顔を近づけて香りを嗅ぎながら歩いた。冬の、葉が枯れ落ちて芝生がしらっちゃけた新宿御苑も、それはそれで美しい。針葉樹や常緑樹の濃い緑が真っ青な空に映えている。
新宿御苑でいいなあと思うことは、家族が楽しそうに遊んでいる姿を見れること。時々仲の良さそうなゲイカップルも原っぱでピクニックをしていたりする。
大分で育ったからか、Kも都会の町中にいるよりも、新宿御苑を歩いている時の方が、気持ち良さそうにしている。
このパスポートの期限が二月で切れたら、僕たちはまた申請するつもりだ。

婚姻届。

こんな日が僕たちにやってくるなんて、思いもしなかった。
婚姻届を取り寄せて、書き始めたのだけど、書き間違えた。
婚姻届には、自分の父母を書く欄があるのだけど、僕の父は亡くなっており、母は再婚していてそこに僕が養子になったということもあり、父の欄をどうすべきかわからずに、養父を書いたのだった。続柄を長男として書いた。
よくよく読んでみると、養父はその他の欄に記入するようだった。
それでは、父の欄には亡くなった父を書くことになるのか?母の欄はどうだろう?母は父と結婚した時の名前を書くのか、今現在の再婚した名前を書くのか・・・散々迷った挙句、また書き間違えたようで、結局渋谷区の戸籍課に電話をして聞いてみた。
「お母様の現在の名前を記入してください」
「続柄は、生物学上のお父様お母様との間の続柄を」
3枚目の紙でようやく正確な情報を書けた気がするが、実際にこれで合っているかどうかはわからない。
ちなみに、Kの記入する欄は、あらかじめ『妻』と書いてあって、これを二重線で書き直したいと思ったが、それを理由にもめるのも面倒なので、書式に従うことにした。本来、夫や妻の文字も、要らないのではないだろうか?それにKは、三男であるにも関わらず三女と書かなくてはいけなかった。この違和感・・・。
受理されないとわかっていながらも、人生で一度しかないほど重要な書類なのだ。僕たちふたりは真剣に紙に記入した。僕が2回も書き間違えたから、Kは「もー、ちゃんと紙を読んで!」と言っていた。
ただの紙切れにすぎないものであっても、この紙切れが受理されることによって、法で守られるカップルと、守られないカップルが分かれるのだ。いつかこんな不平等がこの世界からなくなったらいいな。

新宿ダイアログ

ダイアログ2階からの眺め

先週末にオープンした『新宿ダイアログ』の夜の店長は、『瞬ちゃん』といって、トランスジェンダーの女の子で背がとても高い。
瞬ちゃんに出会ったのは、東京レインボープライドがまだ2年目になる頃、東京レインボーウイークといういわゆるレインボーウイーク週間が出来た時のこと。僕たちは、カミングアウト写真を撮ることを決めて、SNSなどで友人たちに声をかけて集まって来た人の中に瞬ちゃんがいたのだった。
その当時の瞬ちゃんは物凄く圧が強く、いきなりメールが来たりしてちょっと焦ったのを覚えている。
みんなで、「どういう店にしようか?」なんて話していた時に、瞬ちゃんがいきなり、「わたしは、笑わせるお店はどこにもあると思うので、泣けるお店を作りたいと思って…」と言ったのだった。
それを聞いて、お店でお客さんが泣いているところを想像して僕はちょっと笑ってしまったのだけど、きっとそれだけ「真剣に心の奥底を話せる場所を作りたい」と思っていたのかもしれない。
2日目にワインが開けられなくて手こずっていたところ、たまたま来ていたお客さんにワインを開けてもらったという話を聞いて、笑ってしまった。
3日目の夜に、まだ決まっていないおつまみをどうしようかと、他店の友人シェフを呼んでカウンターの中で相談していたところ、瞬ちゃんはカウンターの外でお客さんとおしゃべりしながら、僕たちが出すおつまみをお客さんと一緒になって楽しそうにバリバリ食べていて、そのほんわかとした雰囲気にほのぼのとした。
そんな瞬ちゃんがいる『新宿ダイアログ』、これからどんなお店になってゆくのか、楽しみにしている。
⭐️新宿ダイアログhttps://m.facebook.com/shinjukudialogue/

色の持つ力。花の持つ力。

プリムラ

パンジー

ガーデンシクラメン

色には、力があるのだと思う。
花にも、力があるのだと思う。
何があったわけでもなく、たとえば冬の寒い日に、胸の中にぽっかりと穴が空いて今ひとつ元気が出ないような日がたまにある。
そんな日はベランダに、小さな花を見にいく。
ピンク色の花や黄色の花は、温かさと元気を与えてくれる。
町を歩いていてもまだ身体の中に元気が足りていなかったら、道に咲いている花を探してみる。
今の時期だと木瓜の花が咲き始めていたり、早い梅が咲いていたりする。
ピンクや赤の花を見ていると、不思議と元気がもらえる。

トモちゃんとマサさん

日本の高齢化が進んでいるからか、僕が50歳になったからか、世の中のニュースには、やたら老人の話題が多くなってきたように感じる。
老人の高速道路逆走やアクセルとブレーキの踏み間違えは、この頃よくある事件だ。
そして、なぜだかネット上の記事では、老後の不安を煽るものばかりで辟易している。
挙げ句の果てに老後には、
夫婦で1億円は必要だ…_| ̄|○
ゲイの老後は、子どもをあてに出来ないという宿命も背負っているからか、あまり明るい気持ちにもなりにくい。
よくよく考えてみると、ゲイの年上の人たちの生き様というか、前例というのを、僕たちはあまり知らないような気がするのだ。
もちろん大昔からゲイは存在していたのだけど、戦後世代のゲイたちが、いったいどんな風に年をとっていくのか、60歳くらいまではなんとなく想定できる範囲だけど、その先僕たちはいったいどんな暮らしが待っているのだろうか…。
新宿三丁目の『Tack’s Knot』のタックさんとパートナーのシンジが、『トモちゃんとマサさん』という芝居を作り、撮影をして、編集をして、今年の1月からYou tube上に公開が始まった。
この芝居は、15年前にタックさんが作った『違う太鼓』という芝居に出てきた『トモちゃんとマサさん』というかつて恋愛関係にあったけど今は友人関係にあるふたりの続編。
その当時55歳くらいだったふたりは、70歳前後という設定の芝居なのだ。
芝居の作りが、紙芝居のようになっているので、慣れないうちは見ている時に若干違和感を感じるかもしれないけど、ちょっと辛抱したらそれにも慣れてくると思う。
第5話まである芝居は、それぞれテーマがあるけど、メッセージ性が強い芝居というよりも、見ているうちに人によって何かに気がとまったり、考えさせられたりするような芝居なのだ。
どうか、芝居のエンドロールまでしっかり見ていただきたい。
あれ?
ゲイの老後って、意外とこんなにゆるゆかで楽しそうなのかな…と。
Youtubeで公開されています。ぜひご覧ください!
⭐️『トモちゃんとマサさん 第2話エロスの傾斜 前編』https://youtu.be/t2A32oXERVg

修復されて戻ってきた器。

修復されて戻ってきた器

数ヶ月前に落として割れてしまって捨てようとしていた木の器を、どうしようかとこのブログであげたところ、「作家さんに修理をお願いしてみたらいかがでしょう?」というご親切なメッセージをいただいた。ダメ元でメールをしてみたところ、破片が残っていれば修理できますとのこと。
僕はてっきり破片も捨てていたとガックリしていたのだけど、Kに聞いたところ、「取ってあるよ」と言うので、食器棚の奥から破片を探し出し、年末に作家さんの工房に送っておいた。
その器が、修理代3000円と引き換えに戻ってきた。
一瞬、どこが壊れていたのかよーく見ないとわからないくらい丁寧に修復されていて、Kとふたりで「すごいねー」と言って喜んだ。
傷ひとつない完璧な美しさもいいけれど、使い込んで破損して、修復されて戻ってきた器は、今までになく愛おしく思える。
わかめの味噌汁を作って久しぶりに口に運んだ器は、これから先もまだまだ僕の家で食卓にあがるだろう。

ホイットニー〜オールウェイズ・ラブ・ユー〜

新宿2丁目のBridgeのMが僕にすすめていた映画『ホイットニー〜オールウェイズ・ラブ・ユー〜』。このドキュメンタリー映画がとてもよく出来ていたのでホイットニーファンには是非おすすめしたいと思う。
48歳の若さで薬にまみれて浴室で亡くなったというホイットニー・ヒューストンのドキュメンタリー映画は、今まで何度も話自体は出ていたそうだけど、結局家族や財団が許さなかったそうだ。
今回、ホイットニー・ヒューストンの映画出演のエージェントであるニコール・デイヴィッドと義理の妹でありホイットニーの遺産管理人パット・ヒューストンが、ケビン・マクドナルド監督を信用し、最終決定権を一任することで現実化していったようだ。
映画は、ホイットニーの幼少期からゆっくりと彼女の成長を追っていき、10代にして華々しいデビューを飾るところ、そして有名な1991年のスーパーボールの国歌斉唱、やがてボビーブラウンとの結婚・・・と時系列で描写されていく。
大ヒットアルバムの映画『ボディガード』では、白人のケビン・コスナーとのロマンスを描いていたのだけど、80年代90年代に黒人女性として成功していった裏側には、苦労した生い立ちや、複雑な家庭環境、そして性的指向など、僕たちの知らないさまざまな要因があったのだと映画は教えてくれる。
ボビーブラウンとの結婚のあと、次第に影が差し始めるのだけど、映画は洗いざらい容赦なく変わってゆくホイットニーの姿を捉えている。晩年のホイットニーを見るのは、ファンにとっては辛いことだったけど、「こんなにも変わり果ててしまっていたのだ・・・」と愕然とさせられた。
願わくば、20世紀最高の歌姫を、歴史に残るレジェンドとして映画を終わらせて欲しかったと思う。それでも、ドキュメンタリーとしてきちんと出来ているし、ホイットニーファンには必見の映画。
⭐️ホイットニー〜オールウェイズ・ラブ・ユー〜http://whitneymovie.jp/

川連漆器。

口径が広く浅い。

ずっと長いこと、口径が広い深さの浅い器を探していたのだ。
夏に茹でた冷たいうどんの上に、ワカメや納豆や大根おろしやじゃこを乗せて、上からつゆをかけて食べる時なんかに使いたい器。
たいていどんぶりのものは口径が狭く、深さのあるものがほとんどで、お店で時々見かける器は陶器のものが多く、器の下の立ち上がりがなく今ひとつ手で持ちにくいため決めかねていたのだ。
先日、伊勢丹で器を見ていたら、口径の広い漆器を見つけて吸い寄せられるように手に持ってみた。すると、その持ちやすさと軽やかさ、そして、美しい朱色にその場で即決してしまった。
秋田の川連漆器だそうで、16.5センチもある口径は、この器を作るには相当大きな木を切らないとならないんです・・・とのこと。なんでも木の器は、木の真ん中の部分はほとんど使い物にならないそうで、その真ん中を除いた周囲の部分で器を作るのだそうだ。
川連漆器の起源はおよそ800年前に遡るそうで、源頼朝の家人が漆を使い武具に漆を塗らしたのが始まりだとのこと。
朝、温かいうどんを食べてみたら、器は軽く持ちやすく、熱も冷めない。そして熱いのに手で器を持つことができて、口をつけても器の存在を感じないようにやさしかった。
日本の民芸の職人技には、使うたびに感心させられる。

消えてゆくお花屋さん。

下からみるとこんな感じ。変わった花。

町の本屋さんがどんどんなくなっていっている・・・。
本なんて直接見なくても、今やアマゾンやネットで簡単に買える時代。しょうがないといえばしょうがないのかもしれないけど、自分の知らない分野の本や今まで気にも留めなかった本に、本屋さんで偶然出会うことを楽しんでいた頃が懐かしく思える。
そして、『お花屋さん』も、町からどんどん姿を消していっているように感じるのは僕だけだろうか?今では青山フラワーマーケットのようなチェーン店を時々見かけるくらいになってしまった。
本屋さんもお花屋さんも消えてゆくなんて、なんだか戦争が始まる前のような気がする・・・。お花は、生活の中では必需品ではないしなくても困らないもの。でも、花のない生活はちょっと寂しいと思うのです。
新宿2丁目の仲通りに入る手前の左側にあるお花屋さんは、僕がちょくちょく覗くお花屋さん。昔はご夫婦でやってらしたけど、いつの頃から店の経営が変わったのか、今では比較的若いスタッフが働いている。
お洒落な花はほとんど売っていないのだけど、お正月用の南天や門松なんかはここが一番手頃でいいものが置いてある。
先日この花屋さんの前を通りかかったら、シクラメンが2つポツンと置いてあって、ふと値段を見るとひとつ300円!シクラメンの時期はもう過ぎ去っているためか、それにしても安すぎる。
「年末に入ってたんですけど、下を向いて咲く品種だからか売れ残ってしまって・・・」
僕はその2つのシクラメンを300円✖️2で600円で買って、たいせつに家に持って帰った。
このシクラメン、近くでお水をあげる時に気づいたのだけど、仄かに香りがする品種だった。それに、少し高めの場所に置くと、下を俯いて咲く花がそれはそれで健気でかわいいのだ。
思いがけずラッキーな買い物をしたと思って、水をあげるたびにKに話しかける。
「このシクラメン、いくらだったか知ってる?」
何度も聞いているKは、毎回「安かったね」と、半ば強制的に言わされている。