スモーブローって知ってますか?

Idaの罪深いスモーブロー

AAMANNSのスモーブロー

スモーブローとは、肉や魚や野菜がたっぷりとのったオープンサンドイッチのこと。見えないけど具材の下にライ麦などのパンが隠れているのだ。
サーモン、レバーパテ、豚肉、牛肉のタルタル、小エビなど、色々な具材を店頭で選んで注文すると、お皿にのってメインデッシュのごとくやってくる。
これにアクアヴィットを頼み、ビールも飲むのが彼らの昼食の定番のよう。
このオープンサンドイッチ、ナイフとフォークで食べる食べ方がちょっと面倒くさいのだけど(下のライ麦パンが硬い部分が切りにくい)、食べてみるととっても美味しくて、僕は昼になるとスモーブローの有名店を探しては渡り歩いている。
★AAMANShttp://www.aamanns.dkは、ミシュランの星つきのレストランも持つ有名店。隣はスモーブローをテイクアウト出来るカジュアルなお店。
頼んだ牛肉のタルタルとチキンのマスタードマヨネーズ和えは、どちらもそれぞれ完成された組み合わせで、サンドイッチとは思えない美味しさ。ひとつの大きさも小さめで食べやすい。
★Ida Davidsenhttp://www.idadavidsen.dk/cms/Velkommenは、1888年オープンの老舗は30種類くらいのスモーブローが見本のようにカウンターに並んでいておばちゃんが説明してくれるので、指を指してお願いするといい。昼時はひっきりなしに人がやってくるので、早めに行くと席を確保出来る。
ゆで卵の上に、これでもかというくらいタラコのような魚卵と、信じられない量の小さなキャビアのような樺太ししゃもの卵が乗った一品は、卵好きの僕にはこたえられない美味しさだった。

デンマークのLGBT。

世界ではじめて同性婚が認められたのは、2000年のオランダだと僕はすっかり思っていたのだけど、1989年に、デンマークにおいて、登録パートナーシップ法(ほぼ同性婚に近いものだが、養子を貰えない)というものが世界で一番最初に出来たということを今回はじめて知った。
今、ようやく日本においても渋谷区や世田谷区をはじめとして『同性パートナー証明書』なるものが認められはじめているのだけど、デンマークでは25年も前に論議され、最高裁において可決されていたのだ。(相当進んでますよね…)
Richardt(リチャード?リヒャルト?)は、LGBTデンマークに長く勤めて来たおじいちゃん。年は72歳。デンマークのLGBTの話を聞きたいとリクエストをしてお話をうかがった。
リチャードは17歳の時に、自分がゲイであることを親にも言えず悩んでいた。ある日、ゲイバーの前を入ろうか入るまいかドキドキしながらぐるぐると歩き回っていたところ、警察に捕まり、そのあと家に連れて行かれ、「この区域には、この少年は入ってはいけない」という張り紙をされたという。
デンマークでは、50年代後半から60年代にかけて、警察が、男性が男性をお金を払って買うところをバーやホテルで見つけては、わざわざ逮捕していたようだ。それはまるでゲイに対する嫌がらせや見せしめのようであったという。
やがて、1968年に、セクシュアリティや性指向がいかなるものであってもその人を尊重しなければならない。それは『人権』であるということに決まったそうだ。
1989年に『登録パートナーシップ法』が可決された時には、政権の交代などがあり偶然が重なって実現されたようだ。
日本より25年も先に行っているデンマークは、僕たち日本のLGBTの抱えている問題とは違って来ているかと思ったのだけど、やはり大きな問題は世界共通なのだということが今回わかった。
若い世代において、昔ほどではないにせよ、セクシュアルマイノリティーに対するいじめはあるようだし、社会の中ではカミングアウトをしやすい職場もあるだろうけど、肉体労働者などの仕事場ではセクシュアルマイノリティーであることはなかなか言えないだろうということだった。どんな国であれ、ホモフォビアは根深い問題なのだろう。
また、たとえばパレードで21000人も歩いたとしても、ドラァグクィーンだけが強調されて媒体に出たり、AIDSの団体だけが強調されて媒体に露出されることを懸念していた。それは、『ゲイ=ドラァグクィーン』とか、『AIDS=ゲイ』などと、極端なイメージとして伝わってしまうから。
そして今はやはり、LGBTの老後が一番の問題だという。
リチャード自身、僕とオフィスを出る直前まで自分の鞄を持っていたのに、外に出てふたりで広場を横切っている時に、急に僕に向かって、
「わたしの鞄、あなた持ってませんでしたか?」
などと言い出して(もちろん持ってない)、オフィスにまた取りに戻ったのだけど、オフィスの鍵も鞄の中に入れてしまっているためオフィスには入れずに、何度も下のブザーを鳴らすけど誰も出ずに困り果てていたら、同じ事務所のトランスのおばさんが偶然通りかかり、無事にオフィスに入り鞄を持ってくることが出来たのだった。
リチャードは80歳のパートナーと45年間も一緒につきあって来たそうだ。
僕が東京から買ってきた甘いお菓子を差し出すと、「僕のパートナーは甘いものが大好きなのだけど、太りすぎていて身体に悪いから見せられない…」などと言って相手を気遣っているのがわかる。
LGBTの活動に、人生を捧げて来たようなリチャードは、自分たちがやってきたことをゆっくりと語りながら、なんだかとても幸せそうに見えた。

夕暮れの時間。

7時半を過ぎる頃、辺りを散策に出かけると、川辺にはたくさんの人たちが押しかけていた。
ワインボトルを持って飲むカップル。ビールを片手にしゃべっている若者たち。ただ座って夕陽を見ているおじいさんとおばあさん…。
北欧の真夏の太陽を一瞬でも惜しむかのように、誰もが外へ繰り出し、1日のうちで最も美しい夕暮れの時間を思う存分楽しみ、慈しんでいるように見える。
「ああ、デンマークに来たんだ…」と、その時思った。
ふと住居のようなアパートメントを見上げると、同じようにバルコニーに出て、夕陽の中、のんびりと時間を過ごす人が見える。
はじめて来たデンマークで、自分の中で忘れていたヨーロッパを思い出した。
昔何度も行ったイタリアのプーリア州にある古い町では、夕方になると人々が広場に繰り出していた。若者たちは若者同士で、おじいちゃんはおじいちゃんの仲間たちと、おばあさんはお嫁さんと、お母さんと子どもと…。
はじめ、何か催し物があるのかもしれないと思っていたら、そんなことは何もなくて、彼らは毎日毎日、夕暮れの時間その広場に集まり、ただ行ったり来たり散歩(パッセジャータという)をしていたのだ。
日本だったらみんな、残業しているか、電車に揺られているか、家でテレビかネットでも見ているのかもしれない…。
「豊かさとは、なんだろう…」
ヨーロッパの人たちは僕たちに、シンプルな質問を投げかけてくるようです。

船のホテルへ。

夕方、コペンハーゲンに到着して、指定されたホテルへタクシーで向かう。タクシーを降りると、目の前には川に浮かんだ船があった。
「もしかして、ここ?」
レセプションのドアを開けようとすると、開かない。ご用の方は、ここに電話するようにとの書き置きこみがある…。
そういえば、ホテルからメールを貰っていた。到着が遅い場合は、箱を開けてカードを取り出すようにと秘密のナンバーが(でもまだ夕方なのに…)。
無事にカードを取り出し、一枚の注意書きとともに7の部屋へ。
ワンルームの部屋からは、川面が見えて、カヌーを漕ぐ人たちが目の前をゆっくり通り過ぎてゆく。
シャワーを浴びてまた部屋へ戻ると、ボートの上でワインを飲みながら過ごす人たちが見える。
僕は素っ裸なのだけど、あっちからも見えるのだろうか…?
今夜は川を見ながら、裸で眠ろう。
ようこそ、船のホテルへ。
★HOTEL CPH LIVINGhttp://www.cphliving.com

つきあうふたりのセックス。

ぺんぺん草で飲んでいたら、久しぶりの友人SRに会った。
SRは、45歳。昔はタイに恋人がいて、しょっちゅうタイに行っていたけど、ここ数年はその後の恋人の話を聞くことはなかった。
それが、3つ下の恋人が出来たようで、心なしか顔も晴れやかに見える。
しばらくしたら、その3つ下の恋人がやってきて、僕たちの間に座った。
挨拶をして乾杯をする。名前を聞くと、SN。覚えやすいように最初の『シ』がSRと同じだと教えてくれる。それだけで彼がとても感じのいい人だということがわかる。
つきあい始めて4ヶ月目。まだまだ熱々の二人は、時々お互いを気にかけながら話をしているのがわかる。
やがてそのうちに、年下のSNが口火を切った。
「ゲイって、つきあっていくうちに、だんだんセックスがなくなってしまうのはどうしてなんだろう…僕は嫌なんです。つきあっているうちは、ちゃんとセックスしていたいんです!と言った。
ぺんぺんのひろしさん「うちにも長くつきあっているカップルがいるけど、彼らももうおそらくセックスはなくなっているんでしょうね…というか、惰性でつきあっているのかもしれないわね」と言った。
僕「長くつきあっていくと、セックスがなくなっていくのは自然なことのように思えるんだよね。正確に言うと、なくなっていくというよりも、セックスの形が変わっていくんだよね。その人に対する」
35年くらいつきあっているカップルでも、セックスが未だにあるなんて話を聞くこともあるけど、大抵のカップルは、セックスの形が変わっていくのではないだろうか。
タチとかネコという役割がハッキリとあるカップルであれ、年を重ねるうちにそれぞれが求めるものが変わって来たり、二人のプレイも変わっていくような気がする。
セックスが形を変えてだんだん希薄になってゆくように感じる時に、それでもその人とつきあい続けていく努力を選ぶか、いっそのこと別れてまた新しいセックスを探すのか、それは人によっては決断を迷うところかもしれない。
社会的にも確かなふたりの結びつきがなく、セックスという快楽がすぐそばにあるゲイにとって、特定の同じ人と月日を重ねていくことは、つきあい続けていこうというふたりの意志がないと難しいことなのかもしれない。
どんな生き方を選ぶのも、その人次第なのだろう。
4ヶ月にして、うっすらと見える不安に対して、真剣に話をしているふたりが微笑ましく、次に会う時もふたりが続いていたらいいなあと思ったのだった。

ムーン。

一緒に沖縄に行った友人のXは、今までも様々な国を一緒に旅行して来た仲。
ある日、ブリッジで飲んでいる時に、隣の友人から、Xは『角野さん』に似ている!と言われたようだ。
僕は、『角野さん』がどんな人なのかわからず、思わず調べてしまったのだけど、『角野さん』は、『渡る世間は鬼ばかり』に出てくる見覚えのあるおじさんだった。
僕の恋人のKに言わせると、Xは、LINEのスタンプの丸い顔をしたムーンに似ていると言う。僕とKとやりとりしていると、しょっちゅうムーンのスタンプがXを表す記号として使われている。
Xは、沖縄行きまでに恋人を作ると言っていたけど、それも叶わず、沖縄で現地調達することになった。
若い子をゲットするためにメガネを外して角野さんからムーンへ変身を遂げたXは、行く先々で新しい出会いに胸を弾ませていた。
そして、驚くことに、行く店行く店で、ムーンはモテたのだ。
・・・お店のママに。
輝くようなムーンの丸い笑顔は、当初ムーンが狙った若い子ではなく、お店のママか店子にことごとく届いていたのだ…。

カイボイスン。

僕の家には、ずいぶん昔からカイボイスンのデザインした動物たちがいる。
木で出来た動物たちは手触りがよく、それぞれ腕や脚や鼻なんかが自由に動かせて、子ども用に作られたおもちゃであるものの、大人でも魅了されてしまう。
今回、デンマーク行きが決まって改めてデンマークのことを調べていたら、我が家にはデンマークのものが溢れていることに気づかされた。
カイボイスンは、デンマークを代表するプロダクトデザイナーで、王室御用達のカトラリーなどでも有名。
そのカトラリーも僕の家にはあって、形の美しさだけではなく、どのように使われるのかということを考え抜いてデザインされていることがわかる。
また、この写真にも写っているリビングのYチェアは、ハンス・J・ウェグナーによるデザインで、ウェグナーもデンマークを代表する家具デザイナーだ。
Yチェアは、日本の家庭でも沢山愛用されているが、実際に座って使ってみると、手放せなくなるくらい座り心地がいいのだ。
そして、この椅子を離れて見た時にも、「ああ、なんて美しい椅子なのだろう…」と、いつもいつも思ってしまう。(この他にも、ウェグナーのデザインしたイージーチェアが寝室にあるのだけど、その椅子の話は、また今度しますね)
デンマークは、形だけでなく、用のデザインにおいてさえも、相当先進国のようなのです。

新しい旅へ。

先週末の沖縄で、車に乗っている時に、後部座席でXがメールを見て言った。
X「ただしちゃん。デンマーク、調整ついたみたい。行ける?」
僕「デンマーク?え?その話、まだ生きてたの???」
思えば、1ヶ月以上前だろうか…Xが、「デンマークにいけるかもしれないけど、いく?」と聞いてきた。仕事中だった僕は「いいよ」と適当に 返事をしていたのだけど、どうやらその話が水面下で動いていたようなのだ。
僕「それで、いつなんだっけ?」
X「それが・・・1週間後なの・・・」
僕「へ?1週間後?デンマーク???」
そして、急に決まったデンマーク行きで、デンマーク大使館を訪れることに。
僕「ねえ、X…デンマークの王様に、僕を妃にしたいとか言われたらどうしよう…」
X「大丈夫、ただしちゃん。心配いらないわ…デンマークの王様は、今は女性なの…」
そんなこんなで、世界一幸福な国とも言われるデンマークのコペンハーゲンに急に行くことになったのだけど、僕たちがこの先生きていく上で、より豊かな社会、幸福な社会になるためのヒントが、デンマークにはあるのだろうか。
ワクワク

海のハート。

世界には驚くことに、ハートの形をしたものが時々ある。
植物の葉っぱ、珊瑚礁、石ころ、そして、この写真のリュウキュウあおいがい…。
これも沖縄の古宇利島で買ったもので、直径2センチくらいしかないのだけど、ぷっくりと膨らんだような形が愛らしく、Kとふたりで選んで一つずつ買い求めた。
沖縄の古宇利島の砂浜は白く、小さな貝殻が沢山混じっていた。
海の中にはナマコがいて、時々踏んでしまってその気味の悪い触感に声をあげた。
沖縄の海を思う時、ペットボトルや空き缶やゴミなど落ちていないあれほど美しい海を人々が永い間守って来たことに、畏敬の念を感じてしまう。
今となっては想像すら出来ないのだけれども、大昔、きっと東京湾でさえ、海はあんな風に透き通っていたのかもしれないと思う。
小さなリュウキュウあおいがいを見ていると、あの白い砂浜を思い出す。
両手を広げて空を見上げて、ぽっかりと浮かんでいた暖かい海。
またあの海に、かえりたい。

琉球ガラス。

沖縄に来たからには、シンプルな琉球ガラスのグラスがあれば欲しいと思い、数軒のお店を回った。
『久高民藝店』は、国際通りにあり、様々な質の高い民藝品を扱っているので必見だろう。沢山の作家の器が置いてあるのだけど、僕が思い描くようなものがなく、もう少し色が付いていたり、デザインにクセがあったりした。
Kを引き連れて、最後の日に『那覇市伝統工芸館』に行き、あれでもない、これでもないと諦めかけた時に、ふとセールのためのワゴンの中のグラスに目が止まった。
「あ、これ、シンプルでいい感じ…」
Kを呼んでグラスを見せると、かわいいと言う。(多分、650円という値段が気に入ったのだろう)
琉球ガラスは、元々アメリカの駐留軍のために作られて来たガラスで、今でも60%以上は米軍の人たちの手元に届くそうだ。
それゆえか、デザインがどこか無骨で、がっしりしているように思う。毎日使う民芸品には、その土地の暮らし方が出ているのだと思う。
夏の終わりに、島らっきょうでも買ってきて、そうめんチャンプルーでも作って、このグラスで、Kと一緒に泡盛のロックでも飲みたいなあと思っている。
★久高民藝店http://calend-okinawa.com/interior/interiorshopnavi/kudakamingei.html
★那覇市伝統工芸館http://www.kogeikan.jp