デンマークのLGBT。

世界ではじめて同性婚が認められたのは、2000年のオランダだと僕はすっかり思っていたのだけど、1989年に、デンマークにおいて、登録パートナーシップ法(ほぼ同性婚に近いものだが、養子を貰えない)というものが世界で一番最初に出来たということを今回はじめて知った。
今、ようやく日本においても渋谷区や世田谷区をはじめとして『同性パートナー証明書』なるものが認められはじめているのだけど、デンマークでは25年も前に論議され、最高裁において可決されていたのだ。(相当進んでますよね…)
Richardt(リチャード?リヒャルト?)は、LGBTデンマークに長く勤めて来たおじいちゃん。年は72歳。デンマークのLGBTの話を聞きたいとリクエストをしてお話をうかがった。
リチャードは17歳の時に、自分がゲイであることを親にも言えず悩んでいた。ある日、ゲイバーの前を入ろうか入るまいかドキドキしながらぐるぐると歩き回っていたところ、警察に捕まり、そのあと家に連れて行かれ、「この区域には、この少年は入ってはいけない」という張り紙をされたという。
デンマークでは、50年代後半から60年代にかけて、警察が、男性が男性をお金を払って買うところをバーやホテルで見つけては、わざわざ逮捕していたようだ。それはまるでゲイに対する嫌がらせや見せしめのようであったという。
やがて、1968年に、セクシュアリティや性指向がいかなるものであってもその人を尊重しなければならない。それは『人権』であるということに決まったそうだ。
1989年に『登録パートナーシップ法』が可決された時には、政権の交代などがあり偶然が重なって実現されたようだ。
日本より25年も先に行っているデンマークは、僕たち日本のLGBTの抱えている問題とは違って来ているかと思ったのだけど、やはり大きな問題は世界共通なのだということが今回わかった。
若い世代において、昔ほどではないにせよ、セクシュアルマイノリティーに対するいじめはあるようだし、社会の中ではカミングアウトをしやすい職場もあるだろうけど、肉体労働者などの仕事場ではセクシュアルマイノリティーであることはなかなか言えないだろうということだった。どんな国であれ、ホモフォビアは根深い問題なのだろう。
また、たとえばパレードで21000人も歩いたとしても、ドラァグクィーンだけが強調されて媒体に出たり、AIDSの団体だけが強調されて媒体に露出されることを懸念していた。それは、『ゲイ=ドラァグクィーン』とか、『AIDS=ゲイ』などと、極端なイメージとして伝わってしまうから。
そして今はやはり、LGBTの老後が一番の問題だという。
リチャード自身、僕とオフィスを出る直前まで自分の鞄を持っていたのに、外に出てふたりで広場を横切っている時に、急に僕に向かって、
「わたしの鞄、あなた持ってませんでしたか?」
などと言い出して(もちろん持ってない)、オフィスにまた取りに戻ったのだけど、オフィスの鍵も鞄の中に入れてしまっているためオフィスには入れずに、何度も下のブザーを鳴らすけど誰も出ずに困り果てていたら、同じ事務所のトランスのおばさんが偶然通りかかり、無事にオフィスに入り鞄を持ってくることが出来たのだった。
リチャードは80歳のパートナーと45年間も一緒につきあって来たそうだ。
僕が東京から買ってきた甘いお菓子を差し出すと、「僕のパートナーは甘いものが大好きなのだけど、太りすぎていて身体に悪いから見せられない…」などと言って相手を気遣っているのがわかる。
LGBTの活動に、人生を捧げて来たようなリチャードは、自分たちがやってきたことをゆっくりと語りながら、なんだかとても幸せそうに見えた。
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