バックコーラスの歌姫たち

久しぶりに素晴らしいドキュメンタリー映画を観た。ルシネマでやっている『バックコーラスの歌姫たち』。
いつも主役の影になり、支え続けて来たバックコーラスという存在にあえて光を当てて、その努力と苦悩を余すところなく伝えようと試みた映画だ。
ブルース・スプリングスティーン、スティング、スティービー・ワンダー、ミック・ジャガー、ベッド・ミドラー、パティ・オースティン…一流のミュージシャンたちのバックコーラスへの思いも彼女たちの揺るぎない力を語っている。
バックではなく表舞台を目指そうとした者、バックコーラスを諦めて、別の道を歩み出す者、プロデューサに騙されて、逃げるように去る者…
それぞれに光を当てて、彼女たちが選び取って来た人生が浮かび上がる。
それは、全身に光を浴びるような主役の人生ではないのかもしれないけれども、確かに生きてきた彼女たちなりの人生があったのだと知ることが出来る。
これほどのドキュメンタリーには、なかなか出会えないと思う素晴らしい出来映えだ。
★バックコーラスの歌姫たちhttp://center20.com/

春が来た。

ルシネマに行くついでに、渋谷の東急本店の屋上に立ち寄ったら、まるで春そのもののようなプリムラを見つけたので買って来た。
1月5日の小寒から20日の大寒、そして2月3日の節分までが一年でも一番寒い時期だと言われているけど、サクラソウ科のプリムラは、これほど寒い時期でも屋外で花を咲かせる。
バラの花のように改良された花びらは、ピンクやグリーンや黄色を帯びて、繊細な春の光を体現している。
北欧のアラビア社のプランターに、明日植えつけてあげよう。
小さな300円くらいの花を、あくことなくいつまでも見ているだけで、なんとも言えず幸せな気持ちになれる僕は、意外とお得に出来ているのかもしれない。

鉄くず拾いの物語

ボスニアに暮らす貧しいロマの家族の実際にあった話を元に、実際の家族が演じている映画。
昨年の東京フィルメックス映画祭に来ていた映画だったのだけど、福岡に行っていて観ることが出来ずにいた。
いっさいの説明を省き、リアリティを感じさせる演出は見事だ。音楽で盛り上げたり、話をドラマチックに作っていない分、彼らの生活の慎ましさが伝わってくる。
貧しい彼らの生活を観ていると、雪の降る凍てつくような冬景色の中で、鉄くずを拾い、砕き、集める、彼らの手の感触が伝わってくるようだ。
お金がなければ、手術さえ受けられずに差別される暮らしに、彼らは文句を言うでもなく、天に唾を吐きかけるでもなく、現実を黙って受け入れ、じっと耐えながら、目の前にある彼らの出来ることを、ひとつひとつこなしてゆく。
その姿は、貧しくても慎ましく、美しい。
★鉄くず拾いの物語http://www.bitters.co.jp/tetsukuzu/

『京都展』。

辻井のふきのとうと木の芽煮

田なかの昆布茶、柚子の粉、いわしせんべい、まつば

竹長のじゃこと鯖

今は一年に一回、年末に京都に遊びに行くことがほぼ習慣のようになって来たけど、昔僕が10年間つきあった人は、京都の大学を出たので京都に対する思い入れも強く、年に3回から4回は京都に通っていた。
今は伊勢丹の『京都展』が来ると、何度も何度も顔を出して、京都の食べものを買って帰るのを楽しみにしている。
この頃京都に行くと、年をとって京都に暮らすのもいいだろうなあと思うようになって来た。
鴨川が流れ、東山が見えて、自然がそばにある町で暮らすことは、きっと日本の美しさを季節ごとに味わうことが出来るに違いない。
今年は春から初夏にかけて、また京都に行ってみようかと思っている。
その頃、いったい何を食べようか…今からどの店に予約を入れようか…と考えるのも楽しいものだ。
★京都展の戦利品。
〈鞍馬 辻井〉
伊勢丹にもしょっちゅう催物で来ている有名店。今回、ふきのとうを買ってみたのだけど、ふきのとうの独特の渋味がきちんと抑えられていて感心してしまった。木の芽煮は、自分で作る味の参考のために買ってみた。
〈京昆布舗 田なか〉
恐るべし、京都の底力!昨日上げた、小さなイワシのせんべい。まつばという塩昆布これも使い勝手がよい。アミノ酸不使用の昆布茶。ゆずの粉。どれも、化学調味料不使用、アミノ酸不使用なのに、驚くほどの美味しさだ。
〈竹長〉
一昨日書いた鯖のある店。海水のような塩水に浸けただけの鯖は、塩辛くない。じゃこはここのをいつも買いだめて冷凍して使っている。
〈モリタ屋〉
写真には載せていないが、京都を代表するすき焼きの店。いつもは『三嶋亭』が来ていたが、今年は『モリタ屋』になった。バラ肉、ロース、赤身を200gずつ1000円から1600円くらいで売り出しているのだけど、午前中でだいたいなくなってしまう。

美味しさにも色々。

これ、な〜んだ?
伊勢丹『京都展』戦利品(その2)なのだけど、答えは…小さなイワシを開いて、焼いたもの。
エレベーター近くの『田なか』という昆布や出汁を売ってる店に売ってるのだけど、これがめちゃくちゃうまい!
よく、和食で魚を食べると、笹ガレイなんかの骨を揚げたものが出てくるのだけど、あれが一番近いかもしれない。
これは揚げたものではなくて、天日で干して焼いて胡麻油を刷毛で塗った感じ。
よくも、ほとんど身など無いようなこんな小さなイワシを開いて、干して、焼いて、胡麻油を塗って食べるなんてことを考えたものだ…
と感心してしまうのだけど、京都には、こんな食べものがとても多いように思う。
フォアグラや、キャビアなんかの対極にあるこんな食べものを、僕はしみじみと美味しいと思う。
もし、この週末に伊勢丹に行くことがあったら、京都展を覗いて、つまんでみてください。
きっと、いくらでも食べたくなってしまいますよ。

サバのアヒージョ。

伊勢丹で『京都展』がはじまったので覗いてみた。
『竹長』は、錦広路にある豆やお茶や干物を扱うお店。この店が伊勢丹に出店する時に、じゃこを買うことが多いのだけど、今回はしょっぱすぎない塩鯖があったので久しぶりに買ってみた。
塩鯖は、店で買うと塩気がきつすぎるものが多く、身体にいいのか悪いのかわからないようなものも多いのだけど、ここの塩鯖は、塩水に浸けているだけなので、身の塩気もきつくないのがうれしい。いつもの店員さんが、「アーリオ・オーリオにしてもうまいよ!」というのでつられて買ってしまった。伊勢丹『京都展』戦利品(その1)。
★サバのアヒージョ
塩鯖サバ半身
にんにく1かけ
(好みで鷹の爪1本)
イタリアンパセリかバジル
1.オーブンを210度に温める。
2.ニンニクをみじん切りに、鷹の爪は種を取り輪切りにする。
3.サバは骨抜きで丁寧に骨を外し、食べやすい大きさ(2〜3センチくらい)に切る。
4.耐熱容器にオリーブオイルを少し注いでからサバを並べ、ニンニクを散し、その上からオリーブオイルをたっぷりとサバがほぼ浸かるくらいまで入れる。
5.オーブンに入れて10分間経ったら開けて鷹の爪を散らす。
6.5分間くらいしたら様子を見て、火の通り具合によって少しそのまま加熱してから完成。イタリアンパセリを散らす。
7.フランスパンを添えて食べよう!うまいよ!

Giglioで新年ランチ。

前菜の盛り合わせ

カルボナーラ

昨年のブログを見ていたら、同じ時期に同じ後輩Iと新橋お気に入りイタリアンのGiglio http://giglio-giglio.jimdo.com/ に来ていた…笑。18年間ずっと一緒に仕事をしている男の後輩Iと、10年くらい仲良くしている女の後輩Mが産休を終えて復帰したので久しぶりに三人が集まった。
Mは恋愛下手で、ダメな男とばかり交際しては酷い恋愛を繰り返していて、夢に見ていた結婚も婚期を逃し40歳になっていた。
恋愛ブログを書きながらもずっと仕事一筋と言った感じでいたMが、ひょんなことからいきなり20代後半の男とつきあい出し、結婚、そして出産という驚くような展開が起こり、今は幸福で満たされているように見えた。
昔は、僕たちクリエーティブ配属された人間は、クリエーティブで生きてゆくことを誇りにしていたし(今も誇りにしている)、仕事の成功だけがその人自身の成功であり、その人自身の価値であるような気がしていた。(もちろん、今でもそう思って生きている人は多いと思う)
私生活がどんなに破綻しようとも、仕事で名を成すことがカッコイイとされていたし、ヒットを飛ばせない三流クリエイターは恥ずかしい存在のような見られ方をしていたと思う。
20年会社に勤めて来て明らかに変わったことは、仕事はとても大切なことだけれども、人生のほんの一部だと思うことだ。
お世話になった上司が次々に会社を出向になったりしてゆくのを見ていると、必ずしも仕事一筋で名をなした人だけが幸せであるようには見えないということに気がついた。
その人がどんな風に生きて来たのか、その人なりの毎日が織り成すタペストリーのようなものがその人の人生なのだろう。
結局のところ、人を愛し、人に愛されて、幸せな時間を沢山体験した人が、幸せな人生なのではないだろうか。
会社も仕事も何もかも取っ払った時に残るものが、僕という人間なのだ。

七草粥。

昨年、1月7日の日に仕事を終えて七草を買いに走ったら、ピーコックも紀ノ国屋も売り切れだったので、今年こそはと鼻息荒く夕方にピーコックに駆け込んだ。
きちんと浸水した後、ゆっくり時間をかけて炊いたお粥は、塩味だけで身体の芯まで染み渡るような慈愛に満ちた味だ。
セリ、ナズナ、ゴ(オ)ギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロという七草のお粥を食べはじめたのは、なんと平安時代からだと伝えられている。
それぞれの野菜の渋みが、ほのかにお米の甘さと交わり、繊細な味を醸し出している。
僕は、お酒を飲みすぎた休日の朝なんかに、お粥を土鍋で炊くことが多い。
一度、お粥を自分で土鍋で炊いてみて欲しい。お米本来の甘さや美味しさを、身体の奥深くにしみじみと感じることが出来ると思う。
★お粥
米70ml(一人分)
水420ml(お米の6倍から7倍くらい)
塩 ほんの少し
1.土鍋にお水を入れて、といで、浸水させたお米を入れる。
2.蓋を少しずらして中火で火をつけて、沸いたら火を弱火にして20分。
3.少し味見をして硬さを調べ、30分近く経ったら、好みの水加減になるように水分が足りないようならお湯を沸騰させて足す。
4.最後に塩をひとつまみ入れて混ぜる。味をみて、少し薄いくらいで完成。(決して塩は入れすぎないように。おかずの塩気があるので)
※梅干し、ちりめん山椒、明太子、塩昆布などとともに。
※七草粥の場合は、3の後に細かく切った七草を入れて火をざっと通す。根菜は先に入れるとよい。

母の身終い

最近、老いを描いた映画が沢山ある中で、またフランスから素晴らしい映画が届いた。
老いて腫瘍におかされた母親と、18ヶ月という刑期を終えて出所したばかりの息子の話『母の身終い』。
『尊厳死』という難しい問題を取り上げているけど、これから超高齢化してゆく日本では、もっと真剣に議論されるべき問題だと思う。
最初から最後まで抑えた演技で話が進むこの映画を観ると、フランス映画の底力を感じずにはいられない。
自分の終焉を意識して、そこから逃げずに、穏やかに受け入れようとする母親の姿に圧倒される。
息子の不甲斐なさに呆れながらも、人生の難しさを思いながら、話の展開を固唾を飲んで見守った。
これだけ地味な映画なのに、じっくりと惹きつけられるのは、役者たちの卓越した演技の成せる技に違いない。
そして、老いや癌や死など、誰もが出来れば遠ざけておきたいと思う現実を、逃げることなく真っ向から捉えた監督の勇気の成せる技だろう。
★母の身終いhttp://www.hahanomijimai.com/

ブランカニエベス

今年初の映画は、『ブランカニエベス』。タイトルは、スペイン語で白雪姫だそうだ。
白黒のサイレント映画と聞くと、二の足を踏む人もいるかもしれないけど、久しぶりに物語に引き込まれ、甘く陶酔する時間を味わうことが出来た。
白黒のサイレントと言うと、一昨年のアカデミー作品賞を受賞したフランス映画『アーティスト』を思い浮かべる人がいるし比較されているようだけど、僕はこの、『ブランカニエベス』は『アーティスト』と比べるべくもなく圧倒的に素晴らしい作品だと思う。
『アーティスト』は、物語の先がどんどん読めるため僕はまったく楽しむことが出来なかったのだけど、この映画の何がすごいのかというと、言葉に頼ることなく物語に引き込まれ、映像と音のみで完全に理解出来るように作られているところだろう。
色彩に頼らない白黒の画面は、アンダルシア地方の焼け付くような陽射しと漆黒の闇も、登場人物たちの底意地の悪さも、まぶしいばかりの笑顔や美しさも完璧に映し出している。また、この映画で重要な要素となっているものの一つは音楽だ。美しい映像のストーリーに寄り沿うかのように、完璧な音楽が脇を固めている。
グリム童話が元になっている白雪姫はディズニーによって世界に広められ、物語のあらすじは誰もが知るところだろう。それでいて、大人になってさえ何度観ても物語に引き込まれ、胸を揺さぶられるのはどうしてだろうか?
もしこの物語に人を惹き付けてやまない普遍性があるとすると、『世界(人間)には常に善と悪がともにある』ということなのかもしれない。我々はその不可解さや理不尽さを、自分たちの人生の中で本当はわかっているのだと思う。それにしても、あの善的なものを応援しようとする気持ちは、どこから湧いてくるのだろうか…。
「いつまでも、この白黒映画の物語の中にいたい・・・」と、久しぶりに思った幸福な104分だった。
★ブランカニエベスhttp://blancanieves-espacesarou.com/