京都展

近喜のお揚げさん

京昆布舗田なかのひとくちイワシ

はれまのじゃこ山椒

伊勢丹で『京都展』が始まった。
大好きな京都に行けるのは、せいぜい年に2回くらい。京都に行けない時は、京都の食材を求めて伊勢丹の『京都展』をのぞく。
『はれま』でちりめん山椒を買うと、
「ちりめん山椒いうもんは、うちがはじめに作ったんです」
と言われ、これぞ京都だなぁと思う。ここのちりめん山椒はとても有名だけど、他の店のと違って甘くないところがとても好きだ。
『京昆布舗田なか』は、いつも立ち寄るお店。いつもの『ひとくちイワシ』を買って、お店の人と立ち話をする。ふわふわのおぼろ昆布もここのものはとても美味しい。
『近喜』で、湯葉豆腐やお豆腐の味見をして、京都らしい大判のお揚げを買う。京都の人は、お揚げのことを「お揚げさん」って言うんですよね…不思議。この大判のお揚げ、焼いてネギをのせて醤油をかけただけでとても美味しいのだ。
『山田製油』では、香り高いごま油を物色しつつ、胡麻を買った。
それにしても、京都の食材のなんて美味しいことだろうか。日常に食べるお揚げやお豆腐、湯葉やじゃこがこれほど美味しいのだから、和食において東京なんて叶うはずはないと思うのだ。
★京都展http://www.isetanguide.com/20160831/modern-kyoto/

自分の会社でカミングアウト その2

自分の会社の一階受付において、
『僕、ゲイなんです!』
と、カミングアウトする羽目になろうとは、今まで考えたこともなかったのだけど、どうやらその日がやって来てしまった。
朝、神妙な面持ちで出勤をして、「誰かなにか言ってくるかな・・・?」と思っていたら、後輩の女の子が一人走って来た。
「ただしさん(実際には僕の姓)、一階の展示、素敵ですねー!」
その子はirodoriにも来たことがある子で、その時に展示されていた『OUTIN JAPAN』の写真を見ていたので、ほとんど僕のことは承知していたのだ。
そして午後になってまた1人、同僚の女性からメールが入った。
Y「Prince 、先ほどランチ行く時に
 どかーんとOUT IN JAPANみました!
 最高ですね!」
僕「なんか、全面的にカミングアウトになってしまい、
 今後、遠ざかる人も沢山いるだろうなあと思っています。
 まあ、それはそれでしょうがないかなとも。」
 
Y「その勇気が本当に素晴らしいと思います。
 遠ざかる人がいたとしたらその人はそれまでの人だということで
 見切っちゃっていいんですよきっと!
 逆に新しい良い出会いもあることでしょう!楽しみですね!」
社内でいったいどんな反応がくるだろうかと、僕も内心はドキドキしていたのだけど、結局ハッキリとした反応は彼女たち二人だけだったのだ。(他の人は黙殺・・・)
そんなこんなで、めでたく9月1日に、僕は全面的に自分はゲイだと会社で宣言したのだった。

自分の会社でカミングアウト その1

あああ、ついにこの日が来た・・・。
9月1日から9日まで、自分が勤める会社の1階受付において、『OUT IN JAPAN』が展示されることになったのだ。
今まで社内では、僕がゲイだということは、なんとなく勘づいている人もいたと思うけど、会社の受付で自分の写真が実名とともに展示されるということは、もはやどこにも逃げ場はなく、敢えて大声で「僕はゲイです!」と社内全体にカミングアウトをするような行為なのだと思う。
そこで、先日ここにも書いたアンケートhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160825-00000101-asahi-soci
『LGBT、働く人の8% 職場にいると「嫌だ」35%』
を受けて、僕なりになんとかしたいと思って書いたのが写真の文章。会社の僕の写真の隣に、これをボード貼りにして立てかけたのは、この心ない見出しに対する僕なりの反撃だ。
『職場にいたら「嫌だ」35%』と発表されたのを受けるような形で、まさか自分の会社で自分がゲイだとカミングアウトする羽目になろうとは考えもしなかったな・・・。笑
(以下、本文です)
『電通ダイバーシティ・ラボの調査で、LGBTの当事者は、7.6%存在するというデータが公表されました。
これはだいたい、日本人の約13人に1人という割合であって、日本人のうち佐藤さんと鈴木さんと高橋さんと田中さんを足した数よりも多い数のLGBTが、我々の周りに日常的に存在しているということでもあります。
それはあなたの隣の席の人かもしれないし、上司かもしれないし、部下かもしれない。娘さんかもしれないし、おじいさんかもしれないし、お父さんかもしれないし、お母さんかもしれないということです。
セクシュアル・マイノリティに関する基本的な知識として我々が知っておきたいことは、レズビアンであれ、ゲイであれ、バイセクシュアルであれ、トランスジェンダーであれ、その他のセクシュアリティであれ、ほとんどの人は生まれた時からそのセクシュアリティであったということです。(自分の好みで後天的にセクシュアリティを選び取ったわけではないということです)
それは、ある人が背が高かったり、鼻が大きかったり、肌の色が白かったり、黒かったりするように、この世に生まれて来た時からそうであったということなのです。
そうであるにも関わらず、まだまだこの国では、いじめや差別、ハラスメントが日常的に繰り返されるため、学校や社会において、自分のセクシュアリティを公にすることが出来ない状況です。
ほとんどのセクシュアルマイノリティの人たちが、自分の本当のセクシュアリティを隠しながら、息を潜めるようにして暮らしているのが、今の日本の現実なのです。』

変わってゆくK。

Kが東京に引っ越して来て、5ヶ月が過ぎた。
相変わらず出不精なKは、僕が会社に行った後は、洗濯をして、掃除をして、ゴールドジムに行って身体を動かした後はまっすぐ家に帰り、ソファに寝転がってテレビを見たりしながら過ごしている。
僕は仕事が終わり次第早めに家に帰り、せっせとご飯を作るのだけど、Kは楽しそうにちびまる子ちゃんを見ている。そんなある日、Kが言った。
K「今度、英会話の学校に通おうとおもうんだけど・・・」
僕「英会話?どうしたの急に?」
K「いつもただしくんの友達と一緒にいると、自分だけ話している英語がわかんなくて、ずっと劣等感というか、嫌な思いをしてたの。だから、英会話を少しでもできるようになったらいいかなと・・・」
僕「それなら、いきなり学校じゃなくて、スカイプとかでもいいんじゃないの?学校って高いでしょ?」
K「ううん。いろいろ考えたんだけど、僕はほとんど家の外に出ないから、外の学校がいいかなと思って・・・」
僕「それなら学校見学に行ってみて、よければ入ってみたら?」
そうしてKは、表参道にある英会話学校に通い出した。僕が会社から帰ってくると、今度は英会話の授業の映像を見ながら、何やらもぐもぐと口を動かしている。ベッドの中ではイヤホンをしてもぐもぐもぐもぐ・・・。単純なKは、やると決めたらそれだけに一心不乱に集中するタイプだったのだ。
そんな風に変わってゆくKを見ながら、なんだかかわいいなあと思うのだ。

シークワーサー。

沖縄の空港で、シークワーサーを買ってきた。
緑色の網に入って、小さなシークワーサーの実は50個くらいあるかもしれない。たったの500円だった。
家に帰って来て、食事のたびにシークワーサーが食卓に登場している。
たとえば、秋刀魚を焼いて、大根おろしに添える。
泡盛を水で割って、ほんの少しシークワーサーを絞りかける。
モズクを皿に入れて、三杯酢に皿にシークワーサーを絞ってみる。
そうめんを茹でて、薬味と一緒に添えてみる。
アボカドを切って、シークワーサーを絞ってみる。
3センチにも満たない果実だからこそ、もったいないと思わずに、気軽にじゃんじゃん使えるのもシークワーサーのいいところだろう。
カボスやレモンなど他の柑橘とはまた違った、シークワーサー独特の爽やかな香りは、沖縄の夏をギュッと小さな果実の中に閉じ込めたかのよう。
シークワーサーも、もっと買って帰って、友人たちに配ればよかったと今になって思っている。

神様の思し召し

神様の思し召し
ローマの超高級住宅街に住む有名な外科医は、妻と息子と暮らしている。娘は結婚して隣のアパートに暮らしていて、家族は毎晩集まって一緒に夕食をとる。
世間に名の知れたスーパー外科医は、傲慢で、他者を思いやるようなやさしさがなく、仕事場の部下にも厳しく当たり散らす毎日。外科医は、医学部に通う息子が、自分と同じように医師の道を進むと信じていたが、息子はある夜、医師になるのではなく神学校に進みたいと家族に告げる。
映画は、神学校を選択しようとする息子の話かと思いきや、息子を更生させようとやっきになる外科医が、刑務所上がりの神父さんに出会うことで、少しづつ変貌してゆくありようを描いている。
東京国際映画祭において観客賞を受賞。イタリアの個性あふれる俳優たちの演技が素晴らしい。
☆神様の思し召しhttp://gaga.ne.jp/oboshimeshi/

琉球ガラス。

沖縄から帰る日に、台風のおかげでフライトまで時間があったので、いつも訪れる国際通りにある伝統工芸のお店に立ち寄った。
昨年の沖縄旅行で買って帰った琉球ガラスが、思っていた以上に使いやすく、少しサイズの大きめのものが欲しいと思っていたのだ。
Kとふたり、ああでもないこうでもないとグラスを持ちながら、焼酎や泡盛の水割りによさそうな大きさのグラスを選んだ。
グラスというものは、薄ければ薄いほど飲み物が美味しく感じるかというと、全くそうではないというのが僕の持論。
また、機械で大量生産されたグラスよりも、なぜだかわからないのだけど、手作りのグラスの方が飲み物を口に含んだ時に美味しさが感じられるから不思議。
僕の家のグラスは、ほとんどがベルギーのヘンリー・ディーンと言う手作りのガラスメーカーのものなのだけど、高価だったバカラの薄いグラスなんかよりも、この手作りのグラスの方が飲み物が美味しく感じられるのと、昨年買って帰った琉球ガラスのグラスも、同じように飲み物が美味しかったのだ。
手作りのため、一つ一つ大きさや形が微妙に違うので、Kとふたり、じっくりとグラスを眺めながらふたつを選んだ。
帰ってきて、氷を入れて泡盛を注ぎ、水で薄めて口に運ぶと、ほんの一週間前の暑かった沖縄の夏が蘇った。

LGBT、働く人の8% 職場にいると「嫌だ」35%

ご覧になった方もいると思うが、Yahoo!のトップニュースに、こんな記事が載っていた。
★http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160825-00000101-asahi-soci
見出しは、『LGBT、働く人の8% 職場にいると「嫌だ」35%』
記事の中の、『職場の上司や同僚、部下が同性愛者や両性愛者だったらどう感じるかを聞いたところ、「嫌だ」が35・0%。』ここのところを見出しとして抜き出しているところに、なんとも言えないやりきれなさを感じてしまう。これを見て、傷つかないLGBTがいるだろうか?
こんな記事を目にするたびに、マスコミが社会に対して、どんな風に見出しを立てれば受けるのかばかりを考えているのだろうと推測する。
そして、こんな記事を見るたびに、「ゲイは気持ち悪い」などと言っている人たちに、正確な知識が伝わっていないこの国の今の状況を思い知らされるのだ。
「ゲイは気持ち悪い」と言っている人の、隣の席の同僚は、ゲイかもしれないし、弟はゲイかもしれないし、もっと言うと、お父さんがゲイかもしれないのだ。
そして、こんな意見が多数あるところを見ると、未だにセクシュアルマイノリティが後天的なものだと思っている人が多いのだろうと思う。
好きや嫌い、気持ち悪いなどの主観は、僕たちにはどうすることもできない。
でも、正確な知識を広めて、なんとかみんなが安心して暮らせる世の中にしなければならないと思うのだ。
先日の一橋大学のゲイの子が、アウティングにより自殺したことや、今回のオリンピックのイギリス人高飛び込み選手への批判などを、この世界からなくしていかなければならないと思うのだ。

島らっきょう

根の付け根と葉を切り落とす。

縦に薄く切り込みを一本入れる。

ほらむけた。

島らっきょうが好きだ。
沖縄料理屋さんにいくと、必ずと言っていいほど頼みたくなってしまう。
沖縄からの帰り、市場に行くと伊江島の島らっきょうが沢山入って500円で売っていた。
重いなあ…などと思いながら、ぺんぺん草のひろしさんにお土産にと思い、2つ買った。
その時に、市場で売っていたおばあさんに、島らっきょうの皮の剥き方を教えてもらった。
〈島らっきょうの皮の剥き方〉
1.根の付け根と葉の先っぽをカッターなどで切り落とす。
2.島らっきょうを縦に持って、浅めにカッターで縦に一本切り込みを入れる。
3.切り込みに沿って、手で皮を剥がす。
実際にやってみると、驚くほど簡単に皮が剥けるので拍子抜けしてしまったのだけど、今までは、根っこだけ切って一生懸命手で剥いていたのだ。(ほとんど泣きながら)
こんなに簡単な皮の剥き方があるのなら、もっと沢山買ってくればよかった。
後は、塩を全体の重量の3パーセント振って、ビニール袋に入れて1日寝かせたら、うまい島らっきょうの塩漬けが出来上がる。
塩だけでこんなに美味しいなんて!と、食べるたびに感動するのだ。

沖縄から帰ってきて。

僕たちのビーチ

フクギ並木

今週の月曜日、東京を直撃した台風のせいで、沖縄からの帰りの飛行機が3時間遅れた。
そのお陰で晴天の沖縄で過ごす時間が増え、時間をかけて買いものをしてゆっくりランチを食べ、飛行機は更に3時間遅れて台風直後の東京に着いた。
それにしても、思い出すのは沖縄のことばかり。
フクギ並木のおじいさんのこと。
シークワーサーを絞って食べた海ブドウの美味しさ。
伊江島のもずく。
島らっきょうの剥き方を教わったこと。
沈んでゆく大きな夕陽。
手作りの沖縄ガラスの美しさ。
アオサ入りのそば。
豚軟骨の薫製の香り。
小さな青い魚とニモ。
大きなヒトデ。
俵万智さんが、東日本大震災の後に石垣島に移住したという話を読んで、あの震災を経験した後は、沖縄でなくとも、どこか田舎の町へ移住したくなるということに共感出来る気がした。
今日もフクギ並木のおじいさんは、いつもの場所から海を眺めていることだろう。
僕たちと同じような旅人を捕まえては、島の話を聞かせていることだろう。
また会いにいきたいな。おじいさんに。
そして、あの美しい海で心ゆくまで遊びたい。