湯たんぽ。

昨日、友人からちょっと早めのお誕生日プレゼントをもらった。
中を開けてみると『湯たんぽ』が入っていて、僕の好きな『ラプアンカンクリ』という北欧のブランドだった。
湯たんぽが大好きで、ひとりの時は、毎日湯たんぽにお湯を入れて一緒に寝ていたものだけど、Kが東京に引っ越して来てからは、Kの体温が温かいので、湯たんぽなど使わずに寝ていた。
このところ東京もようやく寒くなって来たので、いただいた湯たんぽで寝てみようと思う。

一真窯のお皿。

サンマ皿

波佐見の一真窯のある村

先日、長崎の波佐見を訪れた際に、サンマ皿を頼んで1ヶ月後と言われていたのだけど、小包が早々に送られてきた。
中を開けるとシンプルな長皿が四つ。小さな手紙が添えられていた。
長皿を手に取り出しながら、のどかな波佐見の景色を思い出した。
お店でお皿を買うのもいいけど、実際にこうして窯元に行って手にしたお皿は、行ったことのある風景や出会った人の思い出とともに特別なものに感じられた。
⭐️一真窯https://www.issingama.com/

旅の戦利品。

一真窯の器

マルヒロで買った湯飲み

平戸の酒屋さんで買った徳利

波佐見焼の『一真窯』には、欲しい器が沢山あったのだけど、Kが置き場所がないと言って買うことを許してくれないので、急須を買い、サンマ皿だけ注文してきた。
波佐見焼の『マルヒロ』では、シンプルな真白な湯飲み茶碗を買った。長い形なので、熱い茶を入れても持ちやすい。
平戸の夜の町を歩いていたら、古い酒屋さんが空いていて、そこで飛魚の模様の入った徳利を買い求めた。一輪挿しに良さそう。
波佐見焼の器は、シンプルなので、日本の和洋中など入り乱れた食卓にも合わせやすいと思う。
⭐️一真窯https://www.issingama.com/
⭐️マルヒロhttps://www.hasamiyaki.jp/

野田琺瑯の12センチソースパン

琺瑯のバットやボウルや保存容器が好きで、野田琺瑯のもので揃えている。
琺瑯の優れた点は沢山あるのだけど、直火にかけられることや、臭い写りがしないこと、熱伝導率が高いことなどだろうか。
ガラス質なのに不思議と温かい食感も好きで、ステンレスのバットやボウルはもう使わなくなってしまった。
写真は12センチのソースパン。
この小ささが使い勝手が良くて、朝の味噌汁用に使ったり、ミルクやカフェオレを温めたり、日常的にとても使い勝手のいい鍋だと思う。
持ち手が木で出来ていて温かみがあり、そのまま持てるところも気に入っている。

VENEZIA Wine Stemmed Glass

美しいグラスを見つけたので、6個まとめて購入した。
20世紀初頭に創業したガラス製品メーカー Ichendorf(イッケンドルフ)のワイングラス。
ワイングラスは、友人たちが家に来ても背の高いものだとついひっくり返してしまったりすることがあるのだけど、その点このグラスは重心が下にあり安定感がある。
ワインだけでなく、麦茶やオレンジジュースを入れても美味しく感じられるのは、口当たりが薄いことと、このグラスが一つ一つ手吹きで作られているためだろうか。
置いておいて眺めても、綺麗だなあと思えるグラス。
⭐️https://doinel.net/product/128092143

クリスチャンヌ・ペロションの食器。

今回買った25センチの皿。

ふたりの朝食に。

長く使い続けているお皿。

クリスチャンヌ・ペロションの食器にはじめて出会ったのは、彼女の食器が、キラー通りに面した北青山にあったフランスの家具屋『カトリーヌ・メミ』が出来た頃。おそらく、18年から20年くらい前になるだろう。
クリスチャンヌ自体は、スイス人で(ずっとフランス人だと思っていた)、トスカーナにアトリエを構えているらしい。
『カトリーヌ・メミ』は、ミニマリズムにフランスのエスプリを加えたお洒落な家具屋さんで、彼女の家具を見た途端、いっぺんに虜になってしまった。
当時、カネマングループがやっていたカトリーヌ・メミには、メミのブランド意外にもフランスの香水だとか石鹸、雑貨、ランプなんかが入っていて、その中に美しい器を見つけて購入したのだった。
器は薄く研ぎ澄まされた形をしていて、どこか無国籍な香りのするものだった。
茶碗は2つ、お皿は大中小と、それぞれ4枚ずつくらい購入しただろうか。その当時であっても目玉が飛び出るくらい高かったのに、引っ越しを決めた時に思い切って買ったのだった。
あれから20年近い時間が流れて、僕の元に残ったお皿は、たったの2枚。
引っ越しの運搬で割られてしまったこともあったし、僕が不注意で割ってしまったこともあった。20年も経てば、形あるものは壊れるというものだろう。
そんなクリスチャンヌの食器も、いつのまにか料理研究家などにもてはやされ、大流行りになり、今では日本のところどころで見かけるようになった。あいかわらずその値段は勇気のいるものだけど、本当に自分の気に入った美しいものを身近に置きたいと思ったら、ちょっと無理してでも買った方がよいと、今の僕は思っている。
今回、久しぶりに買ったクリスチャンヌの器は、丸や四角ではなく、強いて言えばオーバルに近いもの。でも、こういった形の器が、日常では意外と使いやすいのだ。
たとえば、朝の慌ただしい時間に、クリスチャンヌの器でパンを食べる。
それは買ってきたパンであっても、器が美しいと朝の時間も豊かに感じられる。
小さな器には、ささやかな日常を変える力があると思うのだ。

木の器。

先日、三谷龍二さんの木の器が欠けてしまい、ご親切な読者の方から作家さんに修理をお願いしてみてはというアドバイスをいただき、作家さんにメールを差し上げ、見事に修復されて戻ってきたという出来事があった。
その後、工房の方からご丁寧なメールをいただいたので、僕が使ってきた家にある三谷龍二さんの木の作品を集めて写真を撮り送ったところ(ちょっとストーカーみたいですね)、またご丁寧にメールをいただいた。
長くたくさんの器をご愛用いただいているのですね。とても嬉しいです。
サラダサーバーも三谷の作品です。
大きなボウルも長皿もみんなすごく良い経年変化が出て来ていて素敵ですね。
引き続きご愛用いただけたら何より幸甚です。
また何かお困りの事等ございましたら、何なりとご相談下さい。今後ともどうぞよろしくお願い致します。
三谷さんの木の器で、最も古いものは恐らくバターケース。ファーマーズテーブルという雑貨屋さんが、まだ表参道の同潤会アパートにあった頃のものだと思う。
それ以来木の器に魅せられて、少しずつ三谷さんの作品を揃えていったのだ。
四角形の木の器は、焼き魚を載せて食卓に上がることがほとんどで、長年使い続けているうちに、角が少し欠けてしまったのだけど、それはそれで味わい深いものだと思っている。
木の器は、乾燥しないように時々オイルを塗ってあげるといいようだ。
サラダサーバーは、オリーブオイルを使うので特にオイルを塗らなくてもいい感じに色艶が保たれている。
木の器のよさは、手に持った時の温かみだろうか。そして保温性もあること。熱いものを入れて器に口をつけて使う文化は、日本以外にあまり見られないようだ。
手作りの木の器は、使い込んでいくうちにたった一つの特別なものに変わっていく。

修復されて戻ってきた器。

修復されて戻ってきた器

数ヶ月前に落として割れてしまって捨てようとしていた木の器を、どうしようかとこのブログであげたところ、「作家さんに修理をお願いしてみたらいかがでしょう?」というご親切なメッセージをいただいた。ダメ元でメールをしてみたところ、破片が残っていれば修理できますとのこと。
僕はてっきり破片も捨てていたとガックリしていたのだけど、Kに聞いたところ、「取ってあるよ」と言うので、食器棚の奥から破片を探し出し、年末に作家さんの工房に送っておいた。
その器が、修理代3000円と引き換えに戻ってきた。
一瞬、どこが壊れていたのかよーく見ないとわからないくらい丁寧に修復されていて、Kとふたりで「すごいねー」と言って喜んだ。
傷ひとつない完璧な美しさもいいけれど、使い込んで破損して、修復されて戻ってきた器は、今までになく愛おしく思える。
わかめの味噌汁を作って久しぶりに口に運んだ器は、これから先もまだまだ僕の家で食卓にあがるだろう。

川連漆器。

口径が広く浅い。

ずっと長いこと、口径が広い深さの浅い器を探していたのだ。
夏に茹でた冷たいうどんの上に、ワカメや納豆や大根おろしやじゃこを乗せて、上からつゆをかけて食べる時なんかに使いたい器。
たいていどんぶりのものは口径が狭く、深さのあるものがほとんどで、お店で時々見かける器は陶器のものが多く、器の下の立ち上がりがなく今ひとつ手で持ちにくいため決めかねていたのだ。
先日、伊勢丹で器を見ていたら、口径の広い漆器を見つけて吸い寄せられるように手に持ってみた。すると、その持ちやすさと軽やかさ、そして、美しい朱色にその場で即決してしまった。
秋田の川連漆器だそうで、16.5センチもある口径は、この器を作るには相当大きな木を切らないとならないんです・・・とのこと。なんでも木の器は、木の真ん中の部分はほとんど使い物にならないそうで、その真ん中を除いた周囲の部分で器を作るのだそうだ。
川連漆器の起源はおよそ800年前に遡るそうで、源頼朝の家人が漆を使い武具に漆を塗らしたのが始まりだとのこと。
朝、温かいうどんを食べてみたら、器は軽く持ちやすく、熱も冷めない。そして熱いのに手で器を持つことができて、口をつけても器の存在を感じないようにやさしかった。
日本の民芸の職人技には、使うたびに感心させられる。

ガラスのランプシェード。

石垣島にある大好きな雑貨店『Kayak』で、ガラスのランプシェードを買ってきた。
手作りの吹きガラスはみんな形が違っていて、ガラス内部に残る気泡の量や位置も違っている。
悩んだ挙句、ぽってりとして気泡が多く入ったランプシェードを持ち帰り、先日家で天井に吊るしてみた。
ランプシェードは温かい光に包まれ、部屋はまた違った表情を照らし出した。
このランプシェード、朝起きて昼間見ていてもその美しさに飽きることはなく、手作りの魅力を存分に備えている。
たったひとつの美しいものがあるだけで、その場の空気が変わり、生活に影響を与えることがある。
そんなものを作り続けている人たちの仕事は、なんて尊いことだろう。
小野田郁子さんのガラス器
⭐️Kayakhttps://m.facebook.com/kayak.ishigaki/?locale2=ja_JP