SHAKER

シェーカーの家具に出会ったのは、僕がまだ、大学生の頃だろうか。機能を徹底的に追求して作られた形の美しさに驚き、この入れ子状に出来る箱を手に入れた。
シェーカー教徒は、19世紀のアメリカで50〜100人の共同体を作り、その中で農業と製造業に分かれ、日の出とともに目覚め、夕食までそれぞれに与えられた仕事をこなして暮らしていた。
彼らは、簡素であることだけが美徳と考えているようには、僕には思えない。彼らの作る料理を見ると、シンプルであるけれどもとても考えられてあり、厳選された素材を使いつつも、贅沢に見える。
彼らは、『生きるために働く』というよりも、『働くことが、生きること』という考えだったという。
今、シェーカーの箱は、僕のキッチンで様々な使い方がされている。小さな箱は、調味料が驚くほどぴったりと収まる。大きな箱はトマト・蟹・ツナ等の缶詰などの保存用食品。真ん中の箱は、色々な種類のお茶を。
箱という形に収めるということは、限界を設けることでもあり、調味料や缶詰やお茶が思いつきで増えて行くことを防いでくれる。この箱に入らないほどの缶詰など、使いきれずに長い間置きっ放しにするだけだし、都会で暮らす僕には、実際には必要無いのだ。
この箱が外に出ていても、様々な食品の汚いデザインのパッケージを目にすることも無く、それでいて簡単に取り出せる。ただ置いてあるだけで自分自身で美しさの秩序を保っていて、その姿を眺めるだけで、穏やかに心地よさを感じる。
シェーカー教徒のように、今の僕には暮らすことは出来ないけど、豊かさとは何か、分からなくなっている今の時代に、彼らの暮らし方や生き方を知ることは、とても興味深い。

好きなものに、囲まれて生きる。

朝からずっと、一日中キッチンで過ごした。
この家に引っ越して来る時に、引っ越し業者の人に、「お客さん、飲食店やってらっしゃるんですよね?」と聞かれるくらい、食器も鍋もキッチンツールも尋常でなく多かったようだ。一人暮らしなのに、業者の見積もりが「29万円です」と言われたときは腰が抜けそうになった。
気がついたら、元々狭く収納のない家に食器がかなりたまっていた。それらをこの週末は思い切って処分することにした。自分が、本当に好きなものだけに囲まれて生きる暮らしに近づくために。
「そうだ!不要な食器は、Kに押し付けよう!」と思ってメールすると、「重いのに、持って来てもらっても大丈夫ですか?」という返事が来た(笑)。僕は、「こんな重い食器なんて、運ぶなんて無理だから。要るようなら送りつけるよ!」と返信。
ところで、僕の家のように収納がない家は、いかに工夫して食器やキッチンツールを、限られた場所に収納するかということがポイントになるのだけど、風水的にシンクの下は、洗ったりする水の物。コンロの下は、鍋などの火の物や保存食材をと決めている。
今や日本食は、様々な国の料理を食べるのが日常になってきたけど、日常的に使う食器は実はとても限られている。それらを吟味して、手の届きやすい場所に移し、それ以外のフレンチのコース料理を食べられそうな平たいお皿のグラデーションのようなサイズのものは、実はあまり出番が少ないので高い所に上げた(このシリーズが4種類6セットずつくらいあるのが頭おかしい)。
数年前に流行った『断捨離』にも書いてあったけど、ものを自分にとって要る物と要らないものに分ける基準は、
『自分が触ってワクワクするものかどうか』
だそうだ。そのお皿なり食器なり洋服なり本なりを触ったり持ったりしてみて、ワクワクしないものは、もう自分には用はないものなのだ。
『恋人を見極める基準も、まずは触ってみるといいと思う』
まずその人を触ってみて、ワクワクするような人ならば、あなたの身体や心が、自分の知らないもっと奥深い所で反応している人であって、あなたにとって身の回りにいるべき人なのだ。きっと。
ただ、触りすぎには注意が必要かもしれない。

ケメックスのコーヒーメーカー。

ケメックスのコーヒーメーカーに出会ったのは、僕がまだ、高校一年生の頃。高校も外苑前だったのだけど、表参道の同潤会アパートに、「Farmer’s Table http://www.farmerstable.com/home/index.html」という雑貨屋さんがあって、放課後、当時つきあっていた彼女に連れて行ってもらった。
その頃のファーマーズテーブルは、本当に小さなアパートの一室で、表参道から日の光が差し込む中、様々な手づくりの作品や海外の雑貨が並べてあり、ワクワクしたのを覚えている。
さて、このケメックスのコーヒーメーカー、僕はコーヒーは飲まないので、もっぱら花器として使っている。MoMAのパーマネントコレクションにもなっているシンプルな形は、ガラスと持ち手の木、それを結ぶ革の紐の質感の違いが質素で美しい。
先日は粉雪が舞い、まだ寒さの続く中、チューリップを10本買って帰ってきた。小さくほとんど緑色だった蕾は、暖かい部屋でゆっくりと黄色に萌え出しはじめた。リビングで奔放にカラダを広げながら、春の訪れを僕に告げている。