マリメッコのティーポット。

北欧のプリントや布地メーカーとして有名なマリメッコ(marimekko)が、実は日用品も扱っていて、かわいいティーポットがあったので手に入れた。
持ち手が木というところが北欧っぽいけど、これは日本にも通じるデザインかもしれない。
蓋が大きく中が洗いやすいというのがいいなぁと。(この視点は、おばちゃんかも…)
小さなティーポットでも、一つの家を明るくすることができる。
デザインって、すごい。

太陽のお皿。

イタリアにカプリ島という観光名所がある。
有名な青の洞窟というスポットがあり、ナポリよりも南に位置するアマルフィ海岸一帯は、太陽がさんさんと降り注ぐため、リモンチェッロなどでも有名な場所だ。
カプリ島は、かなり観光客が多いので、一度行けばいいかなと思うのだけど、アマルフィ海岸には魅力的な街が多い。
中でも、ポジターノという街は、遠く離れた今でも、断崖のホテルで過ごした甘い数日を夢のように思い出さずにはいられない。
観光をしていて魅力的なお皿や陶器に出会うこともあるけど、陶器は、重さがあるのと、壊れやすく運ぶことが困難なため、イタリアなどに行って欲しくなっても買わずに帰ることが多い。
先日、夜中にいつもの食材屋さんから送られて来るメールを見ていて、カプリ島のお皿を見つけて、思わず懐かしくなりポチッと押してしまった。
そういえばアリタリアで昔、オリーブのまな板を機内に持ち込もうとしたところ、「これは凶器になるので持込めません」と言われ、取り上げられたことがある。
まな板で襲いかかる人を想像出来るだろうか…恐ろしすぎる…笑
この、太陽をぎゅっと閉じ込めたようなお皿で、カプレーゼや、トマトソースのシンプルなパスタを食べると、まるでイタリアにいるように感じるかもしれない。
ああ、来年こそは、我が愛しのイタリアへ帰らねば…。

修理して使う喜び。

サイドテーブルの天板の裏

震災で折れてしまった脚

時々気がついて、壊れてしまったものを修理してもらう。
今回は、フードセーバー(食品をビニールの中に空気を抜いて保存出来る器具)が吸い取りが悪くなったのと、卓上カセットコンロの足が一つ取れてしまったので、それぞれ修理に送った。
週末に、家にある他に修理すべきものを考えてみたら、靴の底を替えたいと思っている靴が3足あったり、破れたGパンが2本あったり(下半身が太くなったので)、そういえば、一番上の収納に何年も上げたままになっていたサイドテーブルが、震災の時に足が取れたまま使わずに収納してあるのを見つけた。
日頃は忙しさで忘れたまま使わずにいるものが、こんな風に意外と家の中に溜まっているのがわかった。
今日、フードセーバーの修理担当の方から丁寧な電話をいただいた。「器具の中の、空気を吸い取る管の中に水分が入ってしまっていたので、それを取り除いておきました」とのこと。修理代も3000円と安く、また今までと同じように使うことが出来るのがとてもうれしく感じられた。
端っこが欠けてしまった和食器に、金が接いであるのをご覧になったことはあるだろうか?先日金沢に言った時に、思いがけずそんな食器に出くわした。
昔は、欠けてしまった食器など価値のないものだと思っていたのだけど、今の僕は、欠けてしまったものでさえも、また金で接いでまで使っているという持ち主の愛情を感じられて、それを美しいものだと感じることが出来る。
生きていれば傷もつく。
遅かれ早かれものは壊れ、使えなくなり、いつの日かこの世界から消えてなくなるのだ。
使っていたものが壊れて、それを修理に出して戻って来ると、思いのほかうれしい。
それは、これからも丁寧に使ってゆけるというものに対する愛情であり、もしかしたら物からの愛情さえも感じることが出来るからなのかもしれない。

好きなカップ。

北欧のカップ

バーバラ・アイガンのカップ

イタリアのカップ

朝起きたら、まずはお茶を飲む。
エスプレッソやカプチーノは好きだけど、いわゆるコーヒーは、酸化した味が好きになれず飲まない。
奈良の番茶か、京都のほうじ茶か、フランスの紅茶が多いけど、その中でその日の気分によってお茶を選ぶ。
お茶を飲む時に、カップを選ぶのだけど、カップ一つで全く気分が変わるし、美味しさも変わって来るものだとつくづく思う。
ずっと使っていて、本当に美味しく感じられるカップは実は少なくて、その中の一つは、北欧の青いラインの入ったたっぷりしたカップ。
la cucina feliceが青山にオープンした時に買い求めたものだけど、ちょっと高価だったのだけど思いきって買って本当に良かったと思っている。
気持ちのいい週末に、このカップで飲むお茶は、格別に美味しい。カップの持つフォルム、口当たり、見た感じの佇まい。
どれも僕の中では完璧だと思える美しさだ。
このカップの色違いで全体が茶色のものもあったのだけど、今となっては、手に入らなくなってしまった。
北欧に行く機会があったら、探してみたい。

精米機。

玄米を入れる

精米中

完成

「あぁ、なんでもっと早く買わなかったんだろう…?」
と思うものに、精米機がある。
永 六輔さんが前に、「なんでみなさん、精米機をご家庭に置かないのですかね?」というようなことを言っていたのが 頭の片隅にずーっとあったのだけど、先日、何気なく調べていたら1万円くらいだったのでついに買ってしまった。
今までは、2キロずつその場で精米してもらい、冷蔵庫で保管、なるべく早く食べる…を繰り返していた。でも、少し余ったまま時間が経ったりすると、精米した米は明らかに精米したてと違ってくる。
野菜も魚も我々人間の身体も、皮というものに守られて、中の水分を保っているのだ。精米して皮を剥ぎ取られた米は、刻一刻と干からびて酸化してゆくだけなのだ。
さて、この精米機、お米の量をきちんと計り、号数を合わせて、白米にするか、7分づきにするかなど選び、スタートボタンを押すだけで3分くらいで簡単に精米してくれる。
精米したての白米が、土鍋で炊き上がる匂いがして、ツヤツヤなお米を覗き見る時に、「あぁ、なんでもっと早く買わなかったんだろう…?」とまたしても思ってしまった。
★匠味米 http://karuwazaonline.jp/pc/dynamicContents.do?___SHOP_NO=00000003&f=80120900476

辻和金網。

伊勢丹で、京都の辻和金網が出店していたので、前から買い換えようと思っていた金網を買った。
足付きの足がコンパクトに折りたためるものが女子には人気のようだけど、僕はすぐに金網をどけて他の鍋を置いたりできるように横に足が着いているものを。
たかが金網と思うかもしれないけれども、辻和金網の金網を手にとってじっくり見てみると、均一に編み込まれた細かな網は、一瞬の乱れもなく、金網が終わり結ばれる部分さえも美しい。形が歪んでいたり、がたついていたりしているところはない完璧な形を見ていると、熟練した職人の手仕事に驚嘆の溜息さえもれてしまう。
平安時代から作られていたという金網細工は、日本の伝統工芸の底力を感じさせてくれる。
★辻和金網 http://www.tujiwa-kanaami.com/

BOULE D’AMBRE

15年近く前になるだろうか?
パリ左岸を代表するインテリアデザイナーのカトリーヌ・メミが、外苑西通りのベイリーストックマンの向かいに東京で初のショップをオープンして、日本にパリ左岸のミニマリズムを知らしめた。
(パリの補足をすると、パリは、背骨や心臓とも思われるセーヌ河を挟んで、伝統的で保守的な右岸と革新的であり芸術的な左岸に分かれている。昔から左岸には芸術家が好んで住み、イヴ・サンローランのブランド名にも、イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ(左岸)という風に、左岸であることの誇りが表してある)
彼女の作る無駄を削ぎ落とした家具や照明、リネンの類いも素敵だけど、そこで扱っていたアルチザン・パフュームのテラコッタのボールの香りに虜になってしまった。それは、今までの僕の人生で嗅いだことの無い甘く複雑な香りであり、心の奥深くに染み渡るような神秘的な香りだった。
そのAMBER BALLSとは、フランスの陶芸家によってひとつひとつテラコッタに手彫りの模様が施されたボール。中には固形香料がセラミックに染み込んでいるのだけど、そのアンバーの神秘的な香りは、古来より中国の瞑想に使われてきたという。
パリに行くたびに友達にお土産に買ってきたりしていたので(昔はよくパリに行った)、僕の家には3つ、アンバーボールが大きさ違いであって、居間やベッドサイドに置いてある。友人が訪れると、アンバーボールを手に持たせて匂いを嗅がせてその表情を見るのが好きだ。誰もがちょっと驚いて、『なにこれ?いい匂い!』と言うから。
時々眠れない夜には、ベッドサイドにあるその神秘的な香りをそっと嗅いでみることがある。甘く本能に訴えかけるような香りを嗅いでいると、高ぶる心はいつしか落ち着きを取り戻し、知らないうちに深い夢の中にゆっくりと沈んでゆく。
★L’artisan Parfumeur http://www.artisanparfumeur.jp/index.html

身体を触る。

マッサージオイル

もしも人間が一生、誰の身体も触らずに生きていかなければならないとしたら、気が遠くなるほど孤独で、寂しいにちがいない。
僕たちは、産まれた時には母親に抱かれ、具合が悪いとおでこを触られ、かわいいと言われながら頬を触られ、友人と抱き合ったり、恋人と身体の隅々まで触れ合って来た。
身体に触れること、肌に触れることは、世界への入り口のようなものであり、それにより自分が愛されるに値するものだということを確かめて来たように思う。
Kと二人でいると、時々僕が甘えて、お風呂上がりなんかにうつぶせになり、「マッサージしてあげて!」と言ってマッサージをしてもらうことがある。Kは若いし、どこもコッていないので、僕の背中のいったいどこを揉んだらいいのか分からないらしくて、ツボではない変なところを押しているのがほとんどだ。それでも、効いているようなふりをして、気持ちいいと言っていると一生懸命マッサージしてくれるのでしばらくそのまましてもらう。そんなじゃれあいでも、人の肌やぬくもりっていいものだなあと思う。
今夜のように独りで居る時に、時々疲れた自分にマッサージオイルを塗ることがある。手の指や二の腕、足のふくらはぎや足の指、首の周りなど、自分にご褒美をあげるように丁寧に・・・。
ジムで出会ったWELEDAは、昔から自然派志向の人々には根強い人気のあったブランドだけど、実際に使ってみてそのよさを実感している。このマッサージオイルは、ナチュラルな香りで塗った後も肌に浸透してべたつくことが無い。
44年間ともにある『身体』に感謝しつつ、また明日も、身体中の600億の細胞が無事に再生していけますように…。
★WELEDAhttp://www.weleda.jp/index.php

自転車。

イル・ポスティーノ

新しい自転車を買った。
僕が探したのは、イタリア映画『イル・ポスティーノ』に出てくるようなクラシックな自転車。
結局、行き着いたのは、前にもここに書いたイタリア製ABICI。アウトレット物を安めに買うことが出来た。
自転車を選ぶ基準は、『美しさ』。昔から変わらぬ、自転車の美しさを持っていること。
東京の町中で走る僕にとって、走ることを追求した細いタイヤや、5段変速ギアや、前傾姿勢のフォルムや、余分な機能は、不要だと思った。
白い自転車に乗って、フランスの籐の釣り用バスケット(写真)をかけた人が、あなたの横を走り過ぎたら、声をかけてください。

箸の話。

みやこ箸

我が家の箸たち

昨日行った伊勢丹の『京都歴代のれん市』では、
毎年、『市原平兵衛商店』が出店しているので、いつものぞいている。
僕は、もう15年以上、ここの「みやこ箸」という、箸を使っている。
これは、京都の四条河原町近くにある店で求めたもので、
150年程の歳月を経て、燻された『すす竹』で出来ている。
四角形の形状が実に握りやすく、固く尖った箸先が、
小さな物でも逃さずに拾いあげることが出来る。
中国に行くと、プラスチックの箸が箸立てに突っ込んであって、
どれも先端が太く非常に粗野で使いづらいと思うし、
韓国に行くと、冷たい金属で出来た箸を、口の中に運ぶ時に、
あのヒンヤリした触感がいつも馴染めない。
これは、我々が、小さな時から、
日本独自の繊細な箸の文化で育ったためだと思う。
『お箸の国の人だもの。』
というキャッチフレーズが、昔、味の素の広告で使われていたけど、
この言葉は、ひと言で、この国がそれぞれの季節の旬の食材を取り入れ、
旨味を使った独自の食文化を育んで来た誇りを表現していると思う。
4000円以上するみやこ箸を、最初はとても高いと感じたものだけど、
一度使ってみると、もう他の箸には戻れなくなるから不思議だ。
箸のくせに4000円以上?という考え方もあるかもしれないけど、
箸は、毎日、大切な命を口の中に運んで、味わわせてくれるのだ。
箸が使いやすく、美しいと、食べ方も美しくなるに違いない。
ヨーロッパのシルバーの文化に決して劣ることのない、
美しい日本の文化のひとつであると考えることもできる。
※写真は、家で愛用している『市原平兵衛商店』の美しい箸たち。上から、
揚げもの箸(揚げ物が滑らない)
焼きもの箸(火に強い)
菜箸
菜箸
白竹もりつけ箸
白竹のし箸