公明党との話し合い。(同性婚に関して)

先日、公明党の竹谷とし子参議院議員とお会いして、「同性婚」に関するお話をする機会があった。

この日のために、僕とKの写真をコラージュして、ふたりの生活がわかるような資料を作り、渋谷区に出して不受理であった婚姻届を用意して、参議院会館に向かった。

僕からは、Kとの二人の暮らしや、同性婚ができないことによる不利益や不安なこと、もしもの時に病院で家族と認めてもらえないのではないか。相続さえできないなどという話をした。

竹谷議員はとても聡明で、LGBTQの知識などを話す必要もなく、これは明らかに人権問題であるという理解までされていた。

与党として、公明党の力はとても大きいものだ。

野党では今まで、立憲民主・社民・日本維新の会と、立て続けにお話をしてきた。若干日本維新の会の恒例の議員の方が、同性婚にはまだまだ議論をしなければならないという保守的な意見を持たれていたが、今までお会いした議員の方々は、どなたも皆理解があり協力的な方々ばかりだった。

本丸の自民党は、今の所全く聞く耳を持っていないという状況ではあるものの、僕たちのできることを一つずつ積み重ねていくしか道はないのだと思っている。

ブルーベリーのジャム。

熱海に行った時に、町中でブルーベリーが売っていたので買って帰った。

家に帰ってから生で食べてみると、今ひとつ美味しい感じでもなく、ジャムにすることに決めて早速作った。

<ブルーベリージャムの作り方>

1.ブルーベリーは、重さを測り、総量の40%のグラニュー糖を用意する。300gのブルーベリーであれば120gのグラニュー糖。(30%から50%でお好みで良い)

2.耐熱性のガラス瓶などを煮沸消毒する。

3.琺瑯やステンレスの鍋にブルーベリーを入れて、中火の少し弱火で煮る。途中、水分が出てきて、かなりたっぷり水分が出てきた状態になったら、先ほどのグラニュー糖を入れて、レモン汁を大さじ1くらい絞り入れる。

4.弱火に落として15分くらい煮る。(冷めたら少し硬くなるので、ジャム状になっていなくてよい)

5.味をみて火を止め、熱いうちに瓶に移し替える。

家を探して。その1

昨年から家を探し始めて、内見だけでもかれこれ8軒くらい回っただろうか。

今年に入って最初に見に行った物件が海のすぐ目の前で、車の音など気になる部分もありながらも、広いスペースと眺望に惹かれてほぼここにしようと決めかけて週末を迎えた。

その物件は、サーファーが集まる海が目の前で、駅からは離れているものの、広いスペースを生かしてKが何か食べ物を売ってもいいかもしれない・・・などと考えたり、広いスペースを生かしてサーファーかLGBTの宿泊施設をしてもいいかも・・・などと夢見てもいたのだ。

そう、まるで、寮母にでもなる気でいたのだ。「熱海の母」。

夢は頭の中でぐんぐん膨らみ、こにしようか・・・とほぼ決めかけた時に、不動産屋さんから連絡があり、別の不動産屋さんで僕よりも先に契約を申し込んだ人がいたようでその物件は逃してしまった。

その時はがっくり来てうなだれてしまったのだけど、今思うと、それも縁なのだと思う。その物件には縁がなかったのだ。

次の週末に他の物件はないかと見に行った場所は、駅から離れているものの、まるで山の中に住んでいるような静けさがあり、人里離れた環境に惹かれた。その場で、「この物件、かなりいいと思いますね」と言って宿に戻ったものの・・・

山の家からの眺め

「海のそばに住もう・・・と決めて家を探しに来たのに、山の中でいいの?」

「駅から遠いけど、これならもう少し遠い海の見える広い物件もあるけど・・・」

そこで翌日、もう一度同じ物件を見に行き、海の見える駅から遠い物件も見に行った。どちらも魅力ある一方、足りない部分もあり、すべて完璧な条件の物件などこの世には存在しないとは思いつつも、なかなか決められずに熱海を去ることになった。

そんなこんなで、山に住むのか海に住むのか。車は何を買おうか、原付も必要かも・・・念願の犬は何を飼おうか・・・ウッドデッキを作らないと・・・植物は何を植えようか・・・

決めなければならないことや考えたいことが沢山あって、決められずにいるうちに、もしかしたらまたこの山の物件も逃してしまうかもしれない・・・。

風光明媚な熱海。

海のそばに引っ越そうと考え始めて、昨年から家を何軒か見て回っている。

狙いを定めていたのは、子どもの頃から夏に家族でよく遊びに来た町である熱海を中心に、湯河原から網代くらいまで。

湯河原の温泉の出るお風呂のある家や、網代の海が見渡せる眺めのいい家、伊豆多賀の駅のそばの家・・・と見て来たけど、熱海に通ううちに、やっぱり熱海や来宮の駅から車でそう遠くない場所がいいと思い始めた。

熱海には、海があり、そして振り返ると山がある。適度に町も活気があり、昭和の香りのする建物や店がたくさんあって、歩いていてもどこかほっとする。独特の急斜面に家々が点在しながら暮らしているありようは、他のどこの町にもない風光明媚な魅力を持っている。

谷崎潤一郎など数々の文芸人が好んで熱海に居を構えたのも熱海の魅力に惹かれたからなのだろう。

週末のたびに訪れて、また来たいと思わせてくれる町。

この町の住民になれる日も、そう遠くはないかもしれない。

海幸楽膳 釜つる

「海幸楽膳 釜つる」は、老舗の干物店「釜鶴」が営むレストラン。熱海銀座通りの本店そばを20メートルくらい入ったところにあるモダンな外装のお店。

刺身も、小さな「えのは」と呼ばれる地元でしか食べられないであろう魚の干物は、日本酒が進む美味しさ。

えのは

あじのハンバーグは、あじをミンチにして少し味噌を入れたようなコクがある。どこか千葉のなめろうを思わせる。

野菜も魚も、きちんと選んでいるから、料理の技は素材を活かすことに集中している。


熱海に来たらもう一度行きたいと思う素晴らしいお店。

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寿し忠

熱海には、地魚を食べられる気楽なお寿司屋さんがある。

この「寿し忠」は、1933年創業の老舗寿司店。星がつくような綺麗な店でもないし、サービスも至って普通だけど、地元の人たちが気軽に食べて飲めるような温かな雰囲気がある。

大将は寡黙だけど、丁寧な仕事をしている。

地魚盛り合わせ


あらを煮たお味噌汁まで漁場の味わいで、「漁場の女」であるKは、嬉しそうに食べていた。

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A Color of His Own

仕事でレイモンド・ブリッグズの海外の絵本を探していたら、その横に見たことのあるカメレオンの表紙の絵本を見つけた。

「A Color of His Own」というその絵本を迷わず手に取りKを呼ぶ。Kは、「あ、うちのメモの絵だ」という。

うちのメモ用紙

二人で確か長野を訪れた時に、善光寺のそばにある雑貨屋さんを訪れて、可愛いメモ用紙だからと買ってきて、リビングで使っていたものだった。

これが絵本だったなんて僕は知らなくて、その偶然が面白くて家に買って帰った。

そしてこの絵本、2分でくらい読める内容なのだけど、これが素晴らしかったのだ。

絵本には、いろいろなタイプの絵本があるけど、この絵本は、「詩」のような絵本だ。

つまり、読んだ後に、「何か美しいものを残す」ような絵本。

ここで内容をお伝えすることは野暮なので、興味のある方は是非、この絵本を手に取ってほしい。

ところてん。


僕がこのところ忙しく、今日は一日中外に出っ放しになり帰りも遅めになりそうだった。

Kは午前中で仕事が終わるようで、晩ごはんの準備をしてくれると言うので、楽しみに帰ってきた。

昨日僕が買って置いた鶏肉を、塩麹につけたものと、鶏モモ肉をグリルで焼いたもの、そしてところてん。

ところてんは、前にKのお母さんが送ってくれた天草を、僕がなかなか作らないこともあり、痺れを切らしたKがお母さんに電話をかけながら作り方を聞いて作ったという。

仕事をして家に帰ってきて、晩ごはんが準備してあるって、なんて幸せなことだろうか?

塩麹に漬けた鶏肉は、若干皮が焦げ付いてしまったけど、そんな何もかもを楽しみながら、Kに用意してもらった晩ごはんを感謝していただいた。

こんな暮らしが、いつまでも続いて欲しいと思ったのだ。

母の小包。


僕が茗荷が好きなことを思ってか、畑で取れた茗荷を、母が先々週たくさん送ってくれた。

そして今週、また母から電話があり茗荷の入った小さな小包が届いた。

茗荷はこの時期、畑の至るところでどんどん成長して来るようで、取っても取っても生えてくるのだそうだ。

茗荷に混じって、ピーマンやきゅうり、母が漬けた綺麗な色の茄子やきゅうりの漬物も混じっていた。

時々、庭のハーブ類がビニール袋に入れて入っていることもある。僕がハーブが好きなのを知っていて、家に飾ると思っているのだ。

宅配便を送る日と、到着した日に母から電話が来る。ちゃんと僕が受け取ったか知って安心したいのだろう。

今は特に時間があるからだろうけれども、母はこうやって、いつも僕のことを気にかけてきたのだと思う。

こうして小さな小包をもらってやり取りできる幸せも、永遠には続かないことを思うと、今のありがたさを噛み締めておかなければと思うのだ。

僕の引越しと母の思い。その2

千葉にいる母にとって、東京で暮らす僕がさらに反対側の静岡県に引っ越すことを聞き、急に寂しさを感じているという話はここに書いた。

その後も母が気にかかり、電話をしてみた。

僕「お母さん、熱海に引っ越す話だけどね…今度引っ越す家は少し広いから、お母さんたちがいつでも泊まっていけるような部屋をちゃんと用意するからね…

いつでも来たい時に来て、いたいだけいればいいからね」

母「私が寂しいなんて言うから、あなたに気を遣わせちゃったわね…大丈夫よ。年をとると寂しくなるのよ。おばあちゃんもよく私に言ってたんだけど、それと同じね。

あなたは私たちのことなんか気にせずに、好きなところに住みなさいね」

中学生の時以来、母は父と別居をして、僕は母と、兄は父と暮らしていた。

それからずっと母は僕とふたりだけの生活を続けて、中学、高校、そして僕が大学を出て就職してもしばらく僕と母はふたりだけで暮らしていたのだ。

その僕が29歳の時に、はじめて年上の恋人が出来て家を出ることになった時にも、母は同じように寂しさを口にした。

母は働きながら僕を育てることで、独り身の寂しさを紛らわし、日々過ごしていたのだろう。そんな僕が急に母のもとを離れることを知り、言いようのない寂しさを感じたのだと思う。

でも今思えば、それが母にとっては転機となり、やがて母は現在の夫と知り合い、再婚することになったのだった。

千葉と静岡でたとえ距離は離れていても、いつも気にかけていれば大丈夫だろう。母が健康な今しか、こんなことは出来ないかもしれないと思えたのだった。