ヘブンリーブルー。

札幌から帰る火曜日の朝に、
1日早く月曜日に帰ったKから写真が送られてきた。
「アサガオが咲いたよ」
写真は、この夏もしかしたら咲かないのかもしれないと思っていた西洋朝顔の『ヘブンリー・ブルー』。
10月に入って急に狂い咲くことを決心したかのように(まるで、誰かさんのように)、蕾を沢山付けて全身エネルギーを力いっぱいみなぎらせている。
『ヘブンリーブルー』を育てはじめて、15年以上になるだろうか。日本のアサガオにはない透き通るような青色は、神様がスーッと息を吸い込んだかのように美しいグラデーションをしている。
『ヘブンリーブルー』と聞くと、 新宿二丁目の『ぺんぺん草』のマスターがいつも言っているセリフを思い出す。
「わたしね・・・すごいものを持ってるのよ・・・。
あんたも試してみる???
ひとつ目は、ゴールドフィンガー。(そう言って指先をじゃらじゃらっと動かす)
それと、プラチナ・タン。(そう言って舌を長ーく出して見せる)
それから、ダイヤモンド・リップ。(そう言って唇をすぼめる)
まだあるのよ・・・ヘブンズ・ホール。(これを言うと、お客さんがみんな大笑いする)
あああ、ほんとにくだらない。笑

いただきます。

ジンギスカン

肩ロース

札幌に来たからには、ジンギスカンを食べねばと、僕とKが鼻息荒く乗り込んだのは、ランチからやっている『いただきます。』。
お店の前には直営の牧場で群れている羊の写真があり、加工所も併設されているという。隣にいたお客さん曰く、「札幌で、北海道産の羊をジンギスカンで食べられるのは、この店だけ」なのだそうだ。
お昼でも、予約客がすでに何組かいて、30分前に行った僕たちは2番目。それでも開店前はかなり長い列になっていた。
ジンギスカンは、驚くほど臭みがなくさらさらと食べられる。色々な部位が食べられて、オススメの肩ロースは、脂身が旨味に感じられる。ホルモンも充実していて、レバーもとても綺麗な色をしていた。
店員さんは3人しかいなくててんてこ舞いだったけど、札幌に来たら必ずまた再訪したいと願わずにいられない素晴らしいお店だった。
直営牧場で育てあげた北海道産羊(肉専用種であるサフォーク)を、食肉加工所の温度管理にこだわった冷蔵庫で熟成。
⭐️いただきます。
050-5868-1213
北海道札幌市中央区南5条西5丁目一番地6
https://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010103/1036161/

OUT IN JAPAN 札幌撮影会。

札幌に来たのは、『OUT IN JAPAN』の撮影会が久しぶりに札幌で実現したから。
撮影日はパレードの翌日に決まっていたのだけど、撮影会の日にちが近づいて来ても残念ながら応募者がなかなか集まらず、改めて地方で暮らすLGBTにとってのカミングアウトの難しさがあるのだろうと考えさせられていた。
めげない僕たちは、撮影当日まで夜のゲイバーを何軒もハシゴして、「『OUT IN JAPAN』の撮影会に出ませんか?」となりふり構わず声をかけ続けた(実際にはゲイバーのママにも、お客さんにも参加していただくことが出来た)。そして当初36人くらいだった応募者が、撮影日を迎える日には結局65人にまで膨れ上がったのだった。
今回の撮影会で改めて感じたことがある。それは、僕たちのチームのことだ。
僕たちの今回の撮影チームを構成している人たちを見てみると、ゲイが6人と少し多いのだけど、ストレートの女性が3人いたり、MTF2人、FTX1人、とセクシュアリティもバラバラ。
それでいて、みんながそれぞれの持ち場の仕事をきちんとこなしていて、周りを思いやり、撮影会場はいつものようにとても温かい空気に溢れていた。
ゲイである僕は、周りがゲイで囲まれている心地よさを知っている。でも、こんな風にさまざまなセクシュアリティの人たちと、同じ思いで何かをやり遂げることの心地よさは、なんとも温かく、居心地のいいものに感じられた。
そして撮影会に訪れた人たちも、スタッフの作り出す温かな空気感に自然と調和して、カメラ前に立っても楽しそうに過ごしていたのだった。
札幌の撮影会を終えて、これで1099人のセクシュアルマイノリティの人々の撮影をしたことになるのだけれども、主宰者である妹のGがあげた目標は、2020年までに1万人というとてつもない数のセクシュアルマイノリティの撮影であり、僕たちの道のりは、ようやく11%達成したばかりなのだった…。
⭐️OUT IN JAPANhttp://outinjapan.com/

札幌レインボーマーチ 2017

およそ450人のパレード参加者

美しい紅葉がはじまった札幌

Sapporo Factory

はじめて『札幌レインボーマーチ』に行ったのは、8年くらい前だろうか?
1996年からはじまった札幌のパレード(LGBTのパレード)は、その当時日本で一番成功しているパレードとも言われていて、前の恋人と別れた僕は友人たちと参加したのだった。
参加して驚いたことは、東京のパレードでは感じられなかった一体感と、沿道で応援する人たちの温かい声援だった。それに加え、札幌市の市長をはじめ、自民党以外の各政党から議員の方々がお祝いに参列していた。
その年か翌年に台北のパレードにはじめて行って、その規模といい一体感といい、ニューヨークのパレードに近いものを感じたのだけど、これに近いパレードと町の一体感は、日本のパレードの中では札幌のパレードだけだった。
この札幌パレードで一番感動的だったのは、パレードを終わった場所や、小さなお店でセクシュアルマイノリティのお母さんたちが団結して『炊き出し』が行われていたこと。おにぎりと豚汁がお母さんたちの手によって作られ配られていたのだった。
これは友人に聞いたところによると、昔、パレードの実行委員のメンバーが自殺をしてしまい、その後そのお母さんが、「もう二度とうちの子のような悲しいことは起こらないように・・・」との思いから、子どもたちにおにぎりと豚汁を作って応援することをはじめたそうだ。
その後、この札幌のパレードは規模が大きくなり過ぎてしまい、運営がうまくいかなくなり4年前に中止に追い込まれたようだ。今回参加した『札幌レインボーマーチ』は、実はこの当時の流れを汲んだものではなく、22歳のMTXの子が立ち上がり、ツイッターで拡散して実行に漕ぎ着けたそうだ。
秋晴れの札幌レインボーマーチには、およそ450人が参加したそうだ。
沿道は、大阪などに比べるととても温かかったけど、わずか450人のパレードは、残念ながらレインボーの旗の意味するところも、何の為に歩いている団体なのかもわかりづらく、大成功という感じではなかった。
それでも、一度中止に追い込まれたパレードを、若者たちが団結して立ち上げた勇気と実行力に讃辞を贈りたいし、今後の札幌のパレードが続いていって、少しずつセクシュアルマイノリティの人たちがより暮らしやすい町に近づいてゆくことを願っている。

酒房しんせん

黒舞茸の土瓶蒸し

お造り

天然キノコの蕎麦

Kの仕事が終わるのを待って札幌へ。
美味しいものが沢山ある札幌は、3回目、お寿司にしようか迷ったのだけど、今回は『酒房しんせん』という割烹料理店へ。
こじんまりとした店内に入ると、カウンターから威勢のいい声が聞こえてきた。スタッフは何人もいるけど、大将は間違いなくこの人だとわかる。
温和な顔で僕だちを迎えてくれる。
あらかじめ北海道の地のものでお願いしますと言っておいたので、楽しみにしていたのだ。
北海道の地酒を頼み、突き出しのイクラの醤油漬けを頬張る。「うまい!」
すかさず『蝦夷鹿の串焼き』。獲ったらすぐに血抜きをするという蝦夷鹿は、臭みがなく言われなければ牛肉と思うかもしれない。
イカを捌いてあらゆる部位とワタをまとめて出された一品は、イカ自体の甘みが感じられお酒がすすむ。
天然の黒舞茸の土瓶蒸しは、松茸に劣らない香りと、丁寧に取られた出汁の味わいでKはご満悦になった。
地鶏の胸肉のたたきや甘エビの醤油麹和えなどが続き、天然のしめじと毛蟹が絶妙な組み合わせで出てきた。
王鰈と呼ばれるマツカワカレイ、鰤、ボタン海老、蟹を持ったお造りは、ここでなければ食べられない海の幸を詰め込んだ味わい。
本物のシシャモの後は、やっと大きくなってきたという秋刀魚が堂々とメイン料理として出された。
野生のキノコと鶏肉の首の部位のつみれは、手打ちのお蕎麦と寄り添い、どこかホッとする温かさ。
地のものにこだわり、季節感のある素晴らしい食材を極力生かす料理は、大将ならでは。美味しいものをお客さんに出したいというシンプルで強い思いが店中に充満していた。
この店に、ミシュランの星がつくというのもうなづける、再訪確実だな。
⭐️酒房しんせん
011-512-3721
北海道札幌市中央区南六条西3 秋水ビル 1F
https://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010103/1000002/

Kが、教えてくれること。

旅行の前日の金曜日、僕の仕事が遅くなり、Kが先に帰って晩ごはんの準備をしてくれていた。
といっても、昨夜すでにクリームシチューを僕が作っておいたので、パンを切ってシチューを温めて、茹でてある野菜を盛りつけるくらい。
でも、盛りつけた野菜が沢山あって、シチューにもブロッコリーを山ほど入れると言うのだ。
それは、明日から旅行に行くから、食材をほんのひと切れたりとも無駄にしたくないからだろう。
昔、僕たちが東京と大分で別れて住んでいる頃、ふたりで旅行に行った先で日帰りの温泉に入ると、Kは温泉で使った200円のタオルを、いつも大事そうに持って帰るのだった。
「捨てるのはもったいないでしょ」
僕の家にふたりで暮らすようになって驚いたことは、コンビニやスーパーでもらって来たビニール袋を、僕は適当に丸めて箱に突っ込んで置くか、すぐに捨ててしまうかだったのに、Kはそんなビニール袋さえも、「ゴミを捨てるときに役に立つから」と、きれいに折りたたんで振り分けてしまって置くのだ。
僕はKの、そんなつましい生き方が好きだ。
今までずっとバブルの申し子のように生きてきた僕に、神さまがプレゼントしてくれたのだろう。

後輩からの手紙。

昔、入社以来僕についていて子どものように面倒を見ていた後輩Sから、家に小包が届いて、なんだろう・・・と開けて見ると、その昔Sがパリに旅行すると言う時に貸した本がギッシリと詰まっていた。
あまりにも量があるので、会社で返すのも悪いと思ったのか自宅に送ってくれたのだ。
中には小さな手紙(上の写真)が添えられていて、子どものように僕になついていたSのやさしさを思い出した。
会社では、久しぶりに前に席が近かった入社5年目くらいの後輩の女の子Yからメールが届いた。Yは大阪に転勤になったのち、産休に入り、無事に赤ちゃんが産まれて、今では4ヶ月たったとのこと。
<以下、後輩Yからの手紙>
おつかれさまです。
ご連絡ありがとうございます。
メルマガでないメールが、しかも〇〇さんから!
とても嬉しかったです。
いま、息子をお昼寝させたところです。
今日でちょうど四ヶ月になりました。
私も母親業にだいぶ慣れ、
8キロの息子を米俵か土嚢を運んでいるような姿勢で
肩にかついで歩き回っています。
(中略)
素敵なお写真ありがとうございます。
(門外不出、承知しました。)
〇〇さんのお元気そうなお顔が見れて嬉しいです。
インドネシア語どうでした?東南アジアの言葉は特に難しそう!!!
本場のナシゴレンどうでした?ココナッツやパクチーのエスニックな香りが恋しいです。
>バリ島では、タクシーに乗る時にもメーターを倒さない運転手
え!!!!タクシーに乗る度に緊張感がありますね。ツアーでしか東南アジアに行ったことがないのでまだタクシー未経験ですが、私なんかはすぐにぼられそうですね笑
(中略)
私にとっては、いつまでも〇〇さんがお兄さんであり、お父さんです。
黄門様というより、スナフキンが似合いますよ!
また旅行などのお写真送っていただけるのを、楽しみにしています。
〇〇さんも、朝晩冷えてきましたので、ご自愛くださいませ。
<以上>
僕は会社で働き出してもう23年以上になるのだけど、会社人生の中で一番の宝物だと思うものは、話題になった広告を作ったことではなく、賞をもらったことでもなく、仕事を通じて出会ったさまざまな人たちとの時間なのだと思う。
先輩や後輩から時々もらうメールや手紙で、改めて彼らと過ごせたことをうれしく思うのだ。

『ありがとう』の奇跡。

『ありがとう』という言葉を毎日言い続けて、ついに『ありがとう』の数が、9万回を突破した。
これは、前にもここにあげたことがあるのだけど、『ありがとう。という言葉を5万回言うと奇跡が起きる』ということを本で読んでからはじめたこと。
それ以来馬鹿の一つ覚えのように、毎朝会社に行く道を歩きながら、念仏のように『ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。』と5回を2回繰り返し1セットにして指を折り数えながら唱えて来たのだった。そして地下鉄に降りるエスカレーターの中でその日に言えた数をiPhoneのカレンダーに書き記すのだ。
本にも書いてあったことだけど、こんなことを本で読んだとしてもまずほとんどの人は「バカげている」と思ってやらないか、やりはじめてもすぐに諦めてしまうらしい。僕はこれを読んだ時に、「僕は5万回まではまずやってみよう」と心の中で誓ったのだった。
実際に5万回唱えてみて、奇跡が起きたかというとなんとも言えないのだけど、ハッキリと言えることは、「ありがとう」という言葉が、前よりももっともっと口をついて出てくるようになったと思う。
この頃、母に直接「ありがとう」と言って感謝する言葉を伝えることが出来た。僕は涙でぐしょぐしょになってしまって、でも母に言葉で伝えたくて、お昼ご飯を食べた後に歩きながら泣きながら伝えたのだった。
そして、9万回を過ぎて思うことは、毎日毎日身の回りに、「ありがとう」という現象が無数に起きていることに気づくようになったことだろうか。
それは、身の回りの人だけではなく、花や、植物や、食べものや、着るもの、机だったり、椅子だったり、あらゆる目にするものが「ありがとう」という言葉に値すると気づくことができる瞬間があるということ。
悟りを開いたとか聖人になったわけではなく、今まで自分が持つことの出来なかったやさしい視点を、時々ふと持てるようになって来たということだろうか。
今の目標は10万回なのだけど、そのあとは『ありがとう。愛してる。』という言葉の抱き合わせで、次の10万回を目指すことにしようと思っている。
さて、何が起きるだろうか?

家族であること。

先週末の土曜日、久しぶりに母と伊勢丹の『分とく山』で一緒にご飯を食べた。
今年76歳になった母は奥歯の具合が悪く、先週歯医者さんで歯を2本抜いたという話は聞いていたのだ。
最後のご飯に一緒に出された人参の漬物が硬く、なかなか噛みきれなかったようで、途中で紙ナプキンに出さなければならなかった。
母は、「あんたも歯をたいせつにしなさいね」などと言って笑っていたのだけれけど、僕はとても胸が痛かった。
母が辛い思いをしているならば、できるならば僕が代わってあげたい・・・と思った。
昨夜、Kがご飯を食べた後、ふたりでソファで『ちびまる子ちゃん』を観ていたのだけど、そのあとなんだか様子がおかしくて、自分でiPadで何かを必死に探しているようだったので、僕は向かいに座って本を読んでいたのだ。
Kがシャワーを浴びている時に、何を探していたのだろうか?と気になって、いつもは気にもかけないのだけど、ふとiPadの履歴を見ると、病気を調べたようなページがいくつも出て来たのだ。
Kは病院に勤めているのだけど、これは仕事のことではないだろうと気になって、僕がシャワーを浴びる時にKに問いただしたところ、「実は10年前から小さなポリープのようなものがあって、それを最近エコーで見てもらったら、念のために細密検査をしてもらったほうがいいのでは?」と言われたのだと言う。
良さそうな病院を調べたあとに、いつ病院に行けるか、どうやって予約しようか?色々焦って聞いてくる僕に、「今は仕事が忙しくて、新人にも教えないといけないから、行けても多分来週以降になるよ」と言うのだ。
僕が、「仕事場に電話して午前半休もらえるように言うから。病院にいっしょについていくから」と言うと、Kは、「お母さんみたい」と笑うのだった。
その日、ふたりは手を握りながら、Kは安心してすぐに眠りに落ちていった。
僕は眠れずに、どうやったら早くKを病院に行かせられるだろうか・・・と、そんなことばかり考えていたのだった。
家族とは、心が見えないところで繋がっている。
その人の心が痛むとわかると、僕の心も同じように痛む。
その人が辛いのならば、できるならば代わってあげたいと思う。
何があっても、僕が守ってあげようと思う。
家族がいるということは、そういう人がいるということ。

PINK FOR ALL!!

『新宿まちフェス2017ファッションステージ』という催しが、
10月14日(土)12:30〜16:00まで、
新宿通り特設ステージであるのですが、
その中の15:40から16:00まで、
『PINK FOR ALL‼︎ ファッションパレード』
というテーマでパレードがおこなわれます。
そのロゴ、及びチラシをデザインさせていただきました。
当日は15:40から16:00まで、錚々たる顔ぶれのドラアグクイーンをはじめ、年齢、性別、国籍を超えたさまざまな参加者がパレードをおこなう予定です。
お近くへお越しの際は、お立ち寄りください。