もり

西早稲田に、素敵なお蕎麦屋さんを見つけた。
明治通りに面していて、古いビルの店内は7人くらいしか座れない。
店は、20代くらいに見える色白のちょっとぽっちゃりした若者が一人で蕎麦をさばいていた。店主さんだろうか。
鴨せいろを頼むと、鴨を切るところから始まり、フライパンで焼き目をつけてからネギを切って投入、ネギに焼き目がついたら、出汁を流し込み、その間に蕎麦を茹でて、冷やし、タイミングよく鴨つけ汁が出される。
蕎麦つゆは甘過ぎず、蕎麦は香り高い。柔らかい鴨というよりも、焼き目のついた鴨出汁もしっかり出た鴨せいろ。
日本酒と食べるとたまらなく美味しかった。蕎麦湯もしっかりとして味わい深い。
こんな蕎麦屋さんが近所にあったら、週に2回は来てしまうだろうな。
★もり
090-1764-1136
東京都新宿区高田馬場1-3-10
https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13006046/

この宇宙において確かなこと。

およそ一週間前に水をつけて、ダンボールの中に入れて、外気の寒さの中に置きっ放しにしておいたヒヤシンスの様子を見ようと、そーっと覗いてみた。
すると、球根の下から、びっしりと白い根が2センチくらい伸び始めているのを発見。
慌ててKを呼んで根っこの生えたヒヤシンスたちを見せると、Kもびっくりしていた。
懐かしい理科の実験みたいだけど、こんな風に、植物の成長を間近で観察していると、宇宙の不思議を思わざるをえない。
植物を育てていて、ただひとつ確かに感じることは、この宇宙には、成長してゆくポジティブなエネルギーが溢れているということ。
球根の根が伸び、芽が出て花が咲くということひとつとっても、その神様が作ったような見事な演出に、畏敬の念を感じてしまうのだ。

隠れゲイとして生きること。

この12月に、僕の同期のMが早期退職することとなり、若い頃しょっちゅうみんなで集まって飲んで騒いでいたメンバーと、プロダクションの人たち総勢12名くらいで送別会をした。
実は、Mはゲイである。
でも、Mはそんな話はいっさい口に出さず、23年間くらい過ごして来たのだった。
僕がMがゲイだとわかったのは、Jack’dというゲイの出会い系アプリが流行った7年くらい前に、会社でアプリを立ち上げた時にMがいたからだった。
僕たちの仲間は男女が入り乱れていて、そんな中でも若いうちはやはり色恋の話はずっと話題の中心だった。
僕は聞かれるといつも、自分の恋人のことを「恋人」もしくは「パートナー」と呼んでいて、ゲイであることを公にはしていなかったかど、誰もそれ以上突っ込んでくることはなかった。(今となっては、僕のセクシュアリティは皆が承知のこととなっている)
思えばこの20年以上の間、Mにはずっと女の影が全くなかった。周りが結婚してゆく中で、Mに女友達を紹介しようと世話を焼いたりするのは何度もあったのだけど、Mはそれをうまくかわしていたのだった。
今回また飲み会の席で、Mの女の子の話になった。「俺があの時紹介したあの子はどうだったのか?」「今でも女の子の噂も聞かないけど大丈夫なのか?」「彼女の話を最近は全然聞かないけど今も彼女はいないのか?」「そもそも、Mの口から彼女という言葉を聞いたこともない気がする…」
僕はそんな話を聞きながら、自分のことのように手に汗を握りながら、息が詰まるような気持ちでMをじっと見守っていた。
Mは、「か…か…彼女なら、いるよ」と言った。
それからMは、周りの人たちの質問に対して、すべて「彼女」という言葉を使って話を進めた。
僕はそんなMの話を聞きながら、なんという苦痛だろうか…と思い、胸が痛かった。
Mは、本当の自分の恋人のことを言うことが出来ず、彼らの望む形の性別に変えて、嘘を貫き通しているのだった。
もはやこの会社からいなくなるというのに、此の期に及んでMが嘘を言い続けることによって守りたいものとはなんだったのだろうか?
長い時間の中で培われて来た、彼らとの友情だろうか?

ありがとう。あいしてる。

『ありがとう』という言葉を、5万回唱えたら、人生が変わるという話を本で読んだ。
「そんなものかな?」と思うけど、もしも本当にそれを実行したとしたら、何かが変わるのかもしれないとも思う。
本当は、身の回りのすべてのことが奇跡のような出来事の連続であるにも関わらず、いつも誰かと比べたり、足りないもののことを考えたりしがちだ。
47歳にもなって、「感謝する」ということがいかに難しいかと日々思わされる。
同じように、『あいしてる』という言葉も、口に出すほど素晴らしいことが起きるということが書いてあった。
「あいしてる」という言葉は、なんだか少し照れくさくて、それでいてちょっとマジな怖さもあって、日常的にはあまり口にしづらい言葉かもしれない。
『ありがとう』『あいしてる』を、双璧のようにして、常に口に出すようにすると、とてもいいことが起こってくると書いてあった。
その言葉は、相手に対して温かなエネルギーとなって増幅されるということと、すべての言葉は、実は、自分に対して言っていることに他ならないのだという。
これからは、『ありがとう』『あいしてる』を、口ぐせのように唱えることにしよう。

道行く人への温かさ。

僕の家のベランダから、少し遠くにマンションが見える。
そのマンションの一室のクリスマスの電飾がかわいくて、Kと何度も眺めては話をしている。
5階くらいにあるその部屋は、夕方になると赤や緑や黄色の電飾がチカチカと点灯しはじめるのだ。昼間に家にいるKが見ているかぎりでは、その部屋は、若い白人のカップルが住んでいるようだ。
クリスマスのシーズンにアメリカに行くとよく見られる光景なのだけど、高級住宅地であろうが、貧しい人たちが住む町であろうがあまり関係なく、アメリカではアパートメントの窓に力いっぱい飾り付けをしていることがあるのだけど、日本で見るのは意外と珍しい。
僕たちはいつも、向かいのマンションを見ながら夕食を迎え、彼らのやさしい心配りに、なんとも温かい気持ちになっている。
いつかいきなり訪ねていって、「いつもありがとう!」と言って手を握りハグをしたいくらいだ。

阿吽

クエ鍋

新橋駅に近いコリドー街の、『阿吽』という和食の店で忘年会があった。
クライアントとの飲み会だったので半分仕事のような気持ちでいったのだけど、話題が終始LGBTのことばかりで、僕の周りの人たちも少しずつLGBTのことを知り、少しずつ変わり始めていることに気付かされた。
食べログの評価は全然よくないのだけど、お刺身も、真鯵、ブリ、カワハギ、イカなど、どれも鮮度がよく、宮崎の地頭鶏も美味しく、クエの鍋まで食べられて、尚且つ飲み放題で6500円という金額はとてもお得感があった。
⭐️阿吽https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13192806/

つきあうことは、変わってゆくこと。

Kは、僕と一緒につきあいだして4年が過ぎた。はじめて出会った頃のKは、花の名前も、バラとチューリップくらいしか知らなかったと思う。
それが今や、僕と道を歩いているだけで、「もみじが春なのに赤い芽を出してるね」「八重桜の時期になったね」「あじさいが綺麗だね」」「イチョウが紅葉してきたね」「桜の葉っぱが落ちた後に、もう花芽がついてるね」なんて、植物の変化に気づくようになったようだ。
先日、Kが帰ってきて、得意げに僕に、「この頃、南天の実が真っ赤になって町でたくさん見かけるよ」と言うのだ。
僕は、「もうそんな時期なのかね?お正月に飾るくらいだからそうかもね…」なんて言っていたのだ。南天の実だって、Kはうちの正月の花で水を変えたりしながら覚えたのだろう。
その後、Kと一緒に近所を散歩していたら、急にKが言うのだ。
「ただしくん、ほら!南天の実がなってる!」
僕がKの指差す方を見ると、それはアメリカハナミズキの花の後の赤い実だったのだ。
「あれは、ハナミズキの後の実だよ。真っ赤だから似てるね(笑)」
Kは間違えてしまって笑っていたけど、今までは目にも止まらなかった植物に対して、Kの興味は少しづつ大きくなっていっている。
つきあいながら、お互いが少しずつ変わっていくことが、とても面白いと思うのだ。

春の準備。

チューリップや水仙、イングリッシュブルーベルやスパニッシュブルーベル、スノードロップフレークやスノードロップの球根も、実は沢山買ってあったのだけど、球根の上に咲かせるビオラを買って来たので、やっとこさ重い腰をあげて球根の植え付けをした。
チューリップなどの球根は、ほぼ毎年植え付けているのだけど、今年はKがいるので、Kにも植物たちの成長する様をどうしても見せたいと思ったのだ。
球根を買うときも、どの花の形や色がいいかを一緒に選んで、鉢の中に植え付けるときも、配色や順番を一緒に考えながら植え付けた。
直径45センチくらいはある鉢を2つ用意して、上からから15センチくらいまで土を入れる。そこへ、チューリップの球根を色の配置や咲く場所を考えながら丁寧に並べる。水仙も比較的深めに植えるので、水仙もこの時点で入れてしまう。
そこへ更に土を足して、上からセンチくらいまで土を入れたら、そこにスパニッシュブルーベルなどの浅めに植える球根を置き、ビオラやタイムなどを並べたら、また土をかぶせる。
最後に水をたっぷりあげて、後は、花に水をかけないように注意しながら週に2回から3回、お水をあげていくうちに、ビオラの花が華やかに鉢いっぱいに広がり、やがて球根たちの小さな芽が姿を見せ始めるだろう。
Kは慎重に土をいじりながら、はじめて植物を植え付けること自体が面白いのか、僕の話を注意深く聞きながら、楽しそうに植え付けを手伝ってくれた。
これから春に向けて、時間をかけてゆっくりと変化してゆく植物を、世話をしながらKとふたり、つぶさに見届けるのだ。

ヒヤシンスの水耕栽培。

植物が成長して行く不思議を、Kとともに見守ろうと思い、さまざまな球根を随分前に買っておいたのだけど、ヒヤシンスの球根は本来ならば12月初旬までに植えるべきなのだけど、バタバタしているうちに放ったらかしのまま中旬になってしまった。
ヒヤシンスの球根は、水に浸けっぱなしにすると菌が水の中で繁殖してすぐに腐ってしまうので、珪酸塩白土などをひとつまみ水に中に加えてから球根の下部の黒っぽい部分だけ水に浸かるようにして暗く寒い場所に1ヶ月間くらい置く。
その間、1週間に1度くらいはお水を替えてあげて、やがて白い根が伸び始めて、芽が顔を見せ始めたら、やっと明るい室内に移動にさせることができる。
それまでの保管は、ダンボールの中に入れて、外のベランダに光が入らないようにガムテープで蓋をしておいて置く。
このまま1月の半ばまで、冬の寒さを十分に味わわせてあげたら、一足早い春を僕たちの部屋の中に届けてくれるだろう。

ベッドの位置を変えてみた。

今の家に引っ越して来てから、ほぼ1年が過ぎようとしている。
日当りがよく、冬になっても日中は暖房がいらないくらい暖かいのと、通りの道行く人を眺められること、6駅を利用できるということが思いのほか便利でとても満足している。
ただ、一つ気になることがあるとすると、年のせいなのか、睡眠がなかなか続けて朝まで眠れなくなって来たということだろうか。それと、前よりも変な夢を見る頻度が増えたような気がするのだ。
これは、この家がどうのこうのではなくて、47歳ともなれば誰でも程度の差はあれ、睡眠障害を抱えることになるのだと思う。
それでも、もしかしたら部屋のレイアウトを変えたら多少変わるのかもしれないと思い、早めに帰宅した日にKとふたり、ベッドの位置を反時計回りに90度回転させてみることにした。
寝室やベッドの位置は、風水ではとても重要な要素だという。寝室の場所は今更変えることは出来ないけど、ベッドの向きだけは、僕の家のように狭い日本の住宅環境でも多少変更出来るのではないだろうか。
ネットで『ベッド・位置・風水』などと調べるとhttps://kaumo.jp/topic/322、生まれ年によってすぐに本命掛というものがわかり、本命掛から『東四命』と『西四命』という2つが現れる。僕は『西四命』であることがわかった(ちなみにKも同じく『西四命』だった)。
ふむふむと思って配置図を眺めてみると、今の部屋のように真ん中に壁に寄せて真北に向かって枕があるベッドの配置は、『東四命』では吉だけど、僕の『西四命』では吉ではないことがわかった。
そこでベッドのサイズを測り直し、『西四命』において吉方位とされる西枕になすようにベッドの位置を反時計周り動かしてみた。
狭い部屋でも不思議なことに、ベッドを90度変えるだけで、まるで別の部屋のように空気感が変わったのがわかる。なんというか、風が抜けるようになり、部屋が今までよりも広く感じられはじめたのだ。
ベッドを動かしたことにより、ベッドサイドのテーブルも変更して、リビングのサイドテーブルを持って来たり、照明も変えたら、落ち着く部屋が出来上がった。
夜ふたりで眠る時は、「なんだか同じ部屋とは思えないね・・・どこかホテルに泊まりに来たみたい。でもこの配置も悪くないね・・・」なんてふたりで言いながら眠りについた。
そしてその夜は、10時過ぎに眠りについて、夜中の3時過ぎまでぐっすり眠りに落ちたのだ。
それもこれも、僕が思い込みが激しいだけなのかもしれない。でも、何千年という昔から信じられている風水を、ビル・ゲイツでさえも取り入れているのだから、僕たちが取り入れてみたって損はないだろう。ベッドをほんの少し動かすだけで、気持ちよい眠りが得られるのならば。