人生は小説よりも奇なり

今年見た映画の中で、最も心震えた愛しい映画が、ニューヨークのゲイ映画『人生は小説よりも奇なり』だ。
画家のベンは70歳。音楽教師のジョージは50代半ば。ふたりは39年間連れ添ったのち、家族や友人たちが温かく見守る中、結婚をした。
だがしかし、その同性婚が理由となりジョージは職場を解雇され、ふたりが当てにしていた家を売り出すも、税金などが差し引かれ、手元に残ったのはほんの少しのお金だけになってしまう。やがてふたりに、人生で出会ったことのない試練が次々と降りかかる。
『LOVE IS STRANGE』というタイトルからもわかるように、これは、愛について描かれた作品だ。
老齢期にさしかかったふたりは、仕事もなくなり、安住の住み家さえもなくなってしまう・・・。
どんどん窮地に追い込まれていく中で、僕は祈るような気持ちで画面を見つめ続けていたのだけど、彼らから静かに、でもいつもいつも確かに伝わって来たものは、紛れもない『愛』だったのだ。
自分の生活の根底を支えていたと思っていたお金で手に入るものすべてがなくなってしまったとしても、愛さえあれば、人生はなんと心強く美しいことか。
シネスイッチ銀座では、今週いっぱいで終わってしまうようだけれども、絶対に見逃してはならない作品。
★人生は小説よりも奇なりhttp://jinseiha.com

リリーのすべて

1930年代、デンマークにおいて世界ではじめて性別適合手術を受けたMtFのリリーの実話に基づいた映画。
観る前から、エディ・レッドメインが出るので気になっていたのだけど、奥さん役のデンマーク人女優アリシア・ヴィキャンデルがアカデミー助演女優賞を取ったので楽しみにしていた。
映画は、30年代のコペンハーゲンを舞台に、美しい映像で進んでゆく。
風景画家のアイナーと肖像画家のゲルダは、恋愛結婚をして互いに愛し合っていた。ある日、ゲルダの肖像画のモデルをつとめることになったアイナーは、自分の中の女性性に気づいてしまう…。
トランスジェンダーなどといった表現がなく、性倒錯者、もしくは、精神病と判断されていた時代に、セクシュアルマイノリティが生きることは、静かに息を殺しながら生きるようなものだったに違いない。
そんな時代においてさえ、自分らしく生きることを選ぼうとするリリーの勇気に胸がしめつけられる。
そして、リリーが女性になることを選んだのちも、リリーをそばで支え続けるゲルダの苦悩を見ていると、人間と人間が結ばれる時に、セクシュアリティというものがどれほど重要なものなのだろうか…と考えさせられてしまう。
ゲイである僕たちに、トランスジェンダーの苦悩はなかなか簡単には理解出来ないのだけど、僕たちもセクシュアルマイノリティであることで、彼らが差別され、苦しんできたということは想像することが出来る。
セクシュアリティとはなんなのかということを今一度考えさせられる素晴らしい作品。
★リリーのすべてhttp://lili-movie.jp/sp/

新緑の季節。

イチジク

マニキュア・フィンガー

コルヌス・アルバ・エレガンティッシマ

東京の町は桜が終わり、新緑の季節がやってきた。
僕のベランダも、様々な植物の新芽が伸び始め、本格的な春の到来を感じさせる。
何千年と昔から描かれて来たイチジクの葉は、手を広げたようなギザギザした形が美しい。
今年はじめて手に入れたぶどうの葉は、マニキュアをした指という名前だった。
斑入りのコルヌス・アルバ・エレガンティッシマは、冬の間は真紅の美しい枝で、春になると華やかな斑入りの葉を広げ始める。
桜の花が終わっても尚、春の植物たちの競演はまだまだ続いていく。

社会へのインパクト。

行きつけの美容院に僕が髪を切りに行くので、ついでに髪が伸び放題になっているKも切ったらいいかなと思い、一緒に美容院を予約した。
僕「あのー、30分後に髪を切りたいのですが、もう一人連れて行って一緒にやってもらってもいいですか?」
その日の美容院のスタッフは女の子ばかり3人いて、僕たちは入るなり、隣同士の席になった。
僕「この人、僕の恋人です。」
いきなり僕の恋人というカミングアウトに、美容院の女の子たちは驚いたようで、僕の髪を切ってくれている女の子は、一瞬にして顔が真っ赤になった。
美容師「あの、すいません…私、赤面症なんです…ただしさん、恋人って…随分若いですね〜」
僕「16歳違いなんだよね…僕たち」
美容師「16歳!すごい!」
美容師さんたちはもともと、僕がゲイであることは知っていたのだけど、こうやって恋人を連れてくると、一瞬驚いたけどすぐに打ち解けてくれた。
場所や状況にもよるとは思うのだけど、僕のセクシュアリティをわかっている人には、男同士の恋人なのだとあっさりと言ってしまっても、意外とすんなり受け入れてくれるものなのだとわかった。
僕たちが帰った後に、きっと美容師さんたちは僕たちの話をしているのだろう。
でも、それさえもきっと、社会に対して、僕たちが小さいながらもインパクトを与えている証拠なのだと思う。

ふたりのメガネ。

999,9と書いて、フォーナインズ。日本のメガネのブランドだ。
一度ここのメガネをかけたら、もう他のブランドのメガネはかけられなくなってしまうほどかけ心地がよいので、ここのメガネだけでも4本持っている。
このかけ心地のよさは、メガネの蝶番の部分にU字型の金属がついていてクッションのようになるためで、これが顔に対して締め付けがなく、柔らかく頭を包み込むようにフィットするのだ。
ここ数年、僕もコンタクトを付けることが増えて、あまりメガネをかけなくなってしまったのだけど、そのせいか、メガネの度数が進み、少し合わなくなって来ていたので、思いきって2本のレンズを新しく作り替えることにした。どこのブランドでもそうだけど、メガネはフレームでお金を取ることが多く、レンズ自体はそれほど高くはないのだ。
Kに2本のメガネをかけさせて、本人が一番気に入ったものを選び、そのメガネをK用のレンズに、もう1本は僕用に。度数を測って作ってもらっていたメガネがやっと出来上がったので、ふたりで伊勢丹のフォーナインズに取りに行った。
顔の形が僕とKでは違うので、Kにかけさせてフィットするようにしてもらい、僕のメガネも少しゆるくなっていたので、よりフィットするように調整してもらった。
出来上がったメガネをふたりでかけて鏡を覗き込むと、僕のメガネはKの顔の一部になり、すっかりいい感じに馴染んでいて、Kはうれしそうに笑った。

Sの勇気。(OUT IN JAPAN #007,008 東京撮影会)

セクシュアルマイノリティの可視化を目的に、1年間に1000人を撮影することを目標に掲げたプロジェクト『OUT IN JAPAN』の最後の撮影会が、東京で2日間かけて行われた。
1年前の撮影会では、この『カミングアウト・プロジェクト』に、セクシュアルマイノリティが本当に応募してくれるのかさえわからなかったのに、この国で、1000人を越える人たちが賛同してくれるなんて・・・。
Sは、僕の妹のような存在でスタッフの中心人物。企画が始まった当時は名前も男性で見かけも男性だったのだけど、実はM t Fで、ずっと長い間生きづらさを感じながら社会で生きていたようだ。
そんなSは、このプロジェクトが始まった当初、僕たちが撮影に出ても、「自分はまだ心の準備が整わないので出られません」と言って、撮影される側には決して回ろうとしなかった。
やがて撮影会を重ねるうちに、Sは家族に自分のセクシュアリティを打ち明けて、女性とも取れる名前に変えて、会社の中でもカミングアウトをして性別の変更を許可してもらい、Sの見かけも少しずつ女性らしく変わっていった。
そんなSは、最後の撮影会で、1000人目という記念すべき被写体になることを決心した。
Sの撮影が始まると、スタジオ中の人が集まり、すっかり女性らしく、美しくなった姿に声援をあげた。Sは緊張のあまり、口がこわばり顔が引きつっていたけど、みんなの声と笑いに少しずつほどけて輝くような笑顔に変わっていった。
やがてスタジオが興奮に包まれて撮影が終わると、みんなからの盛大な拍手と感謝の声がかけられた。
Sは、顔をぐしゃぐしゃにゆがめて、立ったまま泣き出した。
そんなSを見ながら、すべてを知っている僕たちも、目から涙が落ちたのだった。
このプロジェクトに関わったすべての人に、感謝します。
1000人達成、本当にありがとうございました。

Yとの再会。

ブリッジで昼間からお花見会がおこなわれて顔を出すと、僕が10代の頃から知っているYが偶然来ていた。
僕「Y! 久しぶり!」
Y「お!結構年取ったねー!お互いに・・・」
Yがそう言うのも無理はなくて、10代の頃に一緒によく2丁目で遊んでいた僕たちは、20代30代になってもまったく会うことがなく、ほとんど30年ぶりくらいで偶然会ったのだ。
Yはモデルで一世風靡した人だ。若い頃の輝くような笑顔は、JR東海のシンデレラエクスプレスに出たことでも有名だった。
そんなYも、僕と同じ47歳。僕が年を重ねたように、それ相応の年をとった感じは否めない。
二人とも花見で飲み過ぎているのか、偶然の出会いを喜んでいるのか、うれしくてうれしくて、大きな声で話は続いたのだった。
帰宅してスマホを見ると、アドレスを交換したYからメールが届いていた。(Yはガラケーしか持っていなくて、しかもガラス面が割れていて驚いてしまった)
Y「久しぶり会えてよかった。今度、飯でも行きましょう。ふたりともシラフの時に。」
30年経っても、そんなことあっという間に思える。10代の頃に一緒に遊んだ友人が元気でいたことに驚き、それぞれの人生の中で年を重ねてゆく不思議を思った。

母の強さ。

Kとふたりで暮らすようになって気づいたことは、毎日の日常茶飯事が、いかに大変かということだ。
朝起きて、洗濯を回しながら、お茶を沸かし、ご飯を作る。
植物に水をあげて、Kが起きてきたら、一緒にご飯を食べて、ざっと片づけて仕事に行く。
帰ってきたら、晩御飯を作る。昨日は治部煮だったから、今日は焼き魚にしよう…。毎日毎日、お腹は空くし、同じ料理ではKも飽きてしまう。
僕がまだ小さな頃、時々父と夫婦喧嘩をした母は、どんなに酷い喧嘩のあった朝であっても、僕たちのために朝ごはんをきちんと作っていた。
朝からハンバーグだったり、カツ丼だったり、焼き魚だったり、ナポリタンだったり…一度たりともご飯を作ることを欠かすことはなかった。
今思うとそれは、母が特別料理好きだったということではなくて、僕や兄や父のことを、心からたいせつに思い、愛していたからなのだとわかる。
Kと一緒に暮らし始めて、そんな母の強さを改めて思い知ったのだ。

ふたりで暮らすこと。

Kが大分から東京の僕の家にやって来て、一週間が過ぎた。
はじめての同棲に最初は戸惑いがあった僕も、この一週間で、「同棲とは、こういうものだったのか…」と改めて新鮮な気持ちでいる。
朝、目覚めると、隣に大型犬のように熟睡状態でKが横たわっている。
僕はKを起こさないようにベッドから抜け出して、朝ごはんの支度をする。お米を精米して土鍋で炊き、魚を焼いたり、水菜の煮浸しを作る。
そして、ご飯を作りながら洗濯機を回す。
そうこうしているうちに、Kが起きてきて、皿を出したり、箸を置いたり、大根おろしを擦ったり、味噌を出したり、洗濯物を干したり手伝ってくれる。
朝ごはんを食べて、僕が出かける頃、Kは玄関で見送ってくれる。「いってらっしゃい!」
会社にいる時は、LINEでやり取りをして、早めに帰れる時は、帰りに伊勢丹で待ち合わせて晩御飯の食材を買って一緒に帰る。
ワインを飲みながら、晩御飯を作り、一緒にゆっくりとご飯を食べる。
「ぶどうの新芽が見えてきたよ」とか、「洗濯物が乾いてよかったね」など、今日あったたわいもない話をしながら…。
夜眠る時は、Kは手を繋いでくるか、足を僕の上に乗せてくる。それはまるで、自分の親に絡みつく子どものようだ。
僕が朝方、トイレに目覚めると、リビングに行く手前の棚の上に、水が入ったコップが置いてある。
夜中にトイレに行く僕が、リビングに行かなくても水が飲めるように、Kがこっそり置いておいてくれた水だ。
ふたりで暮らすとは、そんなこと。

サーナヤオッリの浴衣。

友人のお店で、北欧のデザイナーの生地を見せてもらった時に、「この生地で浴衣を作ったら素敵だろうなあ…」と口走ったのだけど、それを聞いていた友人たちが、仕立て屋さんにお願いして、なんと僕の浴衣を仕立ててくれた。(以前ここにも書いた)
その浴衣を着て写真を送って欲しいと言うので、早朝、浴衣を着て、Kに写真を撮ってもらった。
前夜の酒が抜けていなくて顔はむくんでいたのだけど(笑)、その写真を送ると、北欧に住むデザイナーもとても喜んでくれたようで、彼らのホームページに載せてもいいか?との問い合わせがあった。
浴衣の柄も、伝統的なものから斬新なものまで、昨今では様々なデザインが溢れているけど、グラフィカルで、どこか日本の文様にも通じる北欧のデザインというのも、なかなかいいものだなぁと思っている。
この浴衣は、この夏に向けて、商品化されるようだ。
★サーナヤオッリhttp://www.ecomfort.jp/smp/item/SA420001.html