ゆらぎ整体。

このところ、”整体”にハマっている(正確に言うと、そこの整体師にハマっている…笑)。
この暑さのせいか、眠りも浅く、肩こりもひどく、マッサージを時々してもらっても、その時は気持ちがいいけど、すぐにまた同じ状態に戻ることを繰り返しているので、何か他に手はないものかと考えていた。
そこで行われる整体は、強い力でバキバキ音を鳴らすような整体ではなく、手足や関節を揺らしながら、筋肉の緊張をとってゆくやり方。
“ひどい肩こりは、単純な筋肉の疲労ではなく、自律神経が弱り、自分で回復する力が落ちているということです。 そのような肩こりは、自律神経を整え、体を内側から緩めていく整体が適しています。からだは外部からの強い刺激には身構えて抵抗しますが、やわらかい優しい刺激は素直に受け入れます。”
『なんだ、問題は、肩こりだけでなく、自律神経が弱っていたのか!』
そんな考えに導かれたのと、キックボクサーで元全日本チャンピオンという院長のプロフィールとやさしげな顔写真に惹かれ、試してみようと行ったのが始まり。
自分の症状を説明しながら、整体の時間は30分くらいだけど、関節を揺らされながら緊張がほどけていくのがわかる。
僕は今、左肩を痛めているのだけど、そんな相談も、自分の怪我歴から丁寧にお話してくれる。
最後に頭蓋骨の整体をやるのだけど、頭蓋骨の収縮する動きに合わせて先生の両手に包まれているだけで、どうかこのまま、この時間がいつまでも続きますように…と思いながら、うとうと眠ってしまう。
まるで”北風と太陽”のように、気持ちいいということに、からだは自然に反応しているのがわかる。
今日も帰り際、やさしい顔を見ながら、「また来週来ますね!」と元気よく言ってしまった…

マジック・マイク

友人たちの間ではあまり評判のよくなかった映画、『マジック・マイク』は、観るタイミングを逃していたのだけど、実際に観に行ったらとてもよく出来たアメリカ映画だった。
今をときめくチャニング・テイタムは、若い頃ストリッパーの経験があるらしく、その経験を元に制作された映画だという。
助演の俳優二人も素晴らしいし、チャニング・テイタムが今や世界のスーパースターになってゆく素養があるのが、ダンスシーンを観ればハッキリとわかる。
この映画に、ドリーム・ガールズや、シカゴのようなダンスやミュージカルを期待してはいけない。この映画は、あくまでも、観ている間だけ完全に楽しめるただのアメリカ映画だ。
スティーヴン・ソダーバーグにしては、軽やかな作りなので、デートや友人と観に行っても十分に楽しめると思う。
売春婦が世界ではじめての職業と言われるように、我々人間のセックスに対する欲望は不条理でありながら、抗い難いほど強烈なものだ。それをうまく利用して、目を惹きつけずにはいられない巧妙な演出は、さすが、スティーヴン・ソダーバーグ。
★マジック・マイクhttp://magic-mike.jp/

10皿でわかるイタリア料理

ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナうまそう…

料理のエッセイで、面白く非常に勉強になる本に出会った。筆者は、イタリアのガンベロ・ロッソ・レストランガイドのたった一人の日本人執筆スタッフ。
代表的なイタリア料理10品の説明とともに、その周りにある歴史、そしてワインとのマッチングまで、とてもわかりやすく丁寧に描かれている。
一番驚くのは、これを書いているのはイタリア人なのではないかと錯覚してしまうくらい、豊富な知識と、イタリアに対する絶大な愛情が感じられることだろう。
そして恐らく筆者自身も、イタリア人のように、人生に、喜びや愛や幸福を求めているのがわかる。
ただ一つ困ることは、読んでいるうちに、お腹が空いてきて、今すぐその一皿を食べたくなること。それぞれの料理に合うというワインの味と、そのマッチングを想像して、しばらくエアー幸福感に浸ってしまうことだろう。
カルボナーラのページに、本の内容を凝縮した文章が載っていたので、参考に抜粋しておきます。以下。
“人間は、常に理にかなったことをすれば喜びを得られるものではなければ、正しいことをすれば幸せになれるものでもないのである。
カルボナーラと間抜けな白ワインの組み合わせも、脂っこいボッリート・ミストと軽やかなランブルスコの組み合わせも、それほど熟成されてないペコリーノ・トスカーノと重厚なブルネッロの組み合わせも、すべては理論上は間違ったマッチングである。しかし、長年行われていて、妙にしっくりくるし、食卓で喜びや満足感を与えてくれるのであれば、それはそれでOKだと思う。
ワインも料理も最も重要なことは喜びを与えてくれることである。正しくて退屈なことをするよりは、間違っていても幸せなことをする方が、やはり賢明であるように私には思える”
★10皿でわかるイタリア料理
宮嶋 勲 著 http://www.nikkeibookvideo.com/item-detail/16874/

アロカシア

1年くらい前に買った『アロカシア グリーン・ベルベット』が、この夏も涼しげな姿で目を愉しませてくれている。
サトイモ科のこの植物は、水分を好み、冬になり寒くなると葉が落ちたりするけど、暖かい日だまりの場所に置いてあげると、またゆっくりと美しい葉を広げはじめる。
神秘的な葉脈もさることながら、ベルベットという名前のごとく、美しいグリーンの葉は、ベルベット以外に例えようもないマットな質感を持っている。
今入っている真鍮の花器は、クリスチャン・トルチュ。この花器も、鈍い真鍮の質感が気に入っている。
買って来たままのビニールのポットに入れてあるけど、秋になったら同じようなグリーンの鉢に植え替えてあげようと思う。
夏の間、生花はすぐに腐って枯れてしまうけど、こういう観葉植物ならば、いつでも美しい緑を見ているだけで清涼な気分になれる。

神宮花火大会。

毎年家のまん前で花火は上がるので、人の多さにうんざりしつつも、気にすることも無く過ごしていたのだけど、今年は近くに住む友人に招かれて、マンションの屋上でみんなで花火を観る機会をえた。
1時間の間、絶え間無く花火は打ち上げられるのだけど、今の花火は様々に趣向が凝らされていて、どれもきれい!とか、かわいい!とか歓声が上がった。ずっと見ていて思ったのだけど、花火はある程度近くで観ないと、醍醐味は感じられないということ。花火の魅力は、色や形や動きだけではなく、音や匂いも含まれているから。
僕は、花火が一番輝いて、「ほら、見て!」と言っている盛りの時よりも、ゆっくりと儚くも消えてゆく姿が一番美しいと思う。今年の花火は、夏の終わりに大きく夜空に開き、少し遅れる音とともに散って行った。
(追記)
ワインを飲み少し料理を披露して楽しんだ後、先日このブログに上げた『サンダルを履き違えてやって来たおマメのKei』と2丁目に飲みに行った。偶然古い友人カップルに会い、その後『うさぎ』というユーミンバーに梯子したのだけど、店内の曲がずっとユーミンでちょっと不思議な星に来てしまったような気がした。
そして恐ろしい出来事が起こったのは朝起きた時。ベッドの隣の枕元に、誰が置いたのかクマのぬいぐるみが置いてあったこと。いつもは別の場所に置いてあるし自分で動かした記憶はなく、酔った勢いで誰かを連れ込んでしまったのかも!!!と思い、慌てて玄関の鍵を見に行ったら、鍵はしっかりとかけられたままだった。
こんな出来事は生まれてはじめてで、自分でもわけがわからなくて朝からKeiにメールして、俺の寝室に入ってぬいぐるみをベッドに置かなかった?などと変なことを聞きまくっていた。
うさぎで飲んだ日本酒で、意識を無くすほど酔ってしまったのだろうか?
お盆は終わったのに、父親が出て来てこっそり置いたのだろうか?
おおこわ。おおこわ。

二人で生きる技術

僕のホーム・バーは、新宿2丁目に3軒あって、そのうちの一つに、『Tack’s Knot』がある(場所は正確には3丁目なのだけど)。
2週間ぶりに飲みに行くと、隣に31歳の若者と、もう一つ隣には、55歳くらいのおじさんが座っていた。
若い子とおじさんは、どうやら会社が同じだということで、若い子は、自分がゲイであることやホモフォビアで随分悩んだけど、ある日お母さんにカミングアウトをしたらしい。
お母さんは、あっさりと、「あら、そんなの気づいていたわよ」と言うことで、それから彼は少しずつカミングアウトをはじめている。その二人目が、一緒に来たおじさんで、この人ならカミングアウトをしてもいいかもと思って話したそうだ。
おじさんは、「あ、俺も知り合いにそういうのがいるよ。大塚隆史って言うんだけど…実は、俺の従兄弟なんだ」
若者「え?!大塚隆史さんなら、僕も本を読んだことがあります!親戚なんですか?」と言うことで、二人がタックス・ノットにそろって訪ねて来たらしい。
世の中には、こんな偶然ってあるんだなあ〜と、僕もあっけに取られていたのだけど、タック(大塚隆史)もびっくりしていた。親戚がまさか突然訪ねて来るなんて思わなかったから。
タックの著作に、『二人で生きる技術』という本がある。
タックの生い立ちから始まって、ゲイで悩む時期や、セックスに関して赤裸々に書かれていたり、今までのつきあった人との関係性が、しっかりと描かれている本なのだけど、僕は大好きな本で、今までに、15人以上の人にはプレゼントをして来たと思う。
日本では、男と女のカップルと違って、国に認められて結婚することはまだ出来ないし、もちろん子どもを持つことも出来ない。『男二人でつきあったとしても、なんの約束もないこの世界において、それでも二人がパートナーシップを結び、人生を分かち合ってゆくことには価値がある』ということが書かれている。
今の時代、取っ替え引っ替え色々な男を捕まえては、セックスを楽しんで生きて行くことも出来るし、実際、年をとっている人でも、そのような短期間のつきあいを繰り返して生きて来た人が多いと思う。
僕も、10年間というつきあいの後に別れた時は、もう二度と誰かとつきあうことはないだろうと思っていた。ジャックドやグラインダーでは、星の数ほど男なんているように見えるし、いい男に出会ったとしても、彼は僕とのセックスが飽きた後、また、星の数ほどいる男たちの中から次の男を探すに違いないと思えた。
それが、ひょんなことからKに出会って、またもう一度誰かと人生を分かち合うということを思い出しながら、毎日を生きはじめている。
道に迷った時には、先人の智慧が時には頼りになることがある。この、『二人で生きる技術』には、何度も繰り返し読みたくなるような叡智がぎゅっと詰まっている。
これから一人で生きてゆこうと思っている人も、誰かと人生を分かち合って生きてゆこうと思っている人も、必ず何か、生きてゆくためのヒントが、この本の中には書かれていると思う。
★二人で生きる技術 大塚隆史 著http://www.pot.co.jp/books/isbn978-4-7808-0135-4.html

知らない着信番号。

夜に家に帰ったら、家に置いて出た会社の携帯に、記録にない電話番号から着信が2件入っていた。
遅かったけど、酔っていたこともあり、折り返し電話をかけてみると、電話の向こうから、「2年8組のOだよ!高校で一緒だった…」と言う。
朧げにOの顔を思い出して、「おお、久しぶり。どうしてこの番号分かったの?何かあった?」
今では年賀状のやり取りしかない高校時代の友人に電話をかけて聞いたとのこと。
何十年も音沙汰が無かったのに、電話をかけてくるというのは、宗教の勧誘が多いらしいけど、Oは、久しぶりに高校時代の同じクラスで集まりたいと言うことだった。
他に誰が来るの?と聞いてみても、名前を聞いても、全く顔が浮かばない人もいて、ちょっと呆然としてしまった。でも、考えてみたら、27年の歳月が流れているのだ、顔を思い出せなくてもしょうがあるまい。
僕自身、美術大学に進んだし、高校を出てから、両親が離婚したり、名前が変わったので、連絡を取ろうと思っても、なかなか僕を突き止めることが出来なかったみたい。
大学の同窓会は、行く気になれず、すべて断っていたけど、高校となると、なんだか急に甘酸っぱい思い出が頭に広がった。
はじめて男の先輩を好きになって、思い切ってラブレターを出したこと…
同じクラスの野球部の子を好きになり、時々後ろから抱っこされるのがたまらなく嬉しかったこと…(その時に、野球部の子の股間が押し付けられていたこと…いやん!)
その野球部の子がクラス会に来るのか、とっさに聞こうと思ったけど、なんだか恥ずかしくて聞くことが出来なかった。
人生では時々こんな風に、なんの前触れもなく、不思議なタイミングで過去と向き合う時が訪れることがある。
9月7日に予定されているクラス会に、27年ぶりに行くのを、今から楽しみにしている。
1.さて、何を着て行こうか?
2.カミングアウトしようかな?
3.イケテル男はいるだろうか?

TO RUSSIA, WITH LOVE

ショーン・ペンが演じた、ハーヴェイ・ミルクの映画『ミルク』をご覧になっただろうか?
ハーヴェイ・ミルクが、その生命を賭して成しえたことはいくつもあるけど、僕が心揺さぶられた出来事は、田舎町に住む車椅子のゲイの青年が、家族の理解も得られず、周りのホモフォビアに耐えることも出来なくなり自殺を考えていた時に、ハーヴェイに電話をして、ハーヴェイと話せたことによって彼の命が救われたことだ。世界には未だに、どれだけ多くの彼のようなLGBTの人々が存在しているのかと思い、涙がにじんだのを覚えている。
同性婚が世界で少しずつ認められて来たことはとても嬉しいことだけど、世界では未だにホモフォビアとの戦いが続いている。ロシアでは、『同性愛宣伝禁止法』が可決された。http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323451804578643111991560512.html
昨年の冬に、『プライド(The Pride)』という芝居が日本でも上演され、僕も観に行ったのだけど、その『プライド』の出演者が、ロンドンでのリバイバル公演のカーテンコールでプーチン政権に抗議したということを、友人のSNSのつぶやきで知ったhttp://goo.gl/J70Upi ウオッカを垂れ流す行為もニューヨークで激しく行われていたけど、憎しみに対して、愛で呼びかけている姿に強く心を動かされた。
また、『プライド』の作者 アレクシ・ケイ・キャンベル が、インディペンデント紙に寄稿したのが以下の長文です。
偏見と闘うゲイ・プライド
──いよいよ勝利へ
アレクシ・ケイ・キャンベル
──2013年8月7日付 The Independent 紙
先月、ジェイミー・ロイドから電話があり、彼が今シーズン、トラファルガー・スタジオで演出を手がける3本目の作品として、『プライド』の再演を決めたと知らされたとき、これ以上のよろこびはなかった。わたしたち二人がロイヤル・コート・シアターで初演に取り組んでから5年が経ち、その5年間、わたしは幸運なことに、この戯曲が世界を旅し、何度も生まれ変わる姿を見守ることができた──ニューヨークから東京へ、ストックホルムからシドニーへ。そしていま、作品が帰郷を果たそうとしている。おりしも同性婚容認への運動が大きな展開を見せたばかりであり、完璧なタイミングでの上演ではないだろうか。
数年前に誰が考えただろう?──まさか同性婚が可能になるとは。同性で愛し合う二人の人間が、法的にも社会的にも、ヘテロセクシュアルな結びつきと完全に平等な関係を認められるとは。そしてわたしは、たいへん意義ある闘いに勝利がもたらされたことを悟った──この勝利によって宣言されたのだ、同性カップルの関係は、ストレートの友人たちが享受する関係と同じく大切なもの、正当なもの、神聖不可侵なものである、と。これは大きな前進の瞬間であり、その意義をあなどることはできない。一種の革命であり、世界の他の地域が目指すべき方向を示したのだ。
けれども、かなしいかな、多くの国々はこのあとに続くことにそれほど熱心ではない。こちらの状況が前進しているのとは裏腹に、他の国々では暗黒の力がますます幅を利かせている──ロシアのウラジーミル・プーチン政権は最近、いわゆる伝統的なセックスを除く性的関係の「宣伝」を、違法とする法律を発効させた。言い換えれば、アートやメディアにおいて同性愛の関係をポジティブに描けば、法に反することになるのだ。
カメルーンでは、ゲイ人権活動家エリック・オヘナ・ランバンブが、自分の信念を貫き通したことから残忍な拷問を受け、殺害された。グルジアでは、首都トビリシで初めてのゲイ・パレードに参加しようとした勇敢な数名が、いきり立った何千人もの男たちに取り囲まれたため、現場から護送せざるをえないという事態があった。
また、世界のイスラム諸国でも、同性愛は道徳に反するものとされ、嫌悪され、おそろしい刑罰を加えられる。こうした現状から思い出されるのは、最近この国で起きた出来事が一つの戦闘での勝利を意味したとしても、ホモフォビアをめぐる戦争はまだまだ終わらない、ということだ。そんなことを考えながら思い出した──わたしはそもそも何に駆り立てられ、『プライド』という劇を書いたのか。
それはおよそこういうことだ。「お前のような人間はまちがっている、お前たちのように愛し合うことはまちがっている」──そうたびたび言い聞かされる世の中で、自分を信じることはあまりにも難しい。いま映像で、トビリシで猛り狂う群衆が護送車を取り囲む様子を見ながら、ホモフォビアのルーツとは何なのか、なぜここまで根深いものなのかを問い直してみる。きっと答えはたくさんある──あの男たちの多くは、心のなかに隠しもった同性愛的志向におびえているのかもしれない。自分たちが女々しいと見なす者たちのせいで集団が弱体化することをおそれているのかもしれない。理解の及ばないものを憎悪しているのかもしれない。あるいは、それらが組み合わさった結果なのかもしれない。
とはいえ、ホモフォビアが世界に絶えず蔓延してきた理由が何であれ、冷静に考えてみるといい。そのことがゲイの人々に対し──彼らの自己意識に、彼らのアイデンティティと自信に対し──どんな影響を及ぼしたか。わたしがこの戯曲で掘り下げようと思ったのは、主にそういうことだ──人が成長し、自分を根源的に知ろうとするとき、どんなくびきを捨て去らなければならないのか、同性愛の女性・男性は何世代にも渡り、本当の意味で自分に対するプライドを手に入れるため、どれほどの苦しみを味わい、どんな闘いをくり広げてきたのか。
というのも、わたし自身、人生を振り返ってみると、もっとも記憶に残っているのは、自分が何者であるかを告げる声が聞こえてくる感覚なのだ。それはわたしのことなど何ひとつ知らない者たちの声だった。また、わたしは本当のアイデンティティを隠すことができるようになった。80年代のギリシャの学校で、わたしは即座に知ったのだ──ゲイであるとはすなわち、からかわれ、あざけられることだ、と。のちに、十代のわたしは映画に夢中になった。そこで次から次へと目にしたのは、ゲイのネガティブなステレオタイプ、つまり最後に命を落とすか、もしくは無惨な運命に追い込まれるような人物ばかりだった(この歴史については、1995年に発表されたドキュメンタリー映画『セルロイド・クローゼット』で見事につづられている)。やがて、恐怖に鼓動を高鳴らせながらも、わたしははじめて、ある小説のなかにゲイの性交渉の描写を見つけた──別荘に誰かが置き忘れた怪奇小説だった──二人の男が罪悪感と羞恥心のうちに愛し合い、やがてネズミに蝕まれる、というものだ。当時13歳、自分の気持ちとセクシュアリティを何とか受け入れようとしていた身にとって、この物語が示すところは明らかだった──「お前はろくでもない人間だ、お前は幸せや愛のない人生を送るしかないのだ。」
そういった文化的圧力と、ゲイ・アイデンティティが長年に渡ってこうむってきた影響について考え始めたそのとき、わたしはこの戯曲の形式と構造を思いついた──三人の人物が二つの異なる時代(1950年代と現代)に存在し、各時代で幅を利かせている社会の力が彼らのあり方に影響を及ぼしている。このメタファーを中心に据えることにより、ゲイであるとはどういうことか、”性の革命”と前後する二つの時代で比較、対照してみようと考えた。そして同時に、二つの時代につながりがあることをほのめかし、登場人物の一人のあり方が前の時代の自分から直接影響を受けていることを暗に描こうとした──つまり、現代における彼のふるまいが多くの場合、過去の自分が社会から受けた影響に対するリアクションとなっているのだ。この形式を戯曲に与えたおかげで、個人的事象と歴史的事象が、ゲイ・アイデンティティという文脈のなかで世代を超え、いかにつながっているか、その点を存分に掘り下げることができ、また、個々の人間は自分の生まれてきた社会とどうつながっているのか、その面を掘り起こすことができると思った。人は自分より前に生きた人々から何を受け継いでいるのか、ということだ。また、その探求を詩的で暗示的なもの、想像力に働きかけるものとすることができた。
そしていま、ジェイミー・ロイドが、今回の再演に出演する四人の並外れた俳優たち──ヘイリー・アトウェル、ハリー・ハッデン=ペイトン、マシュー・ホーン、アル・ウィーヴァー──と稽古に取り組むのを見守りながら、そもそもどういうわけでこの劇を書いたのか、わたしは原点に立ち戻ってみる。考えられるのはこれだけだ──わたしは英雄という柄ではないし、そうであったこともない。すこしは勇気の要ることもやってみた──20歳のとき、家族に対し、自分もそういう人間だとカミングアウトした──そして、自分は何者なのか、自分を突き動かすものは何なのか、日々理解を深めようとしてきた。けれどもわたしは、潮の流れに立ち向かい、憎悪に満ちた人々を相手に闘うことができるような、あの勇敢さをもった人間ではない──わたしはエリック・オヘナ・ランバンブではない。それでもたぶん、勇気が足りないと知っているからこそ、劇を書くことで、ランバンブほどではないにせよ、人々のために自分なりの貢献を果たそうという意欲をもち続けることができたのだ。それがどの国の人々であろうと、どの世代の人々であろうとだ。
この戯曲のなかで、登場人物の一人がゲイ・プライドについてこう語る。「教えてよ、あれってデモンストレーション、セレブレーション、それともファッション・ショー?」わたしはこう答えよう──いまでもデモンストレーションだ。そして、ゲイの人々はあらゆる面でストレートの人々と平等だと全世界が認めるまで、デモンストレーションであり続ける。それでもいまは、ほんの束の間だけれども、いまのところは「セレブレーション」としてもいいのだろう──少なくとも世界のこの場所、歴史のこの時点において、前へ進むための意義ある一歩を踏み出したのだから。突き詰めていえば、愛し合うための一歩だ。
(翻訳:広田敦郎)
原文 http://goo.gl/BzPCqf

山間の家々。

Kと出会ってから大分だけで、もう10回以上通っている。
他の県を入れると、その倍くらい行っているだろうか。九州を隈無く訪ねてみたいと思い、全ての県に何度かずつ行っているけど、僕が生きているうちだけでも制覇出来ないと思っている。
熊本、宮崎、大分と、田舎道をドライブしていると、山に囲まれた日本の家々が、自然と一体となっているように美しく感じられ、つい見とれてしまう。
僕「会社をやめて、小さな家を買って、ここで暮らしたらどうかな?」
K「Tさんは、東京以外では暮らしていけませんよ」
僕「本当にそうかな・・・?」
人生の半分は東京で暮らしてきた。
これからの人生、別の道を選ぶという選択肢も、実は目の前にいつでも転がっている。東京に執着する理由も、よく考えてみると何も無い…映画館が沢山あって、新宿2丁目があって、離れ難い青山や、愛すべき友人たちが暮らしていることだろうか…
九州に遊びに行くたびに、「幸せに暮らせるのなら、どこで生きたってかまわないんだよな…俺の人生なんだから・・・」とぼんやりと考えてしまう。いずれにせよ、自然のタイミングで動く時がやって来るかもしれない。
大分から帰る時に、僕がよく買うものは写真の3つ。
◎かぼすは時期によって買うことが出来ないけど、焼き魚や自家製ポン酢に。自然の酸味は、くせがなくどんな料理にも合う。
◎椎茸は大分を代表する特産品。素麺の麺つゆを作る時に使ったり、実はパスタにしてもとても美味しい。
◎ひじきは、僕は甘辛い煮物が苦手なため、いつもにんにくと唐辛子でペペロンチーノで食べる。国東(くにさき)半島で捕れるひじきはとても柔らかく豊かな味わいだ。
かぼすも、ひじきも、しいたけも、決して特別なものではないし、高価な物ではないけど、大分で捕れたこれらの食材は、僕の毎日の暮らしを豊かにしてくれている。

こころね。

実際の年はそんなに離れていないのに、僕にとってはおマメ(子どもの頃、年下の子がいると、みんなと平等ではなく特別な存在として扱われた。おミソとも呼ぶ)のような存在の友人Keiと、久しぶりに食事をした。
なんでおマメかというと、台湾に一緒の時期に旅行に行った時に、「怖くて空港からホテルまで独りでは行けないから、空港まで迎えに来てください」と騒いでいたり、およそ40を過ぎた男とは思えない子どもじみたところがあるから。
昨夜は、また夕方から雷鳴が響き、ゲリラ豪雨が発生した。急にKeiからメッセージが来て、30分時間をずらして欲しいというので、お店に連絡をしたら、またメッセージが。
「Tさん、事件がおきました。これは事件です」
僕は、雷で電車がストップしたのかと思ったら、
「右足と左足のサンダルを違う物を履いて出て来てしまいました・・・」
それも、電車の中で、ふと気づいたそうだ。・・・・・信じられない。
Kei「新宿で靴を買いたいので、一緒について来てください」
僕「お店を30分遅らせたのに、また遅らせるのは悪いから、後にしよう」
結局少し早めに着いたKeiは、サンダルを買っていたのだけど、僕の、「写真を撮ってみんなに見せるから、履き替えないで待っているように!!!」との言いつけを忠実に守り、不揃いのサンダルを履いたまま嬉しそうに駆け寄って来た…まるで犬のように。
タイ料理を食べながら、なんでKeiとこうしてたまに会い、食事をしたり、飲みに行ったりしているのだろうか?と、まじまじと間の抜けた顔を見ながら考えた。
Keiは、僕は気にしたことはなかったのだけど、実はとてもモテるらしい。若い子も、年上も、Keiのやさしい(頼りないとも言う)微笑みにやられてしまうらしい。それでいて、腹筋はバキバキに割れているし、大胸筋もしっかりとついている。何かの拍子で裸になった時は、Keiは突然おマメではなくなって、大空に羽ばたくことが出来るのだ・・・。
帰り際のバーで、僕たちふたりがつきあっているのではないかと、何度か言われた。僕は、「主従関係です!」とでも言おうかと思ったけど、Keiはまんざらでもなさそうで、ゆるんだ顔がもっとゆるくなっていた。
帰り際、一緒のタクシーに乗りながら、気づいたことがある。
Keiと一緒にいると、なんだかホッとするのだ。
それはきっと、Keiの「こころね」が美しいからなんだと思う。
人の「こころね」は、後から作ることは出来ないし、変えることもできない。「こころね」の美しい人は、あまり多くを話さなくても、そばにいるだけでそれが伝わるような気がする。
ああ、Keiのことを褒めるのは、僕の人生ではこれが最初で最後にしておこう。どうかこのブログを、Keiが読みませんように・・・。