こころね。

実際の年はそんなに離れていないのに、僕にとってはおマメ(子どもの頃、年下の子がいると、みんなと平等ではなく特別な存在として扱われた。おミソとも呼ぶ)のような存在の友人Keiと、久しぶりに食事をした。
なんでおマメかというと、台湾に一緒の時期に旅行に行った時に、「怖くて空港からホテルまで独りでは行けないから、空港まで迎えに来てください」と騒いでいたり、およそ40を過ぎた男とは思えない子どもじみたところがあるから。
昨夜は、また夕方から雷鳴が響き、ゲリラ豪雨が発生した。急にKeiからメッセージが来て、30分時間をずらして欲しいというので、お店に連絡をしたら、またメッセージが。
「Tさん、事件がおきました。これは事件です」
僕は、雷で電車がストップしたのかと思ったら、
「右足と左足のサンダルを違う物を履いて出て来てしまいました・・・」
それも、電車の中で、ふと気づいたそうだ。・・・・・信じられない。
Kei「新宿で靴を買いたいので、一緒について来てください」
僕「お店を30分遅らせたのに、また遅らせるのは悪いから、後にしよう」
結局少し早めに着いたKeiは、サンダルを買っていたのだけど、僕の、「写真を撮ってみんなに見せるから、履き替えないで待っているように!!!」との言いつけを忠実に守り、不揃いのサンダルを履いたまま嬉しそうに駆け寄って来た…まるで犬のように。
タイ料理を食べながら、なんでKeiとこうしてたまに会い、食事をしたり、飲みに行ったりしているのだろうか?と、まじまじと間の抜けた顔を見ながら考えた。
Keiは、僕は気にしたことはなかったのだけど、実はとてもモテるらしい。若い子も、年上も、Keiのやさしい(頼りないとも言う)微笑みにやられてしまうらしい。それでいて、腹筋はバキバキに割れているし、大胸筋もしっかりとついている。何かの拍子で裸になった時は、Keiは突然おマメではなくなって、大空に羽ばたくことが出来るのだ・・・。
帰り際のバーで、僕たちふたりがつきあっているのではないかと、何度か言われた。僕は、「主従関係です!」とでも言おうかと思ったけど、Keiはまんざらでもなさそうで、ゆるんだ顔がもっとゆるくなっていた。
帰り際、一緒のタクシーに乗りながら、気づいたことがある。
Keiと一緒にいると、なんだかホッとするのだ。
それはきっと、Keiの「こころね」が美しいからなんだと思う。
人の「こころね」は、後から作ることは出来ないし、変えることもできない。「こころね」の美しい人は、あまり多くを話さなくても、そばにいるだけでそれが伝わるような気がする。
ああ、Keiのことを褒めるのは、僕の人生ではこれが最初で最後にしておこう。どうかこのブログを、Keiが読みませんように・・・。
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