same love

昨夜は、間もなく始まるソチ五輪のソチ市長のコメントをFBで友人から知った。『ソチにゲイはいない。』http://www.asahi.com/articles/ASG1W5FM9G1WUHBI011.html?iref=comtop_6_04
暗澹とした気持ちでいたところ、同じ夜にグラミー賞でこんなパフォーマンスがあったことを知った。http://jezebel.com/grammys-featured-mass-wedding-during-same-love-perfor-1509548304
今も、息を殺して毎日を生きているであろう、ソチ及びロシア中のゲイやビアンの人たちは、グラミー賞のこのパフォーマンスを観ただろうか?
たとえ憎まれたとしても、相手を憎むことではなく、愛を表現することで世界は変わってゆくのかもしれない。
以下は歌詞の内容です。(素晴らしい訳だったので、およげ対訳くん!http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2013/09/same-love-macklemore-ft-mary-lambert.htmlより抜粋させていただきました。ありがとうございます!)
『Same Love (macklemore ft. Mary Lambert)』
小学校3年の時
自分はゲイだって思ってた
だって絵が得意だったし
おじさんだってゲイだったし
部屋もいつも片づけてたから
それで顔中涙でぐちゃぐちゃにして
母親にこういったんだ
そしたらこんな風に言われたよ
「ベン,アンタ幼稚園に上がる前から
女の子が大好きだったじゃないの」って
ほっとしてスキップしたね
確かに言われてみればその通りかも
頭の中にお決まりの
「ゲイの姿」ってのが出来てたんだ
で,算数の計算をやりながら
「そうだよな。俺ってリトル・リーグでいけてるもんな」
なんて考えてたよ
先入観でいっぱいだった
同性を好きになるヤツは
みんな同じような弱っちいキャラだって
そんな風に思ってた
右寄りの保守派のヤツらは
そんなの好きでやってることで
医者とか宗教の力を借りりゃ
治るもんだって思ってて
生まれつきのもんなのに
それを人の力で無理やり変えるような
そんな傲慢なことをやってやがる
ああもう いいか
「勇者の国アメリカ」なんて言っときながら
この期に及んでも
自分が理解できないものが
怖いんだからな
たとえどんな人間でも
神様は分け隔てなく愛してくださる
そう言ってきたずなのに
そんなことは
なぜだかすっかり忘れて
3500年前に誰かが書いた
本の言葉を
都合のいいように言い換えてる
わけわかんねえ
自分はどうやっても変われない
やってみたって同じこと
たとえ変わりたいと願っても
そんなことは無理なんだよ
自分はどうやっても変われない
やってみたって同じこと
たとえ変わりたいと願っても
そんなことは無理なんだよ
あの子のことが好き
一緒にいると幸せになる
自分がゲイだったら
ヒップホップ業界は
俺みたいなヤツを憎んでる
そんな風に思ったはずだ
YouTubeのヴィデオには
コメント欄がついてるけど
あれを最近読んだことあるか?
「おい,それってゲイだぞ」ってなコメントが
毎日のようについてんだよ
もっと言葉に気を付けろよ
元々は,抑えつけられるのがイヤだから
この文化を作り上げたのに
自分は相手を受け入れないで
抑えつけてちゃ世話ねえよ
ネットが匿名なのをいいことに
相手を「ホモ野郎」呼ばわりだ
敵意のある最低の言葉なのに
(ヒップホップって)このジャンルじゃ今もお咎めなしだ
「ゲイ」って言葉を
「つまんねえヤツ」って意味で使ってる
こんな風に相手に敵意を抱いてるから
信じる宗教が違うだけで
戦争が起こったりするんだよ
そいつと少しも変わらねえ
ジェンダーを肌の色だと思ってみな
肌の色の色素の違いだ
行進とか座り込みとか
そういう手段を使いながら
みんなで戦ったあの公民権運動と
これは同じ戦いだ
人として与えられた当然の権利で
違いなんかあるわけない!
生きたいように生きればいいし
自分にウソなんかつかなくていい
なのに俺が教会に通ってた頃は
そういう風には教わらなかった
けど誰かを憎めって
教会で教えるんなら
そんな話聞いたって
有難くもなんともないし
お前が洗礼で使ったあの聖水も
汚れてるってことなんだ
おとなしく黙ってる方がいい
権利を横取りされたヤツのために
立ち上がってやるよりはって
他のヤツらは考えてる
俺はゲイじゃないかもしれない
だけどそんなのは関係ねえ
「平等にならなきゃ自由じゃない」ってのは
全くその通りだよ
だから俺が立ち上がるんだ
自分はどうやっても変われない
やってみたって同じこと
たとえ変わりたいと願っても
今のこの気持ち
あの子のことが好き
一緒にいると幸せになる
押すのは「一旦停止」のボタンじゃないぞ
「再生」のボタンを押して
前へ向かって進むんだ
なのにみんな目を閉じて
本当に大事なことなのに
なかったことにしようとしてるんだぞ
ゲイの叔父さんたちの結婚が
法律でちゃんと認められなきゃ
若いヤツらは今だって
心に傷を抱えて生きている
世の中がひどい扱いをしてくるから
本当の自分を見せるくらいなら
死んだ方がマシなんて考えてる
そりゃあ結婚証明書が出たからって
それだけでなにもかも解決ってわけじゃない
だけどこれからのとっかかりとしては
これ以上のことはないよな?
どんな法律があったって
それだけじゃ世の中は変わらない
そうじゃなくて
世の中は人間が変えてくんだよ
どんな宗教を信じてても関係ない
人間なら元はひとつなんだから
怖れる心を捨ててしまえば
その下には少しも変わらない
誰かのことを大切にする
同じ気持ちが隠れてる
もういい加減声を上げようぜ
自分はどうやっても変われない
やってみたって同じこと
たとえ変わりたいと願っても
そんなことは無理なんだよ
自分はどうやっても変われない
やってみたって同じこと
たとえ変わりたいと願っても
そんなことは無理なんだよ
今のこの気持ち
あの子のことが好き
一緒にいると幸せになる
人を好きになると
待つことも平気になる
誰かを好きになると
優しくなれる
人を好きになると
待つことも平気になる
誰かを好きになると
優しくなれる
(日曜日に教会に行っても,今はもう泣いたりしない)
人を好きになると
待つことも平気になる
(日曜日に教会に行っても,今はもう泣いたりしない)
誰かを好きになると
優しくなれる

ゼロ・グラビティ

週末に、昨年末から話題の映画『ゼロ・グラビティ』を福岡のIMAXで観たのだけど、とてもよく出来ていたし、2200円であれだけのエンタテインメントが楽しめるならお得だなあと感心した。
今年のアカデミー賞でも、主演のサンドラ・ブロックをはじめ、作品賞などに最多の10部門もノミネートされている本作品は、出演者はサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーのほとんど二人しか出てこない。
今日のニュースでは、NASAがこの映画に対して、ありえないことばかり起きていると怒っているようだが、実際の出来る出来ないの話はともかく、無重力空間での二人の人間の動きと心理だけで、よくぞ映画を一本仕立てたな・・・と驚かざるをえない。撮影やCGの技術力と、強靭な脚本のなせる技だろう。
危機的な状況に何度も襲われながらも、なんとか生き延びようとする人間の姿は、無重力状態にありながらも我々の人生を思わせる。
この冬、絶対に劇場で、できればIMAXで観ておくべき一本だろう。
★ゼロ・グラビティhttp://wwws.warnerbros.co.jp/gravity/

写真。

Kとつきあいだしてから、何気なくiPhoneで写真を撮っていたら、かなりの枚数になっていることに気づいた。
特にそれを見返す趣味はないのだけど、ふとした時に「あの時、何食べたんだっけ?」みたいに見れるのは、やっぱり便利だと思う。
Kは写真を撮るようなことは全く無くて、どこに行っても僕がiPhoneで撮影するのが決まりごとのようになっていた。いわゆる写真係。
今回、福岡でも、ずっと博多にいたので、ほとんど料理の写真しか撮らなかったのだけど、今日、焼肉を食べている時に、Kが向かいでスマホをこちょこちょいじっていたので、どうしたの?と聞くと、僕の写真を撮っていたのを見せてくれた。
僕が気づいていない時の写真は、変なものばかりで、「捨てて欲しい…」と思ったけど、何気なくそんな写真を撮っていたことに驚いた。
「僕の写真、撮ってたんだ?」と聞く僕に、Kは、
「Tさんの、遺影にするの…」と笑って答えた。

炉ばた 雷橋。

『かなぎ』という魚。うまい〜♪

金太郎いわし。

リードヴォーの塩焼き。

お昼は、Kのために肉を食べに『じゅん とり勝http://www.hakata-jun.com/』へ。2500円のコースは、サラダ、スープ、野菜の鉄板焼き、に加えて、肉を二種類選べる。
二人だったので、鳥肉、豚肉、和牛ロース、ハンバーグという選択をして4種類の肉を味わった。
目の前で鉄板で焼かれる野菜は甘く、肉は、熱々で柔らかい。
肉を思い切り頬張りながら、単純なKはニコニコだった。
夜は、福岡のグルメシーンでは常に話題に登っていた店『炉ばた 雷橋』に行った。
カウンターだけの炉ばた焼きのこの店は、席数も少ないので予約をした方がいい。
小さな七輪で目の前で焼かれる野菜や肉や魚は、『焼く』という原子的な調理法がいかに素材を生かし、美味しく仕上げるのかを改めて教えてくれる。
この店では、色々な食材を少しずつ注文しながら、食べたいものをお腹の具合と相談しながらゆっくり酒を傾けるといい。
この店で必ず注文した方がいいと思うものは、
◎京都のざる豆腐
◎金太郎いわし
◎鳥のセット
◎野菜(その時期の野菜)
◎リードヴォーの塩焼き
◎鳥肝のさっと焼き
沢山食べて飲んで、二人で12000円という驚きの値段もうれしい。
サービスも気持ちよく、また行きたいと思わせてくれる素晴らしいお店だ。
★炉ばた 雷橋橋http://s.tabelog.com/fukuoka/A4001/A400103/40022410/

酒陶 築地。

鯛の昆布締めのウニ巻き

太刀魚と焼きなすを巻いたものと蕪の擦り身

蓮根饅頭と白味噌

何度も何度も来ている福岡で、ちょっと、誰にも教えたくないような、自分だけの隠れ家にしたいような店を見つけました。
『酒陶 築地』は、薬院にあり、一瞬通り過ぎてしまうような、車の通れない小さな路地にある。
日本酒の品揃えが素晴らしく、酒を飲みながら、少しずつ肴をつまみたい…という人ならば、必ず好きになるだろうと思う素晴らしい店。
料理は独創的で、魚を中心に和食では括れない独自のスタイルを持っている。
二次会で利用する人も多いようだけど、食事で行くならば、事前に必ずセットでお願いしておくといい。若い大将と女将さんのご夫婦二人だけなので、混んでいると待つことになるから。
5000円という値段でも、驚きの品数が出て来るので、次から次へと何が出て来るのか愉しみに過ごすことができる。
平貝の茶碗蒸し
鯛の昆布締めのウニ巻き
鯵の巻き寿司
鯖寿司
蓮根饅頭と白味噌
天ぷらと白子の天つゆ
鴨と鳥の昆布締め
鯛の身とエキスの葛粉天ぷら
秋刀魚の炊き込み御飯
驚くほどリーズナブルで、店内も暗く居心地がよい。
福岡は、鮮度のいい魚に、それを活かせる職人さんがいるところが素晴らしい。
東京にあったら、しょっちゅう通いたい店だ。
★酒陶 築地http://s.tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40019154/

ニーナ・シモンに会いに。

このアルバムではないのだけど…

ビフォア三部作のうちで、映画として完成度が高いのは『ミッドナイト』だけど、僕にとって心奪われたエンディングは、『サンセット』かもしれない。
映画の中で、ニーナ・シモンの、『Just In Time』のパリでのライブバージョンがかかるのだけど、素晴らしい曲と歌詞の内容とがあいまって鳥肌が立ち、胸を鷲掴みにされた。
僕が持ってる Just In Time http://m.youtube.com/watch?v=RhqOHFUYtzI は、ニューヨークのVillage Gateでのライブバージョンだけど、間奏のピアノの珠玉の美しさとニーナ・シモンの奔放な歌声が忘れられない。
僕が学生の時、二丁目の『ぺんぺん草』のマスターのひろしさんが旅行に行く時にいつも、ひろしさんの代わりにボランティアで『ぺんぺん草』に入ることがよくあったのだけど、僕以外にはオープン当時からのお客さんの二人以外には入ることが許されなかった。
若い僕がなぜ許されたのかはわからないけれども、ひろしさん曰く、「お前だったら恐いから、誰が来ても大丈夫」ということだった…
その頃、バリ島なんかに1ヶ月近く旅行に行ってしまうひろしさんを懐かしく思うと、いつもお店でニーナ・シモンのアルバムを出しておいた。
他のアルバムはそうでもないのだけど、そのアルバムのニーナ・シモンは、坊主頭で、驚くほどひろしさんにそっくりだったのだ…。
ひろしさんがいないことを知らずに入って来てしまったお客さんにもそのアルバムを見せると、笑って一杯飲んで行ってくれたのを懐かしく思い出す。
そんなことを思い出しながら、久しぶりに『ぺんぺん草』を覗いた。
席に着くなり、「弱いのちょうだい!ニーナ・シモン!」と言ったら、ひろしさんが大笑いした。
「あのアルバム、いったいどこ行ったかしら…」なんて言いながら、昔のくだらない話を沢山した。

Sweet Violet

Sweet Violet(匂いすみれ)を買って来た。
一重から八重、紫から白まで様々な種類のヨーロッパに自生するすみれをSweet Violetと言うが、このありふれた小さな花を特別愛おしく感じられるのは、かすかに甘い香りのためだろう。
人口の香料と違って何度嗅いでも飽きることがない香りは、なぜか遠い昔を思わせる清々しさを持っている。
庭のアプローチに植えておけば少しずつ増えていって、きっと蜜蜂がたくさん寄って来るだろうなあ・・・などと思いながら、その蜂蜜もきっと甘いに違いないだろうと思う。
庭があって、イージーチェアがあって、大きな犬がいて、恋人がいる。ワインを飲みながら夕暮れ時にのんびりと庭で寛いでいる。
そんなことをイメージしながら、いつかそんな毎日が訪れるのを楽しみにしている・・・。

I get along without you very well

家で料理をしながらNina Simoneのアルバムを聴いていたら、『I get along without you very well http://www.youtube.com/watch?v=_22tXp1g44U』が流れてきたので、久しぶりにつくづく美しい曲だなあ・・・とじんわりと胸に沁みいった。
この曲はHoagy Carmichael(1899-1981)が作ったもので、Hoagy Carmichaelは『Star Dust』『Georgia On My Mind』などで有名な作曲家。作詞もHoagy Carmichaelになっているけど、これは他の人の作詞ということだ。
歌詞は、「あなたがいなくても、生きていけるわ・・・」と言った、恋愛に破れた人の歌なのだけど、言葉の選び方や優しい言い回しがせつなすぎる。
曲自体は、Chet Bakerのバージョンhttp://www.youtube.com/watch?v=IgbPHTBiAVQがとても有名だけど、僕はこの、Nina Simoneの繊細なピアノと、壊れそうなヴォーカルが好きだ。(この曲が入っている『Nina Simone and Piano!』というアルバムも素晴らしい)
「春が来たら…心が二つに引き裂かれてしまいそう・・・」と歌うNina Simoneのこの曲のピアノの終わり方は、奇跡的な美しさをたたえている。

ソウルガールズ

仕事で何度も行っているオーストラリアでは、未だに人種差別的な出来事がアジア人に対してもあるのを知っている。この映画ではじめて知ったことだけど、その昔、オーストラリアでは、先住民であるアボリジニの人たちを自分たちと同じ人間ではなく、他の動物と同じように扱っていたということだ。
アボリジニの居住区に暮らす女の子4人組がソウルシンガーとなり、ベトナム戦争で慰問に行く実話を元に描かれた映画。
はじめはカントリーミュージックを歌っていた女の子たちは、マネージャー役のクリス・オダウドに出会い、ソウルへの転身を余儀無くされる…。
このマネージャー役の『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』にも出ていたクリス・オダウドがとてもいい味を出していて、ダメ男だけど味わいのある笑顔に惹きつけられて、最後にはファンになってしまった…♡
映画全体としてとてもよく出来ていて、歌も聞きごたえがあるので最後まで楽しんで観ることが出来る。
人種差別を取り上げた映画だけど、ヘビーになりすぎずに観ることが出来る。この映画を機会に、アボリジニのことにはじめて関心を持つことが出来た。
★ソウルガールズhttp://soulgirls.jp/

一緒に生きて、年をとること。

週末に観た『ビフォア・サンライズ、サンセット、ミッドナイト』という3本の映画のおかげで、今日はそれらの映画の余韻から、抜け出せずに過ごした。
この映画で、僕が一番心動かされたことは、ふたりが奇跡的な出会いをした後、9年が流れたこと。そして、さらにまた9年が流れたこと。
ふたりとも、はじめに出会った頃の面影は残るものの、イーサン・ホークは、目つきも変わり険しくなり、身体も小さくなり、眉間に深い縦じわが刻み込まれていた。無邪気であどけなかった微笑みは、年をとった男の微笑みに変わってしまった。
ジュリー・デルピーは、目が窪み小さくなり、髪の量が少なくなり、下半身に見事に肉がついて、フランスのおばちゃんになっていた。輝くような笑顔はそこにはもうなくて、慈しみ深いような笑顔になっている。
ミッドナイトの映画の中で、ジュリー・デルピーが何度もイーサン・ホークに尋ねることがある。
『今、年をとった今の私にはじめて列車で出会ったとしても、あの時と同じようにあなたは私を誘ってくれる?』
ふたりは、あれから想像を絶するほどの月日が流れてしまったことを知っている。
自分も、目の前の恋人も年をとり、若い頃のような美しさはなくなり、毛が薄くなり、シワが出来て、太り、醜くなってしまったのを知っている…。
そしてここには、人と長くつきあったことがある人にはわかる秘密がある。
昨日書いたことだけど、『つきあいはじめた頃の、お互いを何よりもたいせつに思っていた頃を思い出すことが出来ること』。
もう一つは、『楽しい時も、たいへんな時にも、ふたりで一緒に生きてきた膨大な時間があるということを知っていること』。
ふたりで一緒に生きてきた長い時間と経験は、お互いに対する愛おしさになってゆく。
CGでは作れない、実際に18年が経過したふたりが見せるやり取りが、過ぎて来た時間を想像させて、胸に迫り、涙を流さずにはいられなかった。