第17回 東京レインボー祭り

新宿二丁目で、毎年恒例のお祭りがあるというので、夕方に顔を出してみた。
昔はこの二丁目祭りも、仲通りで盛大に行われて、スクエアダンスなどが披露されて多くの人の喝采を浴びたものだ。
今は、会場が昔のZIPの前の通りで、公園に抜けるL字型の通りがメインストリートとなっていて、規模も随分縮小した感じだろうか。
おまけに、二丁目の公園は、夜間にゴミを捨てたり、近隣の迷惑を顧みず朝方まで騒ぐ人たちがいるため、塀が出来て閉鎖に追い込まれている。
そもそもこの東京レインボー祭り、真夏にパレードと一緒の日程でやり始めたのだと思うのだけど、パレードが中止になったり、その後始まったパレードの日程がゴールデンウイークになってしまったため、二丁目祭りだけこの真夏にやり続けることになったのだろう。
当時は、パレードを歩いた後に、二丁目に流れてはしゃぐという、暗黙の了解がなされていたわけだけど、今はこの二丁目祭りを知っている人だけがやってくる感じで、LGBTという様々なセクシュアリティというよりも、ほとんど90パーセントがゲイで、残りがビアンといった感じだった。
会長のトシさんが、最後に挨拶でやたらと、「この二丁目は、我々ゲイとレズビアンの町なのです」と高らかに宣言していたのだけど、トランスやそれ以外のセクシュアルマイノリティの人たちが聞いたら、ちょっと寂しく感じたかもしれない。
毎年お決まりのエイサーがあって、みんなで空に風船を放った。
僕が風船を放ちながら考えていたことは、先日から話題になっている一橋大学のゲイで自殺をした子のことだった。
この事件は、未だ分からないことが多くて、すべての情報を掴んでいないので、ここでは敢えて何も私見を挟まないが、こんなことが二度と繰り返されてはならないと思う。
きっと彼のような事件は氷山の一角であって、この国の至るところで、いじめや差別、ハラスメントは起こっているに違いないと思うからだ。

OUT IN JAPAN 1000人写真展 in 青山スパイラル

『レインボーリール東京』の開催に合わせて、
今日から表参道のスパイラルにおいて、
『OUT IN JAPAN 1000人写真展』が1週間開催される。
日本中のカミングアウトをしたLGBT
1008人のポートレートが、青山のスパイラルで展示されるのだ。
レインボーリール東京とは、
東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のことで、
今年から新しく変更された名称のこと。
今年も、面白そうなLGBT映画がいろいろ上映されるので、
お見逃し無く!
★レインボーリール東京http://rainbowreeltokyo.com/2016/
★OUT IN JAPAN 1000人写真展http://goodagingyells.net/join/

ANAのLGBTへの取り組み。

ANAが、LGBTへの取り組みをニュースリリースで発表した。https://www.ana.co.jp/group/pr/201606/20160623.html
◎住民票か同性パートナーを証明する書類を提出すれば、同性でもカップルだあると認められ、マイレージの移行などが出来ること。
◎ANAのラウンジ内のトイレを、LGBTに配慮して、ALL GENDERのトイレであるという表記に変えるとのこと。
◎社員に向けて、LGBT相談窓口を設けたり、社内の啓発プログラムを作ること。また、福利厚生に関しても、LGBTに配慮し、同性パートナーであっても、配偶者と同等に扱われること。
今回、このプロジェクトに関して相談を受け、マイレージの移行のこと、トイレのことなどの話し合いを行い、シンボルマークを作るお手伝いもさせていただいた。
民間の企業が、少しずつ変わってきて、LGBTフレンドリーであると表明していくことは、僕たちがより生きやすい社会に近づいていくことなのだと思う。
民間企業が変わっていくことで、国もゆっくりと確実に変わっていくに違いない。

僕の、東京レインボープライド。

土曜日のステージ

OUT IN JAPAN のフロート

土曜・日曜と、東京レインボープライドのFESTAとPARADEが行われ、代々木公園には7万人を越える人が来場、およそ5千人がパレードに参加した。今年は、渋谷駅前のスクランブル交差点を歩くルートに変更されて、渋谷区町の長谷部さんの影響なのか、警察の方々もとても協力的で、パレードの道幅も例年になく大きくゆとりを持って歩行することが出来た。
僕は、『OUT IN JAPAN』のフロートで歩いたのだけど、僕と同じ年で車いすのOさんがいたので、結局僕とKの二人で代わる代わるOさんの車いすを押しながら、3キロの道のりを歩いたのだった。
今まで、ほんの少しならばOさんの車いすを押したり、持ち上げたりということはしたことがあったのだけど、パレード自体の3キロという道のりを車いすを押しながら歩くということはとても体力のいることであり、坂道などは本当に重くキツかった。人にぶつかったりしながら「すみません」と声をかけたり、神経的にも非常に疲れるものだった。
パレードが終わってOさんがトイレに行きたいということになり、人をかき分けながらトイレにたどり着くも、みんなのトイレも列をなしていて、やっとのことでトイレの中に入った時は安堵の溜め息が出た。しばらくして全然Oさんが出てこないので、後ろに並んでいる人たちも気にしはじめて、ついに声をかけながらトイレに入ると、Oさんがちょうど用を足して出てくるところだった。
Oさんは、40代を過ぎてから脳梗塞になり、半身不随になってしまった。半身不随になり、つきあっていた恋人は去ってゆき、血縁の家族も距離を置くようになったそうだ。
今は、リハビリを繰り返しながらも、自分で行きたいと思う所へはどこへでもタクシーで行き、僕も様々なイベントで顔を合わせるようになった。
Oさんの車いすを押して歩きながら、恥ずかしながら今回、はじめて車いすの人たちの毎日を想像した。
視線が低いので、混んだ場所ではなかなか周りに気づかれにくいことや、ほんの少しの段差があっただけでも、個人の力ではその段差を乗り越えることが出来ないのだ。
それと、「すみません。通していただけますか?」などと声をかけても、人によってはちょっと嫌な顔をされたりすることもあるということ。
車いすの人が東京で普通に出かけて帰ってくるだけでも、恐らく気の遠くなるような段差や障害物、人の思わぬ視線に出会うことになるだろう。Oさんのおかげで、これからは車いすで生活している人たちのことを、もっと注意深く見守ることが出来そうな気がする。
最後まで完走して、たくさんの写真を撮影しながらうれしそうにしているOさんを見ながら、疲れてはいるものの、僕たちもとても晴れやかな気分になった。
今年も『TOKYO RAINBOW PRIDE』 のロゴをはじめ、会場内にある細かな部分のスポンサー企業のフラッグやバナーなどもデザインを担当させていいただき、微力ながら貢献できたことをうれしく思っている。

お兄ちゃんは、ゲイかもしれない。

会社の後、髪を切りに行った。
すると、いつも髪を切ってくれるMちゃんが、髪を切りながら僕にそっと話しかけてきた。
M「うちのお兄ちゃん、カラダばっかり鍛えていてもしかしたらゲイかもしれないって、ただしさんに話しましたよね?」
僕「うん、聞いた。その後どう?」
M「それが、こないだ私が軽い気持ちで、今つきあってる彼氏を家に連れて行ったんです。結婚とかそういうのではなくて、家族に会わせたいなあと思っただけなんですけど…」
僕「それで?」
M「うちには、家族4人でやってるLINEがあるんですけど、そこにお父さんがはじめに書いたんです。
A(お兄さん)や、Mが彼氏を家に連れて来たよ。Aはいつ、彼氏を家に連れて来るのかな?
って…彼氏って書いたんですよ。お父さんが…」
僕「え?お父さん、なんでいきなりそんな思い切ったこと…」
M「そうなんですよ…家族ではなんとなく話して吐いたんですけど、お父さんが口火切るとは思わなくて…」
僕「それで?それで?どうなったの?」
M「すかさずお母さんが機転利かせて、あら父さん、彼氏じゃなくて彼女じゃないの?って書いたんです…」
僕「え?お母さん!」
M「私もそこへ、お兄ちゃんの恋人が、彼女だろうが彼氏だろうが、私はどちらでもうれしいって書いたんです…」
僕「え?えええ⁈
そんでお兄さんは?」
M「それが、その後、見ているくせに、何も書き込みがなかったんです。
しばらくしてから、どこか旅行先の写真だけが送られて来たんです」
僕「そうか…
お兄さんとしては、急に家族にカミングアウトしても大丈夫だよ!と言われたところで、自分の方からカミングアウトする準備も出来てなかったのかもしれないよね…」
M「お父さんも、凄い気を利かせたつもりなんだと思うんです。でも、今はまだその時期ではなかったのかもしれませんね…」
僕「うん。そもそもLINEで家族みんなに自分のセクシュアリティを言うこと自体、僕ならちょっと出来ないかも…」
LGBtという言葉がもはや流行語のようになって、セクシュアルマイノリティは13人に1人いると言われ続けている。そしてそれは、こんな風に実はとても身近にいるものなのだと思うのだ。
そんな人たちが、躊躇せずに周りに話すことができて、自然に受け入れられる世の中になったらいいのになあと改めて思わされた。

LGBTを知る100冊 in 紀伊國屋書店本店

今年も、東京レインボープライドがやってくる。
毎年のことなのだけど、4月半ばを過ぎる頃、TRPのポスターやらチラシ、様々な制作物の入稿に追われる毎日を過ごしている。
今年は、紀伊國屋書店本店の3階レジ前において、東京レインボープライド主催『LGBTを知る100冊』という括りで、売り場にLGBTコーナーが出来上がっている。
5月22日まで、たっぷり1ヶ月かけてやっているので、新宿に立ち寄りの際は、ぜひ覗いてみていただきたい。
僕も、どんな100冊が選ばれているのか、とても興味津々でいるところ。
★紀伊國屋書店本店3階レジ前『LGBTを知る100冊』東京レインボープライド主催

大塚隆史さんのインタビュー記事。(ハフィントンポストより)

敬愛するタックス・ノットのタックさんのインタビュー記事が、ハフポストに掲載されている。
一昨年くらいからのLGBTブームの中で、僕も一時期少し疲弊していた時に、タックは、「このブームが一過性のもので終わらないようにしないといけないわね・・・」と僕に言っていた。そして、「こんな時だから、敵も姿を現すから、しっかり見極めないとね・・・」といわれ、なんだか恐いなあ・・・と思っていたのだけど、しばらくしてタックが僕に言っていた意味が分かったように感じた出来事があった。
記事自体はスマホで見ると少し長いのだけど、日本のゲイやLGBTの動きを注視し、長きに渡り関わり続けて来たタックのインタビューは、とても読み応えがあるので、ぜひ、前編後編を通して読んでみていただきたい。
★前編:90年代ゲイブームを索引した大塚隆史さん、LGBTを語る「一過性で終わらせないために、すべきことがある」http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/01/takashi-otsuka-lgbt_n_9596618.html
★後編:「LGBTは、結婚を輝かせる最後の光」大塚隆史さんに聞く、同性婚の意義http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/07/takashi-otsuka-lgbt2_n_9632766.html

Sの勇気。(OUT IN JAPAN #007,008 東京撮影会)

セクシュアルマイノリティの可視化を目的に、1年間に1000人を撮影することを目標に掲げたプロジェクト『OUT IN JAPAN』の最後の撮影会が、東京で2日間かけて行われた。
1年前の撮影会では、この『カミングアウト・プロジェクト』に、セクシュアルマイノリティが本当に応募してくれるのかさえわからなかったのに、この国で、1000人を越える人たちが賛同してくれるなんて・・・。
Sは、僕の妹のような存在でスタッフの中心人物。企画が始まった当時は名前も男性で見かけも男性だったのだけど、実はM t Fで、ずっと長い間生きづらさを感じながら社会で生きていたようだ。
そんなSは、このプロジェクトが始まった当初、僕たちが撮影に出ても、「自分はまだ心の準備が整わないので出られません」と言って、撮影される側には決して回ろうとしなかった。
やがて撮影会を重ねるうちに、Sは家族に自分のセクシュアリティを打ち明けて、女性とも取れる名前に変えて、会社の中でもカミングアウトをして性別の変更を許可してもらい、Sの見かけも少しずつ女性らしく変わっていった。
そんなSは、最後の撮影会で、1000人目という記念すべき被写体になることを決心した。
Sの撮影が始まると、スタジオ中の人が集まり、すっかり女性らしく、美しくなった姿に声援をあげた。Sは緊張のあまり、口がこわばり顔が引きつっていたけど、みんなの声と笑いに少しずつほどけて輝くような笑顔に変わっていった。
やがてスタジオが興奮に包まれて撮影が終わると、みんなからの盛大な拍手と感謝の声がかけられた。
Sは、顔をぐしゃぐしゃにゆがめて、立ったまま泣き出した。
そんなSを見ながら、すべてを知っている僕たちも、目から涙が落ちたのだった。
このプロジェクトに関わったすべての人に、感謝します。
1000人達成、本当にありがとうございました。

LGBT東北 × OUT IN JAPAN

日曜日、早朝の『石巻ツアー』から始まり、『CLOSET IN JAPAN』 という座談会があり、その後、9時から11時過ぎまでかかって会場の設営があった。
月曜日、朝の7時半には会場に入り、パネルの設営をして入場時間ギリギリの9時半になる。『震災とセクシュアルマイノリティ』というトークイベント。そして、写真家のレスリー・キーとミュージシャンのKI-YOが加わり、『東北地方とセクシュアルマイノリティ』の話になっていった。12時を境に、『OUT IN JAPAN』の撮影会が始まり、10時過ぎまでかかって103名のセクシュアルマイノリティのポートレイトを撮影会することができた。
今までの『OUT IN JAPAN』の中でも最大になった仙台のイベントは、みんなのあたたかさに包まれながら大成功に終わった。それもこれも、東北のスタッフ、並びにボランティアの方々が30人以上集まってくださったからだろう。
東北の人は、最初とても人見知りだ。一見とっつきにくいとさえ思えるような人もいる。でも、それを越えて、徐々に距離が縮まってくると、少しずつ心を許しはじめ、温かい内面に受け入れてくれる。
この1年の間に、大阪、福岡、名古屋、仙台と続いた『OUT IN JAPAN』のレスリー・キーの撮影会も、残すところ東京での2回となった。
このプロジェクトは、ずっと昔に夢に描いていたことだった。その頃は、この国で、1000人のセクシュアルマイノリティの方々が、一緒にカミングアウトをしてくれることになろうなんて、思いもしなかった。
このプロジェクトを通じて出会った全ての人たちに、心から感謝している。

震災とLGBT

今週末21日(月)午後、仙台でのトークイベントに、『震災とLGBT 当事者からの思い 当事者への思い』という興味深いテーマのイベントがある。
そのイベントでお話いただくMCをつとめてくださる方と、当日スピーカーとして出てくださる東北のLGBT団体の方との打ち合わせに顔を出した。
『震災とLGBT』とは、なんと重たいテーマだろうか?
3月11日に未曾有の大震災が東北地方を中心に襲ったあとに、セクシュアルマイノリティの人々は、いったいどのように暮らして来たのか、僕もとても興味のあるテーマだ。東京で暮らす僕たちLGBT仲間の暮らしとはどんなところが違っているのか。どんな困難があるのか。ぜひとも当日お話を伺いたいと思っている。
僕が普通に思いつくのは、人間が生きるか死ぬか、ほんのすぐ先のことまでまったく見えない時に、セクシュアルマイノリティなどといったセクシュアリティのことにまで、人々は思い至らないのではないだろうか・・・ということ。
いくつかあったお話の中で、お母さんとFtMの息子さんふたりで暮らしている家があった。
息子さんは成長して行く過程で、自分が男性であると気がついて、男性に変わっていったようなのだけど、震災後、お母さんと息子さんが暮らす家に村人たちが集まり告げたそうだ。
「この家は、母親と娘しかいなかったはずだ。それなのに、若い男と暮らすとはどういうことだ!」
お母さんにとっては娘も息子も変わらない存在になっていたのだけど、そのことを村人たちには説明できず、理解もしてもらえなかったそうだ。その後、この親子は、埼玉県に引っ越しを余儀なくされたという。
ここで問題だと思うことは、いいとか悪いではなくて、村の人々の知識のなさではないだろうか。
今までずっとセクシュアルマイノリティなんて、いないものとして暮らして来た場所において、震災時にいきなりセクシュアルマイノリティのことを説明されても、なかなか理解できないに違いない。震災であろうとなかろうと、セクシュアルマイノリティは、自分の身近に確実に存在しているのだと、日本中の至る所に知れ渡るまで、我々は声を上げていかないといけないのだ。
それはそうと、津波で水浸しになった時に、自分の部屋から、大量のゲイDVDが放出された人もいるそうだ。
自分はクローゼットのまま、誰にもわからないように、楽しんでいたゲイDVDが、明らかに自分の部屋からあられもない姿で顔を出し、そこら中にぷかぷか浮いていた時は、半狂乱になったに違いない。
慌てて自分のものとは思われないように、遠くに投げたという話を聞いて、なんて、ゲイってせつないのだろう・・・と思ったのだ。