僕の、東京レインボープライド。

土曜日のステージ

OUT IN JAPAN のフロート

土曜・日曜と、東京レインボープライドのFESTAとPARADEが行われ、代々木公園には7万人を越える人が来場、およそ5千人がパレードに参加した。今年は、渋谷駅前のスクランブル交差点を歩くルートに変更されて、渋谷区町の長谷部さんの影響なのか、警察の方々もとても協力的で、パレードの道幅も例年になく大きくゆとりを持って歩行することが出来た。
僕は、『OUT IN JAPAN』のフロートで歩いたのだけど、僕と同じ年で車いすのOさんがいたので、結局僕とKの二人で代わる代わるOさんの車いすを押しながら、3キロの道のりを歩いたのだった。
今まで、ほんの少しならばOさんの車いすを押したり、持ち上げたりということはしたことがあったのだけど、パレード自体の3キロという道のりを車いすを押しながら歩くということはとても体力のいることであり、坂道などは本当に重くキツかった。人にぶつかったりしながら「すみません」と声をかけたり、神経的にも非常に疲れるものだった。
パレードが終わってOさんがトイレに行きたいということになり、人をかき分けながらトイレにたどり着くも、みんなのトイレも列をなしていて、やっとのことでトイレの中に入った時は安堵の溜め息が出た。しばらくして全然Oさんが出てこないので、後ろに並んでいる人たちも気にしはじめて、ついに声をかけながらトイレに入ると、Oさんがちょうど用を足して出てくるところだった。
Oさんは、40代を過ぎてから脳梗塞になり、半身不随になってしまった。半身不随になり、つきあっていた恋人は去ってゆき、血縁の家族も距離を置くようになったそうだ。
今は、リハビリを繰り返しながらも、自分で行きたいと思う所へはどこへでもタクシーで行き、僕も様々なイベントで顔を合わせるようになった。
Oさんの車いすを押して歩きながら、恥ずかしながら今回、はじめて車いすの人たちの毎日を想像した。
視線が低いので、混んだ場所ではなかなか周りに気づかれにくいことや、ほんの少しの段差があっただけでも、個人の力ではその段差を乗り越えることが出来ないのだ。
それと、「すみません。通していただけますか?」などと声をかけても、人によってはちょっと嫌な顔をされたりすることもあるということ。
車いすの人が東京で普通に出かけて帰ってくるだけでも、恐らく気の遠くなるような段差や障害物、人の思わぬ視線に出会うことになるだろう。Oさんのおかげで、これからは車いすで生活している人たちのことを、もっと注意深く見守ることが出来そうな気がする。
最後まで完走して、たくさんの写真を撮影しながらうれしそうにしているOさんを見ながら、疲れてはいるものの、僕たちもとても晴れやかな気分になった。
今年も『TOKYO RAINBOW PRIDE』 のロゴをはじめ、会場内にある細かな部分のスポンサー企業のフラッグやバナーなどもデザインを担当させていいただき、微力ながら貢献できたことをうれしく思っている。
カテゴリーLGBT

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