震災とLGBT

今週末21日(月)午後、仙台でのトークイベントに、『震災とLGBT 当事者からの思い 当事者への思い』という興味深いテーマのイベントがある。
そのイベントでお話いただくMCをつとめてくださる方と、当日スピーカーとして出てくださる東北のLGBT団体の方との打ち合わせに顔を出した。
『震災とLGBT』とは、なんと重たいテーマだろうか?
3月11日に未曾有の大震災が東北地方を中心に襲ったあとに、セクシュアルマイノリティの人々は、いったいどのように暮らして来たのか、僕もとても興味のあるテーマだ。東京で暮らす僕たちLGBT仲間の暮らしとはどんなところが違っているのか。どんな困難があるのか。ぜひとも当日お話を伺いたいと思っている。
僕が普通に思いつくのは、人間が生きるか死ぬか、ほんのすぐ先のことまでまったく見えない時に、セクシュアルマイノリティなどといったセクシュアリティのことにまで、人々は思い至らないのではないだろうか・・・ということ。
いくつかあったお話の中で、お母さんとFtMの息子さんふたりで暮らしている家があった。
息子さんは成長して行く過程で、自分が男性であると気がついて、男性に変わっていったようなのだけど、震災後、お母さんと息子さんが暮らす家に村人たちが集まり告げたそうだ。
「この家は、母親と娘しかいなかったはずだ。それなのに、若い男と暮らすとはどういうことだ!」
お母さんにとっては娘も息子も変わらない存在になっていたのだけど、そのことを村人たちには説明できず、理解もしてもらえなかったそうだ。その後、この親子は、埼玉県に引っ越しを余儀なくされたという。
ここで問題だと思うことは、いいとか悪いではなくて、村の人々の知識のなさではないだろうか。
今までずっとセクシュアルマイノリティなんて、いないものとして暮らして来た場所において、震災時にいきなりセクシュアルマイノリティのことを説明されても、なかなか理解できないに違いない。震災であろうとなかろうと、セクシュアルマイノリティは、自分の身近に確実に存在しているのだと、日本中の至る所に知れ渡るまで、我々は声を上げていかないといけないのだ。
それはそうと、津波で水浸しになった時に、自分の部屋から、大量のゲイDVDが放出された人もいるそうだ。
自分はクローゼットのまま、誰にもわからないように、楽しんでいたゲイDVDが、明らかに自分の部屋からあられもない姿で顔を出し、そこら中にぷかぷか浮いていた時は、半狂乱になったに違いない。
慌てて自分のものとは思われないように、遠くに投げたという話を聞いて、なんて、ゲイってせつないのだろう・・・と思ったのだ。
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