高校の同級生からのコメント。

朝起きたら、このブログにコメントが届いていた。

差出人には僕の知っている名前。高校時代の友人の名前が書いてあった。

内容を何度も読んで、ニューヨークにいるはずの友人のことを思う。

本当にあいつなんだろうか?同姓同名かもしれないけど、珍しい苗字だからそれも考えづらかった。

高校時代は僕の人生の中で、もっとも楽しかった数年間の一つだ。

でも当時すでに自分がゲイバーであると分かっていた僕は、いつも一緒に連んでいるような友人たちにさえ、自分のセクシュアリティのことを正直に話すことができずにいた。

それでいて心の中では友人たちに嘘をつき続けているような罪悪感に囚われながら生きていたのだ。

コメントは、本当に高校時代の友人からなのだろうか?なんでこんなブログを見つけることができたのだろうか?

いつかまた、一緒にお酒でも飲めたらうれしいな。

東京地裁判決

3年9ヶ月かけて争ってきた裁判の判決が14時に言い渡された。

請求はいずれも棄却されたものの、裁判所が24条二項において、現在の僕たちの置かれている状況(現在同性カップルが家族と認められず国によって法律で守られていない状態)は違憲状態であるとハッキリと認めた判決だった。

14条が合憲であったり、24条一項が合憲であったり、結婚と別の制度も含めて国で議論するように促したり、納得の行かない部分は多々あるのだけど、憲法の違反を問う裁判で違憲を勝ち取ることは本当に難しいそうだ。

なので、今回の東京地裁の判決は手放しで大喜びというものではないにせよ、関係者は皆一様に大喜びしていた。

判決が出たことによって、判決の問題点も浮き彫りになった。

これから控訴に向けて動き出すと思うけど、ひとまずお疲れ様でした。そして、ありがとうございました!

◯東京地裁第一審判決のご報告https://www.marriageforall.jp/blog/20221205/

◯東京地裁一審判決後記者会見と報告会https://youtu.be/8Ix16kdNEik

前夜祭。

明日の東京地裁による判決のための前夜祭が神谷町で開催された。

僕とKは朝から太陽を動物病院に連れていき、太陽の去勢手術の手続きを済ませた。手術のあと2泊病院で預かってもらう予定。

その後僕だけ飛行機を変更して午後3時頃には羽田空港に到着し、Kは夕方に海をトリミングサロンに預けたのちに空港に向かい夜8時頃羽田空港に到着する予定。

当初の予定だと、同じ原告の「小野春」さんと「西川」さんカップルが前夜祭には登壇する予定だったのだが、2人ともコロナにかかりオンライン参加になってしまった。

18時から20時まで明日の裁判における意気込みを語ったり、ブルボンヌ司会の元、インフルエンサーの方々とお話したりした。

あまり人前でお話するのが苦手なのだけど、ブルボンヌとはかれこれ30年近く知り合いなので、緊張せずに話をすることができた。

いよいよ明日は判決の日。ドキドキしながら眠りについた。

◯東京地裁判決前夜祭https://www.youtube.com/watch?v=COGMlhONuOk&t=3246s

結婚によって得られるもの。

このところ、新聞社3社、テレビ局1社の取材を立て続けに受けている。

先日TBSの取材を受けた際に、「結婚によってどんな利益が得られるのでしょうか?また、今はどんな不利益があるのでしょうか?」と聞かれた。

僕は、わかりやすく具体的な不利益をあげた。

◯パートナーが倒れたり意識がなくなった時に病院や医師が家族と認めてもらえる。

◯遺産を遺すことが出来る。

◯税金の控除。

◯2人で子どもを育てている場合に相手の子どもであっても親権が持てる。

◯外国人パートナーでも在留資格が持てる。

でも、よくよく考えてみたら僕たちが望む婚姻によってもたらされるものはこれらだけではないのだ。

それは、パートナーとの関係性が国や社会に承認されることによって、まずは個人の尊厳が守られるということ。

そして、2人の関係が国や社会に認められることによって、法に守られながら、周囲に認められながら、ふたりで安心して人生を生きていくことが出来るということ。

結婚によって得られる具体的な社会保障にしたら1500以上あるとも言われているけど、何よりも個人の尊厳と社会でふたりの関係が認められることによる絶対的な安心感が大きなものだと改めて気づかされたことだった。

「結婚の自由をすべての人に」訴訟いよいよ判決へ。

当初、11月29日(火)に僕とKは、太陽の去勢手術の予約をしており、太陽を連れて午前中に病院に入院、その後に海を2泊預かってもらうトリミングサロンに運び、夕方の便で夜の20時くらいに羽田空港到着のフライトを予約していたのだ。

でも、判決前夜祭をやることが決まり、東京の原告がなかなか出席出来ない状態になってしまったため、Kと話し合った末に僕だけ少し早めのフライトに変更し前夜祭に出席することにした。

3年9ヶ月かけて争って来た裁判の判決が迫った今、心残りのないようにできる限りのことをしておきたい。

もちろん、判決は既に決まっているのだと思う。

でも、今まで応援し続けてくださった方々に感謝の気持ちをお伝えしたいのと、判決を前に今の心境を真っ直ぐに伝えたいと思う。

判決当日、僕たちがどんな酷い球に打たれ倒れたとしても、また起き上がることが出来ますように。

どうか、遠くからでも見守っていてください。

◯東京一次訴訟:第一審判決期日と期日報告会などのお知らせ
https://www.marriageforall.jp/blog/20221123/

11/30(水)いよいよ判決。

3年9ヶ月かけて戦ってきた東京地裁における裁判「結婚の自由をすべての人に」訴訟が、いよいよ11月30日に判決を言い渡される。

それに向けて新聞社の取材やテレビ局の取材を少ししているのだけど、弁護士やマリッジフォーオールジャパンとの会議も行われている。

今回の判決では、前日に集まって意気込みを語ったり、インフルエンサーや著名人なども加わって自由に意見交換もされる予定。

ただ、僕たちは随分前にフライトをおさえてしまった都合上、前日29日18時から20時のライブ配信には出演することが出来ない予定だったが、チケットを取り直し僕だけ前夜祭に参加することに決めた。

11/30判決当日は夜までベッタリと出ずっぱりになると思われる。

勝とうが負けようが、きっと泣いてしまうのだろうな…と思っている。

たとえ不当な判決が出てしまったとしても、僕たちは絶対に負けることはない。

高裁に控訴し、その次は最高裁に控訴する。

たとえそこでまた不当な判決が出たとしても、きっと僕たちの後を誰かが引き継いでくれるに違いないからだ。

この国で、いつか絶対に結婚の平等を実現させるのだ。

◯東京地裁判決前夜祭・判決報告会について

https://twitter.com/marriage4all_/status/1594263238727716865?s=46&t=nNkwM8jGc7ElcwtH3gnmJA

毎日新聞の取材

いよいよ我々が3年9ヶ月かけて争ってきた裁判「結婚の自由をすべての人に」訴訟の判決が今月11月30日に迫ってきた。

判決にあたり、いくつか新聞社やテレビ局こら取材の依頼があり、今日は毎日新聞な記者さんとお話しした。

事前に僕の3回分の意見陳述は送り、それに加えて幼少期から思春期、学生時代、社会人、Kとの出会い、引っ越し、カミングアウト、親との関係など長々とインタビューは続いた。

今回の裁判ではこんな風に、本当だったら他人にはいう必要などないプライベートなことまでさらけ出してきた。

裁判所の本人尋問では、とても口にしたくないようなことも話したのを覚えている。

僕たちはそれだけ本気でこの裁判に向き合って来たという自負がある。

裁判官にはどうか逃げずに、国会に丸投げせずに真摯に応えていただきたいと思うのだ。

公正証書の証人問題。

僕の身に何かあった時に、パートナーであるKが判断できるように、僕が先に亡くなった時にKに遺産がいくようにするために僕たちは公正証書を作成することにしたことはここに書いた。

公正証書には2人の証人が必要になるのだけど、宮古島に知り合いがいない僕たちは島内で2人の証人を探すことが出来ずどうしたものかと考えていた。

行政書士が言うには、普通は公証役場の方で証人を立ててくれるらしいのだけど、宮古島に限っては証人はご自身で探してくださいと言われていたのだ。

証人は身分証明書を法務局に提出したりしなければならず、公正証書がなぜ必要なのかなどもせつめいしなければ承諾は難しい。

そこで以前お世話になった司法書士のお爺さんに電話をしたところ、「私でよければやりますよ」とのことだったので喜んでいたところ、書類を持ってパートナーを連れて来てくださいと言われて会いに行ってきた。

すると、お爺さんはどうやら証人になることがとても重要な役割だと思ってしまったようで尻込みしはじめた。

司法書士でありながら、公正証書の証人がどんなものなのかわかっていないようで、「これは大変なことで何かあったら私の財産もどうなるかわからない」などと言い出したのだ。

おまけに「この人の身分証明書を見せなさい」などとKの身分証明書を見せるように要求したので、僕はそこで怒りが頂点に達した。

「それならもうあなたにはお願いしないからいいです。書類を返してください」

行政書士に送ってもらった書類を返してもらい、Kの身分証明書をつかみ、Kとふたり事務所を後にした。

Kに酷く嫌な思いをさせてしまってとても悲しかった。

僕たちはこんな風にずっと差別され続けて来たのだ。

結婚することが出来れば黙っていても手に入れられる権利を、こんな酷い目に遭ってまで公正証書という書類を作って高額な金額を払わなければ手に入れられない現実に悔しさと怒りが込み上げて来た。

何があろうとも、Kのことは僕が守るのだ。と、強く思った一日だった。

母の家に。

東京に来たついでに母の家に行った。

東京にいる時よりも、熱海にいる時よりも、宮古島にいる時の方がどういうわけか母に会いに行っている。

今年は1月の末に宮古島に移住して以来、3月・5月・8月・10月とほぼ2ヶ月に1回は東京に来ていることになる。

母は先日誕生日を迎え81歳になったばかりだけど、その際に免許証を返納しようかと思っていたようだ。それは、父が心配してそうするように言っていたから。

でも母は先日の誕生日の時の電話で免許は返納しなくてまた保持することにしたと言っていた。

「あの人は心配して返せって言うんだけど、私はまだ大丈夫だから」

僕も、母はいつかは免許を返納しなくてはいけないと思っているけど、隣に座って運転を見ている限り、近場でゆっくり運転するのならば全く問題ないように見える。

母の家に着いてリビングに行くと、サイドボードの上に家族写真が並べてあった。

そしてその中にははじめて僕とKと海の3人の写真も写真立てに収められて並んでいたのだった。

僕は、父や母のいない隙にその様子を写真に収めてKに送った。

Kからは、「うれしいね」「よかったね」と返信がきた。

母が僕がゲイであることやKがパートナーであるということをどこまで受け入れているのかはわからない。

僕が帰ったら他の来客に見られないようにそっと写真立てを外すのかもしれない。

でも今は、僕たちの写真を家族写真として他の写真と並べてくれたことをとてもうれしく思ったのだった。

「結婚の自由をすべての人に」訴訟判決に向けて

11月30日に迫った僕たちの裁判の判決に向けて、霞ヶ関の弁護士会館で記者向けレクチャーが開かれた。

弁護士から一通りのこの裁判の経緯が語られた後、原告の小野春さんからコメントが語られて、その後僕もコメントをした。(とても長いのですが、以下は全文になります)

記者向けコメント 10月17日(月)

原告のただしです。

年齢は53歳。16歳年下で37歳のかつと一緒に暮らしています。

僕は東京生まれ東京育ち、かつは九州で生まれ育ちました。

僕とかつの出会いは10年前で、ネットで知り合いました。それから遠距離を続け、その当時かつは九州の病院に勤めていたのですが、7年くらい前にその病院を退職して東京の渋谷にあった僕の家に引っ越してきてくれました。

僕は大学卒業後から広告代理店に勤めていました。その後新型コロナでテレワークが可能になったため2年前に熱海に引っ越し1年と数ヶ月間熱海で暮しました。またそれを機に大型犬の海と暮らしはじめました。

その後昨年末に会社を早期退職しまして、今年の1月末に2人で沖縄に家を買って新しい人生をスタートさせました。今は2人で家のペンキを塗ったりしている毎日で、僕が大雑把なので時々ペンキを撒き散らしてしまいかつに怒られています。

そしてそんな生活の中で考えたのです。16歳年上の僕が倒れたり意識が亡くなった時に、かつは病院から家族として扱ってもらえるのだろうか?僕が亡くなった時に、この家や僕の財産はかつに遺すことができるのだろうか?

結婚できない僕たちが少しでもこの不安を払拭するには公正証書を作る以外に道はないのです。調べたところそれを作るには一つの書類では済まず20万円以上のお金がかかることもわかりました。

僕が若かった頃は、ゲイであることが恥ずかしいことであったり、自分を他の人よりも劣った存在のように感じながらひた隠しにして生きていました。

両親に知られ愛されなくなることを極度に恐れていましたし、友達から仲間はずれにされたりいじめられるのが怖かったのです。

自分を開放することができる新宿2丁目だけが心の拠り所でしたが、次第にゲイでることを隠しながら生きることに疲れてしまい、「OUT IN JPAN」というLGBTQカミングアウトフォトプロジェクトを通じて会社の中でもカミングアウトをするようになりました。

最初にこの裁判の話を聞いた時には、自分達にはあまり関係ないと思っていました。僕もまもなく50歳になる頃でしたしこのままひっそりと生きていこうと考えていたのです。

でも、もしも自分が若い頃に、同性同士であっても結婚できる世の中だったらどうだっただろう?と思い巡らせてみました。

僕は親や友人に自分の好きな人や恋人を隠さずにいられただろうし、恋人と手を繋いで歩くこともできたでしょう。

兄のように家族や友人、会社の先輩や後輩に祝福される結婚式もあげることができたかもしれない。2人でマイホームも持つことができたかもしれないし、もしかしたら子どもだって育てていたかもしれない…と思ったのです。

そう思ったらいてもたってもいられませんでした。これからの若い人たちには自分の好きな人と結婚できる選択肢があった方がいいと思ったのです。

先日、自民党の愛知県議により「同性婚なんて気持ちの悪いことは大反対!」との発言がありました。

こういった発言が出るたびに、いったいどれくらい多くの人の心が傷ついているのだろう?と思い、怒りに震えました。

政治家であろうとも誰であろうとも、無知ゆえの発言で人を傷つけるのは許すことが出来ません。

こうした考えの人たちにまず知っておいて欲しいことがあります。

LGBTQに嫌悪感を抱いていたり、安易に同性婚に反対を唱えている人のほとんどは間違った知識を勝手に信じている場合が多いからです。

人が同性を好きになるということは、変態でもないし、精神疾患などの病気でもないということ。

これは世界が歴史の中で時間をかけて明らかにして来た事実です。

恋愛や性愛が誰に向くかという性的指向とは、自らの意思で選択したり変えたりすることのできない個人の性質です。それは言い換えれば、性別、人種などと同じものなのです。

自ら変えることのできない性質を理由に、その人たちは気持ちが悪い。その人たちには自由な結婚は認めないなどと誰が言うことができるのでしょうか?

性的指向を理由に、好きな人と結婚することができない、家族になることができない人たちはこの国には想像を超えるほど沢山います。

世界には様々なデータがありますが、性的指向が同性に向かう人やセクシュアルマイノリティはおよそ10人に1人とも言われるくらい身近な存在です。

その人は、あなたや私の兄弟かもしれないし、おじさんか、おばさんかもしれない。学生時代の親友かもしれないし学校の先生かもしれない。会社の仲のいい同期かもしれないし、もしかしたらお父さんか、お母さんかもしれないくらい身近な存在なのです。

それだけ多くのセクシュアルマイノリティがこの国に存在しているにも関わらず、周りにはほとんどいないように見えるはのなぜでしょうか。

それは、差別され、いじめられたり傷つけられることを恐れて息を潜めて暮らしているからです。

G7の中で、同性婚やそれに準ずる法律がない国は日本だけです。

でも、この国は繰り返しこう言います。

日本国憲法は同性婚を想定しておらず、同性婚の制度化は「家族の在り方の根幹に関連する問題で、慎重な検討が必要」であると。

いったい国会は同性婚を何年間かけて検討するのでしょうか?

自民党内ではLGBTQに否定的な旧統一教会や神道政治連盟によるLGBTQに関する間違った知識が出回っているというニュースは目にしました。しかし、同性婚を検討しているというニュースは一向に聞こえて来ません。

大切なことなので何度でも言います。これは、家族の在り方の根幹とか、そんな話ではないのです。

これは、人間の尊厳や生命に関わる「人権」の話なのです。

同性を好きになる若者の約6割がいじめに遭ったことがあるというデータがあります。
自己肯定感を持ちづらいと言われている同性愛の若者は、異性愛の若者に比べて自殺未遂の確率が6倍も高いというデータもあります。

また、僕と一緒にこの裁判の原告になった佐藤郁夫さんは、昨年1月に脳出血のために駅で倒れ救急車で病院に搬送され、その後郁さんは二週間意識が戻りませんでした。

17年間苦楽をともに暮らしてきたパートナーのよしさんは最後まで病院から家族として見なされず、瀕死の状態の時も病院から直接の電話はもらえなかったのです。このような人の尊厳を踏みにじるような出来事が今もこの国の至る所で起きているのが現実です。

裁判所は「人権」の最後の砦です。

東京地方裁判所には、どうかこの問題を今年6月に下された関西判決のように、国会に丸投げしないでいただきたいのです。

この3年8ヶ月の間、僕たちは自分達の私生活や人に言いたくないような恥ずかしいところもすべてさらけ出しながら訴えて来ました。しかしながら導き出された関西での判決は、

「(1)同性カップルをどのように保護するかは議論の過程にある、(2)同性カップルの不利益は契約や遺言によって相当程度解消されている、(3)多くの自治体でパートナーシップ制度が導入されて異性カップルとの差異が緩和されつつある、(4)婚姻類似の制度等によって異性カップルとの差異を更に緩和することも可能である」と書かれていました。

僕たちに向けられる差別や偏見、不平等な暮らしの現実、法的に何も守られていない不安な生活を何も見ていない関西判決の文脈は、この数年裁判に関わってきた者からすると信じられない支離滅裂なものです。

性的指向やセクシュアリティに関わりなく、誰もが好きな人と結婚できる世の中になること。

それは、この国に、幸せな新しい家族がもっともっと増えるということです。

そしてそれは、この国の家族のあり方の根幹に関わることはないと思います。
だってその家族とは別の家族の話なのですから。

もしもあるとしたら、その家族の息子や娘のセクシュアルマイノリティがどんどん幸せな結婚をするということでしょうか。

ひとりでも多くの家族の笑顔が溢れる日が、一日でも早くこの国に訪れるように。心から願っています。