松茸ごはん

東京に行ったついでに、帰りがけに高島屋に寄って松茸を買ってきた。

普段東京にいた時でも松茸を買うことはなかったのだけど、宮古島に来てからなぜか秋らしい季節のものが食べたくなったのだ。

それと、Kが土瓶蒸しは食べたことがあるけど、松茸ごはんはほとんど食べたことがないと言っていたので、一度一緒に食べたいと思っていたのだ。

松茸ごはんは松茸の出汁があるから、薄口醤油と塩で味付けをして、お出汁は必要ない。

土鍋が蒸気を吹く頃には部屋中に松茸の香りが広がってなんとも贅沢な気分になる。

茶碗に装って松茸ごはんを口に運ぶと、美味しいという気持ちと一緒に小さな頃に家でよく食べていた松茸ごはんのことが思い出された。

父は松茸が好きで、この時期週に何度も松茸ご飯が食卓に並んだ。

僕は松茸の匂いがあまり好きではなく、何でこんな臭い食べ物が好きなのかさっぱりわからなかったものだ。

それがどうしたことか、大人になって京都などで松茸を食べるようになりその美味しさに改めて気づかされた。

僕が子どもの頃の我が家は裕福な家ではなかったけど、父は無理をしてでも松茸を僕たちに食べさせようと思って買ってきていたのだろう。

松茸を食べると、父のことを思い出す。

宮古島シティ

宮古島の空港近くに、「宮古島シティ」という宮古島で最も大きなショッピングセンターが出来て、宮古島民は歓喜している。

それは、サンエーという大きなスーパーをはじめ、大阪王将、和風亭、ミスタードーナツ、リトルマーメイド、マツモトキヨシ、エディオン、そしてなんと、無印良品が入ったからだ。

サンエーには小さいけれども「成城石井」のコーナーがあって、ワインや生ハム、チーズが買えるのもありがたい。

個人的には無印良品とミスタードーナツがうれしくて、時々ドーナツを買ったり、無印良品で買うものは特にないのにブラブラしているだけでうれしかったりする。

なんでもすぐそばにあった渋谷区暮らしから熱海、そして宮古島に引っ越して来ても、特に不便は感じていないのだけど、時々こうしてショッピングセンターに行けるだけで楽しめる自分に驚いている。

猫のうんち・犬のうんち

猫を飼うにあたり、一番気になっていたのは猫のうんちの臭いだった。

以前大阪のゲイバー 「サルーテ」が向かいの建物の1階にあった頃、野良猫が辺り中におしっこや糞をしていたせいで酷い臭いがしていたのを覚えている。

猫のうんちの臭いは独特で、「これ、何の臭い?」と思うくらい鼻につくような物凄い臭いだ。
それに比べて犬のうんちは、人間のうんちの臭いに似ているせいか、「いわゆるうんちの臭い」と感じられる。

フードの問題なのかもしれないけど、この猫のうんちの臭いをどうしたものか。

太陽が来て最初は即席のトイレに猫砂を敷いてその中でトイレを済ませていたのだけど、おしっこはともかくやはりうんちの臭いは強烈で、するとすぐにわかるものだ。ビニール袋で砂ごと拾い上げてなるべく早く家の外に持ち運ぶ。

今はシステムトイレというものを使っていて、そのせいかだいぶ臭わないように思えるけど、やはりうんちの時はすぐに取るに限る。

太陽が来てそろそろ3週間になるけど、この猫のうんちの臭いにだけは慣れることは出来ないのだ。

母の家に。

東京に来たついでに母の家に行った。

東京にいる時よりも、熱海にいる時よりも、宮古島にいる時の方がどういうわけか母に会いに行っている。

今年は1月の末に宮古島に移住して以来、3月・5月・8月・10月とほぼ2ヶ月に1回は東京に来ていることになる。

母は先日誕生日を迎え81歳になったばかりだけど、その際に免許証を返納しようかと思っていたようだ。それは、父が心配してそうするように言っていたから。

でも母は先日の誕生日の時の電話で免許は返納しなくてまた保持することにしたと言っていた。

「あの人は心配して返せって言うんだけど、私はまだ大丈夫だから」

僕も、母はいつかは免許を返納しなくてはいけないと思っているけど、隣に座って運転を見ている限り、近場でゆっくり運転するのならば全く問題ないように見える。

母の家に着いてリビングに行くと、サイドボードの上に家族写真が並べてあった。

そしてその中にははじめて僕とKと海の3人の写真も写真立てに収められて並んでいたのだった。

僕は、父や母のいない隙にその様子を写真に収めてKに送った。

Kからは、「うれしいね」「よかったね」と返信がきた。

母が僕がゲイであることやKがパートナーであるということをどこまで受け入れているのかはわからない。

僕が帰ったら他の来客に見られないようにそっと写真立てを外すのかもしれない。

でも今は、僕たちの写真を家族写真として他の写真と並べてくれたことをとてもうれしく思ったのだった。

「結婚の自由をすべての人に」訴訟判決に向けて

11月30日に迫った僕たちの裁判の判決に向けて、霞ヶ関の弁護士会館で記者向けレクチャーが開かれた。

弁護士から一通りのこの裁判の経緯が語られた後、原告の小野春さんからコメントが語られて、その後僕もコメントをした。(とても長いのですが、以下は全文になります)

記者向けコメント 10月17日(月)

原告のただしです。

年齢は53歳。16歳年下で37歳のかつと一緒に暮らしています。

僕は東京生まれ東京育ち、かつは九州で生まれ育ちました。

僕とかつの出会いは10年前で、ネットで知り合いました。それから遠距離を続け、その当時かつは九州の病院に勤めていたのですが、7年くらい前にその病院を退職して東京の渋谷にあった僕の家に引っ越してきてくれました。

僕は大学卒業後から広告代理店に勤めていました。その後新型コロナでテレワークが可能になったため2年前に熱海に引っ越し1年と数ヶ月間熱海で暮しました。またそれを機に大型犬の海と暮らしはじめました。

その後昨年末に会社を早期退職しまして、今年の1月末に2人で沖縄に家を買って新しい人生をスタートさせました。今は2人で家のペンキを塗ったりしている毎日で、僕が大雑把なので時々ペンキを撒き散らしてしまいかつに怒られています。

そしてそんな生活の中で考えたのです。16歳年上の僕が倒れたり意識が亡くなった時に、かつは病院から家族として扱ってもらえるのだろうか?僕が亡くなった時に、この家や僕の財産はかつに遺すことができるのだろうか?

結婚できない僕たちが少しでもこの不安を払拭するには公正証書を作る以外に道はないのです。調べたところそれを作るには一つの書類では済まず20万円以上のお金がかかることもわかりました。

僕が若かった頃は、ゲイであることが恥ずかしいことであったり、自分を他の人よりも劣った存在のように感じながらひた隠しにして生きていました。

両親に知られ愛されなくなることを極度に恐れていましたし、友達から仲間はずれにされたりいじめられるのが怖かったのです。

自分を開放することができる新宿2丁目だけが心の拠り所でしたが、次第にゲイでることを隠しながら生きることに疲れてしまい、「OUT IN JPAN」というLGBTQカミングアウトフォトプロジェクトを通じて会社の中でもカミングアウトをするようになりました。

最初にこの裁判の話を聞いた時には、自分達にはあまり関係ないと思っていました。僕もまもなく50歳になる頃でしたしこのままひっそりと生きていこうと考えていたのです。

でも、もしも自分が若い頃に、同性同士であっても結婚できる世の中だったらどうだっただろう?と思い巡らせてみました。

僕は親や友人に自分の好きな人や恋人を隠さずにいられただろうし、恋人と手を繋いで歩くこともできたでしょう。

兄のように家族や友人、会社の先輩や後輩に祝福される結婚式もあげることができたかもしれない。2人でマイホームも持つことができたかもしれないし、もしかしたら子どもだって育てていたかもしれない…と思ったのです。

そう思ったらいてもたってもいられませんでした。これからの若い人たちには自分の好きな人と結婚できる選択肢があった方がいいと思ったのです。

先日、自民党の愛知県議により「同性婚なんて気持ちの悪いことは大反対!」との発言がありました。

こういった発言が出るたびに、いったいどれくらい多くの人の心が傷ついているのだろう?と思い、怒りに震えました。

政治家であろうとも誰であろうとも、無知ゆえの発言で人を傷つけるのは許すことが出来ません。

こうした考えの人たちにまず知っておいて欲しいことがあります。

LGBTQに嫌悪感を抱いていたり、安易に同性婚に反対を唱えている人のほとんどは間違った知識を勝手に信じている場合が多いからです。

人が同性を好きになるということは、変態でもないし、精神疾患などの病気でもないということ。

これは世界が歴史の中で時間をかけて明らかにして来た事実です。

恋愛や性愛が誰に向くかという性的指向とは、自らの意思で選択したり変えたりすることのできない個人の性質です。それは言い換えれば、性別、人種などと同じものなのです。

自ら変えることのできない性質を理由に、その人たちは気持ちが悪い。その人たちには自由な結婚は認めないなどと誰が言うことができるのでしょうか?

性的指向を理由に、好きな人と結婚することができない、家族になることができない人たちはこの国には想像を超えるほど沢山います。

世界には様々なデータがありますが、性的指向が同性に向かう人やセクシュアルマイノリティはおよそ10人に1人とも言われるくらい身近な存在です。

その人は、あなたや私の兄弟かもしれないし、おじさんか、おばさんかもしれない。学生時代の親友かもしれないし学校の先生かもしれない。会社の仲のいい同期かもしれないし、もしかしたらお父さんか、お母さんかもしれないくらい身近な存在なのです。

それだけ多くのセクシュアルマイノリティがこの国に存在しているにも関わらず、周りにはほとんどいないように見えるはのなぜでしょうか。

それは、差別され、いじめられたり傷つけられることを恐れて息を潜めて暮らしているからです。

G7の中で、同性婚やそれに準ずる法律がない国は日本だけです。

でも、この国は繰り返しこう言います。

日本国憲法は同性婚を想定しておらず、同性婚の制度化は「家族の在り方の根幹に関連する問題で、慎重な検討が必要」であると。

いったい国会は同性婚を何年間かけて検討するのでしょうか?

自民党内ではLGBTQに否定的な旧統一教会や神道政治連盟によるLGBTQに関する間違った知識が出回っているというニュースは目にしました。しかし、同性婚を検討しているというニュースは一向に聞こえて来ません。

大切なことなので何度でも言います。これは、家族の在り方の根幹とか、そんな話ではないのです。

これは、人間の尊厳や生命に関わる「人権」の話なのです。

同性を好きになる若者の約6割がいじめに遭ったことがあるというデータがあります。
自己肯定感を持ちづらいと言われている同性愛の若者は、異性愛の若者に比べて自殺未遂の確率が6倍も高いというデータもあります。

また、僕と一緒にこの裁判の原告になった佐藤郁夫さんは、昨年1月に脳出血のために駅で倒れ救急車で病院に搬送され、その後郁さんは二週間意識が戻りませんでした。

17年間苦楽をともに暮らしてきたパートナーのよしさんは最後まで病院から家族として見なされず、瀕死の状態の時も病院から直接の電話はもらえなかったのです。このような人の尊厳を踏みにじるような出来事が今もこの国の至る所で起きているのが現実です。

裁判所は「人権」の最後の砦です。

東京地方裁判所には、どうかこの問題を今年6月に下された関西判決のように、国会に丸投げしないでいただきたいのです。

この3年8ヶ月の間、僕たちは自分達の私生活や人に言いたくないような恥ずかしいところもすべてさらけ出しながら訴えて来ました。しかしながら導き出された関西での判決は、

「(1)同性カップルをどのように保護するかは議論の過程にある、(2)同性カップルの不利益は契約や遺言によって相当程度解消されている、(3)多くの自治体でパートナーシップ制度が導入されて異性カップルとの差異が緩和されつつある、(4)婚姻類似の制度等によって異性カップルとの差異を更に緩和することも可能である」と書かれていました。

僕たちに向けられる差別や偏見、不平等な暮らしの現実、法的に何も守られていない不安な生活を何も見ていない関西判決の文脈は、この数年裁判に関わってきた者からすると信じられない支離滅裂なものです。

性的指向やセクシュアリティに関わりなく、誰もが好きな人と結婚できる世の中になること。

それは、この国に、幸せな新しい家族がもっともっと増えるということです。

そしてそれは、この国の家族のあり方の根幹に関わることはないと思います。
だってその家族とは別の家族の話なのですから。

もしもあるとしたら、その家族の息子や娘のセクシュアルマイノリティがどんどん幸せな結婚をするということでしょうか。

ひとりでも多くの家族の笑顔が溢れる日が、一日でも早くこの国に訪れるように。心から願っています。

切麦や 甚六

11月30日の裁判の判決に向けて、記者に説明するためのレクチャーが開かれるので急遽僕だけ東京に飛んだ。

遅めの午後に東京に着き、ホテルで少しのんびりした後Kとふたりよく食べに行った新宿一丁目にあるうどん屋さん「甚六」へ。

ここはしっかりとしたコシのある讃岐うどんのお店で、日曜日も休まず営業しているからありがたい。

天ぷらをはじめ、酒のつまみになるような一品料理が美味しく、よくふたりで日本酒を飲みながら最後にしっかりとしたうどんを食べるのを楽しみにしていた。

僕たちがこの店に来ていたのは4年以上前だけど、その頃はお客さんはほとんどいなくてまばらな感じだったのが、今は外に人が並ぶほどで、席が空くとひっきりなしにお客さんが入ってくる。

カウンター席があるから一人でも行きやすく、居心地のいいおすすめのうどん屋さんだ。

切麦や 甚六
03-6273-2646
東京都新宿区新宿1-17-1 LAND・DEN 1F
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130402/13182646/

チビの捕獲

いつも海を連れて散歩に行く公園の下に野犬がいるとここに何度か書いた。

その野犬(チビ)があまりにも痩せてアバラ骨が見えていたので、かわいそうに思ってエサを時々あげに行っている。

動物愛護団体に連絡はしてあり、なるべく早い捕獲をお願いしているのだけど、団体もとても忙しいようでチビの番まではまだ来ていない。

先日チビにエサを持って行った時に近くに檻が仕掛けてあるのを見つけた。

野犬捕獲中と書いてあり、よく見えなかったのだけど中にはエサが入っているのかもしれない。

チビが無事に捕獲されて、チビを可愛がってくれる引き取り手が現れることを願っているけど、数日後までに引き取り手が見つからなかった場合は本島に送られてしまうかもしれない。そしてその先は殺処分の可能性も出てくる。

人間の愚行によって罪もない動物の生命が殺されることがどうしても我慢ならない。

だからといってこれらすべての命を僕が救えるかと言うとまったく救うことなど出来ないのだけど、この悶々とした気持ちから逃げて黙殺するのではなく、しっかりと噛み締めて生きているところ。

ブーゲンビレアの復活。

家にあるブーゲンビレアが台風の後に葉っぱをほとんど落としてしまった。

しょうがなく枝を切って整えて置いたのだけど、その後ゆっくりと葉っぱが出てきたかと思うとようやく花が見えはじめた。(正確に言うと花ではない)

ブーゲンビレアは葉が茂りはじめたらあまり水をあげない方がよいようで、僕たちもほったらかしにして置いたのだ。

枯れたように丸裸になってしまった植物がもう一度ゆっくりと再生する力を見ていると、自然のポジティブな力をはっきりと感じることができ、なんだかこちらもあ勇気をもらえる。

北村克哉さん。

元プロレスラーの北村克哉さんが急死したというニュースを見た。36歳だった。

六本木にある「トータルワークアウト」というジムに通っていた時に、北村さんは僕のパーソナルトレーナーだった。

ものすごく明るくてポジティブな人で、トレーニングする時は話をするのがとても楽しかった。

肉体作りにおいては真面目で、食べ物についても詳しくてよく相談にのってくれた。

性格は善良で、人に対してネガティブなことや悪口を言わないタイプ。だから周りのトレーナーやお客さんからもとても好かれていた。

36歳で亡くなるなんて、何という若さだろうか。

北村さんのはにかんだようなやさしい笑顔を、いつまでも忘れずにいよう。

10周年記念日。

10月12日は僕とKがつきあいはじめてから10周年の記念日。

前日までは覚えていたのだけど、午前中にペンキ塗りをしてヘトヘトになってランチを食べる頃にふと気づいた。

僕「今日、記念日だ!」

K「朝から2回言ったのに、ただしくん気づいてなかったみたい」

僕「え?言ってたの?聞こえてなかった…ごめんね」

あれからもう10年の月日が流れたのかと思うと本当に感慨深いものがある。

晩ごはんは記念日のことをすっかり忘れていて特に何も用意してなかったので、普通に鮭のホイル包み焼きと出汁巻玉子とご飯に。冷やしてあった発泡酒を開ける。

記念日だからといって特別な料理でなくてもいい。

僕「色々あったけど、Kと一緒にいられて本当に幸せな10年間だったよ。ありがとう。Kはどうだった?」

K「幸せな10年間だった」

僕「よかった!」

奇跡のように幸せな10年間をともに過ごしてきたことと、今ここにある幸福にふたりで感謝した。