11月30日に迫った僕たちの裁判の判決に向けて、霞ヶ関の弁護士会館で記者向けレクチャーが開かれた。
弁護士から一通りのこの裁判の経緯が語られた後、原告の小野春さんからコメントが語られて、その後僕もコメントをした。(とても長いのですが、以下は全文になります)
記者向けコメント 10月17日(月)
原告のただしです。
年齢は53歳。16歳年下で37歳のかつと一緒に暮らしています。
僕は東京生まれ東京育ち、かつは九州で生まれ育ちました。
僕とかつの出会いは10年前で、ネットで知り合いました。それから遠距離を続け、その当時かつは九州の病院に勤めていたのですが、7年くらい前にその病院を退職して東京の渋谷にあった僕の家に引っ越してきてくれました。
僕は大学卒業後から広告代理店に勤めていました。その後新型コロナでテレワークが可能になったため2年前に熱海に引っ越し1年と数ヶ月間熱海で暮しました。またそれを機に大型犬の海と暮らしはじめました。
その後昨年末に会社を早期退職しまして、今年の1月末に2人で沖縄に家を買って新しい人生をスタートさせました。今は2人で家のペンキを塗ったりしている毎日で、僕が大雑把なので時々ペンキを撒き散らしてしまいかつに怒られています。
そしてそんな生活の中で考えたのです。16歳年上の僕が倒れたり意識が亡くなった時に、かつは病院から家族として扱ってもらえるのだろうか?僕が亡くなった時に、この家や僕の財産はかつに遺すことができるのだろうか?
結婚できない僕たちが少しでもこの不安を払拭するには公正証書を作る以外に道はないのです。調べたところそれを作るには一つの書類では済まず20万円以上のお金がかかることもわかりました。
僕が若かった頃は、ゲイであることが恥ずかしいことであったり、自分を他の人よりも劣った存在のように感じながらひた隠しにして生きていました。
両親に知られ愛されなくなることを極度に恐れていましたし、友達から仲間はずれにされたりいじめられるのが怖かったのです。
自分を開放することができる新宿2丁目だけが心の拠り所でしたが、次第にゲイでることを隠しながら生きることに疲れてしまい、「OUT IN JPAN」というLGBTQカミングアウトフォトプロジェクトを通じて会社の中でもカミングアウトをするようになりました。
最初にこの裁判の話を聞いた時には、自分達にはあまり関係ないと思っていました。僕もまもなく50歳になる頃でしたしこのままひっそりと生きていこうと考えていたのです。
でも、もしも自分が若い頃に、同性同士であっても結婚できる世の中だったらどうだっただろう?と思い巡らせてみました。
僕は親や友人に自分の好きな人や恋人を隠さずにいられただろうし、恋人と手を繋いで歩くこともできたでしょう。
兄のように家族や友人、会社の先輩や後輩に祝福される結婚式もあげることができたかもしれない。2人でマイホームも持つことができたかもしれないし、もしかしたら子どもだって育てていたかもしれない…と思ったのです。
そう思ったらいてもたってもいられませんでした。これからの若い人たちには自分の好きな人と結婚できる選択肢があった方がいいと思ったのです。
先日、自民党の愛知県議により「同性婚なんて気持ちの悪いことは大反対!」との発言がありました。
こういった発言が出るたびに、いったいどれくらい多くの人の心が傷ついているのだろう?と思い、怒りに震えました。
政治家であろうとも誰であろうとも、無知ゆえの発言で人を傷つけるのは許すことが出来ません。
こうした考えの人たちにまず知っておいて欲しいことがあります。
LGBTQに嫌悪感を抱いていたり、安易に同性婚に反対を唱えている人のほとんどは間違った知識を勝手に信じている場合が多いからです。
人が同性を好きになるということは、変態でもないし、精神疾患などの病気でもないということ。
これは世界が歴史の中で時間をかけて明らかにして来た事実です。
恋愛や性愛が誰に向くかという性的指向とは、自らの意思で選択したり変えたりすることのできない個人の性質です。それは言い換えれば、性別、人種などと同じものなのです。
自ら変えることのできない性質を理由に、その人たちは気持ちが悪い。その人たちには自由な結婚は認めないなどと誰が言うことができるのでしょうか?
性的指向を理由に、好きな人と結婚することができない、家族になることができない人たちはこの国には想像を超えるほど沢山います。
世界には様々なデータがありますが、性的指向が同性に向かう人やセクシュアルマイノリティはおよそ10人に1人とも言われるくらい身近な存在です。
その人は、あなたや私の兄弟かもしれないし、おじさんか、おばさんかもしれない。学生時代の親友かもしれないし学校の先生かもしれない。会社の仲のいい同期かもしれないし、もしかしたらお父さんか、お母さんかもしれないくらい身近な存在なのです。
それだけ多くのセクシュアルマイノリティがこの国に存在しているにも関わらず、周りにはほとんどいないように見えるはのなぜでしょうか。
それは、差別され、いじめられたり傷つけられることを恐れて息を潜めて暮らしているからです。
G7の中で、同性婚やそれに準ずる法律がない国は日本だけです。
でも、この国は繰り返しこう言います。
日本国憲法は同性婚を想定しておらず、同性婚の制度化は「家族の在り方の根幹に関連する問題で、慎重な検討が必要」であると。
いったい国会は同性婚を何年間かけて検討するのでしょうか?
自民党内ではLGBTQに否定的な旧統一教会や神道政治連盟によるLGBTQに関する間違った知識が出回っているというニュースは目にしました。しかし、同性婚を検討しているというニュースは一向に聞こえて来ません。
大切なことなので何度でも言います。これは、家族の在り方の根幹とか、そんな話ではないのです。
これは、人間の尊厳や生命に関わる「人権」の話なのです。
同性を好きになる若者の約6割がいじめに遭ったことがあるというデータがあります。
自己肯定感を持ちづらいと言われている同性愛の若者は、異性愛の若者に比べて自殺未遂の確率が6倍も高いというデータもあります。
また、僕と一緒にこの裁判の原告になった佐藤郁夫さんは、昨年1月に脳出血のために駅で倒れ救急車で病院に搬送され、その後郁さんは二週間意識が戻りませんでした。
17年間苦楽をともに暮らしてきたパートナーのよしさんは最後まで病院から家族として見なされず、瀕死の状態の時も病院から直接の電話はもらえなかったのです。このような人の尊厳を踏みにじるような出来事が今もこの国の至る所で起きているのが現実です。
裁判所は「人権」の最後の砦です。
東京地方裁判所には、どうかこの問題を今年6月に下された関西判決のように、国会に丸投げしないでいただきたいのです。
この3年8ヶ月の間、僕たちは自分達の私生活や人に言いたくないような恥ずかしいところもすべてさらけ出しながら訴えて来ました。しかしながら導き出された関西での判決は、
「(1)同性カップルをどのように保護するかは議論の過程にある、(2)同性カップルの不利益は契約や遺言によって相当程度解消されている、(3)多くの自治体でパートナーシップ制度が導入されて異性カップルとの差異が緩和されつつある、(4)婚姻類似の制度等によって異性カップルとの差異を更に緩和することも可能である」と書かれていました。
僕たちに向けられる差別や偏見、不平等な暮らしの現実、法的に何も守られていない不安な生活を何も見ていない関西判決の文脈は、この数年裁判に関わってきた者からすると信じられない支離滅裂なものです。
性的指向やセクシュアリティに関わりなく、誰もが好きな人と結婚できる世の中になること。
それは、この国に、幸せな新しい家族がもっともっと増えるということです。
そしてそれは、この国の家族のあり方の根幹に関わることはないと思います。
だってその家族とは別の家族の話なのですから。
もしもあるとしたら、その家族の息子や娘のセクシュアルマイノリティがどんどん幸せな結婚をするということでしょうか。
ひとりでも多くの家族の笑顔が溢れる日が、一日でも早くこの国に訪れるように。心から願っています。