母の心配。

母と電話で話していると、兄の話になった。
母「あの子、こないだ家に来た時に、また家を買うって言ってたわ」
僕「いいね。子どもも3人いるから部屋が多い方がいいからね」
母「そしたら、うちの人が、それならお金を出してやるって言うのよ…
それで思ったんだけど、あなたも家を買うなら、今のうちによ。あの人が元気なうちなら、お金出してもらえるから」
僕「お母さん、家なんて今はいいよ。オリンピック終わったら、日本だってどうなるかわからないんだから」
母「私もそう思ってたのよ。あんたはひとりなら、年取ってもなんとかやっていけるんじゃないかって…
でも、あの子がいるでしょう?あの子のために、きちんとしてあげないとだめよ。あの子まだ若いんだし…」
僕「Kのこと?」
母「そう。名前いつも間違えちゃうから」
母は、僕ひとりでいると思ってた頃は、特に僕の老後のことなど気にしてはいないようだった。
それが急にKと会わせたたら、僕よりもKのことばかり心配するようになったようだ。
なんというか、自分の心配する子どもが急にひとり増えたような。
そんな78歳の母の変化を、僕はありがたく感じている。

肘の痛み。

気がつくと、2ヶ月くらいずっと右肘の痛みが取れない。調べてみると、テニス肘というものかもしれないし、原因もはっきりとはわからない。
ベッドで寝ている時に、右腕を下にして眠るからか・・・
Kにベッドから追いやられて、右腕を垂らして寝て、いらぬ力がかかるからか・・・
肩のトレーニングをしている時に、張り切って片腕に20キロくらいのダンベルでやったせいか・・・
腫れている様子はないので整形外科に行く気もならず、放っておけば治るだろうと思っていたのだけど、どうやら変わらないようなのだ。
先日、新宿2丁目の『Bridge』に行った時に、Mに聞いてみたのだ。そういえば10年くらい前にMが同じように肘が痛いと騒いでいたのを思い出したから。
僕「肘がずっと痛くて1ヶ月くらい経つんだけど、昔Mが肘を痛いと行っていた時があったよね?あれ、なんだったの?」
M「加齢だって・・・」
僕「え?えええ???年ってこと???」
M「うん。ほっぽっておいたらいつの間にか治ってたよ」
Kは隣で笑っていたけど、僕は、「年なのかな?・・・いや・・・筋がおかしいとか・・・使いすぎたとか・・・」とひとりでつぶやいていた。

熱海移住計画。

伊豆多賀の海

湯河原に来たのは、実は、定年の前に東京じゃない別の場所に住むことが出来るかもしれないと考え始めたから。
僕たちが移住を考えているのは、石垣島。もしくはか九州のどこかが今のところ有力なのだけど、その前に会社に通勤出来る範囲で熱海近辺に住むのはどうかと思ったのだ。
熱海から品川は、新幹線で40分。
僕の上司では、三島や軽井沢から通勤している人もいるので、新幹線の通勤代は会社から支給されないけど、多少交通費を払ったとしても自然のそばで暮らしてみるのもいいかもしれないと思ったのだ。
海が綺麗なところがいいけど、下田では通えないし、伊東でも遠過ぎる。
神奈川県の海ははじめから想定外なので、熱海近辺の伊豆多賀辺りまでがやはり一番有力なところだろう。
ということで、二軒の家を予約して見に行った。1つは、湯河原。もう一つは、網代。
結果的には、そこに住むというところまで決め兼ねたのだけど、海を臨む毎日を想像すると、なんだかワクワクしたのだ。

湯河原 清光園

湯河原の最も古い町中の川沿いにある

部屋からの眺め

部屋には日本画家の作品や調度品がある

ふと思い立って、Kの仕事の後、湯河原へ。
僕が子どもの頃は、夏といえば、熱海、来宮、湯河原、伊東、下田だった。(湯河原は、湯河原の中心を流れる川を境に神奈川県と静岡県に分かれる)
梅雨のジメジメがはじまる前に、伊豆の海が見たくて湯河原に来た。
宿泊は、高い温泉旅館ではなく、そうかと言って安いホテルも気が進まず、ちょっと変わったところがいいと思い、『井上 馨』の別邸に泊まることにした。
井上馨とは、伊藤博文内閣で、外務卿、外務大臣、農商務大臣、内務大臣、大蔵大臣を歴任した人物。
舶来文化の導入に積極的だった人物で、別邸は明治時代後期に建てられた築100年を越える建物でありながら、欧米の建物のデザインを取り入れている。
宿としては、上下階に分かれた2組分の部屋しかなく、しかも襖はあれど鍵はない和室。現在の館の所有者が、働き盛りを過ぎて湯河原の空き家を思い立ち、宿に変えたのだった。
食事は、現在の所有者の奥さんなのかアルバイトなのか、おばあさんが作って用意してくれる。
僕たちは二階の部屋に泊まったのだけど、僕たち以外誰も上に来る人はなく、部屋には気持ちのいい山からの風が通り、そばを流れる風の音と時折鳥のさえずりが聞こえるだけで、夜はとても静かだった。
山がそばにあり、美しい川が流れている。そんなところでいつか暮らしたいと思ったのだった。
⭐️湯河原 清光園http://seikouen-yugawara.com/iphone-index.html

ジューンベリーと鳥。

桜より少し遅く咲いた花が終わった後、5月も半ばを過ぎると、ジューンベリーの実が赤く色づきはじめる。
鳥たちも、ジューンベリーの実が美味しいことを知っているのか、朝から鳥が絶え間なく木にとまりにきては、赤い実を食べているのが見える。
メジロやシジュウカラは、その声もかわいく姿も美しい。
ヒヨドリは害鳥と言われるだけあって、鳴き声がけたたましく、花を根こそぎ食べてしまったり、ジューンベリーの実も全て食い尽くしてしまうのであまり好きになれない。
鳥を眺めていると、鳥は、恐竜が長い時間をかけて姿を変えた動物だと言われていることや、翼で空を自由に飛べるということを不思議に思わされる。
東京に住みながら、こうして色々な鳥の姿を身近に感じられる生活は、ありがたいと思う。

イッペー

いつものように、外苑西通りを歩きながら家に帰る道、お花屋さんの『Fuga』で、びっくりするような真っ黄色な花を見つけた。
花の名前は、『イッペー』だそうで、ブラジルの国花だという。
こんな黄色い鮮やかな花は、とても日本にはないものなあと思った。
日本に、桜があるように、ブラジルには、この『イッペー』があるのだろう。
ずっと行きたいと思いながら行けずにいる、地球の反対側のブラジルに、いつか行ってみたいな。

ひとりずもう

Kは、『ちびまる子ちゃん』が好きだ。
Kが先に家に帰っていて、僕が後から家に帰ってくると、いつも『ちびまる子ちゃん』を見ている。
僕もKと一緒に暮らすようになったおかげで『ちびまる子ちゃん』を見るようになり、さくらももこさんの才能を思い知った。
Kの『ちびまる子ちゃん』好きを知っている僕の美容師さんが、K2貸したい本があるとずっと前から言っていて、先日Kが美容院に行った帰りに、その本を借りて帰ってきた。
なんでもその本は、テレビでは永遠に小学三年生だったまるちゃんが、少しずつ大きくなっていく話しなのだそうだ。
それはきっと、せつない話なのだろうと思う。
大人になっていくことって、せつないことだから。
Kは、今まだ見たことのない表情で、ベッドで僕の横で真剣にその本を読んでいる。
僕は、『ちびまる子ちゃん』だけでいいかなと思う。
『ちびまる子ちゃん』は、僕の中では、永遠に小学三年生でいてくれたらいいや。

芳華Youth

ホアン・シュエン

ファン・シャオガン監督の作品『芳華Youth』は、アジア・フィルム・アワード最優秀作品賞を獲得した作品。ずっとBridgeのMから勧められていてやっと観ることができた。
1970年代の中国は、毛沢東が亡くなり文化大革命が起こってゆく中で、人々の意識も変わってゆく激動の時代。中国の軍隊を、歌や踊り、楽器の演奏で勇気付ける文工団に、新しい女の子が入団するところからはじまり、その娘を中心に文工団の中の若い男女の青春模様が時代の移り変わりとともに丁寧に描かれてゆく。
全体的に、まさに『中国映画』って言う感じの、ある種懐かしいような郷愁感が漂っている。中国人が見たら、それぞれのシーンに自分の青春時代を重ね合わせて甘酸っぱくなるのかもしれない。(なんというか、とてもよくできているのだけど、チャン・イーモウの『恋人の来た道』などを思い出させる懐かしくてなんだかちょっと恥ずかしい感じなのだ。)
この映画を観終わった後に、珍しくKが僕に映画評を話しはじめた。
K「Kちゃんは今の映画好きになれない・・・」
僕「なんで?よくできてたけど・・・もしかして、いじめが嫌だった?」
K「うん。なんでみんな平気で話が展開していくのかわからない・・・」
僕「そうだね・・・僕はあの中に入っていって、いじめをやめさせたかったかな」
作品としては、とてもよくできていると思うし、こういう粘っこい映画は、もしかしたら今の邦画にはあまりないかもしれない。青春映画好きにはおすすめの映画。ゲイ的な見どころとしては、主人公の男性ホアン・シュエンが、昭和的でいい男なところ。
⭐️芳華Youth http://www.houka-youth.com

仕事を変えるという選択。

Kが、今年の1月から働きはじめた病院は、世田谷区にある家族経営の入院施設まで整っている病院。周りの住民からは頼りにされているのか、土曜日も1時を過ぎても患者さんが来るし、GWも患者さんにはお休みはないので、ところどころで病院に働きに出ていた。
前の病院と比べて労働時間が長くなり、しかも日曜日のみのお休みになり、Kが疲弊しているのもわかっていたし、僕も全然旅行にいけないことに気を揉んでいたのだ。年末の沖縄旅行のあとは、ふたりではどこにもいけず、やっと先日信州にいけたのだけど。
僕「どこか、もっときちんと休みが取れる病院を探そうよ。こんなブラック病院にいたら、Kちゃんもすり減っちゃうよ・・・」
K「でも、せっかく働きはじめたし、病院はどこもそんなに変わんないと思うよ・・・」
そんな話をしていたのが数ヶ月前で、1ヶ月前に突然僕たちの家の近くの大きな病院の募集枠を見つけた。残念ながら正規の社員の募集ではないけど、この病院ならば歩いても通えるし、土曜日も時々は休めそうだし、大きな病院だったので安心感が違う。
それほど気乗りのしないKを焚き付けて、面接までこぎつけたのが4月半ば。面接から帰ったKが言うのだ。
K「面接室出るときにおばちゃんの面接官が笑ってた気がする・・・」と言うのだ。
僕「もしかして、ゲイだってバレたのかな?Kちゃん、また僕との同棲のこと、パートナーとかって言ったの?」
K「うん。話したよ」
僕「でも、それだからって、笑わないと思うんだよね・・・Kちゃん、なぜかおばさんウケもいいから、きっと大丈夫だと思うよ」
それから1ヶ月、そろそろ連絡が来るかな・・・と思っていた矢先に、Kが家に帰って来て、おそるおそる僕に病院からのメールの話を切り出すも、僕が先に「採用されたでしょ?」と言うと、「なんでわかったの?」とびっくりしていた。
Kは面接の後、有名病院に気後れするのか採用される気があまりなかったようだけど、僕は必ずこの病院に入れるだろうと確信に近いものを感じていた。なぜならKは、大分でも大きな病院に勤めていたので、採用されるだろうと思ったからだ。
仕事でも、一度はじめた道がちょっと違うと思ったら、別の道を選び直せばいいのだ。少しずつでもいいから、より自分が心地よく仕事ができる状況に進めたら幸福だと思う。
ようやく僕たちには、夏休みの旅行が見えてきた。

RBG

素晴らしいドキュメンタリー映画を観た。『RBG 最強の85歳』。
ルース・ベイダー・ギンズバーグというアメリカ最高齢の女性最高裁判事の話なのだけど、彼女が人生をかけてやってきたことを知れば知るほど、彼女の鋼のような勇気と意志に驚かされ、尊敬という言葉を越えて、「なんて素敵な人なのだろう・・・こんな人が今も生きているんだ」と抱きしめたくなる。
僕は観ていないのだけど、このルースという女性は、少し前にやっていた映画(今も恵比寿などで観られる)『ビリーブ 未来への大逆転』という映画の主人公と同じ人だ。なので、この『RBG』は、実際のルースを追ったドキュメンタリー。
彼女が生涯を通して貫いたことは、女性やマイノリティのための権利のために戦い続けたということ。そして、彼女を支え続けていたのは、良き理解者の旦那さんだったのだけど、その旦那さんが泣きたくなるくらいまた素晴らしい人でびっくり。
まだ女性が男性に踏みつけられながら、人間として劣った存在であるかのように扱われていた時代に、そんな不当な状況に気づきもしない男たちと戦って道を切り開いてきたのだ。
こんな硬い意志を持って戦ってきた人たちがいたお陰で、まさに今の僕たちの時代が目の前にあるというのがよくわかる。
それにしても、なんと美しい人生だろう。
⭐️RBG最強の85歳http://www.finefilms.co.jp/rbg/