KYさんのセカンドライフ。その2

いつもの『EMILIA』を予約して店に行くと、ほどなくしてKYさんがやってきた。イタリア好きのKYさんに合わせて、僕の好きなイタリア料理屋さんにしたのだ。
僕がKを紹介して、今までのKとのことなんかをざっくりと話すと、話は自然と周りの友人たちの話になっていった。先日僕が宮崎に行った時に一緒に飲み歩いたTちゃんもファミリーのひとりだけど、東京で美容師さんをしていたのだけど、故郷の宮崎にマンションを買い、引っ越してしまったのだった。
僕「そういえば、KYさんはこの住み慣れた千駄ヶ谷を離れるかもしれないって聞いたけど、いったいどこに行こうとしてるの?」
KY「最初は今の家を売って神楽坂にでも数年住んで、その後南房総に家を買って暮らそうか・・・と思ってたんだよね・・・」
僕「え?南房総・・・?遠くない?」
KY「うん。でももう、都会には未練もないから。もっと自然がそばにあるところがいいなあと思って、色々調べてたんだ」
僕「へー。それで?それで?」
KY「でも色々考えたんだけど、自分にとって何が一番大切かなって考えた時に、僕は友だちなんだと思ったんだよね・・・
それで、まだ身体も元気なうちは、東京で暮らそうかな・・・って。たぶん70歳くらいまでは元気でいられるだろうから、それまではいつでも友だちに会えるように東京にしようと思ってるんだ」
僕「うん。今の70歳は若いもんね・・・」
KY「でも、人間だいたい80歳くらいだと思うんだよね。特に男は。そう思うと、70歳くらいで自然のあるところに移り住んで、それからはのんびりそこで生きて行こうかな・・・って思ってるんだ。家は先に売りに出しちゃったから、一旦他の場所で暮らしてみるつもりなんだ」
26年くらい前に出会った時、KYさんは建築家として活躍しはじめた時で、パートナーと一緒に華やかなゲイライフを謳歌していた。イタリアやニューヨークを股にかけ、友人たちと楽しい時間をたくさんともに過ごしていたのだ。
そして今64歳になり、これからの人生を見据えて、今までとは違う方向に大きく舵を切ろうとしている。
僕は、ほんの少し先を進んでゆくKYさんの生き方を、これからも見守っていきたいと思ったのだ。

KYさんのセカンドライフ。その1

僕が大学生の頃から知っているKYさんは今年64歳で建築家。僕にとってはお兄さんのように親しい人だ。僕が大学生の頃からかわいがってもらっていて、はじめてイタリアに行ってイタリアの凄さを教えてくれたのもこのKYさんだったし、KYさんがその当時つき合っていた人と一緒にニューヨークに遊びに行ったこともある。
昔はよく、外苑前にあったKYさんの自宅でホームパーティーをしたものだった。
呼ばれてお家に行くと、大きな板を何枚か並べて背の低いテーブルがセッティングされていて、テーブルの上には夏ならば芭蕉の葉が敷いてあったり、秋ならば家中にイチョウの落ち葉が敷き詰めてあったり、テーブルには大きな骨董の器に入った手作りのお料理が並んでいたものだった。
そこに集まる人たちは、主に新宿2丁目のぺんぺん草の常連さんたちで、KYさんカップルの周りの友人たちで、それぞれの昔の彼氏がいたり、外国人カップルがいたり、多様な分野で活躍している人たちだった。そんな中にいて僕は一番の年下で、ぺんぺん草で生意気な口ばかりたたいていたので、いつしか周りからは『生意気ひろし』と呼ばれるようになっていた。
その後、KYさんは千駄ヶ谷に引っ越してしまい、KYさんカップルの周りの友人たちも少しずつ千駄ヶ谷近辺に移り住むようになり、一時期はそのファミリーを千駄ヶ谷婦人会と言って、時々その婦人会の集まりがKYさんの家でグラマラスに繰り広げられたりしていた。
僕は僕でMとつきあいはじめて、Mが婦人会の集まりを嫌っていたので(途中からファミリーに入るのは敷居が高かったのだと思う)、僕も婦人会に顔を出さなくなってしまった。その後KYさんもパートナーと分かれて自由奔放になったり、僕も10年続いたMとの関係も終わったり、ファミリーの中で離れて行ってしまった人やまた新しくパートナーを見つけた人など、長い時間が流れる中でそれぞれが別々の人生を歩きはじめていた。
先日、ぺんぺん草でふいにKYさんと一緒になったので、今度久しぶりにランチをしませんか?と誘ってみた。KYさんにきちんとKのことも紹介したいと思っていたのだ。
建築家としてもバリバリ素敵な仕事をしていたKYさんも今や64歳。9歳若い恋人はいるものの、これからの人生、どうやって生きてゆこうと思っているのか、48歳の僕としてもゲイの老後のことがとても気になっていたからだ。   <つづく>

Kのこと。

Kはアルパカに似ている

Kは、周りから見ると、随分おっとりとしているようだ。大抵の友だちは、後からKのことを僕に言う。
「なんだかのんびりしていてやさしそうな彼氏でよかったじゃない」
でも、僕から見るKは、意外としっかりとしていて、たとえば、旅行中や映画館などでチケットを買うと、僕とKのふたりぶんのチケットを自ら持って、決してなくさないのだ。(僕に渡してしまうと、二回に一回くらいはどこかに行ってしまうとでも思っているかのように)
それから、検査技師という仕事柄なのかとても清潔好きで、水回りのぬめりや水がいつまでもついていて乾かないような場所があることをとても嫌うのだ。
僕は、大雑把に家が片付いていたらいい方なのだけど、Kは、キッチンや洗面所、トイレやお風呂の水回りを、親の仇を取るかのように毎日丹念に掃除してくれる。
それと、洋服そのものは安物でもなんでも構わないのだけど、古くなって袖がほつれてきたり、破れているようなジーパンが性分的に嫌いなようだ。
先日、僕の顔を見ながらなんだかニヤニヤしているので、何かあったの?と聞くと、
「ただしくんのあの青いの捨てちゃった…」
と言うので、青い何だろう…?と問いただすと、僕がKと一緒に2年前くらいに買ったGAPの綺麗な青いTシャツのことで、それはダメージ加工がしてあり生地がクタッとしていて、気に入って何度も着ているうちに更にクタっとなり、脇に小さな穴が空いて、おまけに襟ぐりが随分ほつれていたのだった。
僕は、Tシャツに穴が空いていようが、襟ぐりがほつれていようが構わないのだけど、K的にはそんなTシャツを着ている僕をどうしても許せなかったみたい。
僕「もったいない…コットンがこなれてきて気持ちよかったのに…」
K「貧乏くさいものはすぐに捨てます」
高校生の頃、古着を着ていて母が嫌がっていたことを思い出して、なんだかお母さんみたい…と思って、笑ったのだ。

夏野菜の揚げ浸し。

このブログも5年目なので、もしかしたらどこかに同じことを書いているかもしれませんが、お許しいただきたい。
今日は、夏の間に僕が何度も作っては食べている『夏野菜の揚げ浸し』を。
⭐️夏野菜の揚げ浸し
<材料>
赤や黄色のパプリカ半分ずつ 合わせて1個
ピーマン 3個
なす 3個
ズッキーニ 1本
南瓜 1/4
ししとう 1パック
(オクラや万願寺など、夏野菜ならなんでもよい)
揚げ油
出汁 560ml
薄口醤油と濃い口醤油を足して 70ml(薄口だと綺麗に仕上がり、濃い口だと鯵に奥行きが出る)
ミリン 70ml
<作り方> 1. 出汁に醤油とミリンを入れて熱くしておく。 2. 野菜を食べやすく切る。 パプリカとピーマンは半分に割り、ヘタと種を取って食べやすい大きさに切る。 ししとうはヘタを取り除き、串か包丁で穴をあける。(はじけるので) なすはナタ切り(乱切り)にして水につける。 ズッキーニは輪切りに。 南瓜は薄く切る。 3. 揚げ油を熱して、種類ごとに揚げる。 ※なすは油の中で一気に炎が燃え上がらないように、水をよく切って、キッチンペーパーなどで拭いてから揚げること。 揚がった野菜は油を切り、熱いうちに出汁に浸け込む。 4. 粗熱が取れたら冷蔵庫で冷やして、生姜をすって添える。 だいたいの料理本には、野菜の揚げ浸しは麺つゆに浸けるようになっている。麺つゆとは、出汁3〜4に対して醤油1みりん1くらいの割合なのだけど、これだと夏野菜が持っている本来の甘味が感じられず、濃すぎてしまうように感じる。 色々試した結果、僕は、出汁8:醤油1:みりん1、もしくは、出汁6:1:1くらいの割合で作るようにしている。これだと、それぞれの野菜の甘味やおいしさを十分に堪能出来る。

バリ島に、導かれて。

「いつか機会があったら行ってもいいかな…」
そんな風に思っていながら、未だに行けていない場所は結構あるものだ。
バリ島に行けていないのは、僕自身が東南アジアの気候をあまり好きにはなれないということと、長期に休みが取れたとしても、他の旅行先を優先して来たからだろう。もしかしたらバリ島は神の島だから、きっと神様に呼ばれるタイミングがあるのではないかとも思っていた。
そんなある日、急にシンガポールの友人JからLINEが入った。
J「ただし。9月の〇〇日から〇〇日まで、バリ島の僕たちのヴィラを予約しておいたから」
僕「え?バリ島?」
そういえば、先日J&Lカップルが来日した時に、いつバリ島に来るのか?と聞かれて、9月の連休を軽く答えたのを思い出した。
そこへ畳み掛けるかのようにバリ島のヴィラのメイドから僕宛に確認のメールが入った。
僕「え?この日にち、Kが行けるかまだわからないから、確認してもう一度連絡します!」
Kに言って、働いて間もない病院に長期の休みが取れるかどうか聞いてみてと伝えた。今はまだ、有給さえもらえていないので、難しいのではないかと思ったのだ。
するとすぐにKから、この週丸々休みが取れるって!と返信が来た。
そんなこんなで、あれよあれよと僕たちのバリ島行きが決まったわけなのだけど、頭の片隅にありながらなかなか行けずにいたバリ島が、友人からの不思議な申し出で難なく実現するなんて…。
その後、絶妙なタイミングで安価なビジネスクラスのチケットまで手に入ったのだ。
なんて人生とは、不思議に満ちているのだろう…。

ハートストーン

予告編を見ていて、「アイスランドの自然の中で育ってゆくふたりの少年の話なのか・・・」
くらいの軽い気持ちで観に行ったのだけど、映画『ハートストーン』は、驚くべきゲイ映画だった。
アイスランドの壮大な山々がそびえる村には、大きく切り立った崖と果てしない海が広がっている。村人はみんな知り合いのような小さな漁村で暮らすふたりの少年は、やがて思春期にさしかかり、他者や自分自身のことを更に深く見つめるようになる。
アイスランドの美しく圧倒的な自然が、卓越したカメラワークによってあますところなく描写されていてまるでそこに身を置いているかのように迫ってくる。雄大な自然と対照的に描かれるのは、それぞれの少年の繊細な心の動き。
ゲイの少年の胸が張り裂けそうな痛みを、これほどまで完璧に描いた作品は稀だろう。
せつなくて、悲しくて、世界中のすべてのゲイのことを考えて心が痛くなった。
今年、最も心が震えた作品。
⭐️ハートストーンhttp://www.magichour.co.jp/heartstone/

ヒトラーへの285枚の葉書

この週末はいまいち見たい映画がないなあ・・・と新宿の武蔵野館の上映作品を眺めていたら、自分ではあまり好んで見ない戦争映画のビジュアルの横顔がエマ・トンプソンだとわかり、戦争映画でもエマが出ているなら・・・と思って観に行った映画。監督は、ヴァンサン・ペレーズ。
エマ・トンプソンは、ハワーズエンド、日の名残り、いつか晴れた日に、などで知られる女優であり脚本家という才女で、僕の最も好きな女優のひとり。
1940年の戦時下でナチスが勢いを増すベルリンにおいて、機械工場で実直に働くオットーとそのアンナ。彼らの住む上階には、ユダヤ人の老婆がナチスから隠れて行きを潜めながら住んでいる。そんなふたりの元へある日、息子が戦死したという知らせが届く。
労働者階級の一市民が、その当時の巨大な恐怖政治であるナチスに対して、一枚の葉書を書いて道ばたに置くと言う行為によって、小さくて静かだけど強い反旗を翻すという話。
話の展開はほとんどないし、映画としてよく出来た作品というものではないけど、主演のふたりが素晴らしいから最後まで息を殺しながら観ることが出来た。
どんな時代であっても、大多数の巨大な力に負けずに抗い続け、自分の信じる道を生きた人がいたという記録。(なぜだろうか、ナチス映画がこの秋に向かってどんどん増えている気がする)
⭐️ヒトラーへの285枚の葉書http://hitler-hagaki-movie.com

Kの外食。

K「今度の金曜日、友だちと晩ご飯に行こうと思うけどいいかな?」
僕「いいよ。行っておいで」
K「ただしくんは?」
僕「う〜ん…たぶん家にいると思う」
Kが東京に来て1年半が過ぎた。その間僕とKはほとんど毎日、朝と夜は一緒にご飯を食べて過ごしていたようだ。
ごく稀に、友人から相談事などがあり僕だけ外食する日があっても、大分から出て来て特に知り合いもいないKは、いつも僕たちの家で夜を過ごしていた。
一度だけ大分の職場の女友だちが東京に来たことがあって、その時はうれしそうに出かけていったっきり、カラオケをやって朝方まで戻らなかったことがあった。
僕は、「ジムでゲイの友だちでも出来たのだろうか?」と思ったけど、何も聞かずにいた。
そして金曜日、Kから切り出した。
「ただしくん、誰とか聞かなかったけど、宮崎からゲイの友だちが来てるから、会ってくるね」
僕「あ、そうなんだ。それならJeff かGABにでも行ってボトル飲んでくれば?」
僕は内心、どんな友だちなのか気にはなっていたのだけど、まるで気にしないようにしていたのだ。
晩ご飯を用意していると、逐一KからLINEが入った。
「結局、焼肉の長春館にしたよ」
「これからGABに飲みにいくね」
「先に寝ててね」
「今から帰るよ」
僕は年上らしくドンと構えて、どこへ行こうが平気なふりをしているつもりだったのだけど、Kはきっと、僕が心配しているに違いないと思ったのだろう。
つきあってから5年が経とうとしているのに、僕たちはふたりでそーっとそーっと、小さな火が灯るキャンドルが消えないようにと、お互いに思いやっている。

アサガオ。

バラの茂みに咲くアサガオ

夏のはじまりに、アサガオをいくつか植えていた。
夏場は葉っぱばかり茂っているバラの下に。(本当は、バラは肥料食いなので、鉢植えでは他の植物を一緒に植えない方がいい)
主に、西洋アサガオと分類されるアサガオで、花の発色が美しく花期が日本のアサガオよりも少し遅いアサガオを。
そのアサガオの花を、今か今かと待ちわびていたところ、思い出したかのようにやっと花を開きはじめた。
アサガオは咲きはじめはいっせいに咲くというよりも、ひとつ、また一つと、僕たちの心に何か大切なものを残すように緩やかに咲いていく。
今日はどんなアサガオが咲いているかと、朝起きた時に暑いベランダに出てみる。
時々、咲いていない日もあれば、何か神様からの贈りもののように、美しい紫をにじませて咲いている時もある。
一日限り、しかも午前中早めで終わってしまうアサガオの花を、今はこの上なく愛おしいと思う。

大地のうどん。

肉ごぼ天うどん

先日、博多に着いたのは午後2時半を回っていた。
博多駅に着いて、軽く昼ご飯を食べたいと思い、博多駅近く日航ホテルの手前地下の『大地のうどん』へ。
福岡では、ラーメンよりもなぜかうどんに魅せられていくつかのうどん屋さんに行っているが、ここに何度か取り上げた『うどん平』はやっぱりいちばん美味しいと思う。でも、その次に美味しいうどん屋さんはどこかと聞かれたら、今回行ったこの『大地のうどん』と答えるかもしれない。
福岡のうどん屋さんでは、どこも『ごぼ天うどん』が有名だけど、ここは『肉ごぼ天うどん』が一押しのよう。それと、周りで頼んでいた、野菜の天ぷらがいくつも乗ったザルで出てくるうどん。ここの天ぷらは、福岡のうどん屋さんのなかでも群を抜いて美味しいのだ。
お出汁は醤油ではなく塩が中心でほとんど甘味がないのが福岡のうどんの特徴の一つだろう。
うどんのコシもなく、かといって伊勢うどんのようにふにゃふにゃではなく程よい感じなのだけど、『うどん平』は、どん兵衛をもっと膨らましたようなコシのなさだったのに対して、『大地のうどん』は、どちらかというと『稲庭うどん』のような透明感があり、それでいて強いコシはなく、すうーっと喉を通ってゆく感じでなんとも美味しい。
夕方が近づく店内は、ほぼ満席で、後から後からお客さんが来続けている状態だった。
⭐️大地のうどん 博多駅ちかてん
092-481-1644
福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1 福岡朝日ビル B2F
https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400101/40035066/