いつも心はジャイアント

リカルドとローランド

スウェーデンのアカデミー賞3冠を取ったという映画。
頭蓋骨が変形して、奇形で生まれてきたリカルドは、父親は出て行ったきり、母親はリカルドを産んだ後は精神疾患にかかってしまい病院へ。リカルドは母に会うこともできずに施設で暮らしている。
そんなある日、リカルドはペタンクという競技と仲間たちに出会い、ペタンクで優勝するために夢中になって練習を重ねてゆく。
一瞬ドキュメンタリーなのかと思うほど、周りのスタッフや障害を持った施設の人々にリアリティがある。
あまりにもリアリティがあるので、リカルドが奇形であるためにことごとく偏見や好奇の目に晒され、虐めに会うたびに泣いてしまった。映画を見ていると、自分の中の奇形児や障害者を見ている日頃からの視点を試されている気がするのだ。
映画として素晴らしい作品というのではないのだけど、この映画を見て一番よかったことは、リカルドの親友のローランドのような人物を見つけることができたこと。
奇形児のリカルドに常に寄り添い、守り、戦い、リカルドにとって一番いい生き方を選択出来るようにやさしく導き続けるローランドの姿を見ていたら、世界で一番尊く美しいものは、他者へのやさしさや思いやりなのだということを改めて思い知った。
⭐︎いつも心はジャイアントhttp://www.giant-movie.jp/

花火。

長いこと神宮外苑の近辺に住んでいるのに、今まで花火大会をまともに見ることはなかった。
昔住んでいた場所は神宮球場の真ん前だったので、近すぎて爆撃のようだったのと、花火大会当日は人が多く道も封鎖されマンションに入る時も厳重警備で、終わって飲みに行くことさえ容易ではなく、僕にとってはただただ面倒くさい催しとしか思っていなかったのだ。
引っ越しをして昨年の夏は旅行に出かけていて、今年はどうしようかと考えていた矢先、大家さんとバッタリ会ったら、「屋上を解放しますので、そこでご覧になってください」とやさしい言葉をいただいた。
花火大会の日曜日、昼間は映画を観て、夕方に高島屋でお寿司と唐揚げを買って家に帰って来た。7時15分ころから屋上に上がり、家の椅子やテーブル、お酒や食べものを運び、Kとふたり万全の状態で7時半を迎えた。
花火は1時間の間花火と花火との間隔がほとんどなく、合計1200発も上がったらしい。
僕の家の屋上から見る花火は、最高のロケーションとまではいかないけど、十分に大きく、周りからしたら特等席のような場所で、住人は僕とKの他には誰もいなかった。(途中、こっそり大家さんが上がって見にきたのをKが見つけたけど、何も言わずに降りて行ってしまった)
こうして改めて夏の夜空に浮かび上がる花火を見ていると、花火とは、上がった時の大きな音を聞きながら、時間差で予想のつかない花火が花開いてゆくのがいいことと、花火独特の火薬の匂いもいいものだなあ・・・とわかったのだった。
僕としては、普段決して写真など撮らないKが、珍しく花火の写真を撮ったり、ムービーまで回していたので、そんな姿を見ているだけで、お母さんのように幸せだったのだ。
来年もまた、こうして花火が見られますように。

ブログを見ている方との出会い。

週末の『Bridge』のドアを開けると、マスターが僕に言った。
「あ、ただしが来た。ちょうどよかった。こちら、前に話してたHさん。ただしのブログを見たことがあるって言う人で、機会があったら今度一緒に会おうって話していた人」
Hさんは前から『Bridge』のお客さんで、リンク先を訪ねて来てくれたようだった。こんな風に、この小さなブログを見てくださった人と実際にお会いすることが今までも時々あったのだけど、そんな不思議な出会いを、僕はとても楽しみにしている。
向こうは大抵僕の顔さえ知らない人で、会った瞬間の表情を見るのも楽しく、僕は僕で、「いったいどんな人なのだろう・・・」とちょっとワクワクするのだ。カウンターに座り話していると、Hさんがぽつりと言った。
H「僕が思っていたイメージと、ちょっと違ってます。もっと・・・なんというか、東京っぽい方かと思ってました・・・」
僕「変ですね・・・生まれも育ちも東京なんですけど・・・笑」
その後、Hさんと色々な話をした。お仕事のこと、昔つきあっていた人のこと、そしてご病気のこと・・・。Hさんは大病をされていたようで、Bridgeに来るのも久しぶりと言うことだった。
H「あのー、少し前のブログなんですが、卵焼きが写っていたものがありましたよね・・・」
僕「あ・・・いつもの朝ご飯ですかね?あれは出し巻き卵ですね?」
H「あ、それです。その写真を見ていて・・・僕はもうこの先、こんなご飯を食べられないんじゃないか・・・って思って・・・」
そうつぶやいて、Hさんは言葉に詰まって、涙ぐんだ。
賑やかな土曜日のBridgeのカウンターに座っていると、僕の知り合いが次々と現れ、挨拶したり、しゃべっていった。
Hさんの話を聞きながら僕が頭の中で考えていたことは、インターネットの世界では、自分では何気ない日常をあげているつもりでも、見る人によって、それはちょっと違う意味を持って受け取られることがあるということ。今回の件は、人に不快な思いにしたり傷つけてしまったわけではなかったので、安堵したのだ。
先日、テレビを見ていたら、渋谷にいる若い女の子がいて、その子は今ではとても元気でぴんぴんしていたのだけど、数年前に珍しい大病を患ってしまい、その時にこう思ったそうだ。
「私、今までどこかに旅行に行ったり、海外に行ってはっちゃけてる写真とか、幸せそうな写真とかSNS上にあげていたんですけど、自分が大病になった時にわかったんです。今は他の人のそんな写真を見たくないな・・・って。それからはもう、自分からはそういう写真をあげることはしなくなりました」
僕は今では、SNSはほとんどやっておらず、ごくたまにFacebookのメッセージが来たついでに少し覗くことがあるくらい(実際には辞め方を調べている)。僕は、友人たちがどこかへ行って元気に写っている写真を見ることに抵抗はないけれども、改めて考えてみるとそれは、今の自分が健康で幸福だからなのだろう。
今まではなかなかそんなところまで思いを馳せることはなかったのだけど、Hさんに会ったおかげで、今までとは違った一歩引いた視点があることに気づかされたのだった。

琺瑯のピッチャー。

千駄ヶ谷小学校の交差点のそばのイギリスの雑貨屋さん『LABOUR AND WAIT』で、前から気になっていたピッチャーを買った。
琺瑯でできていて、中に1リットルまでのメモリがついているもの。
出汁なんかを多めに取った時や、大きな鍋に水を測って入れる時なんかに計量カップはとても重宝するもので、大きな1リットル測れるものも持っているのだけど、この素朴で温かみのあるデザインに惚れてしまったのだ。(イギリスのものではなく、ウイーンの古い琺瑯メーカーのものらしい)
お店のスタッフといつものように色々なモノにまつわる話をして、家に帰ってきてキッチンの窓側に並べてみた。それはまるで、前からずっと家にあったように僕の家に馴染んでいた。
家にはキッチン用具が沢山ありすぎて収納にも困るくらいなので、いつもKには「使わないものを捨てるよ」と脅されているので、このピッチャーはKには言わないでしれっとそのまま飾っておいた。
帰ってきたKは、すぐにキッチンの新参者に気づいたようで、顔を近づけて僕の目を見ながら言った。
K「ただしくん、これ、前からうちにあったっけ?」
僕「え?えええ?! これ? かわいくない? 笑」
K「・ ・・・・」
あっけなく見つかってしまったのでした。
⭐︎LABOUR AND WAIThttp://bshop-inc.com/news/6354/

食べて、祈って、恋をして

『食べて、祈って、恋をして』というタイトルを読んで思うことは、
「ああ、その映画なら知ってるよ。ジュリア・ロバーツが出てた映画でしょ?」
かもしれない。でも、原作と映画はまったく違うのだ。映画はハッキリ言って失敗作だったのだけど、小説は滅茶苦茶よく出来ている作品なのだ。
僕は、著者のエリザベス・ギルバートの本『巡礼者たち』を随分前に読んでいて好きだったので、『食べて、祈って、恋をして』が2009年に書店に並んだ時に迷わず買って、長編にも関わらずハラハラしながら一気に読んでしまった。
今回バリ島行きが決まった時に、なんだかふと頭の中をこの本がかすめて、家中探し回ってもう捨ててしまったかと諦めかけた矢先、なぜかエッセイの棚に紛れていて狂喜したのだった。(残念ながら、この表紙の本は今では絶版になってしまったようだ)
でも、『一度読んで、もう一度読み返す小説』って、あるだろうか?
僕はよくよく考えてみると、サリンジャーの『フラニーとズーイー』、『キャッチャーインザライ』、そして、アイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』くらいだと思う。そしてこの本『食べて、祈って、恋をして』も、珍しくそんな本の中の一冊に仲間入りしたわけだ。
映画をご覧になった方はご存知だとは思うが、『食べて、祈って、恋をして』のタイトルがそのまま、『イタリア、インド、バリ島』のそれぞれ4ヶ月間合計1年間に及ぶ海外滞在記になっているのだけど、このそれぞれの町の細部にまで渡る描写が、まるでその土地を自分が旅行しているかのように感じられるのが何よりの魅力だろう。
その当時何よりも共感できたのは、主人公が30代後半で何不自由のない満ち足りた暮らしを過ごしていたはずが、泥沼離婚になり、すべての財産を失って1年間の海外生活に漕ぎ出すというジェットコースターのような人生に、自分の破天荒になってしまった人生を重ね合わせたからだろうか。
ここでひとつ、イタリアの章の好きな部分を抜粋しておこう。(以下)
『今日わたしたちがフランス語と呼ぶものは、中世パリ語の流れを汲む言語で、もとをたどればポルトガル語はリスボン語、スペイン語はマドリード語だった。資力財力の勝利。最も力を持つ都市が、最終的にその国全体の言語を決定づけた。
ただし、イタリアの場合は事情が違った。
(中略)
十六世紀になると、イタリアの知識人たちが集まって、このままにしておくのはあまりにも不都合だと結論した。イタリア半島には、皆から承認されるようなイタリアの言語が、せめて書き言葉として必要だ。彼らはそう考え、ヨーロッパ歴史上ほかに類を見ない取り組みを開始した。あらゆる地方語の最も美しい部分を選びとり、”イタリア語”という世界に冠たる言語をつくるという取り組みを。』
ね。なんだか、わくわくしませんか?
⭐︎『食べて、祈って、恋をして』 女が直面するあらゆること探求の書
エリザベス・ギルバート著 那波かおり訳
ランダムハウス講談社

I’VE LIVED IN EAST LONDON FOR 86 1/2 YEARS

表紙を見て、「これはロンドンに住む人たちのポートレイトだろう」と思って手に取ったら、この表紙の86歳と半年生きたおじいさんのお話だった。
読んだところ、このおじいさんが何か偉業を成し得た人ではなく、それどころか海外に出たこともなくロンドンの東側に86年間住み続けた独身の老人のようなのだ。
おじいさんは、平易な言葉で僕たちに語りかける。自分の少年時代のこと、家族のこと、誰かと関係性を持つこと、お金、ユーモア、映画・・・
この写真集に惹きつけられるのは、そのどこにでもいそうなひとりのおじいさんの人生が、なんとも味わい深くドラマティックに感じるからだろう。そうして家に持って帰ってきてページをめくりながら、急に気づいたことがある。
このおじいさんは、僕の父にそっくりなのだ。
父に似ているということは、どこかしら僕にも似ているに違いない。
おじいさんの人生を読みながら、父の人生にも思いを馳せたのは、ちょうどお盆の時期に、父が僕に思い出して欲しいと思っているからなのかもしれない。
大丈夫。
あなたのことは、いつも思い出しています。
⭐︎I’VE LIVED IN EAST LONDON FOR 86 1/2 YEARS
hoxton mini press

ふたりで見た夢。

朝方、不思議な夢を見て飛び起きると、横で寝ていたKも起きていてスマホを覗いていた。
僕「起きてたの?今、不思議な夢を見たよ」
K「どんな夢?」
僕「Kちゃんとふたりでサンフランシスコなんだけど、赤いクルマの上に何百メートルも白い塔のようなものが乗っかっていて、その上でクルマをふたりで走らせてるの。僕は高いところが苦手で怖がっているんだけど・・・明日はパリに行くところなの」
K「Kちゃんも不思議な夢を見たの」
僕「え?どんな夢だったの?」
K「ただしくんと一緒にお城のような壁を登っていくの。すごい高い白い壁で・・・」
僕「え?高いところ登る夢なの?なんか、似てるね?」
K「うん。でも、ただしくん、途中でおしっこに行くとか言っていなくなっちゃうんだけど、また戻って来てふたりですごい高いところに上ったの」
僕「途中でおしっこにいっちゃうところは余計です」
ふたりで一緒に寝ていて、ふたりして高いところに上っていく夢を見るなんて、この時がはじめてだったのだけど、こんな不思議なことってあるのだろうか?
高いところに登る夢は、いい意味も悪い意味もあるようだけど、面白い偶然に、夢の細部までKに聞きたいと言ったのだけど、Kも僕もあっという間に夢の細部を忘れてしまったのだった。

食器を洗うブラシ。

食器専用ブラシとして、木の柄のついたブラシを長く愛用している。
僕がキッチンに用意しているものは、グラス用のスポンジと、他の食器用のスポンジ、そして、このブラシという3つの道具。中でもこの木の柄のついた食器用ブラシの使い勝手の良さといったら、誰かに伝えたくてしょうがないくらいなのだ。
フライパンや鍋の洗剤を洗い長す時に、隈無く綺麗に洗い流したいじゃないですか。傷がつきやすいお椀やお皿は手ですすいだとしても、大きめの鍋類はさすがに手だと行き届かないのでこのブラシを使っている。
ここにも以前載せた千駄ヶ谷小学校そばの『LABOUR AND WAIThttp://bshop-inc.com/news/6354/』へ行った時に、店員さんは僕に、このブラシがどんなに使い勝手がいいのか、話しはじめて止まらなかった。
「ブラシの毛も密で柔らかいので、私なんてこのブラシだけですべての洗い物を済ませちゃうんです」
柄のついたブラシは、まるで手のようにいや手よりも柔軟な動きでグラスの中やフライパンや鍋の中、ザルの編み目の間を一気に掃除してくれる。

スパイダーマン ホームカミング

久しぶりのスパイダーマン、今回はどんな展開なのかとIMAXで観に行ったら、これが、めちゃくちゃよく出来ていました!
一言で言うと、『15歳高校生のスパーダーマン見習い生の話』。
莫大な制作費を使って作られたと思うのだけど、IMAXの3Dで観る価値のある素晴らしいエンタテインメント。
2時間以上ある長めの作品だけど、かぶりつきで最後まで目が離せない作品。友達とでも、恋人とでも存分に楽しめるので、ぜひ大画面の劇場で観ることをおすすめします!
⭐︎スパイダーマン ホームカミングhttp://www.spiderman-movie.jp/

ファウンダー ハンバーガー帝国の秘密

世界一のファーストフードチェーン『マクドナルド』を築き上げた男の話。
マイケル・キートンが主演と知って、きっと面白いのだろうと思い観に行ったら、上映中どんどん引き込まれて行って最後までのめり込んでしまった。今年観た映画の中で10本の指に入るくらいよくできた映画。
54歳にしてミルクシェイクを作る機会を訪問販売しているしょぼいセールスマンをしていたレイ(マイケル・キートン)は、ある日、マックとデイックが経営するその時代にはなかった迅速で無駄のないシステムを作り上げたハンバーガーショップ『マクドナルド』に出会う。
レイは全米でのフランチャイズ化を夢見て、一念奮起して立ち上がる。これは、弱肉強食でなくては生きてゆけないアメリカン・ドリームを描いた作品。
映画としては息をつかせないほどよく出来ている。奥さん役のローラ・ダーンに至るまで素晴らしいキャスティングだと思う。
それにしても、「僕は、この主人公のようには生きられないなあ…」と思ってしまった。映画を観終わった後に残るなんとも言えない不味い食べ物を食べた後のような読後感はなんだろう……。
こんな生き方をしたら、いくら百万長者になったとしても、きっと僕の母も父も、僕のことを赦さないと思う。それよりなにより、僕自身が罪悪感に押し潰されて自殺してしまうに違いない。
これは、マクドナルドの創設者の話ではなく、マクドナルドを作った兄弟から、彼らが作り上げた技術や方法をすべて盗み取った上で大切なものを捨ててアメリカでのし上がって行った、品性下劣な男の話。
(映画自体は本当によく出来てるんです…汗)
⭐︎ファウンダー ハンバーガー帝国の秘密http://thefounder.jp/