光にふれる

雪の降った翌日、青学付近の246の横断歩道を、車椅子の人が渡ろうとしていた。所々雪の残る道は車椅子では動けず、背負われるようにして何人かで渡っていた。
僕らにとっては、少々歩きにくいくらいの道も、彼らにとっては、歩くことの出来ない障害物だということを改めて思い知った。
台湾映画『光にふれる』は、全盲のピアニスト(ユィシヤン)が主人公の映画。過去のトラウマを抱えた主人公の実話をもとに脚本が作られたようだ。
音と光が印象的な映画だ。
監督は、ユィシヤンの感じる世界、風や繊細な声やあらゆる細かな雑音を、なんとかユィシヤンと同じように捉えようとしたようだ。
カメラワークが素晴らしいのは、逆光での撮影を多用しているからだろう。光の直接当たらない世界で、人々の繊細な表情が浮かび上がる。
この映画館に入る時に、少しやつれたお母さんと知的障害と見受けられる男の子(20歳くらい)が、中に入ってからチケットをなくしてしまったようで、ポケット中を探し回っていた。しまいにはその子のポケットまで探し出したのを見ていて、胸がざわついた。理由を話して無事に入れたのでよかったのだけど…
そんなことも重なり、映画が始まって前半部分、僕は、ほとんどずっと泣いていた。
それは、この全盲の男の子を、常に支えながら生きて来た家族の姿をつぶさに見せられたからだった。はじめて普通大学の寮に入る時に、学校や寮に着いて来て、あらゆる心配をする母親を見ていたら、涙が止まらなかった。
少々予定調和的な演出はある。ただ、それを入れたとしても、この映画を見て、普段はなかなか考えることもない自分とは違う境遇の人の世界を想像することは、価値のあることではないだろうか。
★光にふれるhttp://hikari-fureru.jp/
ps : 僕の風邪を心配して、何人かの方からメッセージをいただきました。この場を借りてもう一度、ありがとうございました。

Gay Mountain

アメリカのChannel 4 が、ロシアのソチ五輪のニュースにこんなCMを流しているようだ。

大笑いしてしまった。
チャンネル4って、すご過ぎ…。
ぜひ、プーチンにも見て欲しいものだ。

やさしさ。

昔、前の恋人とつきあっている時に、一年に一回くらい風邪をひくことがあって、そうすると、彼がすぐに飛んで来て、僕の額に手を当てて、真剣に心配してくれた。そして自分用の風邪薬を僕に飲ませてくれた。
高熱が出てしまうような本格的な風邪になると、仕事などそっちのけで彼が車で迎えに来て、彼のかかりつけの医者に僕を抱え込むようにして連れて行ってくれた。
そして、点滴を打ってもらうように指示をして、点滴が終わる頃にまた迎えに来てくれた。
彼は、身体も大きく、声も大きく、好き嫌いをハッキリ言う性格だったので、二丁目でも苦手に思う人もいたようだけど、本当の彼のことは、つきあった人にしかわからないことが沢山あるものだ。
先週末に飲み過ぎたせいか、少し喉がおかしくて、昨日は、喉が痛いなぁと思いながら、雪の道を選挙に行き、鉄の塵取りを持って友人の女の子のお店の前の雪かきをした。
雪は幅1m長さ5mくらいだったからすぐに終わったのだけど、お酒があまり美味しくないなあと思っていた。
先ほどジムから帰って来て、Kにガンガンしつこく言われて体温を計ったら、少し熱があった。
「風邪をひいたかな…?」と思いながら、昔の彼のことを思い出していた。
彼のやさしさは、自分の中に、ずっとそのまま残っていた。

マリメッコのティーポット。

北欧のプリントや布地メーカーとして有名なマリメッコ(marimekko)が、実は日用品も扱っていて、かわいいティーポットがあったので手に入れた。
持ち手が木というところが北欧っぽいけど、これは日本にも通じるデザインかもしれない。
蓋が大きく中が洗いやすいというのがいいなぁと。(この視点は、おばちゃんかも…)
小さなティーポットでも、一つの家を明るくすることができる。
デザインって、すごい。

カシミア。

東京は、16年ぶりという大雪に見舞われた。一日中家にいたのだけど、降りしきる雪はとても綺麗だった。
寒い冬の日に、家にいる時でも着ているものは、カシミアのセーターだ。
カシミアのセーターは、5万くらい平気でする。これを高いと思うか安いと思うかは人それぞれだけど、赤ちゃん用のシャンプーで、ぬるま湯で手洗いすれば、ほぼ一生持つというのも、カシミアの凄いところだ。
ある時イタリアでゼニアのカシミアのセーターを買って着るようになったら、もうカシミアが手放せなくなってしまった。
それ以来、普通のウールのセーターは余程のものでないと買わなくなり、冬のセールが終わりかけの頃に、2万円くらいで売られている残りもののカシミアのセーターを見つけて買うようになった。
あまり知られていないようだけど、カシミアのセーターは、素肌に着るものだ。
カシミアは、カシミア山羊の毛で、赤ちゃんの毛のように細く柔らかく保温性に優れている。細い毛は身体を暖かく包んでくれて、チクチクすることもないし、僕のように弱い皮膚でもかぶれることはない。
素肌に着たカシミアの感触もさることながら、時々手で触れるカシミアの感触を知ると、カシミアがますます手放せなくなるだろう。
写真は、この冬やたらと着ていたセーター。友達が家に来て写真を撮ってもらっても、だいたいこのセーターを着ているので、笑ってしまった。

生きているという実感。

実は、一ヶ月半くらいジムをさぼっていた。
筋肉は、一ヶ月何もしなくても、落ちることはないことは立証されているらしいのだけど…。
年末になると慌ただしく行けない日が増えて、正月に突入し怠惰になり、そのまま行かなくなってしまうのは毎年のこと。
そこで、思いきってトレーナーを変えてみた。
いつもトレーナーは、気持ちが清々しい人で選んで来た。1時間ともに過ごすのは、意外とトレーナーとの波長の問題は大きいと思う。
今回のトレーナーは、元レスリング日本代表。耳が潰れていて身体は僕の2倍くらい大きくて、腕は僕の脚くらい太い若者…。
それでいて、ちょっととぼけている感じがある。たとえば、ベンチプレスを13回やるところを、数えながら熱くなって早口になり、途中で一回分進んだりする…笑
それと、いちいちトレーニングする時に、筋肉の部位を意識するようにと言いながら、僕の身体を触って来るのもなんだかかわいい。
火曜日に一ヶ月半ぶりに軽くトレーニングしたら、翌日からずっと激しい筋肉痛が続いた。
金曜日にまたジムに行き、筋肉痛のことを話すと、トレーナーは目を輝かせながら我がことのように筋肉痛を感じて喜んでいるようだった。
筋肉が肥大してゆくメカニズムに筋肉痛は欠かせないことや、今日は肩をこのような順番で血流を上げて、全体のフォルムを整えて行きましょう…など、熱心に話してくれる。
そしていつも思うのだけど、この、筋肉痛を感じてる時って、『ああ、生きているなぁ…俺…』という実感を感じる瞬間なのだ。
ちなみに、激しい二日酔いの時にも、『ああ、生きているなぁ…俺…』っていう実感を感じるのだけど…笑
これからは、ジムに行くのも楽しみになって来たことがうれしい。

ロシアでは、今。

このブログで決めていることは、1.政治的なことや、宗教的なことを書かない。2.ネガティブなことを書かない、3.批判をしない。 ということ。(ネガティブなことを書いたことは一度だけあるけど、それは『きゅうりがいかに栄養のない野菜か』というポジティブな情報だった)
今回は、『憎しみ』をテーマに書くけれども、内容はポジティブなものにしたいと思う。
『今、ロシアで同性愛者に対してどんなことが起きているのか?』、次のYou Tubeを見ていただきたい。http://m.youtube.com/watch?v=zMTbFSJ_Tr4&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DzMTbFSJ_Tr4
facebookでこのビデオを見た時、これが今の時代に、隣国で起こっているなどととても信じることが出来なかった。こんな風にネット上に出て来ているとしたら、水面下ではどんな残虐な『ヘイトクライム』が大量に起きているのだろうか・・・
ロシアで起きているこの残虐な『ヘイトクライム』は、自分と違うものを恐れ、受け入れることの出来ない人間の心理を表しているとともに、制限された情報や、偏った教育の問題、そして、プーチン政権の『ゲイ・プロパガンダ禁止法』の影響が色濃く反映されているのだと思う。
このビデオを見た時に、あまりの残酷な暴力に、憤りを感じ、憎しみさえ起こるのはしようがないのかもしれない。でも、そうであるからと言って、彼らに対して同じようなことをしても、きっと『憎しみ』は次の『憎しみ』を生み、連鎖していくだけに違いない。
マザー・テレサは生涯に渡り、孤児や、貧しい人、病める人、戦争で酷い目に遭った人々のそばに居続けたけど、戦争に反対でいながら、決して『反戦集会』には近づかなかったという。
それは、『反戦集会』には、『戦争』と同じエネルギーが満ちていたからだそうだ。
このビデオを見た時に、「自分に何か出来ることはないだろうか・・・」と考えた。もし僕がマドンナだったら、この事件に関して何か発言すれば、この酷い事実がもっとマスコミに取り上げられて、世界の人々の関心を呼び、次のアクションに繋がるかもしれないけど、今の僕は、なるべくこの情報を拡散して、人々に注目してもらい、大きな組織が動けるような次のアクションに繋がることを願うしか思いつかない。
早くマドンナにならなくては。
★僕たちが今、ロシアで暮らすLGBTの人々にに対して出来ることがあったら、どんなことでもいいので教えてください。
『LUSH』は、明確な意見をロシアに向けて発信している。http://www.lushjapan.com/contents/supportrights/

近頃、泣いていない方へ。

ベタなテレビドラマのようで先も読めるのだけど、絶対に泣いてしまう映画、しかも、嗚咽のように泣いてしまう映画が始まった。大ヒットした『ハーモニー』という韓流映画に似てる。(※はじめにおことわりしておくと、『映画』としてよく出来た映画ではありません)笑
韓国で歴代3位の興行収入を記録した映画『7番房の奇跡』は、お父さんと6歳の一人娘の話なのだけど、お父さんは、知的障害で6歳の知能しかない。
父と娘ふたりだけで仲良く暮らしているある日、お父さんが、ひよんなことから刑務所に入れられてしまう…
ショーン・ペンが演じた映画『I AM SAM』を思い出す設定だし、始まって5分くらいしたら帰りたくなったのだけど、ダメでもいいかな…と言う気分で観たら、なんだか変なところに溜まっていたものが、身体中から全部涙となって滲み出たというか、溢れ出たのです。
さんざん泣かされて外に出たら、なんだか行き着く場のないもやもやした情念のようなものが渦巻いていましたが、サウナから上がったような虚脱感が襲って来ました。
恐るべし、韓流映画!
★7番房の奇跡http://7banbou.com/

メイジーの瞳

『キッズ・オールライト』の制作スタッフによる映画『メイジーの瞳』は、両親の離婚を見つめる子どもの目線で作られた温かい映画だった。
ジュリアン・ムーア扮するロックミュージシャンのエキセントリックな母親と、仕事で出張ばかりしている父親のやりとりを、小さなメイジーはつぶさに見ているのがわかる。
こういう設定で作られた映画は今までもあったと思うけど、今回の『メイジーの瞳』が素晴らしいのは、この映画は、「小さなメイジーがかわいそう・・・」などというお涙ちょうだいストーリーではなくて、両親のそれぞれの言い訳や行動を見ているうちに、大人たちがいかに自分勝手で子どもじみているかということを思い知らされるところだろう。
少女と、血のつながりの全くない両親のそれぞれのパートナーとのふれあいが新鮮で美しい。離婚や核家族化が進む現代の家庭において、家族とは何か?という疑問をまっすぐに投げかけてくる秀作。
☆メイジーの瞳http://maisie.gaga.ne.jp/

偶然。

赤坂から会社に戻る途中の溜池山王駅で、20年ぶりくらいで昔の友人とすれ違った。
20年以上前くらいの僕は、NYが好きで年に2回くらいの頻度でNYに遊びに出かけていた。その頃、NYの旅行会社に勤務していたIは、共通の友人の紹介でNYで会った。
スイカが好きで、飾ることをせず、どこか素朴なIは一緒にいるとほっとする存在で、同じくNY勤務の年上の恋人がいた。
一緒に新年を迎えたり、ZAGATで美味しそうなレストランを予約してご飯を食べに行ったり、その頃のNYの思い出にはいつもIの笑顔があった。
Iが東京に戻って来たのは15年前くらいだろうか?一度丸ノ内線でほんの数分一緒になったことがあるけど、車内が混んでいたためほとんど話すことも出来なかった。
今回は、通路ですれ違ったので、ちゃんとLINEのアドレスも交換出来て、その後、今まで会えなかった時間を確かめるように何度もメールが行き交った。
学生の頃に出会った僕が、もう45歳になっていることに驚きを隠せないIに、「久しぶりに会って、ずいぶん老けたかな?」と、正直に聞いてみた。
Iからはすぐに、「格好よくなって、びっくりー」と返信が来た(お世辞かもしれないけど)。
学生の頃の僕は痩せていたし、『なまいき』というあだなで呼ばれていたことから分かるように、年上からも怖がられるような尖った男の子だったようだ。それが今では、適度に筋肉も脂肪もついて、普通の45歳のおじさんになってしまったのが驚きのようだった。
Iは、いつもだと決して通らないルートで移動していた時に偶然僕に出会えたことを不思議だと言った。僕も、滅多に通らない溜池山王の乗り換えコースだったので驚いた。
人生に偶然などないという人がいる。目の前に立ち上がるすべての現実(正確に言うと現実だと我々が思っていること)は、自分の意識が作り出していると。
立春の日に、こうして昔の友人に久しぶりに出会えたことを不思議に思った。