夕暮れの時間。

7時半を過ぎる頃、辺りを散策に出かけると、川辺にはたくさんの人たちが押しかけていた。
ワインボトルを持って飲むカップル。ビールを片手にしゃべっている若者たち。ただ座って夕陽を見ているおじいさんとおばあさん…。
北欧の真夏の太陽を一瞬でも惜しむかのように、誰もが外へ繰り出し、1日のうちで最も美しい夕暮れの時間を思う存分楽しみ、慈しんでいるように見える。
「ああ、デンマークに来たんだ…」と、その時思った。
ふと住居のようなアパートメントを見上げると、同じようにバルコニーに出て、夕陽の中、のんびりと時間を過ごす人が見える。
はじめて来たデンマークで、自分の中で忘れていたヨーロッパを思い出した。
昔何度も行ったイタリアのプーリア州にある古い町では、夕方になると人々が広場に繰り出していた。若者たちは若者同士で、おじいちゃんはおじいちゃんの仲間たちと、おばあさんはお嫁さんと、お母さんと子どもと…。
はじめ、何か催し物があるのかもしれないと思っていたら、そんなことは何もなくて、彼らは毎日毎日、夕暮れの時間その広場に集まり、ただ行ったり来たり散歩(パッセジャータという)をしていたのだ。
日本だったらみんな、残業しているか、電車に揺られているか、家でテレビかネットでも見ているのかもしれない…。
「豊かさとは、なんだろう…」
ヨーロッパの人たちは僕たちに、シンプルな質問を投げかけてくるようです。

船のホテルへ。

夕方、コペンハーゲンに到着して、指定されたホテルへタクシーで向かう。タクシーを降りると、目の前には川に浮かんだ船があった。
「もしかして、ここ?」
レセプションのドアを開けようとすると、開かない。ご用の方は、ここに電話するようにとの書き置きこみがある…。
そういえば、ホテルからメールを貰っていた。到着が遅い場合は、箱を開けてカードを取り出すようにと秘密のナンバーが(でもまだ夕方なのに…)。
無事にカードを取り出し、一枚の注意書きとともに7の部屋へ。
ワンルームの部屋からは、川面が見えて、カヌーを漕ぐ人たちが目の前をゆっくり通り過ぎてゆく。
シャワーを浴びてまた部屋へ戻ると、ボートの上でワインを飲みながら過ごす人たちが見える。
僕は素っ裸なのだけど、あっちからも見えるのだろうか…?
今夜は川を見ながら、裸で眠ろう。
ようこそ、船のホテルへ。
★HOTEL CPH LIVINGhttp://www.cphliving.com

つきあうふたりのセックス。

ぺんぺん草で飲んでいたら、久しぶりの友人SRに会った。
SRは、45歳。昔はタイに恋人がいて、しょっちゅうタイに行っていたけど、ここ数年はその後の恋人の話を聞くことはなかった。
それが、3つ下の恋人が出来たようで、心なしか顔も晴れやかに見える。
しばらくしたら、その3つ下の恋人がやってきて、僕たちの間に座った。
挨拶をして乾杯をする。名前を聞くと、SN。覚えやすいように最初の『シ』がSRと同じだと教えてくれる。それだけで彼がとても感じのいい人だということがわかる。
つきあい始めて4ヶ月目。まだまだ熱々の二人は、時々お互いを気にかけながら話をしているのがわかる。
やがてそのうちに、年下のSNが口火を切った。
「ゲイって、つきあっていくうちに、だんだんセックスがなくなってしまうのはどうしてなんだろう…僕は嫌なんです。つきあっているうちは、ちゃんとセックスしていたいんです!と言った。
ぺんぺんのひろしさん「うちにも長くつきあっているカップルがいるけど、彼らももうおそらくセックスはなくなっているんでしょうね…というか、惰性でつきあっているのかもしれないわね」と言った。
僕「長くつきあっていくと、セックスがなくなっていくのは自然なことのように思えるんだよね。正確に言うと、なくなっていくというよりも、セックスの形が変わっていくんだよね。その人に対する」
35年くらいつきあっているカップルでも、セックスが未だにあるなんて話を聞くこともあるけど、大抵のカップルは、セックスの形が変わっていくのではないだろうか。
タチとかネコという役割がハッキリとあるカップルであれ、年を重ねるうちにそれぞれが求めるものが変わって来たり、二人のプレイも変わっていくような気がする。
セックスが形を変えてだんだん希薄になってゆくように感じる時に、それでもその人とつきあい続けていく努力を選ぶか、いっそのこと別れてまた新しいセックスを探すのか、それは人によっては決断を迷うところかもしれない。
社会的にも確かなふたりの結びつきがなく、セックスという快楽がすぐそばにあるゲイにとって、特定の同じ人と月日を重ねていくことは、つきあい続けていこうというふたりの意志がないと難しいことなのかもしれない。
どんな生き方を選ぶのも、その人次第なのだろう。
4ヶ月にして、うっすらと見える不安に対して、真剣に話をしているふたりが微笑ましく、次に会う時もふたりが続いていたらいいなあと思ったのだった。

ムーン。

一緒に沖縄に行った友人のXは、今までも様々な国を一緒に旅行して来た仲。
ある日、ブリッジで飲んでいる時に、隣の友人から、Xは『角野さん』に似ている!と言われたようだ。
僕は、『角野さん』がどんな人なのかわからず、思わず調べてしまったのだけど、『角野さん』は、『渡る世間は鬼ばかり』に出てくる見覚えのあるおじさんだった。
僕の恋人のKに言わせると、Xは、LINEのスタンプの丸い顔をしたムーンに似ていると言う。僕とKとやりとりしていると、しょっちゅうムーンのスタンプがXを表す記号として使われている。
Xは、沖縄行きまでに恋人を作ると言っていたけど、それも叶わず、沖縄で現地調達することになった。
若い子をゲットするためにメガネを外して角野さんからムーンへ変身を遂げたXは、行く先々で新しい出会いに胸を弾ませていた。
そして、驚くことに、行く店行く店で、ムーンはモテたのだ。
・・・お店のママに。
輝くようなムーンの丸い笑顔は、当初ムーンが狙った若い子ではなく、お店のママか店子にことごとく届いていたのだ…。

カイボイスン。

僕の家には、ずいぶん昔からカイボイスンのデザインした動物たちがいる。
木で出来た動物たちは手触りがよく、それぞれ腕や脚や鼻なんかが自由に動かせて、子ども用に作られたおもちゃであるものの、大人でも魅了されてしまう。
今回、デンマーク行きが決まって改めてデンマークのことを調べていたら、我が家にはデンマークのものが溢れていることに気づかされた。
カイボイスンは、デンマークを代表するプロダクトデザイナーで、王室御用達のカトラリーなどでも有名。
そのカトラリーも僕の家にはあって、形の美しさだけではなく、どのように使われるのかということを考え抜いてデザインされていることがわかる。
また、この写真にも写っているリビングのYチェアは、ハンス・J・ウェグナーによるデザインで、ウェグナーもデンマークを代表する家具デザイナーだ。
Yチェアは、日本の家庭でも沢山愛用されているが、実際に座って使ってみると、手放せなくなるくらい座り心地がいいのだ。
そして、この椅子を離れて見た時にも、「ああ、なんて美しい椅子なのだろう…」と、いつもいつも思ってしまう。(この他にも、ウェグナーのデザインしたイージーチェアが寝室にあるのだけど、その椅子の話は、また今度しますね)
デンマークは、形だけでなく、用のデザインにおいてさえも、相当先進国のようなのです。

新しい旅へ。

先週末の沖縄で、車に乗っている時に、後部座席でXがメールを見て言った。
X「ただしちゃん。デンマーク、調整ついたみたい。行ける?」
僕「デンマーク?え?その話、まだ生きてたの???」
思えば、1ヶ月以上前だろうか…Xが、「デンマークにいけるかもしれないけど、いく?」と聞いてきた。仕事中だった僕は「いいよ」と適当に 返事をしていたのだけど、どうやらその話が水面下で動いていたようなのだ。
僕「それで、いつなんだっけ?」
X「それが・・・1週間後なの・・・」
僕「へ?1週間後?デンマーク???」
そして、急に決まったデンマーク行きで、デンマーク大使館を訪れることに。
僕「ねえ、X…デンマークの王様に、僕を妃にしたいとか言われたらどうしよう…」
X「大丈夫、ただしちゃん。心配いらないわ…デンマークの王様は、今は女性なの…」
そんなこんなで、世界一幸福な国とも言われるデンマークのコペンハーゲンに急に行くことになったのだけど、僕たちがこの先生きていく上で、より豊かな社会、幸福な社会になるためのヒントが、デンマークにはあるのだろうか。
ワクワク

海のハート。

世界には驚くことに、ハートの形をしたものが時々ある。
植物の葉っぱ、珊瑚礁、石ころ、そして、この写真のリュウキュウあおいがい…。
これも沖縄の古宇利島で買ったもので、直径2センチくらいしかないのだけど、ぷっくりと膨らんだような形が愛らしく、Kとふたりで選んで一つずつ買い求めた。
沖縄の古宇利島の砂浜は白く、小さな貝殻が沢山混じっていた。
海の中にはナマコがいて、時々踏んでしまってその気味の悪い触感に声をあげた。
沖縄の海を思う時、ペットボトルや空き缶やゴミなど落ちていないあれほど美しい海を人々が永い間守って来たことに、畏敬の念を感じてしまう。
今となっては想像すら出来ないのだけれども、大昔、きっと東京湾でさえ、海はあんな風に透き通っていたのかもしれないと思う。
小さなリュウキュウあおいがいを見ていると、あの白い砂浜を思い出す。
両手を広げて空を見上げて、ぽっかりと浮かんでいた暖かい海。
またあの海に、かえりたい。

琉球ガラス。

沖縄に来たからには、シンプルな琉球ガラスのグラスがあれば欲しいと思い、数軒のお店を回った。
『久高民藝店』は、国際通りにあり、様々な質の高い民藝品を扱っているので必見だろう。沢山の作家の器が置いてあるのだけど、僕が思い描くようなものがなく、もう少し色が付いていたり、デザインにクセがあったりした。
Kを引き連れて、最後の日に『那覇市伝統工芸館』に行き、あれでもない、これでもないと諦めかけた時に、ふとセールのためのワゴンの中のグラスに目が止まった。
「あ、これ、シンプルでいい感じ…」
Kを呼んでグラスを見せると、かわいいと言う。(多分、650円という値段が気に入ったのだろう)
琉球ガラスは、元々アメリカの駐留軍のために作られて来たガラスで、今でも60%以上は米軍の人たちの手元に届くそうだ。
それゆえか、デザインがどこか無骨で、がっしりしているように思う。毎日使う民芸品には、その土地の暮らし方が出ているのだと思う。
夏の終わりに、島らっきょうでも買ってきて、そうめんチャンプルーでも作って、このグラスで、Kと一緒に泡盛のロックでも飲みたいなあと思っている。
★久高民藝店http://calend-okinawa.com/interior/interiorshopnavi/kudakamingei.html
★那覇市伝統工芸館http://www.kogeikan.jp

蕎麦きり みよた

この春、表参道に出来た『蕎麦きり みよた』は、表参道から外苑前に向かう246沿いの右側にあり、前を通るたびに人が列を作っているのが気になっていた。
「表参道に、蕎麦ブーム到来か?」と。
今日、偶然なのか並んでいる人が少なかったので、ほんの少し待っただけですんなり入ることが出来た。(蕎麦を食べるだけなので回転は速い)
『極みカツ丼セット』を頼み、しばらくすると大きなカツ丼が運ばれてきた。横には透き通ったような蕎麦がついている…。
「…んまい!」
思わず声を上げそうになるほど、蕎麦が美味しい。カツ丼は、僕にはかえしがほんの少し甘いのだけど、カツのボリュームといい卵の火の通り具合といい申し分ない。これで880円!
他にも『極み穴子天板せいろ』など、見るからに美味しそうなメニューばかり。
表参道でうまい蕎麦が食べられるなんて、これからしょっちゅう来てしまいそうです。
★蕎麦きり みよたhttps://m.facebook.com/SobakiriMiyota?refsrc=https%3A%2F%2Fwww.facebook.com%2FSobakiriMiyota

貝。

テングガイ。

スイジガイ。6本の角があり魔除けにもされている。

スイジガイ。

子どもの頃、よく石や貝を拾っては集めていた。
お墓でさえ、きれいな石を見つけると持って帰ろうとする僕に、母はその場に置いていくようにと叱った。
集めた石や貝は箱の中に入れて、時々誰もいない時にこっそり取り出して見てみるのだ。
「きれいな色だなあ…」「不思議なカタチだなあ…」
今でも家のお風呂には、美しい黄金比率で巻かれているオウム貝とヒトデが置いてあって、時々眺めている。
旅行中ほとんどモノは買わないのだけど、今回の沖縄では、古宇利島で貝を買って来た。沖縄は、珊瑚礁があるからか、とても豊富な貝が生息しているようだ。
持ち帰って来た貝は、しばらくの間リビングのセンターテーブルに広げておく。そして、時々手に取り、触っては、ひとしきり眺めてみる。
すると、今では遠くなってしまった沖縄の海を思い出す。
どこまでも遠く透き通っていて、波の音は聞こえない不思議な海のことを。
 
海に来ている家族や友達同士の笑い声がしていて、まるで時間が止まってしまったかのように平和だった海のことを。