友人の来島。

東京から友人がやってきた。

次の台風がちょうど進路が変わり、どうやら宮古島には来なそうでよかった。

宮古島に引っ越してきて8ヶ月目だけど、友人たちが我が家に遊びに来るのはこれで4組目。

これは考えてみたら東京で暮らしている時よりもずっと多いことに気づいた。

僕が宮古島に引っ越したことを知った友人たちは、宮古島という名前にすぐに反応するようで、「あ、あいつがいるからちょっと行ってみようか!」と思うのだろう。

台風が過ぎた後でスーパーにはまだ食材は並んでいなかったので、家にあるもので晩ごはんを食べた。

こうやって友人たちが家に遊びに来てくれて、久しぶりにゆっくり楽しい時間を過ごせるのも、宮古島のお陰なのだ。

「LOVE, サイモン」「LOVE,ヴィクター」

ディズニー+で見られるドラマで「LOVE,サイモン」と「LOVE,ヴィクター」が面白いらしいとBridgeのマスターに聞いていたので、この台風で家にいる時間に見ようと、Kとふたり見始めたらしっかりはまってしまった。

「LOVE,サイモン」は、17歳の男の子が主人公でアトランタの高校に通っている。

裕福で仲の良い白人家庭で暮らすサイモンは、自分の性的指向に気づきはじめたところで、本当の自分自身を受け入れる難しさに直面している。

多感な思春期に、家族や友人たち学校生活の中で生きていくゲイの苦悩や喜びをとても丁寧に描いた素晴らしいドラマ。

「LOVE,ヴィクター」は、その「LOVE,サイモン」の続編のような作りで、主人公はヒスパニック系の男の子。シーズン3まであるのだけど更に見応えのある作りになっている。

こんなドラマが作られるアメリカを、うらやましく思いながらKとふたりドキドキしながら見続けたのだった。

クラピア

家の庭に雑草ばかりが生い茂るのを見ながら、Kはずっと気にしていたのだ。

「ただしくん、こんな雑草ばかりのところにお客さん泊らせられないよ」

僕は大雑把な性格なので、雑草は定期的に草刈機で切ればいいくらいに考えていたのだ。

Kは色々調べた後に、クラピアという植物を探してきた。(これは以前ここに書いた)

ちょっと値段が高いけど、クラピアを植えてみようか…。

初めは10株買って、8株を植えて2株はずっと小さな鉢に植わっていたのでどうするのかと聞いたら、「失敗したら勿体無いからこれは様子を見て取っておくの…」とのことだった。

こんな勿体ない魂の塊のようなKが僕は好きだ。

その後クラピアは宮古島の土地が気に入ったのかうまく根付いたようで、みるみるうちに横に広がっていき芝生に負けないような美しい緑地を作りつつある。

そして先日更に24株のクラピアを買い足し、Kと2人で植えたところ。

Kはとても丁寧なので、耕運機で土地を耕し、肥料と培養土をきちんと入れて丁寧に植え付けた。

雑草ばかりだった僕たちの庭が、少しずつ綺麗な秩序を持ちはじめて来たところ。

島バナナ

島バナナのことはここにも何回か書いた。

僕の家にも今は全部で4本の島バナナの苗が植わっていてすくすくと成長している。

このバナナ、電気屋さんが畑でなったものを持ってきてくれたのだけど、今までに色々な人にいただく機会があった。

先日も近くの鮮魚店でマグロを買った時に、島バナナを2本魚屋さんが一緒に入れてくれた。

宮古島ではこんな風に、果物をさりげなく周囲の人にあげる習慣があるみたい。

島バナナを見ると、島の温かさを感じるのだ。

ヤモリの館。

我が家には、僕とKと海の他にヤモリが住んでいる。

沖縄の家では大抵ヤモリがいると思うほど、どこにでもいるようだ。

お風呂に入る時に窓ガラスにいたり、トイレに入るとサッシのところに潜んでいたり、キッチンの窓の中を歩いていたり・・・

ヤモリは小さな壁の隙間などに入り込み、卵を知らないうちに産んでは子どもを増やしていくようで、いつの間にか小さなヤモリの子どもたちを時々見かけるようになった。

このヤモリ、人間に危害を加えることはなく、夜中に時々鳴くのだけど、それ以外に嫌だと思うことは何もない。それよりもむしろ、そのおっとりとした姿と形に癒されるようにさえ思える。

家の中に一体何匹のヤモリがいるのかわからないのだけど、僕たちはヤモリと一緒に暮らしていることがもはや自然に思えているのだ。

ストーカー。

Kがいないので、海はどこか落ち着かなくて、いつも僕の動向を見守っている。

服を着替えようとすると、外出するのかと思い僕のあとにピッタリとくっついて歩き回る。

ちょっとでも外に行こうとすると自分が置いていかれるのではないかと急いでついてくる。

そんな分離不安気味の海を見ながら、「大丈夫だよ。どこにもいかないから」と話しかける。

真っ直ぐな瞳を見ると、なんて愛おしいのだろうと思うのだ。

大型宅配便問題。

コンランショップで大きめのソファを買って送ろうと思ったところ、宮古島には配送することはできないと言われた。

これはコンランショップに限ったことではなくて、たいていの大型家具を買って送ろうとするとネットショッピングでも配達不可地域という返事が来てしまうことが多い。

「家具なんて全て宮古島で揃えればいいじゃん」という人もいたのだけど、宮古島にはお洒落な家具屋さんもないし、自分達の欲しい家具を一揃え揃えたら、お金がいくらあっても足りない。

離島でも大型家具を送ることは不可能ではなくて、クロネコヤマトの大型家具を送れる宅配便があるのだけど、大きさにもよるが一つ運ぶのに2万円以上取られることになる。

家具なんて執着する必要もないと言う考え方もあるけど、僕にとって家の家具は、一緒に年を重ねていく大切な宝物なのだ。

結局引っ越しで100万円かけて家中の家具を全て運んだのだけど、運んでおいてよかったと心の底から思ったのだ。

母の宮古島。その2

僕が東京に行っていた3月17日の朝に母から電話があった。

「昨日の地震が怖かったから、また何かあるかわからないから宮古島二いくのやめようかと思うの・・・」

「え?お母さん、地震があったのは東北であって沖縄じゃないよ!それに、チケットもホテルもとっちゃったから今更キャンセルできないよ」

「あら・・・そうなの・・・」

東京でも大きな揺れを感じた地震があったせいか、少し弱気な母であったが、宮古島に来たら島の雰囲気がとても気に入ったようだった。

2日目の宮古島は雨だったのと84歳のお父さんが疲れているだろうと、午後から車で少しドライブすることにした。「島の駅みやこ」に立ち寄って野菜などを見た後は、砂山ビーチの方にある「雪塩ミュージアム」へ。

今回、母が地震で怖くなったから行くのをやめようかと言い出した時に、少し強引にだめだと言ったのは、これが最後の宮古島旅行になるかもしれないと思ったからだった。

お父さんは84歳で、あまり歩いていないため少し歩くと息を切らせているし、母だっていつ弱ってしまうかわからない。健康で歩けるうちに少し強引でも宮古島を見て欲しかったのだ。

その後、ホテルに送り届けてから夕方は「ひろちゃん食堂」で早めの夕食にする。お父さんは日本そばを食べながらホッとしたような顔をしている。母は宮古そばが気に入ったようで、また宮古そばを食べながら美味しい問いって喜んでいる。

母が宮古島に来ることができて、本当によかった。

僕はソーミンチャンプルー

Kはカツ丼

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シタディーン新宿

「OUT IN JAPAN」の撮影があったため、Kと海は宮古島に残し僕だけお昼の便で東京に来た。

東京でこのところ定宿にしているのは、新宿1丁目にある「シタディーン新宿」。

新宿御苑前の駅にも近く、新宿2丁目にも近く伊勢丹にも歩いて行ける。キッチンもついていてホテルと言うよりもアパートメントのような感じで1階にはランドリーもあるので洗濯もできる。

昔は2丁目で毎日のように飲み歩いていたのに、不思議と今は東京にいても2丁目に行くことが少なくなってしまった。

コロナのせいで行きつけのお店もやっていないし、他の行っていたお店もほとんど無くなってしまったのだ。

東京に来るので、買って帰るものや行くべき場所をリストアップしてきた。

宮古島だといちいち送料がかかるので、旅のついでに持って帰ろうと大きめのトランクも持ってきた。

久しぶりの新宿は何も変わりはなく、たくさんの人で溢れかえっていた。

公正証書遺言。

僕たちゲイカップルは、この国では結婚がまだ認められていないから、たとえば僕が病気や事故で倒れた時に、パートナーであるKを家族と認めるか認めないかは病院の判断によってしまう。また、僕が先に亡くなった時に、Kに遺産を残してあげることは出来ない。

こうした不安をすべて解消してくれるのは、今の法制度の中でやるのは「養子縁組」しかないのだけど、「公正証書遺言」を作っておくと、法的に遺産を残すことが出来る。

でも僕たちがそれを作るには、行政書士に頼んだら、公証役場に行って手続きをするため10万円から20万円近いお金が必要になるのだ。

男女の夫婦であればこんなお金もかからないし心配する必要もないものを、なぜ僕たちだけがこんな理不尽な目に遭わなければならないのか、本当のところ僕は納得がいかない。

でもどんな手を使ってでもKを守らなければならないと思ったら、お金を払ってでも公正証書を作っておいた方が良いかと思い、現在行政書士に相談をしているところ。

裁判での本人尋問においては、僕たちだけが公正証書を作らなければならないなんて平等ではないと言っていたのだけど、結局パートナーを守ることが出来なかったら、死んでも死に切れないではないか。

これからの若い人たちがこんな理不尽な目に遭わないためにも、一日でも早い同性婚の実現が必要なのだと思うのだ。