BEST OF NYC CRUISE & BURGER JOINT

お仲間も…

高級ホテル内とは思えない店内

日本のハンバーガーとは、重さが違う

友人のSから、『NEW YORK CITY PASS』なるものをいただいたので、ニューヨークはじめてのKと一緒に1日目のニューヨーク観光をしてみた。改めて、S、ありがとう!
まずは自由の女神かと思い、『CIRCLE LINE SIGHTEEING CRUISE』へ。
42ndの12Aveに、Pier83という船着場がありそこから発着。2時間半をかけて自由の女神などマンハッタンをぐるりと一周するコース。
とてもわかりやすい英語のツアーガイドがたっぷりとニューヨークの歴史を話してくれる。ニューヨークでクルーズに参加するのはこれで2回目だけど、何度乗っても船で巡るニューヨークはワクワクするものだ。
マンハッタンという言葉も、先住民の『マナハタ』という言葉から来ているらしい。マナハタの意味は、沢山の丘という意味で、マンハッタンでもハーレムを超えて上に行くと、マンハッタンとは丘で出来ていたのだということがわかる。
ブルックリンやクイーンズなどの人口の増加やブルックリンという名前は、今では男の子に多い名前になっているとか、歴史上の人物が住んでいた場所とか、船の運航に沿って様々な知識を話し聞かせてくれる。
Midtown Westの『Le Parker Meredian』にハンバーガーショップがあって美味しいと聞いていたので行ってみると、フロント横に黒いカーテンが仕切られていて、人の列が出来ていた。
15分くらい待っていると中に入ることが出来て、「これこそハンバーガー』というような、アメリカンビーフたっぷりのハンバーガーをいただいた。
日本で食べる繊細なハンバーガーとは違った豪快な肉の塊を、Kも満足そうに頬張っていた。
⭐️circle line sightseeing cruises https://www.circleline.com/
⭐️Burger Jointhttp://m.parkernewyork.com/?url=http%3A%2F%2Fwww.parkernewyork.com%2Feat%2Fburger-joint%2F&utm_referrer=#2939

Carousel

PRIDE月間なので、レインボー

3年ぶりくらいのブロードウェイ。
最初のミュージカルは、『carousel』。およそ24年前くらいにニューヨークを訪れた時にはリンカーンセンターで上演され、その回転木馬とぴったりと合った会場と素晴らしい演出に、僕にとっては生涯忘れられないミュージカルとなった。
今回は、『Imperial Theater』。ミュージカルの劇場らしくこじんまりとしていて、座席は最前列のど真ん中。いつもながら、素晴らしい座席を一緒に取ってくれるBridgeのMに感謝。
映画の『回転木馬』をご覧になった方にはわかるかもしれないが、この作品自体、男女の恋愛、性欲、親子の愛情、お金への欲望、善と悪など、人生に対する深い洞察によって脚本が出来上がっている。
なによりも『リチャード・ロジャース』による素晴らしい曲と、素晴らしい歌声、躍動的なダンスに酔いしれることが出来る。
ストーリーはわかっているのに、後半は自分でも驚くくらいに涙が止まらなくて、海亀の産卵のように涙が頬をつたった。
⭐️『サウンド・オブ・ミュージック』、『王様と私』、『南太平洋』(2008年度トニー賞最優秀リバイバルミュージカル賞受賞)などの生みの親、作曲家リチャード・ロジャースと脚本家オスカー・ハマースタイン二世のゴールデン・コンビ。彼らが最も愛した作品と言われる『回転木馬(Carousel )』は1993年リバイバル上演され、翌1994年のトニー賞では、最優秀リバイバルミュージカル賞など5つの部門で賞を獲得。

旅の準備。

長期で旅行に出る前には、準備が色々とあるものだ。
僕の家には植物があるので、不在の間友人に鍵を預けて植物の水やりをお願いすることにしている。
それから、ニューヨークで観るミュージカルや舞台のための予習。
今回は、昨日ここに書いた『真夜中のパーティ』の予習をはじめ、本場のミュージカルをはじめて観るKのために、『回転木馬』と『マイフェアレディ』のDVDをBridgeのMに借りて、先週末に2人で見ながらしっかりとストーリーの予習をしたのだ。
いつもは前日に荷造りをするのだけど、今回は日曜日にはトランクを2つ表に出して、少しずつ衣類や必要なものを詰めはじめた。
詰めながら迷ったり、アメリカ人の友人へのお土産もあったので、買い忘れないようにiPhoneのメモに残して買い物したりしながら少しずつ詰めて行くようにした。(コンタクトや薬やサングラスなど小物の入れ忘れが無いように、少し余裕を持って荷造りをするのは正解でした)
KはKで、
◎冷蔵庫の始末をすること。
◎洗濯物を残さず洗っていくこと。
◎ゴミを全て捨てていくこと。
を気にかけていて、僕が食材を買ってこないように睨みをきかせている。(まるで主婦ですね)
出発の前日は、余っていた野菜をすべて使ってカレーを作り、朝洗濯したものを室内で乾かし夜にも洗濯をして、荷造りをしながら人が家に入ってもいいようにと掃除機をかける。
仕事も、僕の休暇に合わせて驚くほど綺麗に片付いていき、すべてが整って出発の前日を迎えることができた。
Kは相変わらず、はじめてのニューヨークでどこに行きたいなどという意思はなく、ただ僕と一緒に海外旅行に行けるというだけで、何も心配せず楽しそうにしています。

真夜中のパーティ

今回ニューヨークに行くのには、いくつか目的があるのだけど、その中の大きな1つが、『the boys in the band(邦題:真夜中のパーティ)』の舞台を観ること。
今回の再演は、9人のキャストが全てゲイであることをオープンにしていることでも有名。(初演は、1人だけストレートだったそうだ)
ニューヨークに行く前に、『真夜中のパーティ』の細かなセリフや言い回しを、改めてもう一度予習しておきたい(歌もなく9人のキャストが英語で喋り捲る舞台は、予習必須でしょ)と思ったものの仕事が忙しく、ギリギリになってしまい、改めて日本語版を探すと映画も在庫がないというのだ。
慌てて新宿2丁目の『ぺんぺん草』に、日本語の脚本は持ってないかと聞くと、「誰かに貸したっきり、返ってこないのよ…」という。
そこで、昔出版された『真夜中のパーティ(青井洋二訳)』をAmazonで探し、中古の本を買ってみるも、お届けは土曜日になると書かれてしまい、絶望的な気分で『ぺんぺん草』に飲みに出かけた。
『ぺんぺん草』のマスターは、いつそんなものを買っていたのか、『真夜中のパーティ』の英語の本を僕に差し出した。
「わたし、2冊持ってるからこれをあげるわ」
「えー!もらっていいの?うれしい!」
中を覗くと、英語がギッシリ…でも、台詞を追っていくと、これはこれで読んでおけば分かりやすい教科書にはなる…。
相変わらずのくだらない話を『ぺんぺん草』でして、帰路につくと、驚いたことに、どういうわけかポストに『真夜中のパーティ(青井洋二訳)』の本が、予定よりも早く入っていたのだった。
「やったー!これで舞台までに予習が出来る!」
散々焦らした神様に、改めて感謝したのでした。

きゅうり

実は、きゅうりのことを、栄養価もないくせにもてはやされすぎだと思っているのだ。
ナスやこんにゃく同様全く価値のない野菜だと思っている。
小さな頃に鈴虫やカブトムシを飼った時に、きゅうりを餌としてあげていたせいかもしれないけど、きゅうりを食べると、どうしてもその頃の記憶が蘇り、香りとともに虫やおがくずを思い出してしまうのだ。
でもたとえ栄養素がなかったとしても、全く価値のない野菜ではなくて、利尿作用があったり、むくみを抑えたり、身体にとって少しは作用があるということは知られている。
それでも、夏の間は特に野菜売り場できゅうりは確固たる立場を確保しているので、嫌でも目に入ってくる。
今までは自分できゅうりを買うことは、ポテトサラダを作る時以外にはなかったのだけど、先日きゅうりを自ら買い求め、浅漬けにしてみた。
すると、ジメジメとした梅雨の食事が、ほんの少し和らぐような爽やかさを感じたのだ。
そして、生でないせいか、鈴虫もカブトムシも思い出すことはなかったのだった。
栄養がなくて役立たずだと思っていたけど、気分転換くらいにはなるのだと、自分の中のきゅうりの地位が、ほんの少し上がったのだ。(と言っても、ナスやこんにゃくと並んで最下位なのだけど)
⭐️きゅうりの浅漬け〈作り方〉
1. きゅうり二本の皮を、縦にピーラーで縞模様のように剥き、食べやすく斜めに切る。
2. 200mlの水に小さじ2弱の塩を溶いて、ジッパーに入れ、3センチ四方くらいの小さな昆布か、細切りの昆布ふたつまみくらいを入れ、大葉5枚を細かく切って入れ、1のきゅうりを入れる。
3. 6時間くらいたったら出来上がり。

60歳のZさん。

新宿2丁目のBridgeでよく会うZさんは、60歳。でも、2丁目デビューしたのは、なんと53歳だったそうだ。
Zさんは、ずっと自分がゲイであることには気づいていたそうだ。
23歳になって東京に出てきて、新宿の西口で男と出会い行為に至ったのだけど、その男に恐喝され、そのあと仕事場にもその男から電話がかかってきて、脅されてお金を盗られたそうだ。
それ以来トラウマになり、「新宿2丁目みたいなところは本当に恐ろしいところなんだ・・・」と思い、二度と近づかないように生きてきたらしい。
20代30代40代と仕事だけに没頭して、無駄遣いをすることなくきちんと暮らしてきたのだ。
僕「えええ?じゃあ、ゲイとしての遊びはまったくなかったんですか?」
Z「いや、それがね、時々タイやなんかに海外旅行に行っていたんですよ。訳知りの旅行会社にお願いして、1回40万円くらいアテンド料金がかかっちゃうんですけどね・・・」
僕「まあ、飛行機代とホテル代入れたら、贅沢したらそれくらいかかっちゃいますかね・・・」
Z「それが違うんです。飛行機代もホテル代も別に払ってあって・・・その・・・ゲイの色々なところに連れて行ってくれるのにそれだけお金を払わされてたんです・・・」
僕「えええ!!!信じられない!!!40万!!!」
Z「彼ら、2丁目なんて怖いから絶対に行かない方がいいですよ・・・と何度も何度も言うんですよ・・・今思うと、私は完全なカモだったんですよね・・・」
Zさんは53歳になり、ひょんなことで知り合った人に新宿2丁目の『Bridge』のホームページhttp://bar-bridge.com/index2.htmlを教えてもらい、恐る恐るのぞいてみると・・・
そこはずーっと自分がトラウマのように恐れていた世界ではなく、自分が行っても良さそうな空気感が広がっていたのだとか。
こうしてZさんはBridgeを訪れ、驚くほどの速さで新宿2丁目に溶け込んでいった。今や2丁目ライフを誰よりも謳歌するようになったのだ。
僕が知っているZさんは、友人たちをいつも気遣い、思いやりに満ちている。そして本当に素晴らしいと思うのは、その地に足のついた人生設計。
Z「人生、だいたい90歳だと思うんですね。それで、90歳までのお金はきちんと貯めてあるので、あとは毎日楽しんで生きていこうと思ってるんです」
僕「ひええええ!すごい!そんな人、はじめて会いました!」
やさしくて、思いやりがあって、人生の余裕を持ち楽しんで生きている60歳のZさん。素敵な恋人に出会う日も、もうすぐだろうな。

ネギは、切って冷凍庫に。

この作業には台湾の包丁が使いやすい。

ネギを使う分だけ切ってそのまま冷蔵庫に入れておいて、その後ネギが伸びてしまったり、気がついた時には元気がなく萎びてしまったりすることはないだろうか?
僕は、万能ネギと九条ネギは、まとめてふた束くらい買ってきたら、その日のうちに切ってしまい、冷凍庫に入れておくようにしている。いつだって使いたい時に冷凍庫から取り出して、また冷凍庫に戻しておけばいつでもネギを切らすことはないからだ。
万能ネギをまとめて切ると、細かくなったネギを掬ってジップロックに入れるのが少し面倒なのだけど、これも面倒ならばオーブンペーパーを敷いてその上で切ると楽に入れられる。
この面倒な役目を、いつもはKに押しつけているのだけど、時々Kも面倒くさいと思うのか、「ジムに行ってくるね」などと言って逃げられてしまう。

シンガポールから、LとJがやって来た。

数週間前にJからLINEがあった。
「ただし…銀座の鮨青木を、6/15の7時半に2人の席を予約してくれないか?」
すぐに青木に電話をすると、ちょうど席を取ることができた。
外国人の友人のために寿司屋を予約することは、実は内心ほんの少し気になるところもあるのだ。僕の名前で2人分予約しても、現れるのは日本語の話せない外国人。
それはそれで構わないのだけど、彼らが急に行けなくなってしまったら、結局僕が電話をしてキャンセルの対応をしなければならなくなるから。
お店によっては、
「お客さんご本人がいらっしゃるんですよね?」
などと聞く店もあるのは、キャンセル等問題が実際に起こっているからだろう。
予約をした金曜日、僕がKとご飯を食べていると、7時39分頃にJからLINEが入った。
「In case the restaurant call up, we are nearly there 」
え?予約は7時半なのにまだ着いてないの?
そこで、寿司屋さんに電話を入れて、申し訳ありませんが、あと10分以内に着きます。と伝えた。
後ほど二丁目のBridgeで彼らに会い、「寿司屋さんの対応は大丈夫だったか?」と聞くと、
「お寿司自体は悪くはないけど、六本木のなかむらの方がやっぱりいいね」などと評価していた。
もともと、莫大に大金持ちだからか、こちらの心配も顧みず、楽しそうにお酒を飲んでいる彼らを見ながら笑ってしまった。
9月には、ペナンで新居のお披露目のパーティーがあり、僕たちはそのパーティーに招待されているのだけど、新居の建築の進み具合が遅々としていて、写真を見せながらやきもきしていた。
そして、Lが顧問だか役員を務める日本にもオフィスのある外資系会社の社報を見せてくれた。
そこには、満面の笑みを浮かべたLとJが写っているのと、下にはLとJを囲むように、子どもや家族たちが写っていた。
J「今月はPRIDE月間でしょう?うちの会社でもはじめてLがこんな風に公にカミングアウトして、家族の写真を載せたんだ。」
僕は彼らの写真を見ながら、なんて進んでいる会社なのだろう…と改めて思ったのだ。
うちの会社の社報に、ゲイのカップルが家族写真として堂々と載り、PRIDE月間の大切さを解いているようなものを想像して、それはまだまだ先だろうなぁ…と思ったのだった。

父の日に。

母の日には、無印良品でフレンチリネンのブラウスを買って送った。
僕の名前は、実は昨年くらいに母の戸籍に移り変わっている。(実父と母は僕が高校を出て離婚していて、その後母は僕が働き出してから現在の父と結婚した)
母の日の朝に、小包が届いた母から電話が来て喜んでいたのだけど、すかさず母がこう言うのだ。
母「あなた、名前を〇〇で送らないから、お父さんがっかりしていたわよ…」
僕「あ、いつも使ってる名前で何も気にしないで送っちゃった…」
急いでいて送り状の差出人の名前を、昔から今も公に使っている名前で何も考えずに書いて送ったのだった。
無印良品のフレンチリネンのシャツは、水色を選び、今度は間違えないように、父の姓を書いて送った。
今まで子どもを持つことのなかった父への、僕からのはじめての父の日のプレゼントになる。

誇り。

仕事先で、僕にしてはとても珍しく、震えるほど怒りがこみ上げて来て抑えることが出来ないできごとが起こった。
僕の考えたコピーとヴィジュアルのアイデアで進んでいたキャンペーンの広告の製作の話し合いをしている時に、いきなり先方が言い出したのだ。
「そしたら、ここから先はこちらで引き取りますので。こちらにも専属のアートディレクターがいますので…」
僕は、話の内容が読み取れず呆気にとられながら、フツフツと込み上げてくる怒りをどうしたら良いかと考えあぐねていた。
先方の話が一通り終わった時点で僕が口を開いた。
「あのー、この広告のコピーを考えたのは僕です。
そして、ヴィジュアルアイデアを考えたのも僕です。
僕の考えたものを、どうしてここでそちらに渡すことが出来るのでしょうか?
今まで、そのような仕事のやり方はしたことはありませんし、これからもするつもりはありません」
先方は、急に事の重大さに気づいたのか、焦り気味な口調になり、その後しどろもどろになったが、最後までなんとか僕を封じ込めようと必死なのがわかった。
営業は、冷や汗をかいていたと思う。
僕自身はこんなことでこの仕事を外されたとしても、全く構わないと思っていた。
僕自身にとっては、もはや失うものはたったひとつを除いて何もないのだ。
僕の考える、たったひとつの失ってはいけないものとは、自分で考えたアイデアに対する誇りだ。
それは、クリエイターにとっての魂のようなもの。
たとえその場がどうなろうとも、自分自身の誇りを守れたことで、僕は晴れ晴れとした気持ちでその場を後にした。