10月10日は、海の2歳の誕生日。
大型犬はだいたい2歳で成犬になると言われているので、海もようやく大人になってきたのだろう。
ヨーグルトを中心にさつまいもや柿を使って、今年もKが海の誕生日のためにケーキを作ってくれた。
海の前にケーキを置いて、ハッピーバースデー♪の歌を歌ってあげると、海は、「なんなの???」とキョトンとしていた。
無事に健康に2歳を迎えられたことを、何よりも感謝したのだった。
外苑前→熱海→宮古島 年の差ゲイカップルの宮古島生活。
10月10日は、海の2歳の誕生日。
大型犬はだいたい2歳で成犬になると言われているので、海もようやく大人になってきたのだろう。
ヨーグルトを中心にさつまいもや柿を使って、今年もKが海の誕生日のためにケーキを作ってくれた。
海の前にケーキを置いて、ハッピーバースデー♪の歌を歌ってあげると、海は、「なんなの???」とキョトンとしていた。
無事に健康に2歳を迎えられたことを、何よりも感謝したのだった。
捨て猫の太陽がやってきて一番心配したことは、海が猫に対してどう反応するかということだった。
あまりにも海が嫌がったり、噛んでしまうような場合は、猫は家では飼えないと決めていた。そこは何よりも海を優先してあげなくては海と僕たちの信頼関係さえ崩れてしまう。
こういった多頭飼いでは、大抵の場合先住犬や先住猫を優先するべきだと書いてある。
先住犬をまず第一に気をかけて、その次に新しい動物に気を配る。それを間違ってしまうと先住犬が嫉妬して新しい動物を威嚇したり噛んだりしてしまうケースが多いそうだ。
果たして海はどうだったかというと、太陽に対して嫉妬をしている気配は全くなく、それどころか自分の友達と思っているのか、子どもと思っているのか、はたまた支配下に置こうと思っているのか、太陽の後頭部を甘噛みしたり、撫でたり、追いかけ回している。
自分がごはんを食べている時に太陽が取りに来ても一向に怒らない。自分が水を飲んでいる横で太陽がみずを飲んでも気にしない。
太陽は海をひっかくのではないかと恐れていたのだけど、見ているとひっかくふりをしながら力を抑えてじゃれあって遊んでいるのがわかる。
僕とKが一番驚いたのは、犬と猫がこんなにも簡単に仲良くなれる動物だとまざまざと見せつけられたことだ。
「トムとジェリー」というアニメを覚えているだろうか?
今はあんな感じでいつも2人で追いかけっこをしていて、時々あまりにもエスカレートするとKが止めに入っている。
海と太陽はこの数日で随分仲良くなりはじめている。
海は最初から太陽に好奇心剥き出しで、太陽を見つけると近寄っていって首根っこを甘噛みしたり舐めたりしている。
太陽はそんな海に若干の警戒心を見せつつ、最初は「シャーッ!」と猫特有の威嚇をしていたけど、今は随分慣れてきたようでふたりで楽しそうに遊んでいる。
猫は今まで飼ったことはなかったのだけど、犬に比べてもっと野生に近い生き物のように思える。
自分の獲物を常に探していて人間はただの他の動物に過ぎないと思っているように見える。
動く小さなものにすぐに反応し、鳥を見かけると遠くにいてもロックオンされて仕留めようとしている。
きっと猫にはしつけのようなものは出来なくて、してはいけないことやダメなものを教えるのがやっとなのだと思う。
トイレは自ら砂地でして、きちんとした後は砂を自分でかけて臭いを消そうとするところも野生を感じる。
まさか、猫を飼うなんて思いもしなかったけど、こんな風に人生先のことなんてわからないもので、今はこの不思議な巡り合わせを楽しんでいるところ。
海を連れて散歩に行く公園の入り口にいつも野良犬がいるということをここにも書いた。
白と茶色の少し小さめな犬(チビ)は捨てられたのか野犬なのかはわからないけど、臆病で攻撃性は見られない。
散歩に行くたびにチビにエサをあげ続けてかれこれ10日くらい経っただろうか。
はじめは毎日あげに行っていたのだけど、僕たち以外にも宿泊施設に泊まっている建築作業員のおじさんがパンをあげている姿を見たので、この頃は無理せずに1日おきくらいに行ってエサをあげている。
このままでは保健所に捕まってしまうかもしれないからと動物愛護団体に連絡して保護をお願いしたのだけど、その団体も今は手一杯のようですぐに捕獲は出来ないとのこと。
実際にチビを僕たちの家で飼うことは出来ないし、僕たちのしていることはただの偽善でしかないのかもしれないとも思う。(たとえばチビを飼っても、次に見つけた野犬はどうするのか、その次の野犬はどうするのか?)
人間の都合で捨てられる犬や猫は後を絶たないし、この国でなくなることは残念ながらないのだと思う。
たとえそうだとしても、一頭でもかわいそうな境遇の犬や猫が救われてほしいと思うのだ。
中庭の植物にお水をあげていたら、家の前を首輪をつけた柴犬が通りかかった。
首輪をつけているから人間に飼われていたに違いないけど、僕が呼んでも恐れているのか近寄る様子はなく遠くに歩いて行ってしまった。
飼い主は散歩の途中にリードが外れたのかもしれないし、もう嫌になって遠くで犬を放して逃げたのかもしれない。
宮古島はそれほど大きな島ではないし、犬には帰巣本能があるので、捕獲されない限りかわいがられていた家には帰り着くのではないかと思う。
食べ物もない世界の中で、人間の都合で迷子になったり棄てられる犬が一頭でもなくなることを願うばかりだ。
海の散歩に行く公園の下に宿泊施設があり、そこのゴミ箱を漁っている野犬がいることは前にここで書いた。
肋骨が出たその小さな犬の姿を黙って見ていることが出来ず、僕たちはそれから毎朝餌をビニール袋に入れては、海の散歩の時の容器に入れて餌を与え続けている。
台風の激しい雨風の日は1日行けなかったけど、この激しい雨風の中、チビはどうしているのだろう?と何度も思っていた。
宮古島にある動物愛護団体に連絡をして、この犬を捕獲して欲しいとお願いしてあるのだけど、きっと僕たちのようなお願いは島の至る所で出ていて団体もそれほど暇なわけではないだろう。他の仕事もあるためかなかなかチビの捕獲には至っていない。
今朝はKが、「いつまでも毎朝これは続けられないね.僕たちも色々やらなきゃいけないことだらけだし…」
毎日のことになると餌代もかかってくるし、いつまでこれが続けられるのか正直僕もKもわからない。
でもそんな気持ちで公園に行くと、僕たちの車を見つけた途端、チビが喜んで車の後ろを走ってくる姿がサイドミラーで見つける。
こんなにかわいい犬を人はなんで簡単に捨ててしまうのだろう?
胸が締め付けられるような思いととともに、うれしそうにご飯を食べる姿を見て心がいっぱいになって帰ってくるのだ。
家の周りを車で走っていると、時々野犬を見かける。
4頭くらいの群れで歩いていることもあるし、1頭で歩いていることもある。
海を散歩している時に野犬に遭うと喧嘩になりそうなのでとても用心している。
このところ海を連れてよく行く公園の下の集合住宅のゴミ捨て場に小さな犬が1頭いつもいることに気づいた。
放し飼いかもしれないと思っていたけど、首輪もないし痩せて肋骨が透けて見えるから野犬なのだろう。
僕たちはこの犬をかわいそうに思い、海のドッグフードをビニール袋に入れて持っていくことにした。
駐車場で止まりドッグフードを置くと、その犬は近づいてきて物凄い勢いで食べはじめた。
それ以来その公園に行く時にはその小さな犬がいないかとドッグフードを持って出かけている。
今日もいたので「チビ!ご飯だよ!」と、勝手に名前をつけて犬を呼んではドッグフードを食べさせた。
きっと捨てられた犬なのだろうけど、こんな野犬を見るたびに人間の愚行を思い怒りがこみ上げてくるのだ。
僕が飲んでいる麦茶を見つけると、海が飲んでしまう。
麦茶が好きなようで、他にもルイボスティーにも目がない。
「犬の飲んだコップを人間が飲むなんて汚い!」といった声も聞こえてきそうだけど、海が飲んだコップを僕は何も気にせずまた普通に飲んでいる。
夜寝る時はベッドサイドのテーブルにコップ一杯のお水を置いておくのだけど、これも海が眠る前に来て飲んでしまう。
海がぺちゃぺちゃと飲んだ後は必ず水が散らばって落ちていてもう一度テーブルを拭かなければならない。
海はきっと自分のことを、僕たちと同じ人間だと思っているのだ。
朝起きると大抵僕が6時半頃に海を連れて散歩に出かける。
宮古島の夏の朝は比較的涼しく、風が吹いていれば気持ちいいくらいの気候だ。
夕方の散歩は時間があればKと一緒に海と3人で出かけることが多い。
散歩はどちらかが行けばこと足りるのだけど、こうして3人でのんびり散歩をする時間にとても幸せを感じるのだ。
まだ暑い夕暮れの海を見ながらのんびりと歩く散歩は、特に何があるわけではないけどとても満ち足りた時間に思える。
海と3人で宮古島で暮らしているなんて、1年前でも考えたことさえなかった。
人生、何があるかわからない。
宮古島にはいたるところに人も車もいないだだっ広い公園がある。
そんな公園を見つけては、海をフリーに放すことが増えてきた。
今日行った公園は「いこいの森」という公園で城辺という田舎にある。
車も一台も止まっていない、人っ子一人いないのを確かめたら海を座らせてリードを外してあげる。
海は野生に戻ったかのように思い切り駆け回り、自分の好奇心のままに茂みに入っていく。
姿がまるきり見えなくなると、少し心配になりすぐに「海!おいで!」と声を上げる。
海はすぐに姿を現してはこちらに向かって全速力でかけてくる。
Kが横にいて、海が自由に走り回っている夕方の公園で、僕たちはなんて幸福なのだろうと思ったのだ。
1年前には思い描くこともなかった生活が、今僕たちの目の前にあるのだ。